特設イベント
空中庭園パートⅠ
●XXX In WonderHeaven?
後にハルシラ・ハースはこう語る。
――私はその時、ただ恐ろくて。
不安で、心細くて、きっと顔色は白かったのでしょうね。
覚束ない足取りに、誰かが手を貸してくれた気もするわ。
その誰かの顔すら覚えていないほど、混乱していたのだけれど……
だって、想像もしていなかったのよ。
私はただ穏やかに、平凡に……
ささやかな幸福を友に朽ちていくのだと、そう思っていた。
そう、信じていたのだもの――
……
……………
……………………。
「かくして幕は降り、舞台は終わった。
そして再び、幕を上げるとそこは……さて? どこであろうか?」
幾らか芝居掛かったケイデンスの端正な口元に苦笑いが浮いている。
「ああ、こりゃあ一体どうした事だ……」
フアン・バウティスタ・オエステは荒れ狂うインド洋を航海していた。
遥かな香料諸島を目指して『アグイラ』を駆り、まさに命賭けの冒険をしていた筈なのに。
「嗚呼、此処がエル・ドラードか。それともアルカディアか。
俺の船員(あいつら)は、そうだ『アグイラ』は何処行った――」
「久々のお宝だったんだがなぁ……」
頭をばりぼりとかきながらセラフィーナが言った。
彼(と敢えて記述する)は旧世代の遺物――彼の世界にとっては先進的なオーパーツと呼べる――、それも『当たり』を発掘中に突如地震に巻き込まれた。この場所に今立つ『彼』が発掘中だった『彼女』と体を一にしてしまっているのは、最大の異変なのだが。
今、ケイデンスが立っているのは『舞台』では無い。フアン、セラフィーナが立つのは冒険溢れる船上では無く、赤錆びた風が吹く荒涼とした文明の墓場でも無く――一言で言えば風光明媚な庭園だった。
年代さえ分からない、古い石造りの庭園。
少し肌寒く、少し強めの風が吹いている――
「……え? ……なに、これ」
綾の口が「ここ」と言いかけて実際には「これ」と小さな音を漏らす。
肩から下げた鞄がずり下がり、石畳に小さな落下音を立てていた。
「……ちょっと待って。
さっきまで普通に友達と買い物してたんだけど……?」
こおりの視界に広がるのは見慣れたショッピングビルのテナント、お気に入りのショップではない。
「学校にいたと思ったら、目の前が真っ暗になって、それで……」
綾は合気道の修練帰り。こおりはショッピング、葵は学校に居た。似たような経緯、似たような姿格好、似たような事情をぼんやりと口にした葵に二人が思わずコクコクと頷いた。
「原生生物の遺跡群に不時着したのか? 何だこの旧弊の文明は――」
「オゥ! こちら愛の宇宙戦士マイキー、どうやら未確認惑星に不時着したみたいだよ。
聞いてる……? コマンダー? こりゃ、聞こえてないね。通信障害かな……?」
それは、所謂一つの現代日本よりもずっと進んだ文明を持つ春胤やマイキーの常識からすれば余りに古めかしく、非合理的な場所だった。この場合、そんな反応を期せずして裏付けてしまうのがマイキーが着込んだままの重々しい宇宙服であった。形だけ再現するにも相当の苦労が要るそれは、『この場所で十分な機能を発揮するかどうかの問題ではなく』誰が見てもそう思わずに要られない『本物』である。
(庭園……神殿?
神の身元に召されたのじゃろうか?
それなりに務めは果たしてきたが、神に認められる程だったじゃろうか――)
そんな疑問に首を傾げたリュディアは何となくこの場の神聖を嗅ぎ取ったのかも知れない。
成る程、信仰の名残のようなものを感じさせるその場所は、『遺跡』のようでもあった。
天井のないホールのような――ただただ広い空間は多数の人影と喧騒に満ちていた。
敢えてまっすぐに結論を述べれば、『今』である。今まさに、何の前触れも無く、突然。数百――それ以上を数える何者か達が現れたのだ。この庭園に。
「な、な、なああ! なんですかこれはぁあ!!」
それは、観客無き荒野のマジシャン――ルイン以上の『魔法』である。
自己主張激しい設定をお持ちのリュスラスが叫ぶ。以下説明的に、実に力一杯に。
「私はな? 『「私達は人類の愛という感情に敗れた……しかし、私が愛という感情を知った時が貴殿等との真の決着の時。人類との共存は今は受け入れよう。北のグンマには狂気の死天王、西にはチバディストピア――我々の戦いはこれからはじまるのだ』とか何とか、今まさに目を瞑って敗北の口上を垂れていた真っ最中だったのに! 何だこれは!」
青天の霹靂
【読み】せいてんのへきれき
【意味】青天の霹靂とは、澄んだ青空に激しい雷鳴が轟くように、予想もしなかったような事件や変動が、突然起きることを指す。
「やっほー!」
――やっほー
――っほー
後は野となれ山となれ。嗚呼、生きているって素晴らしい――
生命賛歌の如き鏡花の声と、
「これがワタシの渾身のパンよ! ……ってあれ?」
空振りに終わった晴乃の決めの一言が、
「開けた場所にいると狙撃されるであります! 伏せるのであります!」
平和な雰囲気にピントの外れた和泉のそんな大声が清涼なるスカイ・ブルーを震わせた。
「……ん……ここ、どこぉ……?」
喧騒に覚醒したスピカが眠たげな――胡乱とした目で周りを見回す。
(そう、私は慣れた道を通っていつもの花畑へ行くはずだった。
でも、一瞬だけ。匂いも、音も、触れる木の感触も。何もかもがしなくなったのよ――)
こうなる前の状況を思い出そうと努力して――ソフィラは小さく嘆息した。
「…………ここ、は」
裂けて血まだらの服はそのままだったけれど、刺すような痛みは何処にも無かった。
そこは、傷付き、疲れ果てていたオズウェルの、
「私は死刑台へ上っていた筈なのに、ここは………」
そして、心を塗り潰すような――堪え難い慚愧と絶望の念に塗れていた敗北者(ジュディス)の見たのは、チープな想像力が『天国』の単語を囁くような光景だった。ましてや最愛の妹を救えず、無明の暗澹の中に居た彼女の事情を鑑みればその連想は尚更だ。
もっとも彼等が『天国』を連想した最大の理由はこの場所が文字通り『空高く浮いている』からに違いなかろうが。
「ファ――――!! はっはっはっはァ! とうとう召されましたかネ、ワタシ!」
何処まで本気か、奇妙なテンションで奇声を上げたのはバルドゥイン。
「察するにここは天国なのでしょう。
天国って本当にあったんですね。でもご主人様が来てないなら、よかった」
ラピスの脳裏に焼き付いた最後のシーンは崖から転がり落ちる馬車だ。
「……あー、あれですか。死後の世界って奴」
「で、あればご主人様がいらっしゃらないのは僥倖です」
合点いったと緩く応じたジオにラピスは頷いた。
袖擦り合うも他生の縁。現場が冥界の類(と彼女は思っている)でも同じである。
黄泉路は存外に賑やかなようで、少なくとも己の最後の奉公が主人を存命させたのだとしたらば――なんという救いだろうか。
「おいおい、ここが……あの世か?
消し飛ばされた右腕もちゃんと生えてやがるし……いやいや、盗人が行き着く先にしちゃあ、あんまりに小綺麗すぎるぜ」
「ううむ、雰囲気は合点がいくが……これがあの世か?」
ラピスの言葉に「皮肉ならかえってそんなもんか?」とキドーが口元を歪め、「それにしちゃあ、しごかれた体が痛む」とパンチョは眉を軽く顰めた。
「………うむ……極楽浄土の類、かえ?」
「では……ここにいる皆様方は、仏様、でしょうか?」
黒杣・牛王の余りにのんびりした問いと、自身とのギャップに霧緒が笑い出す。
「まさかこの身が神仏に到るとは! いやぁ、僥倖僥倖! 魔拳を揮ってさんざっぱら老いも若きも死なせたというに、閻魔の前ではなくこんな昼寝にも塩梅良さげな場所に来るとはの!」
「ああ、これがあの死後の裁きを受けるという神殿なのですね。
え? あれ? と言うことは……私とうとう死んでしまったのでしょうか!?」
牛王の勘違い、至極楽しげな霧緒や、フォルテシアのトーンが無意識の内に上がってしまった事を誰も責められまい。問題無く全ての言葉が通じる事さえ、そういう場所なら問題にはならないのだろうから。
「ここは天国? それとも地獄かしら? ……まあ、どちらでもいいわね。
神様が私を野放しにするのなら、また好きなようにさせてもらうだけ……」
「おや。遂にあたしにもお迎えが来ちまったかと思ったら……何だ違うのかい」
シスターの衣装を身に纏うメリンダは可憐な少女の外見を裏切る剣呑な雰囲気を抱いていた。てふは「ようやっとあの人に会えると思ったのにねぇ」と微かに笑う。
「――死したひとは遠い世界へ行くのだと、おじいさんが言っていたもの。
生まれたいのちも、同じように、遠い世界へ行くということなのね。
――ご機嫌よう。わたし、はぐるま姫よ。皆様は、だあれ」
「あ、あの……は、初めまして!」
そう問うたはぐるま姫に、緊張混じりのヨシュアが応えた。
「すみませんが、名前をつけてもらえませんか?」
「な、名前……?」
そんなやり取りをしていたヨシュアに海がそう水を向けた。
ヨシュアには要望の意味は分からなかったが、短い時間でも分かった事はあった。
(僕の住んでいた惑星では滅多に見かけない、知的な有機生命体がたくさんいる。
意思疎通も問題ないみたいだ。ここは……どこか別の星だろうか?)
仲間との通信は隔絶されている。当然ながらこんな事態は初めてだった。
……実際の所、この場所の正体はさて置いて、皆が口にした『天国』や『浄土』という表現はあながち完全な間違いとは言えないかも知れない。その人物が元々置かれた環境が『相対的地獄』ならば、確かにこの穏やかで美しい庭園はそういう類の場所にも見えるだろう。
「いや、悪行してた自分が天国に行けるわけがないか……」
仮に『天国』なる場所が一般的価値観が認める通りの概念を持っているとしたならば、肩を竦めてみせたサイズの言はもっともであるが――例えば繰り返される『実験』を厭うたA 01は、確かに永遠と言うべき有難くない日常(じごく)から逃れている。
ならば、ここは普遍的価値観がそう呼ばないまでも、彼にとっては天国と呼んで良い。
「ここは……とても綺麗だ」
短い言葉に万感が篭もる。少年は己が視界を滲ませたものの正体を初めて感情と知った。
「何故、僕は、立っていられるんだ?」
それは、不治の病に臥せっていた成練にとっても同じ事だ。
自身の足で立つ世界は、肌で感じる風の匂いの何と素晴らしい事だろう。
「影の国に、このような光があるはずは無いのだが……」
己が世界との余りにも明確な違いに戸惑いを隠せないエルの一方で、
(一体全体何事だ? ――そんなもん知るか、バカヤロウ)
気付けばズレていたサングラスを人差し指で持ち上げたアルクスズチープな己が自問に罵倒を返し、自分のペースを思い出す。
「ま、僕は僕らしくやらせてもらうさ」
「ここが天国なのか地獄なのかはさておき……」
「うーん、でも実際の所、天国じゃ無さそうだな」
「重要なのは情報収集ですね」と考えたティノーの言葉を継ぐように、マスカルポーネチーズのいい匂いをそこはかとなく漂わせたパン・♂・ケーキが呟いた。
「ええ、死後の世界かと思ったけれど、どうやら違うみたいね。
……静かに生きたかったのに、これじゃあ、そうもいかないかしら」
余りに『賑やか』な現状を含め、諦念顔をしたハイネは肩を竦めた。
「何だ、違うのか」と些か残念そうに呟いたアートは半ば以上本心でそれを言っていたが、当のハイネはと言えば内心は見えないが「でも案外悪くないかも知れないわ」と続けた。
「長く生きてれば、挫折も絶望も珍しくはない。
それでも、銃口の後ろに我が子の目を見るなんて救えやしない。
してみると、ここは有難い地獄ってやつかと思ったんだがね――」
生きているなら次はコネクションの一つでも必要になる。
とんでもない事態に巻き込まれた割には、余りにも『普通』ではないか。
「天国でも、地獄でもない。奇妙な生き物ばかりのここは……良く分からないな」
「何も分からない。分からないが……
ここは綺麗で、石畳(このみち)はとても寝心地がよさそうだ」
日だまりに目を細めるロクがそう言えば、「どっちでもいいさ」と周りの話を聞く心算も無く聞いていた風が応えた。
「見た所、ここには不思議な奴は多いみたいだが……クソ院長は見えないし。
ここが天国でも地獄でも、オレが願った『別の世界』なら、今までとは違う自分になれるかもしれないしな」
●XXX In WonderDream?
「おお……」
カタリナ・チェインハートはこの時、生来の彼らしい快活ささえ失っていた。
「……おお、ここは。ここは……」
夢遊に戯れるかのように、胡乱な様で足取りは不確かに歩き回っていた。
庭園が天国であるのか、別の場所であるのか。
天国自体をどう定義するかから始めなければならないこの難問はともかくとして。
グナエウスにとって世界とはローマを指し、ローマとは世界そのものであった。故に「ここはどこの属州であろうか――?」という質問は彼の中ではこの上なく明瞭で、この上なく結論に直進する問いだった。しかし、唖然とした彼が問いを素直に口に出せなかったのは、周りには明らかに彼の常識の外にいる生物(?)が闊歩していたからである。
聡明が故に彼の理解は夢や幻で事態を片付けず、片付けないが故に追いつかない。
(異教のファヌムらしき物も見える。
知恵の女神ミネルウァは如何様な意図を持ち、私をこの場に導いたのか……)
どうやら、この場所に居る多数の存在が特徴的な姿やプロフィールと同様に――それ以上に不思議な事態に巻き込まれた事自体は間違いがないようだった。
「素晴らしい、人類の探求の見果てぬ先。未知への扉が開かれたのか」
「ちょっとだけ、わくわくする」
「夢でも現実でも、なんだかおもしろいかもしれない」
反応こそ違えど、明美、セレン、秋良の三者の言葉は似ている部分があった。
すぐさまに『ダンタリオンの秘密書架』から白紙の本を取り出した明美の知的好奇心は過去に無い程に刺激されていて、同様にくっきりと浮かぶ未知を目の当たりにしたセレンの瞳は眼鏡の向こう側で輝いている。秋良が仰いだ太陽は、錯覚か何時もよりずっと大きく見えていた。
「へぇ……上から見たらこういう風に見えていたんだね。こうして見ると案外綺麗じゃないか。
……実に残念だ。喚ばれるのが分かっていたら、画材の一つも持ってきたのに」
独白めいたクローディオは非常なマイペースのままだった。
「あぁ、嫌だ、嫌だ……こんな事になるなら死んでしまえば良かった」
近くの石に腰を下ろし、紫煙を燻らせたアンドロメダが気怠く言う。
「システム再起動。状況変化を確認。診断モードへと移行します」
無機質なAIを思わせるソフィーヤの声が機械的に彼女の状況を確認した。
「モモちゃんピンク色の超――ぅかわいいボールを追っかけてたんだけどなーっ!
いつのまにかトリップしちゃった系??」
「不思議な声に呼ばれたと思ったら……わらわは、知らぬ世界に迷い込んでいたようじゃ」
おむすびころりんかアリス系か真夏の夜の夢か――些細な違いはあれど、風詩美や大神・凛の体験は不思議な童話の始まりのようである。
「夢……じゃないよね……?」
薄々とそうでない事は分かっていても、遥は無意識に溢れる言葉を止められなかった。
何処か茫洋と呟いた彼女の中からは先程の大事件――兄に食べられたプリンの存在も抜け落ちている。そう書くとかなり庶民的だが、まさに彼女にとっては衝撃だったのである。
「夢……じゃないと思うな」
メルセデスは誰に言うともなしの遥の言葉に応えるでも無く応えた。
「……僕は石磨きしてたはずなんだけど、何せ抓ったら結構痛い」
「頰をつねったら痛いから現実っぽいし、只じゃ済まない雰囲気がロップイヤーにビシバシ伝わってくるし……」
「布団で寝ていたいぃ……」と恨み節で言うリンはこの後を考えると頭が痛い。
「そこの人! 夢って、ある?」
「我が夢は神の御意志を実現する事! おお、神よ!!
鶏肉神よ、この世界にもフライドチキンを布教しろとの事でありますか!!
承知したであります!! 一心不乱のフライドチキン道、ご照覧あれであります!!!」
一先ず聞こえる範囲では周囲との言葉が通じる事を確認し笑んだ霞に、冗談のような姿で冗談のような真剣を謳う、冗談のようなカーネルが叫ぶ。
「構うかよ、寝たままか――醒めてるかなんてもの」
地に立ち、眼を開いた時。
クロバは長い眠りから覚めたような気がした。
それが幸せな夢だったのか、悪夢だったのかもわからない。分からないが、彼にとっては自分がクロバという名前で、”死神”、”虚ろなる夢”である事が分かれば十分であった。
「そう、それが重要だね。事実、これが夢なのかどうかは然したる問題ではない。
勿論、叶うなら夢で無い事を望みたいが――全く叡智と神秘だ……嗚呼、素晴らしいな」
見た目も性質も見るからに異なる知的生物(ないしは生物でない場合もある)同士の言葉が当然のように疎通している事実こそ、シエロを感嘆せしめている。
「外人さんがいっぱいだよ。
ええと、はろーはろー、まいねーむいずこーぎょく、はばないすでー。
日本語通じるの、まじ、なにそれファンタジー? ラノベ? アニメ?
うひゃあ、外人さんどころじゃない、人外さんもって――ごめんなさい、失礼しましたあ!」
若干所では無く、発言の隅々まで満遍なく自爆している紅玉の迂闊さは兎も角。
確かにシエロの言う通り。有史以来、あらゆる世界にこれ程完璧な翻訳機構があっただろうか。いや、間違いなく無いと言えるだろう。
言葉の違いは、生命体の歴史に幾度と無く大きな悲劇の爪痕を刻んできた重大事なのに、それに思い当たらない程広範囲に問題を生じないのは異常の一言だ。
伝説(ローカル)に過ぎぬ不確かではあるが、或いは『バベルの塔』が崩れる前の世界というのは、こんな形だったのかも知れない。
「む……此処は何処でありますか?
自分は、メイドこそ示強の存在であるという事を教えている最中でしたのに。
……それにしてもこの人の多さ…さては次の対戦相手の方々でありましょうか……?」
物騒なライフワークを邪魔されたモルタがやや不機嫌な調子で唇を尖らせている。
「足を滑らせ奈落にドーンと落ちてったはずが、はても見慣れぬ場所に!
時空を超えたか、はたまた世界線を飛び越えたか……」
ぼやいたオメガは「いや、ここは神殿。そも、小生を祀る為のものか?」と思い込み、
「敵の罠にかかってもうたのか? いやしかし、いきなり夜が昼になる訳が……」
「そも、ここは浮いておる」と蛇紋天は自身の乾いた声を聞いた。
「ねー!」
蛇紋天の独白に力一杯ミレンが同意した。
「ここ、なんで浮いてん!? うっそ、マジパないんですけど!
ねぇねぇ、アナタはどうなの? この景色すごくない!?」
遅れ馳せながらに「あ、そうそうところでアナタはだぁれ?」と来た彼女に蛇紋天は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、半ば呆気に取られている。
「何者かの襲撃? それとも、魔術の事故か何かでしょうか?
……どなたか、お話できる方がいれば良いのですけれど」
まずは情報収集を、そう考えた雀蜂の女帝――ザビーネの願いは幸いにもすぐ叶えられた。彼女の期待した事情を知っていそうな人々――この世界の住民である『純種』――は人混みの中とはいえ、声を聞く事が出来る範囲に居たのである。
「ここはあの『空中庭園』ですか!? 現地はこんな造りなんですねぇ」
図書館司書という職業柄か、博識で好奇心の強いユラゥがしみじみと言った。
「そう。ここが空中庭園なのね。
話には聞いていたけれど、私が呼ばれるなんて思ってもいなかったわ」
「まさか……これは予言の……?」
冷静なフラムの言葉にこの世界に伝わるお伽話を思い出したフロウは小さく息を吐いた。
「……ほう、これは。空中庭園というものはこうなっておったか」
フラムは言うに及ばず、純種であるフロウやシエル、
「もしかして、俺たち海へ出航できないのか? 置いてかれた?
そ、そんなあ〜! せっかく、海賊になれると思ったのに〜……!」
「噂に聞く『特異運命座標』ってやつか。まあ、なんとかなるでしょ……ねぇ?」
いざと臨んだ『絶望の青』の踏破に水を差されたペルルとサフィール、ビジュー兄妹は確かにこの話を知っている。但し膨れる妹にせよ、宥める兄にせよ。比較的落ち着いていられるのは当然ながら二人が揃っているからだ。重度のブラコンで、シスコンなのだ。
「……」
(あの人、機嫌悪そうですし……知らない人ばかりなのは……怖いです)
セラは最初この事態を夢を疑ったが、そうでないと考えてからは気配を殺して身を潜めるようにしていた。彼女が機嫌が悪そう、と見たクライムは実際の所、食事の直前に呼び出された為、誤解されるに足るだけ非常に目つきの方も悪くなっていた。
予備知識があったとしても巻き込まれるまで他人事なのは純種でも同じなのである。
「まさか、これが噂の特異運命座標……!?」
「……っ、これが……そうなのか」
遅れ馳せながらモルタ。気がつく前の衝撃、強い頭痛を振り払うようにヨタカは頭を振った。
「あら? あらあら? あらあらあら!
ここは――うふふ、とっても素敵なところね。こんなところ、今まで見たことないわ」
目を細めたイーリスはその外見、声色を裏切る事無く非常にのんびりしたお姉さんである。「何処かでこんな話を聞いたような」と口元に指を当てた彼女は、精々が二十代にしか見えない外見を今度は裏切り、案外長くを生きているこの世界の十人(ハーモニア)だ。
「こ、これは……もしや、夢達成の大チャンスなのでは……!?」
その夢は、世界中に分け隔てなく手紙を届けてみんなが手紙で繋がること――ナ・ユリマンにとって、今回の出来事は郵便配達員になって以来の天啓だった。
「これもまた人生の転機という事なのでしょうね」
「これ、選ばれちゃったって奴ですか! いやー、期せずしてビッグになっちゃうとはさすが私!」
大変な苦労人であり、砂漠の街(ラサ)で酸いも甘いも噛み分けたシーリーンにとって流転も変化もポジティブに捉え得る事象であった。言うまでも無く現在進行形で大きくマイナスに振れていた――具体的に言えば、路銀も食料も尽き、万策尽きていたルネにとってこの召喚は渡りに船である。
直接的な歓喜の声は幾分か調子に乗っていたが、ぼんやりと状況を捉えていた周囲の純種達に事実への実感を強く伝えるものになったとも言えた。
「空の上……そういえば傭兵のお兄ちゃんに聞いた事……ある。
特異運命座標の……話。ミアは選ばれた……の?」
ギフトのバックの中、お得意様に届ける依頼品の香辛料、その無事を確認して一安心していたミアは白猫の耳をピン! と立て、目をきらきらと輝かせた。
「ギルド条約対象……これは……ミアの価値……あがる……の!」
「ほう。本当にあるとは思わなかったけど……これは気に入った!」
吐き出した紫煙を蝶の形に揺蕩わせ、椿姫はあくまで上機嫌。
「ここが空中庭園なのだとしたら、わたし……!」
吹き上げる風に帽子を飛ばされないようにしっかりと抑えながら。
「わたし、普通じゃなくて、“特別”になれる……?」
『この瞬間までは普通で平凡な少女だった』あんずは、期待に胸を高鳴らせていた。
「なるほど、ここが噂の空中庭園か。
何度か話に聞いて一度見てみたいと思ってはいたけど本当に来られる日がくるなんて。
世界中の人どころか他の世界の人までこんなにたくさん集まっている機会なんてそうそうないだろうし、これは是非話を聞きたいね」
そう呟いたメートヒェンは周囲を物色し、
「クククッ! アハハハハッ!!! 時は来た! 運命の扉は開かれた!」
「ふむ……あやつらも気付いているのか?」
「ちょっといいかな?」と手近でそれっぽい高笑いを上げ始めたディエと何か知っているようなポーズを取り敢えず取るだけ取ってみた桜花に声をかける。
(人も、景色も、何もかも違う……
なのに、言葉だけは理解できて…こんな状況で、他人に色々聴ける人達が妬ましいわ。
……私も、声を掛け……でも……!)
「えーと、そっちの人もいいかな?」
「!!!」
エンヴィの葛藤は続け様に仕掛けたメートヒェンによって解消された。
「わー、すごい! 一度、異世界に飛ばされたってシチュエーションやってみたかったんだよね」
やり取りに玖累も加わってきたが、フレンドリーで人好きのする調子とは裏腹に、天性のトリックスターである彼にとっては元の世界は玩具。ここも新しい玩具といった気分である。
「強烈な直感に従って歩き出したら突然此処に来た訳っすけど……
ちょっと、おいらも混ぜて貰ってもいいっすかね?」
「なるほど……全く状況は分からない! けれど、なるようになれ、さ。宜しく!」
「……ふむ、なかなか面白き者どもが召喚されたようじゃの。
異世界の者もおるようじゃし、『手取り足取り』教えてやるわい。
最初は誰にしようかのぅ……ムフフッ♪」
これはチャンス、と歩み寄ってきたのはBernhardであり、レオナだ。
……ミカエラの親切が何処と無く邪に見えるのは気の所為だといいんだけどなあ。
(……昔の記憶があれば違ったのかな?)
古典的な方法で現状が夢でないらしい事を確認したスティアは一つ嘆息した。
無い物ねだりをしても仕方ない。受け入れられるかどうかは別として周囲のやり取りから状況は何となく分かったのだから、まずはそれを幸いとする。
「まぁなんだ。そこ行く人よ」
「……私?」
かけられた声に振り向いたスティアの先には朗らかそのものといった風のズイが居た。
「急いでいるのでなければ、好かったら一献飲んでいかないか。
何、案ずるな。これは酒でも何でもない。
大丈夫、私は上機嫌だからな、今日の露は極上だぞ。今は、今を楽しもうじゃないか」
ズイの盃の中身は『快喜露』。何処からとも無く湧き出るその滴の味わいは、彼の気分に応じて上限等ないかのように美味になる。気分が悪ければその逆だが、当人の言う通り――今日にとっては空模様と同様に曇り一つの心配もない。
「今日はパーティーなのかしら!」
世界には、絵本で見たような――見ないような人々。
否が応無くも、メルセデスの心は弾み、小さな胸は高鳴りを禁じ得ない。
「地に咲く花も、皆さんも。初めまして!」
「お外……!」
小さな体に自由への希望を漲らせたショコラの声は何処までも晴れやかだった。
鳥かごの中で完結しない世界は、何処までも無限に広がっているようにも思える。
目前に広がる光景は、伝え聞く御伽話、無責任な幻想以上のリアリティを備えていた。
「高……っ、俺観覧車とかでも怖いのに、無理ゲーだよ、こんなん」
仮想現実体験型のゲームには慣れているトートだが、慣れている故に『これ』が違うのはすぐに分かった。
遠く眼窩には豆粒のような街並み。雄大な稜線さえ雲の視界に霞んでいる。
「あれ……? マサキ……皆、どこ……?
っ……何だか頭が痛い……皆……みんな……? あれ……? 皆って、誰だっけ……?」
「何か……麺類……それかせめてみどりのたぬきを」
異常事態の衝撃の所為か、一瞬前まで像を結んでいた筈のクルシェンヌの認識が解けて消えた。気を落ち着けんとそれ等を所望している時点でやはり落ち着いていないのは名称が大体設定の全てを物語っていそうなアカイ・キツネ(膝に矢を受けている)。
「……ふぅ、これからなにをするかな」
ようやく落ち着きを取り戻したレアは呼吸を一つ落ち着ける。
「……ん、眩しいな」
即座の理解と解決を完全に投げ捨てたアイラは隅っこで弁当を広げ始め、
「もっこす!?」
「……大丈夫で……あるか?」
不幸な偶然で誰かの上に召喚(らっか)されてしまったらしい球磨が心配顔を浮かべていた。
「チッ……どうやら別の場所に出たらしい。
しかし、空気も良けりゃ緑も見える。あんな廃れた世界よりは幾分かマシっぽいか……」
訳が分からないまでも、一先ずあたりをつけたアルは舌打ちを一つして周囲を眺める。
身の上、反応、認識の現在位置からその心持ちまで様々ではあるが……
共通認識として、標高何メートルか考えるのも馬鹿馬鹿しい位、世界は空に近かった。
それだけでも感嘆には十分足るが、驚くべき事に、まさに全長で数百メートル、数キロはあろうかという巨大な庭園がこの蒼穹に佇んでいるのだから、奇跡の規模は中々のものだ。
(夢を見るような、何か浮かびあがるような感覚。召喚の常だ。何度やられてもこれには慣れない。だが、いきなり異世界に召喚されて落ち着いているのも俺くらいだよな)
アクトは苦笑いを浮かべた。彼の思う所は大体正解だが、今回ばかりは少し勝手が違った。何せ、同時多発的無差別だ。数が違いすぎる。
「ふむ。どうやら私以外にも突然呼び出された者が大勢いるようだね」
『彼』はアクトとさほど変わらず、落ち着き払っている。何処からどうその声を絞り出しているかは定かでは無いが黒い靄のようなものが『言う』。
「この世界の基本となる知的生命体は人型、でいいのかな? 楽しくなりそうだ!」
周囲を一通り観察してI=домyиy=Fincareが出した結論は明快だった。
「これから楽しいことが始まる気がする!」
「ええ、とっても楽しくなりそうね♪」
同じく愉快気な傍らの麗の言葉に応えた架凛を横目に見ながら、霊架が呟く。
「どの道……また、死ねななかった……壊れなかった……」
「これは――何が起きている」
「キキョウ、こんな素敵な場所、初めて見たわ」
己が戦場の痕は何処へ消えたか、と。咲月が訝しむ石畳の上をキキョウの木靴が踊る。
粗末な造りは忘れたかのように。羽のように、軽く。軽く。
「あれ? リリーは確か旅をしてて……なんで、こんな所に?」
「こんにちは……あれ、あなたは、こっちの人ですか?」
「初めまして、リリーだよ!」
妖精が人々を惑わす伝承は山とあるが、妖精を思わせる小人のリリーは今回は迷う側だったようだ。緑華は「成る程」と合点する。どうやら事情は同じであった。
「これは……別の世界……? っ、わ……っ!」
辺りに視線をやり、そう呟いた吹雪に不意に風が吹き付けた。
目元、口元をくすぐるそれはまるで意思を持ち、誰かをからかっているようだ。
それは、有り得ざる奇跡の庭園。
形を持った幻想、大いなる悠久、天空のサーカス。
「状況把握。まずは調査から始める。ミッションスタートだ」
一切合財が思い出せないが、トリガーが敗北だった事だけは覚えている。
記憶が飛ぶ位の痛恨ならば、それがゼロになったのは好都合、とアイン。
「筋肉野郎に負けたその先は異世界だぁ!?
こんな……好都合なことがあるか! ここでならば、新たに筋肉を鍛えることができる!
新たなプロテイン、新たなトレーニング、新たな環境……つまり成長ができるってことだろう……? いいじゃないか、興奮してきた!!」
些か偏っているが事態を歓迎しているのはストロンガンも同じである。
さりとて、問題が無い訳ではない。万全な者もいれば、そうでない者もいるのが現実だ。
「うーん……ここどこ? ボクも誰? ……あれ? 何だろ、このメモ……」
「ここは……僕は……いったい、何故ここに……?」
『自身への手紙』――メモ書きを拾い上げたノアルカイム、晃央の記憶の欠落は、
――さようなら、リィズ――
「は、早く帰らないと……えっ!? なんか飛べなくなってます!?
力も随分弱くなって……あわわわわ! こ、これじゃあ帰れないじゃないですかぁ……」
断片的に残る情報――今わの際にかけられた言葉から辛うじて自身の名だけは失わずに済んだリィズの圧倒的喪失は、エルエリーゼの嘆きの声は。悲劇を愛する神の御業か。
(何度も夢見た景色。待ちわびていた。そう、私は此処に来ることを知っていた――)
いや、恐らくは表裏一体なのだ。或いはこの時を夢想したユエの思う通りの祝福なのかも知れない。
「――けれど、そんなことはどうでもいい。私は自由になったのだもの」
リプレイ:YAMIDEITEI