特設イベント
眠らぬ海に、星添えて
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ざ――漣は繰り返す。研ぎ澄まされた空気を纏うその場所はとある貴族の所有物なのだという。
煌々と光り放つ月の光は揺れる水面に照り返し、星々の如く煌めいた。
月明り反す海は穏やかな気配を纏う。『暗殺令嬢』のプライベートビーチは血腥い印象を覚えると誰かは言った。
絹糸の様に重なり合った波に攫われる砂浜さえも冴え冴えとして見えるその場所は星を拾えるかの錯覚さえも覚えさせた。
「リーゼロッテ先輩」
きょろりと黒の中で蠢く赤は楽し気に細められる。白を身に纏ったヴェノムは尾の触腕を嫋やかに揺らしながら笑みを溢す。
「此処で殺しにかかったらどうするっす?」
少しの冗談と、僅かな期待。
異邦人へと「今は平穏を楽しんでくださいませ」とリーゼロッテはわざとらしく、笑んで。
怠惰を意味する所をその体で表すシャルロットは小さく欠伸を漏らしリーゼロッテに感謝を一つ告げた。
ロリータドレスを揺らした彼女にとって、この誘いは拷問や暗殺技術の研鑽を磨く為の好機の場と捉えていたのだろう。
「此処の海は素晴らしいと思うの……。
夢幻の青、揺蕩う波や夜光虫は……新たなインスピレーションがもう少しで湧く…………ぱちり!?」
海も星も好きだからと藜は楽し気にリーゼロッテの側へと歩み寄った。眠たげな風来坊は「やあ」と手を振って合図する。
「御機嫌よう」
「賑やかは嫌いじゃないけど静かに楽しむのも、まぁ、いいよね。楽しんでる? こんな景色を見れるなんて感謝しなくちゃだよ」
「ふふ、お気に召したのであれば光栄ですわ。ええ、私も気に入っておりますの、特に――この美しい月光」
少女の視線に誘われる様に顔を上げれば――成程、今日の月は美しい。
「月がこんなにきれいだから、殿方に拐かされても困りますもの」
白雪の様な髪に月の光を浴びて、表情を緩めることなくティシェは冗談めかす。
リーゼロッテが客人をもてなすために用意したアイテムは幻想の王、フォルデルマン三世がお遊びで作らせたというマジックアイテムだった。
絢爛なる幻想の王からのプレゼントは戦闘に使用できる代物ではないとアーベントロート家の使用人はティシェへと告げる。
「暇潰しの――そう、ほんの余暇にちょっとした刺激を与えるだけの玩具でしてよ」
リーゼロッテの言葉に異邦人は小さく頷いて見せた。
「刺激――ならば、こんなものは如何でしょうか?」
射干玉の髪を揺らして、翼は意味ありげに笑う。花模様散る袖を風に揺らし、リーゼロッテに差し出したのは一枚の名刺。
白魚の如き指先が摘み上げたそれを見下ろして『暗殺令嬢』はくすりと笑う。
「私めもリーゼロッテ様にはご挨拶を申し上げたく」
大きめのキャスケット帽を手で押さえ、恭しく頭を下げたパティの碧眼は幼さとは違う彩を燈す。小さな少女に向き直ったリーゼロッテは「貴女」と爪先から眺めて見せる。
「私め、首切り家門クロムウェルの末席でありました。今もお仕事は行っておりますので、ご用命があれば」
プライベートビーチは社交の場。貴族主義の幻想国家で大切なのは『パイプ』だとパティはよく心得ている。
「アーベントロート様。お招き頂きありがとうございます」
柔和な笑みを浮かべたリアは一房残ったライムグリーンの髪を風に遊ばせる。密やかに、まるで少女同士がする様にリアの唇はリーゼロッテの耳朶へと近づいた。
「アーベントロート様からのご依頼をお待ちしております」
まあ、と小聡明く笑った少女はスカートを招待客達へと向き直る。
「どうぞ、ゆるりとお寛ぎなさいませ。月が美しい夜に無粋な事は致しませんわ。
私、リーゼロッテ・アーベントロートとの『逢瀬』は又、今度――」
寄せては返す、波を見下ろして牛王は足先で砂を掻く。
月夜の晩にだけ、人の形をとる事が出来る牛王にとって、この混沌世界に転移した事により人の形を制限なくとることが出来た事は僥倖だった。
しかし――彼女は、愛しい人は此処には居ない。こんなにも美しい月であるのに杣は此処に居ない。
「嗚呼、この世界の月星も綺麗ですね」
応える彼女が傍らに居ない事が、何よりも胸を締め付けて。溢れる涙は淋しさから。嗚呼、どうして――
浜にごろりと転がってマッドは肺の空気を抜く様に吐き出した。隻眼を細めて見るは天蓋を彩った星空。
「空ってのはこんなに綺麗なもんなのか――他にはどんな光景が待って居るんだろうな」
未だ見ぬ幻想の――混沌の風景は、どれ程美しいのだろうか。
きれいな月に、美味しい食事。涼し気な浜辺で心を躍らせたトトリは「お出かけできたよかったよ」と声を弾ませる。
小さな兎は「お月様がキラキラしてて、海が星空になったみたい!」と幸福そうに笑った。兎は何見て跳ねる? 勿論、素敵な月を見て跳ねるのだ。
「私も海に足を浸けて、お空を歩いてみよっかな♪」
煌めきは頬に紅を集めて、輝きは瞳に灯る。はぁ、と深く息を吐き出したのはDark Planetとて同じだった。流星の煌めきを詰め込んだ肢体を持つ彼女と宙のいろは似ている。
その名の一つ、闇のいろをした深い海より見上げれば天鵞絨を思わす宇宙に包み込まれるような錯覚を覚えた。
「宇宙(そら)から観た世界とは違った見え方が出来るのでしょウ」
空に掲げた掌とは違う宇宙。その色の違いは紅い三つの瞳にはどう映るのだろう?
「よいせ、よいせ」
ざっぷ。ざっぷ。
音立て月の許へと漕ぎ出す369。本体の眼鏡よりも『後ろの人』の体力が心配になるような肉体労働で、穏やかな海を往く傍でダンデライオンは怪訝そうな顔をして見せた。
「……何の用事ですか」
一応、と注釈をつけたのは彼と369の関係性を現すかの如く。水面を揺蕩い、月の光を浴びながら、伸びる影を見つめていたダンデライオンのその問い掛けに「お役所でギフトが正式に認められたので自慢に来ました、えへへ」と『彼』は頬を掻いた。
「次にえへへ、と言ったら殺しますよ」
でも、殺されていない。そんな優しさが好きだと臆面もなく告げる『彼』にダンデライオンは妙な表情をして僅かに唇を尖らせた。
尾を濡らさぬよう浜を歩くクライムは紅い狐の耳をぴこりと揺らす。
隠した右目と色違いの左目は、開けた景色を捉えて心を躍らせる。
「美しい月に星、この世界の星空が私の世界と一緒とは限らないから」
ルクスリアは星とカップルを見るのです、とうんと背伸びをする。長い髪を揺らし、蒼い指先は楽し気に砂を掻く。
「どこかに素敵な恋はないかしら?」
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ぼくはくま。
海を見つめて、綿の詰まったカラフルな手を口許に持って行ったプティは広がる海を見下ろす。
「うみ! これがうみなんらね!」
ププ、うれしい。ぴょこん、と跳ねるプティの心は穏やかな潮騒とは相対的に弾んでいる。綿のからだは水の中には適さないから――識る事しか出来なかった海にぷかりぷかりと浮かんで居よう。
「へるぷみー」
白い毛はべったりと塩水に濡れて普段の『もふもふ』は抑えられてしまっている。もこは「たいへんだー」と幾度も繰り返し水の中を跳ねていた。
白は白でもこちらは三つ編み。シャボン玉、と燥ぐレクスは瞳を輝かせる――流れていったもこの事には気が付かずに。
「月が綺麗だなぁ」
紫のスカートがひらりと揺れる。手を伸ばせば届くのだろうか。あの煌々と輝く月は。かぐや姫のようだとどこか遠い御伽噺を考えながら。
ざぶん、と伸び上がった波に飲まれる白い毛玉を見送って、ストロンガンは浅瀬から起き上がる。
「獅子は兎を狩るにも全力を尽くす――筋肉は遊びにも全力を尽くす!」
サイドチェストを決めるストロンガンは筋肉は神であると伝えるが為に全力を尽くすのだ。輝く月が光を伸ばし、彼の自慢の筋肉を照らしている……。
飛沫を上げた水面から手を伸ばし、エリアルは普段の姿の儘、闇に潜る。
深海の色をした尾を揺らした人魚は自在に水を得、尾を揺らす。
(海の散歩は久しぶりかもしれないわ。最近は陸ばかり歩いていたから……)
海を彷徨い、水面を漂う事が当たり前であったエリアルにとって降り注ぐ光を浴びる海は常に傍らにあったもの。その美しさを確認するようにその両眼に月光を焼き付け目を伏せる。
差す光はカーテンの様にゆらぁりと揺れている。その光を追い掛ける様に水泡に包まれ歩を進めたメアリーは素敵、と楽し気に跳ねた。
「私、家の外の事なんて全く知らなかったから……!」
指先を啄んだ魚たち。お転婆な少女はポニーテールを揺らし深緑の色の瞳を細めた。
深い海の中だけじゃない、手を差し伸べる様に振る月光も――己を包み込む魔法道具さえメアリーにとっては新鮮な体験で。
ああ、胸が弾むってこういう事!
このままずっと――目を細めた葵は息を吐き出した。昇る水泡は美しく光に溶けて往く。
舞う蒼紫の花弁と共に一つの水泡を身に纏った彼女は人形の様に整ったかんばせを僅かに歪めた。
鮮やかな着物の袖がしぐさと共に揺れている。
ずっと――ずっとは、ないのだ。これから先を考える程に只、重く水泡は登って行った。
魔法道具、そう聞いただけでセルビアの心は踊る。聖職者を思わせるスカートを揺らし、リーゼロッテに感謝を伝えた彼女は早速と息を止めた。
きっと、忘れられない思い出になる。心に刻み込む様にゆっくりと歩むセルビアはへにゃりと微笑んだ。
(海の中を散歩するって、海種でないとできないと思ってましたが……)
揺れる海藻を掻き分けて、かくれんぼをする魚達に挨拶をする。たった、それだけで胸の中に何かが湧き上がる。
「……はは、これはすごいな。いいものが見れた」
サングィスは常を共にする七曜堂(どうほう)達と離れ海中を歩んでいた。彼女に語り掛ける銀髪の少女は同胞達と離れた事を気にするようにサングィスに語り掛けるが……今は、この景色を両眼に焼き付けたい。
「どうせ帰る場所は同じなんだ。気にすることはないだろう」
『……、思いのほか気に入ったのか』
整ったかんばせに好奇の色を浮かべながらスティアは走る。動き易い恰好である事はこの海底においても利点であった。
――折角だからできないことを!
そう考えたスティアは月明りに照らされた海中をゆっくりと見回した。誰かと仲良くなるチャンスかもしれないと彼女は頬を緩めた。
「凄いね、夜の海も神秘的できれい!」
「そうですね。夜の海中って素敵」
由貴にとっても仕事から離れた余暇の時間は楽しくて。戦巫女ははあと大仰に息を吐く。
海中散歩は童心に戻って楽しむものだ。スティアの楽しげな声を聴き、彼女はゆっくりと笑みを深めた。
足元に落ちた貝殻や珊瑚を拾って手作りの腕輪を作ろう。深海の美しい砂は小瓶に居れて、今日の思い出にして。
「海って場所によって全然違う顔を見せるんだって」
島の外の海も見たかったし、と振り返るイリスにシルフォイデアは大きく頷いた。
海洋の小島出身の『光鱗のアトラクトス』の娘、イリスにとって新たな海の出会いは好奇心を存分に刺激して。共に行く義姉妹のシルフォイデアは何処か不安げに周囲を見回した。
「海の底をなんて、とっても贅沢という感じがするの。色々と感謝しないといけないのです」
「うんうん、シルフィも一緒にってなるとこういう場面じゃないと無理だしね、こういうのもいいよね」
うーん、と大きく背伸びしたイリスの背を見つめシルフォイデアの頭に浮かんだのは何時もの如く魚類の姿に変化して魚を踊り食いする姉の姿。
「……今日の姉様はその辺のお魚を踊り食いとかはしないのね。無理しなくてもリーゼロッテ様に張り合うのとかは無理だと思うから、我慢しなくてもいいのよ?」
「いや、別に無理してるとかそういうのじゃないからね?」
シルフィと呼んだ声に首を傾げた妹は「違うの?」とぱちくりと瞬いて見せた。
神様が居たなら、きっと――こうして絃を垂らすのだろう。
闇深く染まる深海に救いの手の如く差し込む月明りに琥珀のいろを細めたチックはゆるりと顔を上げた。
パールグレーの髪を撫でる光は彼の唇から漏れる甘い砂糖菓子の如く淡い旋律。
周囲を包み込む水泡は彼の柔らかな翼を濡らすことなく多い被さる。心配がないと、ゆっくりと足を踏み出したチックは顔を出す魚達へと小さく手を振った。
(この海の景色は……穏やかで、大好き)
手を伸ばせば光に届きそうな。けれど、包まれた心地よい温度にクラーウィスは微睡む様に海底を歩みゆく。幼気なかんばせに柔らかな笑みを乗せた彼女は色違いの瞳できょろりと周囲を見回した。
(海から見上げる月は、こんな風なんだ……)
遠くの光は、月明り。人魚姫が焦がれた宙は届きそうで届かない。
クラーウィスゆっくりと歩き往く。想像していた通りまるで『空を飛んでいるかのように』海を進めるのはとても嬉しくて。
揺らめく水面の淡い光は何かの灯火の如く。昏く深い場所に落ちて往くかの様な錯覚がミスティカを襲う。
嗚呼、と声を発し魔女の血で作られた宝石に指先で触れた彼女は魔女帽を抑え心許ない足元を見下ろした。
「――死の世界とやらも、こんな感じなのかしら」
海は全ての生命が還る場所。自分という存在は巡る生命の一欠片。きっと、何時かは大口開けた死という暴食屋がやってくる。
ゆらり、ゆらぁり。
K型――K2は少女のマリオネットに抱かれ乍ら重い海へと沈んで往く。
燈した灯りは大切だから。魔法道具に包まれながら昏い水底を歩むK2の灯りは誰かにとっての道標。
もしも迷ったならお出でませ、その灯りは君を鮮やかな空の許へと導いてくれるから。
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海辺とは違った景色を楽しめる岩場のポイントに温泉は存在していた。硬い座り心地だが、感じる温度は丁度いい――光を反射する水面を掻いた桜は記憶にあった『水着』を幻の衣で再現した。
(水着、忘れちゃったよ――……!)
膝を抱えて座った桜の傍らで、大胆な赤のワンピース水着を着用したオクトはほ、と息を吐き出す。
「綺麗なものだな」
月に叢雲、花に風という言葉がある様に『優雅な時間』はそうも長く続かない。
「……と、ところで、私は温泉に入ってもいいのだろうか? こんな体だ、場所をとってしまうだろうし……」
強靭なる肉体を持つエイルーンのよくブラッシングされた尾がゆらりと揺れている。長い影を伸ばす彼女の傍で「大丈夫ですよ」とメルトアイは笑い、彼女を湯へと誘った。
天鵞絨の月の血族。その名を思わす血色の瞳は悪戯を思いついた子供の如く細められる。メルトアイとエイルーン、オクトに桜、彼女たちをきょろりと見回して頬を赤らめさせたのはヨハン。コンセントの様な尻尾は今は緊張したように彼の足に巻き付いていた。
(ご一緒に遊びにと思ったんですが、僕以外全員女性グループとは……!)
鮮やかな晴天を思わす髪先を指で弄るヨハンの様子に気を遣う事無く『コミュニケーション』を取り始めるメルトアイにオクトの叫声が辺りに響いて……。
鮮やかな月と暖かな温度は微睡を運ぶようで。目を細めたセレナーデは深く息を吐き出した。感じる温度とは違う外気が頬を撫でる。
頬を赤らめさせた彼女の黒羽が重くなるように体を包み込んだのは程よい倦怠感。
「凄く綺麗……」
傍らに居ない『あの子』も天蓋を飾った星々の中に居るのだろうか――その呟きを飲み込んで、喧噪露わにする温泉の中で彼女は明るく笑って見せた。
「ももは幽霊じゃから、風呂入らんでもよいんじゃが……まぁ、せっかくだし」
うきうきとした様子で足先を湯に沈めてももは薫る湯の香に息を吐く。
見上げれば辺り一面星が広がっていて――記憶の傍らの『星座』を探すように、見た事のない星を指先でなぞる様に動かした。
「ほんとに異世界なんじゃの……もも座とかあるのかの……」
青い瞳をぱちくりとさせ、桃色の髪を風に揺らしたももは胸元に埋まったコアを撫でた。
黑夜の大海に輝く星々も、煌々とその存在感を示す月も宝石箱を思わせる。誰の計らいか――若しくは神が招待客たちに与えた『プレゼント』の様に輝きを放つ夜闇を見上げてアリーシャは口許に笑みを乗せた。
背に触れた岩のごつごつとした感触とさらりと落ちる湯は心地よい。星々の海を渡る龍と呼ばれた種――その証に触れて色違いの瞳を瞬かせた。
ぷかり。ぷかぷか。
楽し気に湯の上を浮かぶのはアヒルの玩具――ではなく、マガモのマグ。
沢山の情報を収集したいと訪れた場所で見つけた絶景の温泉(ロケーション)に今は酔いしれようと浮かび続ける。
「ふははー! 真の魔王たる龍丹悪様だ。え? なに? ん?」
腰に手を当て、尊大な態度をとった龍丹悪は魔王としての威厳を胸に「ぷらいべぇとびいち……?」と首を傾いだ。
「やべぇ、超すげ……なに、ひゃっ、百万の国を治めて来た我にとってはこんなもの!! む、むぅ……へ、へくちっ」
冷える、と身を縮こまらせた龍丹悪の視線の先にはマグが浮かぶ温泉。寒い――プライベートビーチなんて知った事ない、魔王だから、と龍丹悪は口にしてゆっくりと湯につかった。
「ふはぁ……生き返るぅ」
こんな時期に催しを開くと言えばリーゼロッテは相変わらずだとクロニアは頬を掻いた。温泉での月見酒、見知った顔を見かけないかと周囲を見回す彼は杯をくい、と煽った。
この場所に向かうと聞いていた馴染みの客はどの様な格好で現れるのか――それも楽しみの内だ。
「ひとまずは温泉で月見酒」
風流だね、と喉を鳴らした彼の頭上で煌々と月が照らす。
ぱしゃり、と湯を跳ねさせて背をだらりと凭れさせたヴェッラは「贅沢なものじゃ」と月を煽る。
「クロバ様、ヴェッラ様、あまり飲みすぎるとお体に悪いですよ……?」
蒼い尾を僅かに揺らし、不安げにクロバとヴェッラを見遣ったイーリスは深海の色をした瞳を瞬かせる。頬を撫でる冷たい風と湯の温度は心地よく、酒を煽りたくなる気持ちもわからなくはないのだが――
(私はお酒はまだ……気になります……)
ちら、と見やったイーリスの視線を受けてクロバは「絶景かな、絶景かな」と杯を揺らし、ヴェッラと談笑をしている最中、「ふにゃあ」と猫が鳴いたような声が聞こえる。
「オイ、まさか酒の匂いで!?」
「面妖な事になっておるの……ところでクロバ殿? この状況に責任を持つのじゃぞ?」
ふにゃあ、と身を融かすように湯に沈むイーリスに視線をやってヴェッラは楽し気に笑みを溢す。悪戯っ子のように細めた瞳は狐の様だとクロバは感じた。
それは後で考えるに尽きる、と湯につかるクロバは杯を大きく煽る。
「月に叢雲――いい夜だな。死神や剣士だって風流は嗜むさ」
お風呂、と口にしたティアは幾度も瞬く。大きな風呂は彼女にとって『未知』の存在で。長い髪を纏め上げたティアは胸元の『十字架』に語り掛けた。
「これはゆっくりできそう」
『入っている間は私は意識を落としておこう』
気にしないで、と首を振ったティアはしっかりと体を隠すビキニを着用に、湯に身を沈めてゆく。遠く聞こえる潮騒が心地よく、穏やかな時を過ごせるようで唇からはほっと息が漏れた。
胸の十字に僅かに触れ、心地よさを共有するようにティアは「良い湯、って言うんだよね」と小さく呟く。
「のんびりするにはピッタリだよね……ぶくぶく」
徐々にその身が『沈んでいく』Oneは纏めた長い髪が湯につかっていく感覚を感じた。それもその筈、半身浴――ならぬ『全身浴』状態なのだから。
煌々と輝く月から身を隠すように沈むOneは着慣れないチューブトップビキニを身に纏い、逆上せない限りは堪能すると決めていた。
ぶくぶく、と。水泡が上がるのは華奢で小さな彼女が懸命に全身浴をしている証なのだろう。
「恋人同士で3人って珍妙な組み合わせ……」
そう呟くレインは『雰囲気を和らげるぞ!』と温泉での我慢大会を提案した。しかし――しかしだ。
(カタリナ君もセレステちゃんも弱すぎる……)
スライムに手伝ってもらいながらレインは困った様に肩を竦めた。逆上せてしまっては仕方ない。
月夜に揺れる海と潮風に靡く愛する恋人たちとのウキウキデートとカタリナが心を躍らせたのも過去の話。満天の星空の下、癒しの温泉でレインを抱えていたカタリナは頭が沸騰しそうだとノックダウンしてしまったのだ。
一方で、ロマンチックです、と頬を赤らめていたセレステはカタリナの膝の上で座るレインとも仲良くなりたいと努力していたのだが……。
「うう……煮魚になっちゃう……も、もう駄目……」
頬を赤く染め上げだらりと倒れ込んだ。「あっ」とレインが叫ぶ暇もなくセレステと同じようなタイミングで倒れるカタリナ。
意識も遠く、美しい星空も彼らの前では意味をなさないものになってしまったかもしれない。
何となく嘆息したレインは目を回したセレステとカタリナの額に冷やしたタオルを乗せた。
「僕も愛してるよ、二人とも。カタリナ、セレステちゃん」
刃金の鎧は釼の身を確りと固めていた。常の通りの彼女の鎧を鈍色に照らした月はその全景を晒している。
んん、と漏らした咳払いは低く――鎧の中で幾重にもエコーがかかる。
(騒ぎを起こそうとする不埒な輩が現れぬように警戒している――仮に現れても常識の範囲で注意ができるようにな)
楽しそうだ、と感じるのは沢山のイレギュラーズ達が笑みを浮かべているからだろう。敏感な肌に湯が合うかを確かめながら、一人誰にも見られぬ場所で湯につかるのだと眺めながら。
温泉より程近い岩場に腰を下ろした桐子は『パッと見やべぇ外道な魚』を釣りたい気分なのだという。
其方の方が世界からの贈り物を使用して捌く事が出来る――というのが桐子の気持ちなのだろうが。ワンピースの裾が汚れることも気にせずに腰を下ろした桐子はゆっくりと釣り糸を垂らす。
「手元に寄せるまで何がかかってるかわかんねぇのがいいんだよなぁ」
骸の部品をもいでルアーモドキにしようというズルドは闇に溶ける様に佇んでいた。痩身の小鬼は「変なものが釣れたリナ」とからから笑う。
「骨トカ」
「骨……いヤー、黒イ空、静カな海! 星しカ殆ど見るもンがねェナ。で? 骨ガ釣レるっ?」
骸の言葉に桐子は「そいつはやべぇな」とからから笑う。勿論、ズルドもその言葉に笑わずにはいられない。
「餌ハソダな……。特製ノルアーを使ワせテ貰ウわネー。撒キ餌はアムブロシアの肉ヲ」
ずた袋から釣り道具を取り出す骸にズルドは「骨が絡むカモ」とまたも手を叩く。
「そリャーアレだ。釣リの醍醐味ってヤツだ」
黒い空、静かな海、星より大物。釣れることを願って三人は釣り具を投げ入れる。
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「見た事ないので、楽しみです」
海の中、とティミは小さく呟いた。癒えぬ枷の後を気にするように摩った彼女は共に往くリュグナーを見上げる。
情報屋リュグナーにとって『真珠』の情報は魅力的だ。興味が湧いた依頼には飛び付く彼は「行こう」と歩を進めるが、ティミにとって慣れぬ海中は不安だらけで。
「……痛いです」
「なに、転んだ? 立てるならば、以後我の腕に捕まる事だな」
揺れる蒼の中、二人寄り添い探すのは真珠。満天の星の如く、煌めくそれを探し当てた先で――「リリナール、これは貴様が持っておくと良い」とティミの掌に小さな粒が転がされた。
彼女にとってそれは星々よりも美しい。綺麗です、と只、それだけで彼女は笑った。
大規模召喚の日、運命と呼ぶに相応しい。ジェイクは海中デートだと幻を手招いた。
未知だらけの海中は幻にとっても楽しみの連続で。揺れる影と光が美しい、幾重にも重なるそれに誘われる様に歩く幻の背後でジェイクは「きれいで不思議なものが沢山だろ?」と笑った。
「はい、とてもきれいで――」
深海の中、足が縺れぬ様に振り仰ぐ幻はジェイクの瞳が交差した。只、それだけで射貫かれたように膚が騒めく。
「きれいだよ幻」
きっと、僕の事じゃないだろうけど――火照った頬を冷ますように魔法道具に押し付けて幻は目を伏せる。嗚呼、今夜は眠れそうにない。
「嬢ちゃん」
水泡に包まれた縁はゆっくりと振り返る。海の世界を見てみたいのだと強請ったシキは普段なら踏み込む事が出来ない場所に緊張した面差しで踏み入れた。
「……でも、貴方には魔法道具は必要ないのでは?」
耳鰭を持った美丈夫は「細かいことは気になさんな」とからから笑う。水の香を纏った縁に導かれる様にゆっくりと進むシキにとって塩水は天敵だった。
(――錆びてしまいますからね)
独り言ちたシキに珊瑚や貝はとらないように、とガイドをつづけた縁は小さく笑う。
「ここはリーゼロッテさんの所有物のようなもの……勝手に持ち帰っては盗人に……」
「いや、海の中にあるからこそ、綺麗な物だってあるんだ」
ぱちり、と瞬くシキに「持って帰るのは思い出だけ、だ」と縁は人好きする笑みを浮かべて見せた。
薄青のビキニを身に纏い、パレオの裾を揺らした澄音は長い黒髪を揺らし楽し気に海底を闊歩する。
足先に感じる岩の感触は己を覆った膜を挟んだ柔らかさに変化していて。
「水底を歩くのは初めてではないけど、幻想的な景色は胸が高鳴るわね」
折角の舞台だから、幻想(ゆめ)を纏うのはプリ・マドンナの役目。蒼黒の天魔は彼女の背へと鮮やかな蒼を作り上げる。
海の昏さ寄りも尚、深い蒼。空の月よりも尚、鮮やかな光。舞い散る羽に指先触れて、口遊んだのは何時か聞いた流行りの唄。
キ――と機械の擦れる音が僅かに聞こえる。ゆっくりと顔を上げたハイゼルは「ふむ」と小さく呟いた。
「元の世界で似たような魔法を使われたことがあったな……ありきたりと思えるものは普遍的に存在するという事かな?」
考察を交え、ゆっくりと陸地に向けて視線を寄せる。王が戯れで計画し、作成された玩具は使い捨てであるとリーゼロッテより案内されていた――宛ら、貴族の道楽の為にあるものだとハイゼルは理解した。
(貴族に好かれておくのは悪い事でもないらしい……)
海は海龍の住まう場所。危険を孕んだ場所であったことを思い返してヴァルディアはゆっくりと海底を歩む。
禍月の魔女と称される彼女にとっても海は神秘を孕み同時に、『まだ知らぬ未知』に溢れていた。
岩肌を撫でる感触さえもその指先は知らない儘で。未知は魔女の心を満たしていく。
「……あぁ、なんて素晴らしい体験だ。まさか、海中から空を眺める日が来るとはね」
海の散歩も悪くないと祝は細いみつあみを揺らし歩む。浜辺では楽し気に談笑する人々の姿が見られたが、海の中は静寂に満ち溢れていた。
珊瑚に足をかけぴょん、と跳ねればその体は水泡に包まれた儘、ふわりと着地する。
(俺みたいなのには、こういう昏い所が似合うと思ってたんだが、この綺麗さは逆に失礼な気がしてきた)
水面に星空と月が映り込み、まるで星の中を覚えているかのような錯覚さえも覚える。――見せたい人がいる、それだけで両目でしっかりと景色を焼き付けた。
唯、言葉なく。
幻想(ゆめ)と呼ぶに相応しい景観の中でオラボナは鮮やかな世界を形作る様に奇怪な彫刻を作り上げる。
オラボナの手の中で完成される一つの世界。深海に差し込む光はその場所まで届かない。
光の差さない場所――静謐溢れる深海の洞。ふわふわと揺れるシュゼットは小さく息を吐き出した。
差し込む光に手を伸ばせばその身はふわりと上へ、上へと誘われる。漣が、喧騒が、遠くなる気がして……ああ、けれど花瞼はゆっくりと落ちてゆく。
(――もう一度、会いたい)
口にする事ない願いは、泡沫の中に溢れて消えた。
「うちはディープシーやからやのぅ、道具はいらんよー。リーゼロッテちゃんも一緒に海中散歩するかいの?」
「素敵なお誘い。ええ、それでは少しだけ――エスコートをお断りしては淑女として廃ると同義。……幻想の如き世界に誘ってくださいませ」
にこり、と笑った水城は「お任せあれ」と海の様な瞳を細める。纏う和服の袖を揺らし差し出された掌にリーゼロッテはわざとらしく重ねた。
一人で散歩するのもさみしいからと少しの時間だけの海中散歩。
リーゼロッテを海中に誘うのは水城だけではない。礼節を弁え、淑女として接するジョーは噂話で聞く令嬢の姿の真贋を確かめるのは己の目だと彼女を見つめていた。
「これは……見事なものですね。陛下と貴女にこの機会を頂いた事を感謝しなければ」
何気なく、一つ呟く礼の言葉にリーゼロッテは赤い瞳を細めてころころと笑う。「陛下の気紛れもこうして幻想を見せてくれましてよ」と冗談も付け加えて。
重たげな豪奢なロリィタドレスを揺らした令嬢の背を追い掛けて、このあたりでと頭を下げたジョーは「また」と再会を誓う様にリーゼロッテへと投げ掛けた。
きれいな貝殻や魚達。面白いことが見つかるかもと長い黒髪を揺らしたルイエは「リーゼロッテちゃん」と振り返る。
「私はこの世界に来て日が浅いからこの世界の事を色々教えて欲しいんだ」
「それは……ご不安もあったでしょう。私はこの世界では貴族に位置する者。民草の暮らしに関しては無知と呼ぶに等しいですが――分かる事であればなんなりと」
ぱちり、と瞬いたルイエは「何」と小さく呟いた。
ああ、これはきっと海の水が沁みたのだ。「うちも教えるよ」と笑う水城の言葉にも胸の奥から何かが沁みた。
「俺にも良ければ教えて欲しい。皇子たるもの様々な物に精通していなくてはね」
胸を張る竜也は花達と共に回れることは眼福だと幸福そうに胸を張る。魔法道具を使用しての水中散歩は宇宙遊泳とは違って溺れる可能性もあり――つまりは、不安なのだ。
楽し気に笑った三人の輪に入り竜也は「よろしく頼むよ」と揺れる水草を見遣った。
「リーゼロッテ嬢、お招き頂き恐悦至極。良ければ小生にも幻想(ゆめ)を見せては頂けないかね」
差し出された掌をとって、リーゼロッテは「喜んで、ミスタ」と目を細めた。リツドキ――ウィルソンは彼女の仕草に満足げに頷いた。
夜光虫や色鮮やかな魚達。輝く満天の星よりも尚、美しいと思える大海原の底で息を潜める様に景色を見つめる。
此処に来て見聞が広がった――そう告げるウィルソンはリツドキに感謝するように、この景色をその両眼に、頭脳にしかと焼き付けた。
少しだけの海中散歩。浜に戻って食事でもと誘うリーゼロッテ。次のエスコート役は彼女なのだろう。
●
漣に爪先浸し、夜千瑠は瞳をきらりと輝かせる。
「ロマンチックな出会いの気配!」
こんなに月が綺麗だから――何処ぞの文豪の言った言葉ではないが気持ちを逸らせるのは幻想(ゆめ)の如き空間の所為なのだからと。
着慣れたセーラー服の襟を揺らし、誰かと周囲をきょろりと見回した。
その表情は期待に満ち溢れているが、体調の不良を思わすように蒼褪める。月の光を受けて更に白く見せる膚を気に留めず行うのは現代で言う処の『ナンパ』だ。
「ごきげんよう。星が綺麗ねお嬢様。お飲み物でもいかがかしら?」
ノンアルコールカクテルを手にしたレジーナは口元に薄っすらと笑みを浮かべる。
「あら、ありがとう。私も、そうね、貴女と同じものを頂こうかしら。よろしくて?」
背後に控えた使用人がリーゼロッテの言葉に頷き用意を始める。唇から牙を溢した暗殺令嬢に向き直りレジーナはくすりと笑った。
「我はレジーナ・カームバンクル。以後お見知りおきを。……一目見たときに感じました。
我は汝に会いに来たのだと。一目御身を拝見したときから思っておりましたわ」
「ええ、ええ、それを私は何と呼ぶか知っているけれど、純真無垢な乙女の口からその言葉が零れるのは憚られるの。
ですから――今はこう返すだけしか出来ませんの。光栄ですわ。レジーナ」
暗殺令嬢のプライベートビーチ。妙な気配もするけれどと周囲を見回す霞は『かくれんぼ』してる誰かがいるのではと胸躍らせる。
椅子に腰かけ星見に興じたリーゼロッテが戦いを回避したことに一安心しながら彼はひらりと手を振った。
「こんにちは、リーゼロッテ。星見のつまみにフリートークでもどうだ?」
「フリートーク。それには私も興味があるわ。リーゼロッテは見た目から察するに妖精や吸血鬼の因子を持っているわよね?」
銀の髪を揺らして、リーゼロッテの許へと身を乗り出したリカナの背で天使と悪魔、両の因子を感じさせる翼を揺らす。彼女は厳密には吸血鬼だ。
リーゼロッテに『同じ気配』を感じたのだろう。
黒のゴシックロリィタに身を包んだリーゼロッテはリカナの唇に指先を当て「ふふ、無粋ですわよ」と悪戯っ子のように冗談めかして笑った。
「よう、暗殺令嬢。お噂はかねがね。今後、お前からどんな依頼を受けることになるか楽しみだ」
ひらり、と手を振ったシュバルツは怜悧な光を燈す赤の瞳を細めてリーゼロッテを値踏みするように見つめた。
一見して、『幼気な美しい少女』である貴族の令嬢は実質の権力を担っている存在だ。
「――依頼主がどんな奴かも、見てみたかったのでね」
傷の通った目元に深く笑みを湛えたシュバルツに「私はご覧の通り幼気な乙女でしてよ」と『その通りでしょう』と態度で表してくる。
食えない女だ、とシュバルツが感じると同時――
「リーゼロッテー!」
幾許か気配が変わったリーゼロッテに僅かに身構えた霞とリカナ。乙女の秘密に近づくなかれと茨の城で眠る姫君宜しくその身を黒衣に隠す少女は明るい灰人の声に瞬く。
彼から発される感情はギフトの効果も相俟ってしっかりとリーゼロッテにも把握できた。
「ありがとな! こんな、魔法道具とか、初めてだ! ちっこくて可愛い上にすげぇんだな!」
「まあ。そこまでお喜び頂けたならば幸甚ですわ。薔薇乙女も思わず秘密を一つ漏らしてしまいたい程に、熱烈な思いですもの――ね?」
唇から尖った牙を見せたリーゼロッテは意味ありげにリカナへと向き直る。楽し気な灰人の背を見送って暗殺令嬢はくすくすと笑い声を漏らした。
「はい……こちらの世界は月も美しいですし、じゅーすは、素晴らしい飲み物です」
首を傾いだ真奈子は黒目がちな瞳を輝かせ、たどたどしく『りーぜろって様』と令嬢へと向き直る。
砂浜を確かめる様に歩んでくる彼女の手にはこの世界に辿り着いてから初めて対面したというオレンジジュースがしっかりと握られていた。
「本日は、ありがとうございました」
「とっても、とっても、素敵な時間です」
美味しい物を食べるのは好き。美味しい物を食べて綻ぶ顔を見るのが好き。
それは祈りを捧げた後のみんなの表情に似ていてシスターの樹里は祈り――具体的には受理、何のとはここでは控える――を貰った時の民草の顔と似ていると柔らかに微笑んだ。
「こうして幸福そうな人々が集う空間。私が求める素敵な世界です」
「それは幻想(ゆめ)の如き空間でございましょう。幸福というのは何物にも代えがたい財産だと言いますわ。ええ、誰が与えるにも『難しい』自分自身だけのプレゼントですもの」
饒舌なリーゼロッテに樹里は楽し気に頷いて見せた。
「此度はお招きいただきありがとうございます、アーベントロート様」
あくまで、客人として振る舞ったシェリーの瞳には旅人たちで盛況な浜辺が別の物として映っていた。
アメジストの瞳がしっかりとらえたのは豪勢な催しを言葉一つで実行してしまうアーベントロートの財力――そして、王の戯れ事の結果。
(……しかし、噂よりずいぶんと余裕がある様で。
亡国物の暗君、腐敗した貴族たち、北からの進行――かなり危ないはず……)
だが、余裕綽綽といった様子のリーゼロッテからは『危機』は感ぜられない。
(尤も、余裕があるのは『上流階級』だけなのでしょうが)
目にした街並みとかけ離れた暮らしぶりにシェリーはゆっくりと息を吐き出した。
レーゲンにとって、この会をリーゼロッテが開催するにあたった費用はおおよその計算が付いていた。
背後に控えていた支配人から手渡された軽食に軽く礼を告げて月色の瞳を僅かに細めた。
(此処で商売の話は無粋。そんなことは致しません。ひみつは――ひみつであるものだ)
愛嬌溢れるそのかんばせに乗せた笑みを深めたレーゲンは使用人に暗殺令嬢の位置を聞く。浜辺に設置したパラソルの下で月見を行っているという『彼女』に此度の宴の感想を告げに行こうか。
此度の宴の礼を、と歩むエンアートは先程まで潜っていた美しい海中を思い浮かべ、小さく息を吐く。
(……あぁ、確かに綺麗だった。目を瞠るほどに――しかし、使われた金は元々は……)
フードを被ったエンアートは唇をきゅ、と引き結ぶ。エンアートにとって、『暗殺令嬢』の噂は現地民達が語る其れしかない。
薔薇を象徴にした怜悧な刃を研ぎ澄ませた少女。その姿を両眼に映し、彼の暗殺令嬢に関する知識は一つ増えるのだ。
アールグレイとレモンパイ。潮風に混ざる甘い香りに鼻先を擽られ、健太郎は丸眼鏡の位置を正す。
召喚前に参加していたプロジェクトを思い返せば、彼の手元には『デュノワ』の模型が用意されていた。これ程に月が明るい夜なのだ、きっと『デュノワ』を見る事が出来るはずだと健太郎は宙をなぞる。
「リーゼロッテさん。見てください、あの星は僕の星なんですよ」
「塵芥の様に天蓋を飾る星々の中で求める物が見つかったのでしたら、それは僥倖ですわ。その星の話、お聞かせ頂けるのかしら」
月の光を浴びながら、星の位置を紙へと記す。エリアは腰に届く銀の髪を風に揺らし、手にしていた紙をゆっくりと膝へと置いた。
「知らない世界だからやはり基本から学ばなければいけませんね」
月はどう動くか――星の標は。魔導士たるエリアにとって煌々と輝く月の魔性はしっかりと感ぜられる。魔導士と月は密接に関わっていると言うように口元には笑みが浮かんだ。
「然し、あの御仁は曲者ですね、何だか自分と……いや、それ以上に闇が深い」
歓談し、笑みを浮かべた血色の瞳の暗殺令嬢。その方へと視線を投げかけたエリアの心は踊り始めた。
●
海の中――普段は見る事の出来ない隠れた静謐。白の礼服姿でヨゾラはゆっくりと歩を進める。
只、水中に潜るのではなく両の足がしっかりと着いている不思議な感覚は彼にとっても真新しい。
興味の行く儘、自由気侭に進むヨゾラは小さく息を飲んだ。海も海岸も、何もかもが新しい――星空とは違う幻想的な美しさ。砂を掻く様に足先を動かせばふわりと舞いあがるそれ。
揺蕩う海藻に指を絡め、泳ぐ魚に小さく笑い掛ける。
(他の人も楽しんでいると良いね)
珊瑚礁の傍に腰を下ろし、アウローラは桃色の髪を揺らがせた。感じる海の気配は何時もと変わりない。
だが、海の魔性をよく知る彼女にとって、穏やかではいられない理由がそこにはあった。
輝る魔性の月、静寂の夜。その胸中に浮かび上がった悲しい記憶――夫と子供を失った寂寞が浄化されるようだと彼女は目を伏せる。
今、歌を謳ったら彼らは帰ってくるだろうか?
歌を頼りに、迷い子を誘うように、水の中を掻いた指先は何も掴まないけれど。
「とてもきれいですねぇ……これなら泳げない人でも海を楽しめますね?」
柔らかに笑みを浮かべたカーティスの言葉に、賽子を指先で弄んでいたライネルが顔を上げる。現役勇者は『面白い道具』に興味津々の様子で一歩踏み出した。
平穏という言葉を重ねても表せないような静寂の海の中、差し込む光に眩し気に目を細めたカーティスの脳裏に浮かんだのは、彼の愛しい教え子たち。
(生徒たちのお土産話が増えました)
きっと、瞳を輝かせてこの経験を教えて欲しいと乞うのだろう。ああ、その光景を思い浮かべるだけで心は弾む。
「折角なら楽しまないと損ですし、ね?」
「ああ、楽しむが一番だ。何に会えるか、何が起こるかは運次第、って――」
一歩踏み込んだ彼の足元でじゅるりと動いたタコ。思わず踏み締めたその感覚に彼の表情が蒼褪めていく。その後に何が起こったのかは――カーティスが語る所にあるだろう。
その様子を遠巻きに眺めていたスリーは興味深げに頷いた。
白骨化した頭をこてりと傾げて見せたスリーは知識に貪欲だ。タコに寄る応酬というのもまたとない『未知』との出会いだったのだろう。
己を不死者(アンデッド)としたとしても――こうして海の底で呼吸を忘れる感覚は精神的にも不安で仕方がない。
「……気を取り直して。折角の機会。この海の生態系も、学ばなくては」
早速、メモを、と呟いてスリーは海中であることを思い出し、頭を掻くような仕草を見せた。
海種であるアーチェにとって海の中というのは見慣れた光景だ。こうして差し込む光だって彼女にとっては常の幻想であるのだから。
黒目がちの瞳を輝かせ、海色の髪を揺らしたアーチェは慣れた仕草で海底へと降り立った。鱗のある指先は茫と灯った灯りを指して小さく笑った。
「こうして、他の種族の子らと一緒に海の中を探検する機会なんてそうそうないっすから。楽しませて貰うっすよ」
その言葉に瞳をきらりと輝かせ楽しいと笑ったチェロロは「こんな凄い道具、元の世界にもなかったよ……」と独り言ちた。
「これなら泳げないオイラでも海で遊べるし、故障の心配もないだろうしいいな!」
アーチェの言う通り『他の種族』も皆、海底散歩を楽しめる。るんるん、と心を躍らせたチャロロは海の深い所を見るのは初めてだと笑みを浮かべた。
澄んだ海にたくさんの生き物たち。海種たちにとっては当たり前かもしれない世界。こんなにも深い所が見れるのは初めてだと瞬けば、光の加減が変わり月光がカーテンの様に降り注ぐ。
「こんな光景、目の当たりにできるなんて思わなかったよ」
月と星々の光が波間を縫って描く軌跡を追い掛ける。Sentirは「ジェル、エスト」と二人を呼んだ。
波間から刺しこむひかりに夢中になれば、ジェルソミアの心も踊った。Sentirの呼びかけに従って辿り着いた秘密の場所は何処よりも心地よい。
魚やウミガメたちがまるで空を飛んでいるかのようで――嗚呼、ここは海の底なんだなとジェルソミアは息を飲む。
「あ、」
きらきらと輝く魚の群れを見つめるうちに、海に溶けてしまいそうだと茫と思うエステルの体がぐいと引っ張られる感覚に襲われる。
顔も手も足も、全てが青く染まったその場所で少し流されたという彼女の手を引いて、ジェルソミアとSentirは小さく笑う。
「ありがとう、ふたりとも」
穏やかに笑った二人と共にエステルは寄り添うように近づいた。
穏やかな蒼の中、少しでも息を吐けば昇る水泡は今から星になる用意をしているようで。ここが地上ならば、泳ぐ魚達は『飛んでいる』のだ。
「まるで今、そらを飛んでいるみたいだ」
「同じこと考えてた。こんなに気持ちがいいなら私達が星になってみるといいね」
繋いだ手と手。お空の上ってこんな感じなのかしら、と首を傾いだエステルに空は近いのだと笑う様に手を伸ばして。
「俺様泳げないからよぉ! 今日は超楽しみにしてたんだよな! みんなと一緒に海の中を探検してやるぜ!」
ヴェストリスの開口一番の言葉はこれだった。押せば割れてしまう陶器の人形は少女の様なかんばせで少年の様に言葉を吐いた。
水中の中に居る気がする、というのは水族館で経験したこともあるのだが『普通の大学生』であったという颯にとって魔法でどうにかなるというのは未知の世界だ。
「……わたし、元はこうしていたのでしょう、か」
ぱちくりと瞬いたフェリシアは楽し気に海中へと向かった面々を見つめ魔法道具の中というのも素敵だと息を吐いた。
「探索……何かお手伝い……できますでしょうか?」
流れる銀の髪を揺らし、人魚の様に海の中を泳いだフェリシアの言葉にヴェストリスは「やったぜ!」と両手を上げる。
「おおっ、さすがディープシー。海中でも楽々だな!」
「その……魔法道具も、素敵……です」
魔法道具を使わずに泳ぐ姿に感心したように頷いたエルドにフェリシアは何処か照れくさそうに頷いた。
勇者と言えば探索だ。いくぜ、とぐんぐん進むエルドを追い掛けて颯は異世界に居るんだな、と言う事を茫と感じた。
「スッゲー見てみろよ! 魚があんなにいっぱい泳いでるぜ。下に生えてるの、もしかしてサンゴってヤツ? きれいだなぁオイ!」
楽し気なヴェストリスの声に意識をよせて颯は小さく呟いた。
「ま、これ以上面倒な事に巻き込まれなきゃいいんだけどな……」
とん、とステップ踏む様に楽し気に。くるりと振り向いた鼎は「驚きだね。ここでは普通なのかい?」とシャロンへと視線を投げかけた。
腰に届く灰の髪は彼女の動きに合わせて揺れる。月色の瞳は好機に満ち溢れ、海中をぐるりと見回した。
「いやはや、こんな場所があったとはね……。来たことがなかったからね、言葉を無くすとは――まさにこの事だろうか」
白衣を揺らしたシャロンは赤い瞳を細めて周囲を見回した。穏やかな医者にとって、未知の世界は心震わせるというものだ。
機会があったとしても、一人では来なかった、と呟くシャロンを覗き込み鼎は目を細めて「不思議な生物、不思議な神秘、珍しい光景――ああ、でも」
「でも?」
「一番珍しいのはシャロン君のその顔かな?」
その言葉に面食らったようにミス・鼎と呼びかけるシャロンへ鼎は『未知』はまだまだ尽きないのだからと彼を手招いた。
睡憐が迷子にならないように、差し伸べた掌は暖かい。剣蓮は小柄な睡憐と共にゆっくりと過ごす海中の心地よさに目を細めた。
球体関節の少女の傍らで月の魔性に宛てられたかのように瞳を赤くした剣蓮。ぱちりと瞬く睡憐が「あ」と小さく呟いた。
「……ん?」
「……とっテもとっテも綺麗でスなノ」
睡憐の視線を追い掛ける様に――彼女が見上げた剣蓮の向こう側に浮かんだ月――その美しさに二人は思わず息を飲む。
繋いだ手に力が籠る睡憐は潤んだ瞳が気付かれないように、と願う様に視線を逸らした。
(ちょぴっトだけ、はずかしいなノから……)
そんな彼女に、気付かないふりをして。こうして幸せそうな顔が見れるだけで、此処に来てよかったと剣蓮は口元に笑みを浮かべた。
●
重たい身体を陸の上に居るかのように動かせる魔法道具に包ませてフィンゲルは魚達の群れへと足を進めた。
月の光でその体を色鮮やかに見せる魚達に目をやってフィンゲルは「君達にも私の郷愁が分かるだろうか。ここは嘗て私の見ていた宇宙のようで心地いい」
だから、海洋生物に興味が湧いた。触れ合いたい、語り合いたい――どうか、想いを交わすように郷愁の念をわかって欲しい。
(私の体は此処で言う、頭足類に似て、彼らを知れば私もよりよく生きる事ができるだろうか)
そう思い、フィンゲルは手にした短剣を彼らに突き立てんと振り上げた。
「初めての海で、しかも、海底を歩けるだなんて!」
川や湖で泳いだ経験は在れど、初めて訪れた海は広大で。その海を歩けるとなると、興味も尽きぬ。
センカは高い位置でツーテールにした髪を揺らし、楽し気にステップを踏んだ。
紫の瞳を煌めかせ、その瞳に焼き付けたのは『記憶』よりも他人に伝えるに相応しい絵の風景。この感動を、お礼として渡すのだとセンカの心は華やいだ。
何時も通り――そう心の平穏を保つつように息を吐き出したシェンシーは内心興味津々で海の中を行く。
(……海か。見た事もないんだ、当然中なんて知らない)
一房白くなった髪が彼女の首筋を擽った。蛇を思わせる縦長の動向を持ったシェンシーは広大な世界に驚いたように息を飲んだ。
見慣れないものを見るのは良い。生温い微温湯のような世界で茫としていることは彼女の性には合わないが、こうして遊んでいる分には居心地は悪くはないのだと再確認するように空を見上げて。
ただ、のんびりと歩き続ける。誰かと話すわけでもなく、何かを為すわけでもなく。
晃央はぼんやりと自身の記憶を辿る様に海を歩いた。
「僕は何を忘れているんだろう……」
自身が持ち得るすべてを忘れてこの世界に降り立った彼にとって、手帳に書き殴られた『久嶋晃央』という誰かは他人のように思えて。
見上げた月が何所までも澄んでいたから――ああ、浮かんだのは涙だったか。
「……遠いどこかに、誰かを置いてきたような気がする。泣かないで、ください」
誰かの名はまだ呼べない。月だけが、只、彼を照らしている。
カオスシードだと、己の事を紹介したシグルーンにとって景色は違った色を持つ。人間だと両の足を地につけてしっかりと宣言してから心は僅かに軽くなった。
(あの時は虐められてばかりでちっとも美しいなんて思わなかったけど……。海って――私の故郷って、本当は綺麗だったんだな)
ゆっくりと、踏み出す一歩に力が籠る。
一つの虹彩に二色が顕在する彼女の瞳は、まるで陽と夜が共に存在するかのように煌めいた。
頬を掠めた髪に指先絡めてシグルーンは息を吐く。泡沫のように昇る水泡に飲まれる様に故郷の想いも消えていく。
陽の下の海はキラキラと輝いている。けれど、星と月が飾った夜闇の海も美しいと沙夜は常の通りの微笑を浮かべた。
穏やかな彼女が真っ先に告げたのはフォルデルマン三世とリーゼロッテへの礼の言葉だった。魔法道具を手にして、幻想的な海へとその身を沈ませた彼女の唇から漏れたのは五日の唄。
星月夜の美しさを讃える、何時か聞いた曲。
(私の唄が魚達の所まで届くのかはわかりませんが、それでも謳わずにはいられません)
ああ、美しき夜よ――どうか、声を届けておくれ。
「ん……ふにふにしてる……しゃぼん玉みたい……」
眠たげに目を瞬かせたシオンにノアは「ぷにぷに……たのしい……」と頷いた。今日はシオンとノア、そしてエルと共に三人で海底旅行。
スカートのすそをひらりと揺らし、周囲を見回すエルは「海の中ってこんなに綺麗なのね」と手を打ち合わせる。
アメトリンを思わせる艶を持った少女は純白の翼を揺らし「こっち」と二人を手招いた。
うさ耳のフードをぴょこぴょこと揺らし、熊のぬいぐるみを抱えたノアは眠たげに目を擦った相棒の手を引く。
「こっち……」
「あ、見てみてノア……エル……とってもきれいなお魚がいるよ」
見た事のない魚に嬉しそうな反応を見せたシオンに「本当!」と楽し気にエルが笑う。「あっちにも」と指さしたノアが振り向けば――シオンはまた眠りの世界。
美しいものに心が躍るエルは月の光に可愛らしい魚達の姿が宝石箱のようだとステップ踏んだ。きらりと光りを湛えた砂さえも宝石のようで。
「あら、あそこ。素敵な場所がある。さっそく行ってみましょう?」
「ほんとだ……」
「ん……一度、海の中で寝てみたかった……」
くあ、とあくびを漏らしたシオンの眠たげな雰囲気につられたようにエルが瞼を落とす。おやすみ、と告げたノアの見上げた海は何処までも美しかった。
揺蕩う泡沫。はじめての世界に心を震わせてレムは身を包む水泡に掌を当てる。
その感触もどこか、不思議で。レムは小さく息を吐いた。ゆらり、と揺れた水の重たさを忘れさせるかの如く、身を包む水泡は何処か優しい。
「うわすっげぇ、ホントに海の底!」
月明かりの珊瑚礁で泳ぎまわる坂田達に目を奪われて八千夜は「レム!」と手招いた。
「ほら魚! 夜鷹も!」
早く、とはしゃぐ声音で急かす八千夜は引っ込み思案な少女も遅れていないかと振り返る。こっち、こっち、と手招く藤花は花曇り雲の瞳に月の光を反射した。
「……あ、待って」
追い掛けるレムの隣で、何処か不安げに――恐る恐ると手を伸ばしたエーリカは『夜鷹』と呼ばれたことを反芻させて追い掛ける。
プティピエは宵色の彼女が赦すのならば、快くと手を差し伸べた。大丈夫、不安な事は何もない。
揺れ踊る魚に魅入られた様に、好奇心に胸揺らし、プティピエはヒールで海底を踏み締める。
空の青とは違う青。波の間際に揺れる月光。はしゃぐ4人に視線をやってサイードは見守る様に目を細めた。
「っと」
不意を衝く様に泳ぐ鮮やかな小魚の群れ。橙の魚達は海の青に映え彩る様に泳ぎ往く。その進行方向を遮れば楽しげに笑った四人の許へと泳ぎ往く。
「ねえ、……私にも、おどりをおしえて」
「勿論よ、夜鷹」
プティピエの手を取って、そらと海――二つの青を照らす月。拙いダンスでもいいの、今宵は此処で星のように煌めいて、只、踊ろう。
「海、初めて来たわ」
おっかなびっくりは最初だけ。スキップするように歩くポシェティケトは淡いリボンを揺らして踊る。森の中にいる様に、気分は晴れやかに。
皆に素敵な景色を見てもらうんだと笑ったルゥルゥはダンサーらしく楽し気に泳ぎ出す。
「みんな海は大丈夫かなぁ? 慣れてないならフォローするよぉ」
まるで飛ぶように、海の中を自由に泳ぐルゥルゥは海種らしさを見せつけると楽し気に笑った。
「皆様、ご覧になって下さいませ! お魚がこんなに近くにっ!」
訫宮は金の袈裟を抑え、周囲をきょろりと見回した。全てにおいて『音痴』な彼女が逸れぬように周囲を回るルゥルゥに「こんなに生き生きと!!」と冗談めかして彼女は笑った。
慣れない場所だから、と緊張した様に歩くカザンは泳ぐルゥルゥを見上げて、その向こうに見えた月が綺麗だと瞬いた。
「だいじょうぶ?」
「あ、ああ……」
碧眼を細めたカザンは何時の日か礼をしなくてはと心に決める。――王ではない、王の暮らしの為に今日も働く民の為に。
その信念燃やす彼へと訫宮は笑み溢す。
「こうして、皆様と気持ちを共有できること――とても、とても嬉しく思います」
「うん、とっても嬉しい。ねえ、見て? 貝殻!」
拾い上げ、微笑んだポシェティケトは手を合わせ願うように俯いた訫宮とルゥルゥを見遣るカザンへと視線を向けた。
沢山の足跡がひとつ、ふたつ。すぐに消えてしまうけれど――沢山の形が残っていることが、とても、嬉しい。
「あ、ウニとか気を付けてねぇ? えへへ、海ってキレイでしょ?」
とても、と返した声は只、柔らかい。
「手を引いてもらうなんて子供みたいですのー」
拗ねたようにつぶやくマリアにウィリアムは小さく笑う。怖かったら、と差し出した手に素直に頷いた割に大人ぶりたい年頃なのだ。
初めての海は何処か昏く恐怖を誘う。ぎゅ、と握った指先の温もりがとても、心地よくて。
好奇と隣り合わせの想いを抱くマリアに「別に子供みたいとか、思ってないから」とウィリアムは呟いた。
「……すっげえ、……本当に海の中だ」
「なんて……綺麗なんですのー……!」
ご覧になって、と誘う様な声音にウィリアムは笑みを溢す。楽し気にはしゃぐマリアと逸れぬように。
見上げれば海中から臨んだ月の光が眩しく感じられる。
それは幻想の如き世界だと誰かが言った――そんなことはどうでもいい位に神秘的な場所だった。
「ずっとここにいたくなりますの」
そうだな、と呟いて、もう一度握る掌に力を込めた。
「今日は月が明るいからよく見えるよ」
水に広がる鰭は薄碧く透き通る。氷銀の髪は水に煽られふわりと舞った。コーンフラワーブルーの瞳を細めたセレイリィアは共に往く、シェーラを手招いた。
海種たる彼にとって慣れた心地よさがセレイリィアを包み込む、彼にとっての『当たり前』がシェーラにとっては不思議で。
太陽に愛された膚は今は薄い膜の向こう。焔の如き赤の髪先が彼女の頬を擽った。
「……リィは、こんな世界を何時も見ていた、のね」
「ふふ、シェーラも今日だけは海の者、だねぇ」
こうして共に在れる事がうれしくて――月明かりに照らされたこの海で一番きれいなあなたの両眼が捉える者をみれたことが、とても、うれしくて。
●
空に溢れる星屑に手を伸ばすように。手袋に包まれたほっそりとした指先が宙を掻く。
「良い夜です。月と星が溢れ――月下香の華があれば惑わされていたかもしれません」
艶ある白花を思い浮かべたノインの声を耳朶に滑らせながらなずなは小さく頷いた。風が擽った薺の髪飾りに触れて「火遊びを、したくなるかもしれませんね」と冗談めかす。
「俺から離れないで下さいね」
夜風は体に悪いから。そんな言葉に嬉しいと瞳を細めたなずなは傍らのノインを見上げる。
首に刻まれた傷を一瞥し、傍に寄ったなずなにノインは「異国の教えに」と切り出す。
「心が穏やかでない時は海の星を数えるというものがあります――ですが、その必要はないみたいだ。貴女を見ているほうが穏やかになる気がします」
その言葉に、不思議ですね、となずなは笑った。
――私も、同じ気持ちなんです。
「例え、異世界であれど星は輝いている……か」
夜空を眺め、カクテルグラスを傾けたアレフにアリシスは柔らかに目を細めた。
柔らかな風が髪を靡かせ、浜に届く潮の香は心地よい。輝く星々の煌めきをなぞる様に指先を翳したアリシスは目を伏せる。
「――この夜空の星が何を映したものなのか、知っているそれを同じなのかすらわかりませんが……」
空の先、星の世界の構造に軽く意識を馳せながら、アリシスは結んだ唇を僅かに緩めた。
「流れ流れた果ての果て。遠い世界で、これも縁なのでしょう」
傍らの青年の月色の髪は美しい。冴え冴えとした月の色は金にも銀にも見えて――嗚呼、似た者同士なのかもしれないとアレフは小さく笑った。
「何故この世界へと呼ばれたのか、そして我々は何を為すべきなのか――未だにそれは解らないままだが」
カクテルグラスが音たてる。二つぶつかったそれはこれからを誓ったもの。
「これからよろしく頼むよ、アリシス」
「宜しくお願い致します、アレフ様」
使用人たちが用意する食事を手にして紫苑は「リンドウ」と彼女の傍らに立つリンドウへと視線を送った。
彼女をマスターと呼び慕うリンドウは呼びかけに顔を上げ「はい」と一つ瞬く。
「貴方は星や月を見て何を思うの……? 私は、生まれた世界で見たし、今の景色も綺麗だと思うけれど……」
紫苑の問い掛けにリンドウは僅かに首を傾いだ。人形には感情はないのに――どうしてその問い掛けをされたのか。不思議そうにリンドウは紫苑を見遣る。
「……唯、元の世界……いえ、召喚されるまで私達がずっと滞在した国ですが、化学汚染と公害がひどかった――故に、月も星も海も見た事ないので有意義です」
人ならば、綺麗だと思うのだろう。けれど自分は人形。主へと返した言葉に紫苑は「そう」とだけ返した。
ビーチチェアに寝そべったまま周辺を見つめた花は「極楽極楽」とうんと背伸びをする。告げられた世界のルールで彼女が実感していたのは……。
(これはPBWの世界だものね)
PBWを愛する花にとって、この世界は『作り物めいて』いて楽しい。光る夜光虫も、跳ねる飛沫さえ光を纏い輝いて見える。
「今後も平和な感じに過ごしたいものです」
――それさえ、誰かに作られた意思かもしれない、と彼女はゆっくりと空を見上げた。
海辺をたどったフィリーネは若草色の髪を靡かせる。
「ねえ」
ノエル、と呼んだ声音に顔を上げて、アメジストの瞳を瞬かせたノエルは光りの中で振り仰ぐ彼女をしかと見つめている。
見知らぬ世界で輝く星に、喧噪の中から離れる様に進む彼女が迷わぬように、声をたどったノエルは彼女の言葉を待つ。
「――あなたの瞳には、この世界はどんな風に映っているのかしら?」
「そうだな、今は、……綺麗、かな」
伸ばされた掌は、暖かい。その伝う温もりが彼と彼女が此処に居ることを感じさせる。
穏やかにきれいだと笑ったその横顔も、遍く星の煌めきも、繋いだ掌の温もりさえも――きれいだと、そう思った。
「こいつはマジグッドなムーンライトと海じゃんよ」
『まきり』と会った時を思い出すと妖刀・村雨は少女の口を借りて言葉を漏らす。
海面に映り込んだ月を斬ると馬鹿をして遊んでいたと、思い返せば村雨にとって『懐かしいメモリアル』が溢れ出すようで――彼女の口元には笑みが浮かんだ。
「ま、センチな話は程々にしておいてメシでも食いに行くか!」
一人散策していたヨタカはゆっくりと宙を見上げた。満天の星空に、その翼は僅かに疼いた気がして。
「俺は……いつ……星に……届く……?」
空を掻いた指先がその言葉さえ遠くに投げ出したかのように、脆く儚く潮騒へと飲み込まれる。
あの天へ近づく日が来るのか、きっと、と漏らした言葉を飲み込んでヴァイオリンを弾き鳴らす。こんな夜には一つ奏でよう――その寂寞と哀愁を乗せて。
「星、きれいね……」
ざあ、と波音立てた浜をゆっくりと歩みながら焔珠は硝子色の瞳を細める。
見たことのない空。
味わったことのない食事。
未だ、感じたことのない沢山のもの。
その両眼に映り込んだ夜光虫は地上の星の様に煌めいて――その全てが彼女の胸を満たしてゆく。
夜の海はあまり、行った事ないからと口にしたメルナの両眼に映り込んだのは冴え冴えとした夏の月。気配はもう直ぐ秋に変わるのだろう、どこか寂し気な雰囲気さえも感じさせた。
長い銀髪が頬を撫でる。優しい両親と最愛の兄、何不自由なく暮らしてきたというメルナの瞳に映り込んだのは別の色。
「お兄ちゃん」
本来なら、此処に居たのは兄のはずだった。そう告げるメルナは唇を噛み締めた。
「……お兄ちゃんにも見せたかったな。幻想的で、静かで……きっと気に入ってくれるもん」
お兄ちゃんの代わり、そうあることを決めた彼女は決意の様に落ちた貝殻を拾上げる。兄が救ったはずのモノ。兄が救うはずの全て。それを頑張るから、だから。
囚われて来たその過去がリコリスにとっては重く圧し掛かる。美しい海がある、故郷に帰りたいのだと幾重も願ったそれ。
誰もいない場所を見ても、きっと寂寞の念に苛まれるだけなのだろうと――誰もいないということを再確認してしまう事になるのだろうと。
「……だから」
リコリスは俯く。こんなことじゃダメだ、と振り払うように足の裏に張り付く砂を払う様にして立ち上がる。
今は、それを忘れて楽しもう。そう考える様に一歩ずつ歩き出して。
砂を掻いた指先は、波に濡れる。アッシュは一人、喧騒から離れる様に浜を行く。月明り輝く浜辺で波に攫われる貝殻を見下ろして浮かび上がったのは一つの言葉。
「……約束か」
独り言ちて、俯けば胸元の銀のロケットが月明かりに照らされ反射した――空の星が反射したそれは、もう一つの宇宙だった。
「大義であったぞ」
グランヴァハールの堂々たる振舞いにひとつ、瞬いたリーゼロッテはスカートの裾を持ち上げる。
恭しく一礼をして見せた『暗殺令嬢』は異邦の大魔王に穏やかな笑みを浮かべてみせた。
「私が用意した余興にお喜び頂けたなら光栄ですわ」
漣が砂を攫う――煌々と見つめた月はぱしゃりと跳ねた水音で反射する光を揺らす。
まだ、眠らないこの日はもう少しだけ星の煌めきに寄り添って――
writing:菖蒲