PandoraPartyProject

イラスト詳細

占い師の、『今』

作者 祈雨
人物 ヴァイオレット・ホロウウォーカー
イラスト種別 三周年記念SS(サイズアップ)
納品日 2020年11月15日

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イラストSS

『黄昏の日』


 どこかの街、路地裏の奥の奥。街灯の少ないこの街に、移りゆく時代に取り残されたように建つビルの群れの中にそれは存在していた。それは日常に住む人々であれば一度は嗅いだことのある匂いだ。濃い珈琲の香りが一帯に漂っていた。
 その香りの元には、一人の少女が座っている。
 辺りを見渡せば誰もが見つけることが出来るだろう。当たり前の顔でコーヒーミルが鎮座し、不思議な文様や見たことのあるイラストが描かれた、いわばタロットカードが下敷きになっている。傍の金色の台座の上で浮くのは天球儀だ。星々が雑多に描かれ、人々を繋ぐ縁のように、意味ありげに線で結ばれている。
 薄暗いそこは、けれども仄かに輝いて、まるで異世界に迷い込んだかのような感覚を訪れた者にもたらした。見る者が見れば、思うだろう。――占いの館なのだ、と。
「さて、今日はどんな出会いがあるでしょうか」
 その店の主、ヴァイオレット・ホロウウォーカーは数枚のカードを手にしたまま独り言つ。一枚、二枚と、テーブルの上に並べては描かれた絵とその向きを横目に見やって鼻を鳴らした。
 最後までカードを並べきり、ヴァイオレットは席を立つ。薄闇のケープを翻し、煌びやかな雫を揺らして、陽の落ちる街へと繰り出した。

 さて、そんな怪しげな少女を周囲はどう思っているのだろう?
 寂れた街の一角であれば、あまり人は多くない。長く住んでいる者は、それこそ家族のような距離感を得る程に近く感じられる。ゆえに、情報の奔りは速く、齢十六の少女の話も瞬く間に広まった。つよい珈琲の香りを纏い、不思議なカードと共に移り住んできたのだと。
 一見すると怪しげな風貌の少女は、――しかし、結論から言うと、絶妙にこの街に馴染んでいた。
 言葉を交わす事はほとんどない。ヴァイオレットが街を闊歩しようと、あえて声をかける奇特な者はいなかった。彼女は元世界においては邪神と人間のハーフであり、善性と悪性を併せ持つ不気味さを内包する独特な空気感が滲み出ていたのかもしれない。人々は遠巻きに彼女を見ていた。
 しかし、だからといって不快感を感じるほどではなく、むしろとても自然に溶け込んだのだ。人々は決して彼女を迫害するために存在していたわけではなかったのだから。
 珈琲の香りがすると、魔女が出る――なんて言われていたのもほんの数日。占いをしているのだと知った迷い人が実際に占いで助言をもらい、日々が好転した結果、その話は水面に広がる波紋のように周囲に影響を齎した。
 ヴァイオレットこそ否定するが、彼女の本質を垣間見せた行動の数々が、いつしか「困ったときに現れる不思議な占い師」という優しいレッテルへと変わっていった。

 黄昏時。日中よりも冷えた空気が街中を満たす時分を、ヴァイオレットは歩いていた。明るいところが苦手なヴァイオレットは、太陽が雲隠れしていく時間帯に外に出ることが多い。
 ねぐらとする廃墟から離れ、少し大きな通りに出れば人の姿もちらほら見える。ヴァイオレットの目は自然とその人々に向けられた。話したことのない顔はまだまだいる。近隣に住んでいるからと言って頻繁に言葉を交わすことはほとんどないが、ぼんやりと見た覚えのある顔は増えていった。少し歩けば、ヴァイオレットの名前を呼んで軽く手を挙げる人も出てくる。大概が一言二言感謝を述べて去っていった。
 困っている人を放っては置けない――それがヴァイオレットの性質だ。
 しかし、それを本人に突き付けたところで首を縦に振ることはない。自分は悪性なのだとヴァイオレット自身が型に嵌めてしまっているからだ。
 そんな人間性すらも、この街は許容する。誰もが皆、そういうことにしておくよだなんて笑いながら言うものだから、ヴァイオレットの胸中もまたむずむずとした落ち着かない心地になる。うまく躱されている気がするだなんて思いもするし、実際その通りだったりする。それもそうだ、たった十六年生きただけの少女がもう数十年生きた大人に敵うわけがない。辿った歴史こそ違えど、年数は変えられないものだ。
「占い師さん!」
 そんなヴァイオレットへ声をかける少年がいた。
「おや、ワタクシに声をかけるとは……物好きな方も居たものですねえ」
「うん、お願い、助けて」
 少年はハリーと名乗った。ヴァイオレットよりも年下に見える容貌の幼子だ。その顔は少しだけ泥にまみれ、よく見れば服も煤けている。路地裏の、それも狭い所を通ってきたかのような雰囲気だ。
 少年は泣きそうに眉を下げると、瞳いっぱいに涙をためてヴァイオレットの裾を掴む。シースルーの薄い生地も、ハリーにとっては頼もしい命綱だった。こっちに来てというように弱弱しい力で引っ張りながら、ハリーはヴァイオレットに『お願い』をする。
「占い師さん、ぼくのお母さんを助けて」
「……成程。詳しく聞きましょう」
 少年の足で走れる速度はたかが知れていた。母親が急にその場に座り込んで動けなくなってしまい、人を呼んできて欲しいと頼まれたと聞けば、道案内だけを頼んでヴァイオレットは軽々ハリーを抱え上げる。ハリーだけが通れた道は、ヴァイオレットは遠回りをして進んでいく。時に軽やかに屋根まで跳ね上がり、無理やりにでもショートカットした。
 くしゃくしゃと泣きそうにしていたハリーが少しだけ楽し気な声をあげる。安心感からか、急かす態度は変わらないが、声に余裕が感じられた。その様子を見て、ヴァイオレットは薄く笑む。
 辿り着いたその場所は、人のほとんどない裏路地だった。時たまこの道を近道として利用する人がいるぐらいで、普段は人通りがない。夜になってしまえば街灯もなく、こんな時間に通るのは物好きかよほど急いでいるかのどちらかだろう。
 今回は、後者だ。
「お母さん!」
 抱え上げた腕から飛び出るようにハリーが体を傾ける。咄嗟にヴァイオレットは屈み、ハリーはそう高くない場所から足をついて駆け出した。
 パッと見て、ヴァイオレットにはわかる。ふっくりと丸くなった腹が何を意味しているのかを。そして、こんな道を通ろうとしたことから、どういう状態なのかも、なんとなく理解した。新しい生命が、胎動している。
 ハリーの声を聞いて顔を上げた、蒼褪めた表情の母親は、ヴァイオレットを見ると驚いたように目を瞠った。ヴァイオレット自身もその顔には見覚えがあった。つい数日前、名前をどうしようかという相談を受けて占った女性だ。
 彼女は、ほっとした表情をする。どこか余裕が生まれた。
「ごめんなさいね、占い師さん。ハリーったら、慌ててしまって」
「全くですよ、もう。立てますか? 手を貸して差し上げましょう」
 新しい生命を前に、ヴァイオレットが出来ることは少ない。今も、病院に連れていってあげるぐらいしかすることはないが、それでも、安心した様子のハリーの母はあなたがいてくれてよかったと何度も口にした。
「私、あなたの名前を貰いたいわ」
「ワタクシの、ですか」
「ええ! だって、とっても親切にしてもらってるもの。そんな子に育ってほしいわ」
 そう言う母親はお腹をさすり、照れくさそうに微笑む。道すがら、すっかり元気になったハリーと、ゆったりと歩く母親に手を貸し、三人で黄昏を進んでいった。
 後日、ヴァイオレットの元には吉報が届く。子供の名前をヴィオラ――優しい菫色にしたのだと、笑う女性と小さな赤子がそこにいた。

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