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花涯ての旅

登場人物一覧

アルテミア・フィルティス(p3p001981)
銀青の戦乙女
アルテミア・フィルティスの関係者
→ イラスト

 綿雲を指先で追いかけて、穏やかな春の陽光をその身に浴びる。転寝をするには丁度いい日かしらと小さな欠伸を噛み殺せば、頭上の窓から影がずうと伸びあがる。垂れ下がった銀のカーテンに擽ったいと手繰る様に手を伸ばせば白い耳朶に指先がぶつかった。
「アルテミア、もう13歳になったのですからそんなところで転寝は駄目でしょう?」
 甘く跳ねた声音は甘えるようで。『妹』のその声にアルテミアは何かをねだっているのだろうと小さく笑みを噛み殺す。
「エルメリア?」
「今日は体調が良いのです。アルテミアさえよければ森へと散歩へ行きませんか?」
 メイドも貴女とならば許してくれる、とおねだりの上手になった妹に、アルテミアは小さく笑う。顔を上げた儘では首が疲れてしまうと一つ溢せば、エルメリアの影が逃げてゆく。窓越しに「行きましょうか」と笑み零せば、同じ色したベニトアイトが細められた。

 アルテミア・フィルティス――それが彼女の名であった。
 代々武を誇るフィルティス家に生を受けた彼女には双子の妹が存在した。エルメリア・フィルティス、生まれついて体が弱く武闘派たるフィルティスでは異色の魔術の才に長けた娘だ。
 剣の稽古と礼儀作法、社交界での嗜みと教養を身に着けるアルテミアとは対照的に日々をベットの上で過ごし穏やかに学術書を読むエルメリアは家の中では変わり者であったのだろう。それでも、アルテミアにとってはエルメリアはたった一人の妹、自身と命を分け合った双子の姉妹なのだ。
 双子だから。そう告げれば擽ったい。エルメリアとアルテミアは常に互いの気持ちが分かっていた。
 だからこそ、苦しみを分け合えぬ体の違いに心を酷く痛めたアルテミアは少しでも自身が得たものを分けて上げれるようにと側で淑女の嗜みと習った歌を聞かせ、物語を語る。剣の使い方に賊との戦い方など令嬢らしからぬ知識でも、余すことなく分け合って――エルメリアも自身の長けた神秘魔術の作法を彼女へと教えた。小さな使い魔を召喚する事や焔の魔術を意のままに扱える。二人の持ち得る知識を集めればきっと素晴らしい未来が切り拓けると彼女達は信じてやまなかった。

 だからこそ――エルメリアの『おねだり』が何かをアルテミアはすぐにぴんと来た。
 彼女付きのメイドに問い合わせれば、今日は体調も比較的良く、日光浴を兼ねた散歩を医師も進めているのだという。
 外出用のドレスに着替え、玄関口で待って居れば大きなバスケットを抱えてエルメリアが慌てたように駆けてくる。
「転ぶわよ」
「だ、大丈夫――わっ」
 ほら、とアルテミアはエルメリアを受け止める。腕に力を込めれば「何時の間に、私を受け止められるようになったのですか」と拗ねた声音が溜息の様に吐き出された。腕力は剣術にも必要でしょうと揶揄えば、むうとむくれ顔をして「行きましょう」とエルメリアは手を差し伸べる。
 その手を重ねて、二人揃って散策に出かけるのはフィルティス家本邸の森だ。近隣の森はアルテミアにとっては鍛錬の地であり、エルメリアにとっては草花の観察にうってつけの場所なのだ。繋ぐ手を離して、バスケットから図鑑を取り出したエルメリアは野端に咲いた草を、花を図鑑と照らし合わせる。観察に、採取――まじまじと見た後に「アルテミア、見てください。これは毒草です」と揶揄う様に小さく笑う。
「ど、毒草?」
「はい。けれど、使い方によっては薬にもなるんですよ。あ、それから、見てみて、アルテミア」
 楽しげに少し駆ける調子で進んでいくエルメリアの姿を見てアルテミアは小さく笑う。メイドがバスケットに詰めてくれた紅茶とクッキー、一口サイズのサンドウィッチ。エルメリアがチャレンジした見たかったという野イチゴのジャムと生クリームで作ったサンドウィッチとハムやレタスのサンドウィッチの二種類が入っている。
「エルメリア、転ばないようにね」
「アルテミア、けれどそのバスケットの中身を早く食べて欲しいの」
 折角作ったんだものと笑みを零したエルメリアにアルテミアはくすりと笑う。久しぶりの外出に少しはしゃいだ調子のエルメリアは幼い子供のようで可愛らしい。少ししか出生時間が変わらなくとも、それでも妹というのは可愛い存在なのだとアルテミアは笑みを零す。
 幼い頃はこうして二人でこの森を駆けた。手を繋いで、疲れて木の洞で眠ってしまうまで「エルメリアのことはまもってあげる」と冗談を告げては「私が守る」とむくれる彼女に小さく笑って――思い出すアルテミアに「こっちよ」とエルメリアが手招いた。
 同じ形の丸い眸に、そっくりとかんばせ、同じ色彩の銀の髪。妹には母の翼を、姉には父の強さを。分け合うように二人で一つ、だからこそ堪らなく愛おしいとアルテミアは小さく笑う。
 大切でかけがえのない妹が微笑んで手招いてくれる。この穏やかな日々が何時までも続きますようにと願うようにアルテミアは駆け出した。
「エルメリア、あまり無茶をしてはいけないわ」
「まだまだ元気なのに……」
「けれど……ほら、作ってくれたいちごジャムのサンドウィッチも食べてみたいから、この木の陰で休憩しない?」
 ぱちり、と眸を瞬かせて指先が頬に被さる髪を弄る。どうしようかと迷うときのエルメリアの幼い頃からの癖の一つと気付いてアルテミアは「私がそうしたいの」と微笑んだ。妹は自分のその言葉に弱い、そういえば「アルテミアがそうしたいなら」と直ぐに腰を下ろしてくれる。
「ふふ、有難う。さあ、一緒にサンドウィッチを食べましょう? エルメリアが作ったイチゴジャムが楽しみだったの」
 紅茶をカップに注いで、取り出したアルテミアにエルメリアはこくりと頷いた。じい、とアルテミアが準備をする様子を眺めるエルメリアに「楽しみなの?」とアルテミアは問い掛ける。妹は何時だって、じいと此方を見てくれる。興味津々、好奇心旺盛で、元気ならば深緑の森に向かいフィールドワークを行うのだろうと考えたこともある……それは彼女の体が弱いからこそ、叶わない夢なのだけれど。
 アルテミアにとって妹のその視線は心地の善いものだった。しかし、エルメリアが向けるその視線はアルテミアが思い描いているものとは大きく違ったのだろう。その瞳の愛情は焦げ付くように炎を湛える。紅茶を飲むアルテミアに視線をちらと向けるエルメリアはどこか恥ずかしそうに視線を逸らす。こんな野草を見つけたの、野イチゴのジャムの味わいは、そんな他愛もない談笑を木陰でのんびりと過ごす時間がアルテミアにとって、そして、エルメリアにとって、何よりも幸福であった。
 アルテミアから見ればエルメリアは良き妹であった。自身を愛してくれる、そして自身も彼女を愛している。家族という形があるならば、これは幸せの象徴なのだと――そう思う。白詰草を結わえ、花冠を幼き日に作ったことを思い出し、アルテミアは「エルメリア」と呼んだ。
「花冠の作り方は覚えてる?」
「勿論。何方が綺麗に作れるか、挑戦してみましょう? 『お姉様』」
 こんな時だけ、お姉様、と揶揄い呼んで。姉の威厳を見せてあげると張り切ればエルメリアはくすりと笑う。黙々と花冠を作る内にアルテミアの瞼は次第に重くなる。真剣な妹の横顔を眺めるだけで嬉しくて――満足に動かぬ体を横たえてベッドの上で悲しげに目を伏せているかたわれが今はこんなにも明るく微笑んでいるのだから。
 うつら、うつらと意識が遠のいていく。温かな陽光の下で握る花が少し草臥れた。

 ―――――
 ――
 花冠が出来たと顔を上げたエルメリアはぱちり、と瞬く。気付けば穏やかな寝息を立てる姉は微睡みの縁。
「アルテミア」と小さく呼べども反応はない。この穏やかな陽光に溺れるように眠ってしまったのかとエルメリアは小さく笑みを浮かべた。
 じい、とその顔を見る。そっくり、瓜二つ、同じだと称されるかんばせでもエルメリアが見ればどこも似てなんかいない。アルテミアの睫は長く上向き、形の良い唇は自分よりもつん、と尖らせることが多い。髪の色だって、彼女の方がより暖かな銀をして居る。それがかたわれで有るからかどうかは分からない――ただ、アルテミアの寝顔を眺めて居ると自身の感情が沸き立つことに気付いた。
 秘めた想いが其処にはある。
 愛しい姉。
 愛しい人。
 ――この心は決して姉妹愛、家族愛なんかじゃない。感情に名前を付けるならば、それを『恋心』と呼ぶのだ。
 木に凭れて眠るアルテミアの寝顔をまじまじと覗き込んだ。固く閉じられた花瞼に規則正しい吐息。色づいた形の良い唇にその視線が釘付けになる。
 今なら。
 ゆっくりと、距離を縮める。あと、十――あと、数センチ。
 形の良い唇に自身のそれを重ねたいという衝動を恋と呼ばずに何と呼ぶのか!
「アルテミア」と囁いた。吐息を混じらせ、心に沸き立つ想いをぶつける様に近づいて――ふいに、彼女の唇が動く。
 エルメリア、と。名を呼んでエルメリアはびくりと肩を揺らして仰け反った。

 今、何を。
 今、私は――何を……?

 此の儘、アルテミアが名前を呼ばない儘であったならば、自分は今、どうしていただろうか?
 自身の血液がさあ、と下がってゆく感覚に、唇が震える。姿勢を正そうとすれば、ぐらりとアルテミアの体が倒れてゆく。凭れる木から身動ぎ一つで支えを無くしたのだろう。慌て、受け止め、膝へとそっと転がせば小さな子供のようによく眠るアルテミアの頬が赤いドレスへと埋もれてゆく。
 今、何を。何度もその言葉を反芻した。飲み込みきれない儘の感情を音を立てて昇華する。かあ、と頬に熱が上り冷えないままの感情に戸惑いを隠しきれない。それでも――自己嫌悪の中に名残惜しさが入り混じっていることは否定できなかった。
 此の儘、唇を重ねれば。恋とは下心だ。どろりとした欲求を姉にぶつけたいと願うのは同性で――そして、双子の姉妹が抱いて良いものではないのだ。唇を合わせその体に触れたい。欲求をぶつけるように、掻き抱いてしまいたい。汚らわしい想いから逃れるようにエルメリアは首を振る。彼女は双子の姉で、家族で、同性で、決して許される感情ではないのに――世界がアルテミアで構築されていたエルメリアにとって、その感情は当たり前のように存在した。
 武家に生まれたものの、武に長けず体の弱い自分自身。魔術に長けていようとも剣を握れず戦にも赴けなければ価値などと涙を流したものだ。それでも、アルテミアは側に居て、教え、そして、世界をくれた。見た事の無い草原に花畑、美しい街並みに、その全てを語って聞かせ、手を引いてくれた。きっと、彼女がいなければ、私は生きていることなど出来なかったから。そう、エルメリアはアルテミアを見下ろした。
「……お姉様」
 妹のように眠ってしまった優しい姉。私の世界の中心――私を構築する全て。
 この感情を依存と、恋慕と呼ぶならば、それをも許容しなくてはいけないとエルメリアは考えていた。
 ……アルテミアを想うことを止める事ができないならば、せめて押し殺していなくてはならないから。
「ふふ」と膝のアルテミアが安心したように笑みを漏らしてすり寄った。ぞわ、と指先に感じた彼女の感覚が一気に体を駆け回る。ああ、感情が溢れそうで唇が震えてしまう。
「これからも、ずっと……一緒よ」
 そうね、アルテミア。……ずっと『姉妹』の儘で一緒に居ましょう。
 眠る彼女の寝言にまで、心を掻き回される。ぐちゃぐちゃになった想いを飲み込めないまま、エルメリアはアルテミアの頬に掛かった髪を擽った。自分のものよりも美しいと感じる銀の髪――今、これほどまでに近しい距離に居るのに、どうしてか距離は遠く、遠く感じてしまう。
「……私が、護るわ」
 ええ、ええ、私も貴女を護るわ。
 アルテミアの寝言は、何時だって自分自身を慈しんでくれていた。姉だから、家族だから、そう言ったものではない、もっと綺麗で――もっと尊い、決してエルメリアが抱けない感情だ。すきよ、と音もなく彼女に降らす。
「……何をやっているのだか」
 自嘲の笑みが唇から溢れた。姉の頭を撫でて視線を落とす。愛おしい。眠りに着いた彼女の吐息に息を吐く。

 好き。
 ……この想いはこの命の涯てまで抱いて隠して、悟られぬように生きていかねばならない。
 好き。
 ……貴女の声も、貴女の表情も、全てが私と違うから。どれをとっても愛おしい。
 好き。
 ……側に居られるだけで良い。貴女が幸せになればいい。貴女の幸せの傍に、そっと居させて欲しい。
 好き。
 ……決して敵わぬ恋でも良いの。貴女が、微笑んでいてくれるのならば。

 だから、幸せになって。アルテミア。この穏やかな日が生涯続きますようにと、祈らせて。
 戦えない私でも、せめて貴女を護る力が欲しい。私だって、貴女のことを護りたいのよ。
 すう、と肺の奥深くから息を吐き出した。ぱちりと瞬いてから、頬に被さる髪を緩やかに指先で遊ばせた。
「……おやすみなさい、アルテミア」


 エルメリアは目を伏せて歌を歌った――アルテミアが幼い頃に教えてくれた、子守歌。
 花涯ての旅は、決して離れないふたりのしあわせなお話だとアルテミアは言っていた。
 まるでアルテミアとエルメリア、二人を表すような、素敵な素敵な唄なのとアルテミアが微笑んだことをエルメリアは忘れない。

 ――ねえ、エルメリア。とっても、素敵はお話なのよ。

 ――アルテミアが素敵だというならば、きっときっと素敵なのね。

 ――一緒に歌いましょうね、エルメリア。

 思い出して、大好きなその歌を口遊む。アルテミアは熱で魘された私の傍で歌ってくれた。
 何時までも一緒よ、と微笑んでくれる彼女の言葉が、思いが込められている気がして。

 丸いお月様 ひとつ、わたしを見ているの
 揺れる花弁 ふたつ、あなたを見ているの

 耳を澄まして すぐそばにいる
 わたしとあなた ずっと、ずっと 一緒
 いのちのはて いのちのたび
 このいのち おわるまでずっと――

 穏やかな日差しの下で、共に目を伏せて少し眠ろう。起きたら二人で笑い合って手を繋いで帰りましょう。
 これから、ずっと、一緒に年を重ねて、幸せを紡いでいけるはずなのだから。

 ――……ずっと、一緒だと、思って居たのよ。アルテミア。

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