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茹だる裏路地にて
イラストSS
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ゴブリンの人生、どこで死に待ち伏せされているかわからない。
夏の盛りのある暑い午後。風化して角が取れ、今にも割れて崩れそうな石積みの壁の間を埋めるように、薄い木材の小屋が密集する裏街。
ゆらゆらと立ちのぼる陽炎とおし包むような熱気のなか、キドー(p3p000244)は酒場『燃える石』への近道だと教えられた裏通りへ入り、立ち止まった。
打ち水か、はたまた投げ捨てられた汚水か。まだ乾き切っていないぬかるみの向こうに、金色の影が葱然と立っていた。
ラゴルディア。異世界より来たりしエルフ。キドーが持つ『時に燻されし祈』の前所有者にして、全ゴブリンの敵。
彼の世界では幾度も死闘を演じた仲であるが、何の因果か……いまはギルド・ローレットに所属するイレギュラーズ同士だ。あくまで表向きは――。
「……もしかして待たせちまったか?」
「いいや、わたしもたった今ここにきたところさ」
そりゃ、よかった。キドーはゆっくりと距離を詰めながら、油断なくあたりに目を配った。
小汚い割に裏路地は整然としていた。積み上げられた木箱もなければ、飲んだくれが残していった空の酒瓶もない。モチロン、正体不明の死体も落ちていない。細い空を遮る洗濯ものすら干されていなかった。ここではトリッキーな動きは一切できない。真っ向勝負になりそうだ。
「なかなかいいところに目をつけたじゃねえか。ちと、小便くせぇが」
「ふふ……なに、薄汚いゴブリンの墓にするには少々上品すぎるほどさ」
二人の間を、おびただしい塵が真上から差し込む黄金にきらめきながら浮動している。
レイピアが鞘をゆっくりと滑る微かな刃音を聞きながら、キドーはナイフホルダの留め具を外した。
シャツとズボンは汗みどろで、不快に濡れた肌に貼りついている。
どこかで猫がのんきに鳴いた。
――もう、言葉はいらぬ!
――ああ、テメェの命(タマ)を寄越せ!
のどかな合図が死闘の開始を告げ、長い金髪を後ろへ流してラゴルディアが跳躍する。光を凝結したその影が、裏路地の隅にへばりつく陰りを切り取る。
レイピアを握った右手がキドーの脇下をかすめた。
機を捉え、宿敵の右肘に左腕を巻きつける。すかさず関節を挟んで締め上げはじめたそのとき、右のこめかみに激痛が走った。
「ぎゃっ!」
思わず抱え込んでいた腕を離した。わざわざ意識を向けなくとも、距離をとって構え直すラゴルディアの姿が頭の中に勝手に浮かぶ。すぐさま体を転がした。
耳に低い風切り音を聞かせてから、さっきまで頭があったところにレイピアの刃が突き刺さった。
「ちっ、混沌肯定で弱体化――はどうした?」
「そっちは混沌肯定で強化か?」
キドーは追撃をかわす目的で、鋭くナイフを薙いだ。ナイフの刃先は足の脛当てにかすりもしなかったが、相手を飛び下がらせた分、崩れた体勢を立てなおす時間を稼いでくれた。
「「くそ忌々しい『混沌肯定』め!」」
ラゴルディアが一歩、踏み込んできた。キドーはほんの少し体を開き、ナイフを突き出す。
レイピアの刃が左肩をかすめた。 3 回、 4 回、 5 回。ラゴルディアは素早くレイピアを繰り出したが、すべて空振りに終わった。
今度はこっちの番だ。
息を吸い込むタイミングに合わせて、素早くエルフの懐へ飛び込む。ナイフが絹のシャツを裂きながら上がり、肩を切りつける。血がにじんで、赤く大きな権円形のしみが広がった。
キドーはそのままナイフを振り抜いた勢いで体を回し倒すと、驚きに目を見張るラゴルディアの腹に靴底を当て、思い切り押しけり倒す。
声にならない声をあげて、大柄なエルフの体が薄い木の板にぶつかり、割った。
伸びた脚の先を隠すように、もうもうと乾いた埃が舞い上がる。
キドーは勝利を確信した。
白昼とはいえ、人通りのない裏通り。ここで殺ったとしても、ローレットにばれることはないだろう。死体を転がして、ただ立ち去ればいい。この男との腐れ縁もここで切れる。
(「どれ、物盗りの仕業に見せかけるため、金目のものを頂くとするか」)
細く笑むキドーを薄目で見たラゴルディアは今こそ反撃のチャンスだと気づき、木くずをまき散らして跳ね起きると、ナイフも恐れず突進した。肩から小柄なゴブリンにぶち当たる。
すっかり油断していたキドーは胸に重い衝撃を受け、後ろに吹っ飛んだ。土の上を滑っていき、石積みの壁で頭を打った。
「ちくしょう! 死んだふりしてやがったな」
非力ゆえの悲劇。派手に血を流させたわりには、致命傷とならず――。
「浅はかなゴブリンめ。お前にそのナイフは似つかわしくない。さあ、返してもらおうか!」
立ち上がったところに眉間を狙ってレイピアの切っ先が飛んできた。
キドーは間一髪で攻撃をかわすと、ナイフを突き出しながら前へ一歩踏み込んだ。が、こちらもまた寸でかわされた。
二人は得物を構え、体を入れ替えながら、裏路地いっぱいに円を描くように動き回った。円の中いっぱいに殺気が籠る。
いつの間にか、夕暮れの闇が忍び込み、裏路地いっぱいに広がっていた。二階の木戸の隙間から明かりが漏れ出して裏路地に落ち、二人の間にまだらの影を作った。
「そろそろケリをつけようぜ。キンキンに冷えたビールが飲みてぇ」
「同感だ。さっさと終わらせて一杯やろう」
決して逃げず、後戻りもせず。あたう限りの最善の方法で、この因縁の始末をつける――。
覚悟を決めて同時に踏み出したところへ、いきなり爆発音が響き、横から素っ裸の男をへばりつかせた木のドアが飛んできた。
呆然とする二人の間をフニャチンが飛び過ぎていく。
「ふっざけんじゃねえぞ、このエロオヤジ! その気にさせといて『できない』とはどういう了見だ!! これの責任取れ、責任!!」
キドーもラゴルディアも口を半開きにしたまま、怒鳴り声の主へと顔を向けた。
なんと、ドアの取れた戸口にものすごい美人が生まれたままの姿で立っているではないか。
「マジ?(はぁと)」
「眼福!(はぁと)」
二人の視線はランプの明かりが照らす美人の顔を下りて豊かな胸でしばし止まった後、ゆっくりと下がって――。
同時に顎をがくんと下げた。
ついている。とてつもなくでかいのが……天を向いて……暴れている。
「あ? てめーら、なに只見してやがる!!」
女、いや、オネエが慰謝料に有り金差し出せと喚くのと同時に、すだれ頭のエロオヤジが二人の脚に縋りついた。
「た、助けてください……だ、騙されたんです……」
もちろん、助けてやる義理はない。冗談じゃない。
二人は目を合わせると、両脇からオヤジの腕を救い上げて立ち上がらせた。せい、の、と息を合わせ、 チン……いや腕を振り回し迫るオネエに向けて、エロオヤジを投げつける。
「「どうぞ、お納めください!!」」
どさ、どさ、と重い肉が地を叩く音を聞くまでもなく、二人は脱兎のごとく駆けだし、急いで裏通りを離れた。
息切れがおさまっても、なんとなく別れもせず、二人で肩を並べて宵闇の街を歩いた。
「……さっきの話だが」
「あ?」
「いい酒を出す店を知っている」
「……店の名は?」
「燃える石」