―――幻想の中心地から少し離れた住宅街。
時計の短針は頂点から随分と右へ傾き、辺りの家々には明かりも少なく。
街には少しの街灯が灯るばかり。

その中の一軒、古びた煉瓦造りのアパルトマン。
4階建てのその建物の最上階、角部屋の窓にたった一つ光が灯る。
その部屋の住人、アーリア・スピリッツはただ一人、窓際に佇んでいた。
レトロな木目の家具が並ぶ部屋、その窓際に置かれたベッドの上にいる彼女はいつも通り手に酒を―――真っ赤な酒の入ったグラスを持ち、窓に背を預けている。
一見すれば、それはアルコールに酔いしれる彼女のいつもの夜の光景であった。
ただ一ついつもの光景と違うことといえば、彼女の身体中に付いた生々しい傷と、肩を覆う血の滲んだ包帯だった。

(まさか私が、人を手に掛けるなんてねぇ)

幻想中を狂気が蝕んだこの頃、得意運命座標である彼女がローレットで受けたのは「呼び声に侵されたサーカス団員が小さな村を襲う」ことを阻止し、その団員を始末する依頼だった。
緊迫するローレットのエントランスでこの依頼に名乗りを上げ、指名され、仲間と共に向かった小さな村。
そこで彼女が見たのは、同じ人間でありながら、狂気に侵され「殺戮に狂う化け物」だった。
村人を一軒の家に避難させそれを勘付かれないよう野外で戦う―――そんな作戦が、生き物の匂いに気付いたのかサーカス団員に看破され。
守るべき村人が籠城する家へと進んだ瞬間、気付けば攻撃も忘れ身一つで飛び出していき。
サーカス団員の持つ刃物が、身体を引き裂いた。

熱い、とか寒い、とかこれはお酒を飲んでいるのかしら、なんて思いながらも、仲間の放った火に塗れたあの化け物に放った悪意の花は。
確実にその息の根を止めた。

その後のことは、もう覚えていない。
無我夢中で術を放ち、どんどん団員が倒れていって。
気付けばそこに立つのは、自分達8人だけだった。

そして村人を外に出す前、せめてもとその死体を目に付かない場所に隠そうと思った時。
目に飛び込んできたのは、黒焦げで人の形をしたものや、目を開き泡を吹いた血塗れの人間だった。

ラサの傭兵でもない、幻想の騎士でもない、戦いが当たり前な世界からやって来たわけでもない。
そんな彼女にとって、自分と似た姿の生き物を殺すのは初めてで。
手に掛けた人間の顔が、忘れられない。

「……それでも」

それ以上に、扉を開けた時の村人の顔が、忘れられない。
怯えていた顔がぱっと明るくなった男性も、
ただ涙を浮かべ
「ありがとうございます」
と言った母親も。
血塗れになった姿にも構わず抱きついてきた少年には、正直「痛い！」と返したかったけれど。
その手に持った金髪の王子のブロマイドがくしゃくしゃになっているのを見たら、そんな言葉は言えなかった。
自分と、手に掛けた相手の血で真っ赤に染まった手で触るのを一瞬躊躇って、
「頑張ったわねぇ」
と頭を撫で、声を掛けた。
自分の手で、この人達を守ったんだ。
そんな思いが出来たなら、それが最高の結果だった。
そう、思えた。

「だからこれは、贖罪じゃなくて。今日という一日を、私が忘れない為の一杯よぉ」

誰に聞かせるでなく、自分に言い聞かせ。
流した血と同じ真っ赤な酒を、一口で飲み干す。
背中を預けた窓から外を見れば、そこには月が輝いていて。
ゆっくりと毛先が真っ赤に染まり、その色を全身に受け入れる。

「折角運命に選ばれたんだもの、どんな運命も受け止めないとねぇ」

きっとこの先待ち受けるサーカスとの戦いも、もしかしたらその先に待ち受ける何かも。
運命を受け止めて、明日も明後日もその先もずっと、美味しいお酒を飲まないと。

「がんばりましょ～、えいえいおー！……いたたたた」

しばらくして、窓に灯った光が消える。
真っ赤なお酒を体中に染み渡らせ、彼女は眠りにつく。



―――これは、一人の特異運命座標の小さくて大きな一日の話。





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奇古譚GMさま執筆　＜Liar Break＞縦糸を辿れ
https://rev1.reversion.jp/scenario/detail/566
より、その夜の話