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イラスト詳細

【3rd Anniv.】『ワタリドリ』

作者 青砥文佳
人物 チック・シュテル
イラスト種別 三周年記念SS(サイズアップ)
納品日 2020年11月15日

4  

イラストSS

『ワタリドリ』


 黒南風から白南風へと変わりいつしか、季節は秋となる。チック・シュテル(p3p000932)は温かな紙袋を抱え、朝の街を歩く。街はひっそりとし、街路樹には白露が見えた。
「……と、とても良い香り」
 チックが大きく息を吸うと、その香りはユラユラと肺の中に落ちていく。
「き……きっと、美味しいと……思う」
 チックは立ち止まり、覗き込んだ。琥珀に映り込むのは焼き立てのパン──ウインナーロール、クロワッサン、バゲット、べーグル、クリームパンにドーナツ。見るだけで空腹が加速し始める。チックは紙袋を抱き締め、また歩き出した。
「……素敵な、処……だったよ」
 チックは目を細める。ヤドリギのぱん。訪れたのはそう、飛行種だけが招かれる秘密のパン屋だ。カナリア色の招待状に誘われ、チックは今日、沢山のパンを買った。
「……此処……間違いない、ね」
 アンティークスショップ『レトロフリーク』。看板の名は異なっていたが、住所は確かに此処だ。チックは猫が描かれた、ステンドグラスドアを開け、僅かに驚いた。そこは紛れもなくパン屋だった。白で統一された店内には様々なパンが並び、トングを握り締めた先客が穏やかな眼差しでパンを見つめている。皆、嬉しそうだった。
「人が、いっぱい……!」
 幸福な香り、床に置かれた白色の小さなカボチャがジャズを歌う。
「おれ、もパン……選ぶ」
 心地よさを感じながらトングを握り締めた瞬間、チックは腹を鳴らした。途端に何人かの客が顔を上げ、チックに柔らかな笑みを向ける。
「お腹すきますよね」
 真っ赤な翼の青年が笑い、トレイにフランスパンを載せた。
「……うん。おれ、早起き……したから」
「私もです。まぁ、正直、何と言うか……楽しみすぎて眠れなかったんですけどね!!」
 孔雀の羽が女の背で美しく揺れている。トレイには山盛りのカレーパン。
「……美味し、そう」
 チックはカレーパンを指差した。
「ふふふ、残念ですがカレーパンは全て買い占めますよ、私!」
 女は楽しそうに笑っている。
「ねーねー! お姉ちゃんたち! 帰ったらボク、みんなでパンを食べて寝るんだ!」
 蝙蝠だろうか。少年がにっと笑い、赤い瞳を隠してしまう。少年は両手で二つの紙袋を落とさぬよう、ぎゅっと握り締めている。
「それは、いい……こと」
 チックは言った。
「へへ! お兄ちゃんはヤドリギのぱんは初めて?」
 少年がチックを見上げた。
「……初めて。ずっと、知っていた……けど」
「そうなんだ。ボクも初めてだけど、ずぅーっと前にお母さんが来たんだよ! 良いでしょ? あ、ごめん! ボク、早く帰らなきゃ!」
 少年はチックと女に手を振りながら、慌てて扉を押し、消えていった。
「元気でしたね。私達が返事をする前に行っちゃいました」
 女がくすくすと笑い、チックから離れていった。

「これ、と。これ……これもかな」
 チックはゆっくりとパンを選んだ。そして、トレイとトングをつやつやのカウンターに置き、カウンターベルを鳴らした。
「……ああ、そっか」
 何故だろう。無意識に呟いていた。
「──チック様、ありがとうございました」
 声とともにトレイとトングは魔法の様に消え、パンは紙袋に収まっている。チックはゆっくりと瞬きをした。
「……ありが。とう」
 紙袋を抱え、チックはカウンターに頭を下げる。扉の先には、見覚えのある道が広がっている。
「おれも……帰らなきゃ」

 さびれたホテルのフロントを突っ切り、薄暗いエレベーターでチックは、がたがたと五階に向かう。閑散とした廊下には金木犀の香りがし、絨毯には沢山の花びらが散っている。誰かが金木犀を部屋に飾っているのかもしれない。
「……微かに、香りも。する……」
 チックは左に曲がり、見慣れた銀色のプレートを見た。507 号室。
「ただ、いま」
 呟けば、部屋の中からがりがりと爪を立てるような音が聞こえ、無意識にチックの口元が緩んでいく。
「あ、待ってて……ちょっと」
 鍵を鍵穴に差し込む。右に回し、チックはドアノブを掴み、押し開ける。簡素なベッドと、白い壁には絵が飾られている。描かれているのは一輪の青い花。
「……おはよう、ミィ」
 一匹のぶち猫がチックの足に身を寄せ、柔らかな体毛を強く押し付ける。特異運命座標として喚ばれ、三年の月日の中で、チックが出会った一匹の猫。

「……おれ、出かけて、いたんだ。パン、を……買いに」
 屈み、ミィの頬を撫でる。ミィはチックを見上げ、鳴いた。その顔は朝ご飯を望んでいる。チックは微笑む。
「……うん。食べ、よう。一緒に共有……出来たら。もっと美味しくなる、筈だから」
 チックはテーブルに紙袋を置き、ミィの為に新しい水と食事を準備する。
「……おれも。いた……だきます」
 ミィの食事を見つめながら、クロワッサンを齧ると、バターの甘さが思い出をくすぐる。
「美味、しい……三年。ミィ、おれ……歌ったんだよ、いっぱい」
 チックは目を細めた。ミィは皿から顔を上げることなく、ふにゃふにゃと返事をした。
 傭兵でともに創った、旅一座【Leuchten】。今でも鮮明に思い出すことが出来る。人々の歓声と笑顔はきっと忘れることは出来ない。
「……アンデッドキャット、ともね、遊んだ……かな。鳴いてたんだよ……ごろごろ、って」
 チックはクロワッサンの残りを口に入れ、練達製の古い冷蔵庫から瓶牛乳を取り出した。ホテルのスタッフが毎朝、新しい牛乳を運んでくれるのだ。蓋を開け、冷えた牛乳を飲む。
「甘い、ね」
 記憶に触れる。チックは首を傾げた。藤棚を抜けた先で食べた甘味を思い出していた。
「……不思議、今日。思い出す」
 チックはウインナーロールに手を伸ばす。気が付けば、ミィはベッドに横たわり、目を瞑り始めた。もう少ししたら、寝息が聞こえるのだろう。
「お、美味しい……こっ、ちも」
 食べ応えのあるソーセージ、粒マスタードがぴりりと食欲を増進させる。
「……食べ、ちゃった……」
 あっという間にウインナーロールを食べ終え、口元をティッシュで拭う。
「……色んな、ことが……あった」
 皆の手で終わらせたサーカス。戦場では、士気を上げる手伝いをした。
「お手伝い。おれ、沢山……し、た」
 己が生きるために、誰かを犠牲にする花をチックは知った。幻想の辺境の村でサーカス興行の手伝いをしたこともあった。
「……撃たれ、たけど……船の上で、海賊と。戦った……」
 ベーグルを噛み締める。中にはベーコンとオニオンが入っていた。甘さと塩気にチックは美味しいと目を細めた。そういえば、郵便屋の代理で手紙を届け、ホットサンドとスープを飲んだこともあった。チックは思い出し、微笑む。どんどん、増えていく思い出と大切な人達。海洋のとある島で、『自分と同じ人物』と過ごしたこともあった。果樹が集まる一帯で安全かどうかを調べる、お手伝いもした。
「懐か……しいね」
 時に心惹かれて請け負った依頼もあった。だけれど──

「……おれ、もっと……手伝いを。する」
 行動原理はこれからも変わらない。そして──三年の時を経て、生まれた明確な願い。
「……あ、れ。食べたら、眠くな……ってきた、かな」
 手足が温かかった。微睡に誘われる。目を擦り、チックは欠伸をした。
「……おれも寝る」
 ベッドに横たわり、すやすやと眠るミィに頬を寄せ、目を閉じた。
「……いつか。会えると、いいな」
 とろとろと夢に落ちていく。

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