ギルドスレッド スレッドの一部のみを抽出して表示しています。 宿屋「蒼の道」 『陳腐な慈善』 【61分目の針】 ルブラット・メルクライン (p3p009557) [2022-11-29 02:34:11] 遠くの空では、煉瓦造りの建物に覆いかぶさるように、暗い雲が厚みを増していた。湿気を帯びた重たい風が外套を揺らす。向かい側の通りでは、主婦らしき女性が慌てて洗濯物を取り込んでいるのが見えた。 今日は雨が降るだろう。街道を歩きながら、ルブラットはそう考えた。けれども、その事実は彼の関心を惹きつけるものではない。視界の隅にちらほらと現れては見切れてゆく、自分に付いてきている少年だけが、ただ気になっていた。「ヨシュア。私に付いてきている意味はあるのかね?」「べつに? 旦那がいたから、なんとなく」「そうか」 独白めいたルブラットの返答で、会話は途切れる。少年は、彼に話しかけられたことで何らかの権利を得られたと考えたのか、堂々と隣を歩き始めた。「今日もギルドでしょ? 何の仕事?」「とても道端では口にすることのできない仕事だ」「へぇ。大変だね。……そうそう、今日は雨が降るんだって。新聞、買ってく? 雨水を拭くのに役立つよ」 ヨシュアが鞄から新聞を取り出し、掌にぐいぐいと押し付けるのを、ルブラットは穏やかに制止した。「幻想ではない町で、泊まり掛けの仕事だ。雨の心配は必要ない」「そうなんだ。特異運命座標ならどこへでも一っ飛びだもんな」 羨望が入り混じった調子でヨシュアは答える。……たとえ君が世界中どこへでも羽ばたける力を手にしたとて、廃教会の面々を置いてはいけないと、そう言うのだろうに。ルブラットは心の中だけで独りごちた。 取り留めのない雑談を続けて、二人はギルドの前に到着する。これからは各々の仕事の時間だ。じゃあねと手を振って、ヨシュアは暗い雨雲の方向へと歩んでいった。 ルブラットは普段することもないのに、知り合いの少年の背中をじっと見つめた。烈しい雨に打たれたら破けてしまいそうな、継ぎ接ぎの洋服が、どうしても気になって。 ――二日後。 宿屋からギルドまでの歩き慣れた道。ルブラットが彼と出会ったのは、普段より早かった。「旦那、旦那ーっ」 笑顔で駆け寄ってくるヨシュアを、ルブラットは何ともなさげに見下ろす。「無事、君の手元に届いたようだな。手紙も読めたか?」 今日のヨシュアの服装は一味違っていた。 真新しい茶色のジャケットに、キャスケット帽。継ぎ接ぎだらけの服でも、小綺麗な上着で誤魔化してしまえば随分と印象が変わる。「読んだよ。これで旦那の隣にいても恥ずかしくない、でしょ?」「その通りだ」 つい昨日のこと。ルブラットは仕事から帰還した後、新しい服と帽子を買い揃えて、ヨシュアたちの住む廃教会へと訪れた。しかしタイミング悪く直接会えず、仕方なしに手紙とともに贈り物を置いていった。 子供でも読める平易な書き置きが意味するのは、普段の彼の言い方に変換すると、こうだった。 ――みすぼらしい格好で隣を歩かれると、私の沽券に関わる。せいぜいこれで着飾るがいい。「……ありがとう、旦那」「手紙にも書いただろう。君にそれを着てもらいたかったのは、私自身のためだ。だが、君が感謝の言葉を送るというならば、私も君の気持ちを受け取っておくとしよう」 いかにも迂遠な言い回しに、ヨシュアはニヤニヤと笑みを深めた。見透かされてるな、とルブラットは悟った。 ――本当は、ぼろぼろの身なりで隣を歩かれようがどうだっていい。服と帽子は陳腐な慈善だった。 だが、施しであると明言するのはルブラットの中で気が引けた。それはつまり、自分を強者と、相手を弱者と定義したのだと受け取られるから。 隣を歩くこの子供を、自分より弱い存在であるとするのには、例えようのない違和感が存在していた。この小さな少年に手を引かれなかったら、混沌に召喚されてすぐのあの時、自分はどうしていただろうか? 広大な混沌の知識をどうやって拾い集めただろうか? 合理的な建前で覆い隠したつもりだったが、鋭い勘を持つ者の眼は誤魔化せないらしい。「旦那ってときどき素直じゃなくなるよね」「何の話をしているのか、さっぱりだな。そんなことより服の大きさはどうだね? 私の予想で買ってしまったのだが」「正直言うと、ちょっと大きいかも。ほら、袖がぶかぶかだろ?」「ならばちょうどいいな。――君も、これから大きくなるのだから」 二人が並んで歩いてゆく。 大雨が通り過ぎた後の空は、どこまでも青く、透き通っていた。 →詳細検索 キーワード キャラクターID 検索する キャラクターを選択してください。 « first ‹ prev 1 next › last » 戻る
今日は雨が降るだろう。街道を歩きながら、ルブラットはそう考えた。けれども、その事実は彼の関心を惹きつけるものではない。視界の隅にちらほらと現れては見切れてゆく、自分に付いてきている少年だけが、ただ気になっていた。
「ヨシュア。私に付いてきている意味はあるのかね?」
「べつに? 旦那がいたから、なんとなく」
「そうか」
独白めいたルブラットの返答で、会話は途切れる。少年は、彼に話しかけられたことで何らかの権利を得られたと考えたのか、堂々と隣を歩き始めた。
「今日もギルドでしょ? 何の仕事?」
「とても道端では口にすることのできない仕事だ」
「へぇ。大変だね。……そうそう、今日は雨が降るんだって。新聞、買ってく? 雨水を拭くのに役立つよ」
ヨシュアが鞄から新聞を取り出し、掌にぐいぐいと押し付けるのを、ルブラットは穏やかに制止した。
「幻想ではない町で、泊まり掛けの仕事だ。雨の心配は必要ない」
「そうなんだ。特異運命座標ならどこへでも一っ飛びだもんな」
羨望が入り混じった調子でヨシュアは答える。……たとえ君が世界中どこへでも羽ばたける力を手にしたとて、廃教会の面々を置いてはいけないと、そう言うのだろうに。ルブラットは心の中だけで独りごちた。
取り留めのない雑談を続けて、二人はギルドの前に到着する。これからは各々の仕事の時間だ。じゃあねと手を振って、ヨシュアは暗い雨雲の方向へと歩んでいった。
ルブラットは普段することもないのに、知り合いの少年の背中をじっと見つめた。烈しい雨に打たれたら破けてしまいそうな、継ぎ接ぎの洋服が、どうしても気になって。
――二日後。
宿屋からギルドまでの歩き慣れた道。ルブラットが彼と出会ったのは、普段より早かった。
「旦那、旦那ーっ」
笑顔で駆け寄ってくるヨシュアを、ルブラットは何ともなさげに見下ろす。
「無事、君の手元に届いたようだな。手紙も読めたか?」
今日のヨシュアの服装は一味違っていた。
真新しい茶色のジャケットに、キャスケット帽。継ぎ接ぎだらけの服でも、小綺麗な上着で誤魔化してしまえば随分と印象が変わる。
「読んだよ。これで旦那の隣にいても恥ずかしくない、でしょ?」
「その通りだ」
つい昨日のこと。ルブラットは仕事から帰還した後、新しい服と帽子を買い揃えて、ヨシュアたちの住む廃教会へと訪れた。しかしタイミング悪く直接会えず、仕方なしに手紙とともに贈り物を置いていった。
子供でも読める平易な書き置きが意味するのは、普段の彼の言い方に変換すると、こうだった。
――みすぼらしい格好で隣を歩かれると、私の沽券に関わる。せいぜいこれで着飾るがいい。
「……ありがとう、旦那」
「手紙にも書いただろう。君にそれを着てもらいたかったのは、私自身のためだ。だが、君が感謝の言葉を送るというならば、私も君の気持ちを受け取っておくとしよう」
いかにも迂遠な言い回しに、ヨシュアはニヤニヤと笑みを深めた。見透かされてるな、とルブラットは悟った。
――本当は、ぼろぼろの身なりで隣を歩かれようがどうだっていい。服と帽子は陳腐な慈善だった。
だが、施しであると明言するのはルブラットの中で気が引けた。それはつまり、自分を強者と、相手を弱者と定義したのだと受け取られるから。
隣を歩くこの子供を、自分より弱い存在であるとするのには、例えようのない違和感が存在していた。この小さな少年に手を引かれなかったら、混沌に召喚されてすぐのあの時、自分はどうしていただろうか? 広大な混沌の知識をどうやって拾い集めただろうか?
合理的な建前で覆い隠したつもりだったが、鋭い勘を持つ者の眼は誤魔化せないらしい。
「旦那ってときどき素直じゃなくなるよね」
「何の話をしているのか、さっぱりだな。そんなことより服の大きさはどうだね? 私の予想で買ってしまったのだが」
「正直言うと、ちょっと大きいかも。ほら、袖がぶかぶかだろ?」
「ならばちょうどいいな。――君も、これから大きくなるのだから」
二人が並んで歩いてゆく。
大雨が通り過ぎた後の空は、どこまでも青く、透き通っていた。