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ローレットの女二人
登場人物一覧
フラーゴラ・トラモントは人の生き死にはあまり関心が無かった。
もっと正確にいえば、自分と接点が無い人物の死などどうでもいい。
先ほど憲兵が突然押しかけてきて、近隣で起きた殺人事件についてあれやこれや詰問されたが、ただひたすら「面倒臭い」という感情だけしか湧き上がって来なかった。
「おじゃましぁす」
「ん……」
屋内からそういう声がした。扉を開ける気配はしなかったのだが。
フラーゴラは不思議に思いながらも、嗅ぎ覚えのあるイヤな臭気が漂ってきてどちらさまが家に踏み入っているのかすぐ察しが付いた。この臭いは鏡という人物のものだ。
「……何人?」
「一人、今日のはあっちから声かけてきたお兄さんです」
憲兵が躍起になっていた原因を理解して、フラーゴラは手で額を覆った。
「ワタシのとこに来るなら……ちゃんと洗ってきてって言った……鏡さん、臭い……シャワー貸すから……はやく流してきて……」
「はぁい、ごめんなさぁい」
フラーゴラに咎められた鏡は間延びした声で、形ばかりの謝罪を向ける。フラーゴラは表情を一層顰めた。
このままだと長い説教を食らいそうなので、鏡は衣服をぽいぽいと脱ぎ捨ててそそくさと風呂場へ向かう。
「……まったく、鏡さんったら……」
フラーゴラは鏡の脱ぎ捨られたいった衣服を拾い上げる。別に、同性愛といった趣味があるわけでない。だが、どちらにしろ褒められた事ではないだろう。『人を殺してきたばかりの知人を迎え入れて、血塗れの衣服を洗い流してやろう』というのは……。
あべこべな二人が出会うに至るきっかけは、少々奇妙な経緯があった。その前に鏡という存在について話さなければならない。
鏡というレガシーゼロは、
レガシーゼロという存在については最近になって『果ての迷宮』から発掘された種族で……詳しい事は幻想の考古学者達にでも尋ねた方がよかろう。論点は彼女自身が度し難い悪癖を有している事だ。
そもそも武器の性分は、人を斬る事にある。もっと言えば効率良く人を殺傷出来るかどうか。それを目的に創られるはずだった鏡の性分も、人を斬る事に違いなかった。
だからこそ彼女は強いヒトを斬っては
彼女の性分を抑え込もうなどというつもりはない。ローレットに所属した以上はむやみな殺人は咎められるといえど、人を斬るのが楽しみというのは変えられなかった。
これは『性癖』といっていい。強いヒトを斬る事以外にも、特に鏡は綺麗な女性や可愛い子供を斬る事を好んだ。フラーゴラと知り合った最初の原因は、そんな対象として彼女が選ばれた事にある。
とある季節に、幻想の一角で人斬りが横行していた。
斬られているのは決まって女子供や、犯人を捕まえようとした動いていた憲兵。そんな事が続けば当然住民達は閉じこもってしまう。
そうなって鏡は獲物が見つからず、血に餓えた。やり過ぎてしまった。ナンパを仕掛けてくるような男すらまともに捕まらない。
耐えがたい飢餓に見舞われながら、そんな最中に鏡はフラーゴラと出会った。正確に言えば、鏡から一方的にフラーゴラへ目を付けた。
自分の黒髪とは違う、綿のような白髪。ここらでは見かけない、海と夕日みたいな色合いのオッドアイ。何よりも、男より筋肉がついていない彼女の肉は斬ったらとても柔らかそうだ。
鏡はフラーゴラを今日の獲物と決めて、付け狙った。路地裏に入っていくのを見て、そこで決着をつけようとした。
「……だれ?」
路地裏に入ってすぐ、フラーゴラはそう声をあげた。鏡は名乗り出ようとしたが、彼女の前に居る人物を見てやめた。フラーゴラが話しかけているのは目の前の男に対してだからだ。
「フラーゴラ・トラモントだな?」
男がそう話しかけると、フラーゴラの体はビクリと強張った。彼女もローレットの傭兵である以上は、誰かに狙われる覚えなどいくらでもある。彼女のそんな様子を見て、男の方はすぐ剣を抜いて斬り掛かった。
「アトさん……!」
武器を持っていないフラーゴラは、この場にいない知人へ助けを乞うた。その瞬間、ギャリギャリと金属同士が激しくこすれ合う音が響く。
フラーゴラがおそるおそる目を開くと、男は腹へ横一閃に胴体が断ち切られており、納刀の鍔鳴りがすると同時にその上半身と下半身それぞれ別の方向に崩れ落ちた。
フラーゴラよりこの男を優先して斬った理由について、鏡自身も分かっておらぬ。単に獲物を掻っ攫われそうになった事を不服に感じたのか、飢餓が過ぎてこの男でもいいと思ったのか、彼女が助けを乞うたその名前の人物が気になったのか。
「まぁ、今日はこれでいいかぁ」
何にしても、鏡にとっては思わぬ収穫だった。不意打ちだったにも関わらず、一太刀目を防がれて二の太刀を使わされた。たぶん、それなりに腕に覚えのある傭兵だったのだろう。フラーゴラより格段に味は落ちるだろうが、それでも飢餓は満たせて満足だ。
ご馳走は空腹の時に取っておくのがよい。上機嫌にそう考えながらも、その場から立ち去ろうとした際に、助ける形となったご馳走――フラーゴラから声を掛けられた。
「……あの……よろしければ、お礼がしたいので家に寄っていきませんか……?」
縁とは全く奇妙なものである。あの後すぐに二人とも同じローレットの所属である事が分かり、仕事や対人関係についての共通の話題で意気投合した。
「……鏡さん、紅茶がいい? それともコーヒー……?」
月日が経って、鏡は今日もコーヒーを口にしながらフラーゴラへ例の話題を問い尋ねる。
「で、彼との仲はいかほどにぃ?」
「……もう、鏡さんったら……」
鏡から茶化すように恋バナの話を向けられて、フラーゴラは頬を赤らめて恥ずかしがった。恥ずかしがった上で、結構乗り気で話し始めた。
フラーゴラには好きな人がいる。――その人物についての詳細は割愛するとして――彼は「君の左目の色と同じだ、お似合いじゃないか」と言ってくれただとか、クリスマスに一緒に出かける約束をしただとか、夕日と海色の目をキラキラさせながら語っていた。
鏡はそんな彼女を見て微笑ましく思った。見知った対象の人間模様というのは、ヒトによっては一種の娯楽だ。対岸で結婚式が執り行われようが、その場で火事が起ころうが。自分が被害に遭わないのなら見て愉しめるというものだろう。鏡はそういう意味合いでも悪癖を持ったヒトであった。
とはいえ、鏡も間違った知識を植え付けて破局に追い込もうというつもりも毛頭ない。フラーゴラが惚気ているのに対して、「確かに宝石の様に綺麗な瞳だがその台詞はいささか気障だ」とか、「クリスマスに二人っきりだなんてここは攻めるのがいいんじゃないか」とか、彼女の気に入りそうな返答で相槌を打った。
そして恋路の行く末を見守るのほかに、彼女と良好な関係を築き続けたい理由がもう一つある。
しばらくそういう話題を話し込んで、鏡はふとした拍子に雑談を切り上げる。「そろそろ帰らないといけない時間ねぇ」と彼女は言った。
「シャワー貸してくれてありがとう。それじゃぁ、私はこの辺でー」
「……もう遅いし、お家まで送っていこうか……?」
「だめですよー。子供は出歩かないようにー」
鏡はフラーゴラの申し出に冗談っぽく答え、ちらりと窓の外を見る。
「こわぁい人が獲物を探してるかもしれませんからねぇ」
今宵の獲物は一体どんな味がするだろう。鏡は窓の外を眺めて、その期待から舌をなめずった。
……鏡にとっても不思議だったが、「フラーゴラ・トラモント」という少女に対しては結構な頻度で身元不明の傭兵が差し向けられていた。つまりは、暗殺者だ。
鏡自身とて、人斬りの犯人だと察知した勘の良い憲兵や傭兵から戦いを仕掛けられるというのはそう少なくはない。ローレットである以上は、仕事で斬った相手の関係者から恨みを買った案件もあるだろう。
ただ、だからこそ疑問あった。フラーゴラについては人の生き死に無関心であれど、鏡が見てきた限りでは好き好んで他人を殺す性分ではない。ローレットとしても新進気鋭。ここまで暗殺者を送り込まれる人材ではないと鏡は感じていた。
「死ぬ前にー、どなたからの差し金か白状してくださいますかぁー?」
「…………」
鏡は両腕を失った傭兵を見下ろして、フラーゴラを付け狙う理由を問い尋ねる。無論、白状したからといって生かしてやるつもりはない。食べ残しは行儀が悪い。
返答を待っている内に、傭兵は結局自ら舌を噛みちぎって死んだ。わざわざそんな苦しい死に方を選ばなくとも、首を刎ねてやったというのに。鏡はそう残念がりながらも、フラーゴラという人間に対して考えを馳せる。
彼女は自分に隠れてエグい犯罪をやっていたのか、それともローレットで大きな仕事をやってのけたのか、あるいは、『トラモント』という出自に何かあるのか。
彼女との付き合いはそこまで長いわけではないし、そのどれもが可能性のある。
そのような事を色々考えるも、目の前の死体を眺めて「斬る相手のあてが増えるのだから、いいか」と鏡は得心し、今日も上機嫌にフラーゴラの家から立ち去るのであった……。