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トロンプ・ルイユの霧

登場人物一覧

ポシェティケト・フルートゥフル(p3p001802)
白いわたがし
ポシェティケト・フルートゥフルの関係者
→ イラスト

 小さい頃の思い出はまるで霧のよう。
 ぼんやりふわふわ甘いのに、目が覚めたら消えてしまう。
 霧の湖、柔らかな灰色の日、そっくりのお顔。
 朝露を飲んで、新芽は半分こ。樹の洞で重なって眠るから、風が冷たい夜だってへっちゃらよ。
 優しい毛繕いをして、三人で一緒に眠るの。
 でもね。
 ある日、白い服を着た知らない人がやってきて、いっしょに暮らそうと言ったのよ。
 もちろん、二人も一緒でしょう?
 でもね。振り返ったら。
 だあれも、いない。

(いいえ、赤いお花が咲いてたじゃない)


● 
 彼女の晩餐はとても気まぐれ。けれども時々気まぐれじゃない日がやってくる。
 可愛いあの子が来る日には腕によりをかけて作るのさ! とは『月光蝶々の魔女』エルマー・ギュラハネイヴルの談。
 ソファにはキルト。食卓の盛り籠にはふかふかのパン。暖炉の鍋には野菜がごろごろ入ったシチュー。
「おや、もうそんな時間かい?」
 飛び始めた月光蝶々の囁きに、蜜蝋のキャンドルに火を灯した。
 窓の外はすっかり暗い。肌寒くなってきた秋の夜に、小さな魔女はふわふわ羊のガウンを羽織った。玄関のカンテラに火を入れなくちゃと扉を開けると……。
「こんばんは、エルマー」
「わっ、びっくりした」
 師を見て育ったおかげか鹿もなかなか神出鬼没。
 小さい頃からひょっこり顔をのぞかせて、お師匠さまを驚かせるのがお得意だ。
「お土産、着てくれているのね」
「もちろん。長年生きてきたけれど、こんなに着心地が良い服があるなんて知らなかったよ」
 ほっぺを合わせてご挨拶。
「さあ、中へお入り。ちょうどシチューができたところだよ」
 背の高さはもう随分違ってしまったけれど、エルマーにとって『謡うナーサリーライム』ポシェティケト・フルートゥフルはいつまでたっても可愛い子のままだ。

「ねえ、エルマー。ワタシがはじめてのおつかいに行った日のこと、おぼえてる?」
「君に関して僕が覚えてないことは何も無いよ、かわいこさん」
 橙色のキャンドルライトが優しく揺れる。
 思い出にも顔にも花が咲き、ポシェティケトは鈴のように笑い声を転がした。
「あれは、楽しかったわねえ」
「ほんとうだね」
 エルマーは頷いた。小さな手がカシャンとスプーンをひっくり返したけれど凄腕の魔女は相手に気づかせない。
「おてんばさんが楽しそうにおしごとしていて僕もとても誇らしかった」
 焼きたてのパンをひとちぎり。
(そうそう忘れられないさ)
 思い出すだけで今でもひんやり。
 けれども月光蝶々の名にかけて、優雅な姿勢を崩さない。
(あんなに優しくて温かい)
 遠くなった紅薔薇の瞳。ポシェティケトはあの日と同じ、白い三つ編みを揺らしてシチューを頬張る。

 ――呪いを見た日は、ね。




「おーい、かわいこさーん。どこだーい」
「はーあーい」
「わっ、びっくりした」
 テーブルクロスの下からひょこりと白いつむじをのぞかせたのは小さなブルーブラッドの子供。
 丸い鹿角の先、柔らかな白銀の産毛。ふにふにと頬をすりよせながら養い親に抱きついた。
「なあに?」
「うん。実はね、この薬草を野原でつんできてほしいんだ」
 ようやく人の形が安定してきた小鹿はすんすん、鼻を近づけた。
「しってる。おゆに、はいってる、はっぱね?」
「そう、よく分かったね。いつもお茶にして飲んでいるやつさ。できるかい?」
「おまかせて!」
 初めてのおつかいにポシェティケトは意気軒高。いっぱい摘んでくると長い三つ編みを揺らしてはりきった。
 目的地は裏の野原。なんと片道5分の大冒険である。さあ、籐で編んだリボン付きのかごを持って。
「いってきまーす」
「鹿ちゃん、可愛いお洋服をわすれているよ」
「やーん」

「……と、まあ。僕もだいぶ子育てに慣れてきたからね。過保護にならないよう、そろそろあの子を一人で行動させる時期だと判断したのさ」
『月光蝶の八割を護衛につけておいて過保護では無いと言いきる、そのふてぶてしさだけは認めますわ』
 魔女は優雅にお茶を一口。
「必要最小限だよ。もし不逞の輩が森にいても、見つかる前に埋められる」
『今日の森は物騒ですわね』
 馴染みの魔女友は水晶越しに呆れ声。それに、と続けるエルマーの声が僅かに曇った。
「気にしすぎだとは思うんだけど最近あの子の姿をよく見失うんだ。……おっと、もう切るよ。言った通り、今は非常に忙しいからね」
 空色の水晶から光が消える。ロッキングチェアーに座ったまま、エルマーは大きくため息をついた。
「まったくタイミングの悪いこと。貴重な光景を見逃したらどうしてくれるんだい。さて、あの子は今どこにいるか、な」
 蝶の羽ばたきに耳を澄ませた魔女は椅子を倒して立ち上がった。
 外にはいつの間にか霧が出ている。

 ――白い子鹿が、どこにも、いない。



「?」
 今日はいつもの野原じゃないみたい。
 でもね、鹿は不気味もだいすき。
 霧に包まれた森は白くて、木も草も葉っぱも、全部がぼんやりした灰色になるの。
 みんなみんなワタシとおんなじお色。おそろいなのよ。

 ――おーい。

 みつけた草をお口が勝手に食べないように、歌を口遊みながら小鹿は跳ねる。
 薬草をたくさん摘んで帰ったら、エルマー、きっとたくさん喜んでくれるわ。
 濡れた草原の上を泡のように小鹿は歩く。森の奥へと誘われるように。
 大きな木は高くてぼんやりゆらゆら。まるで灰色の塔みたい。
 鹿もいつかは、あんなに高く大きくなれるかしら?
 なるのよ。ふぁいとよ。
 柔らかな蹄は草を傷つけず、足跡ひとつも残さない。

 ――おーい。

 白銀の子は霧の中へ溶けて消えた。
 血のように赤いひなげしの花が二輪、見送るように咲いている。



「まったく、僕としたことが!」
 清月を宿した月光蝶の群れがエルマーを中心としてつむじ風を起こす。
「あの子の特異運命座標属性に気づかなかっただなんて、平和ボケし過ぎたのかしら」
 彼らには世界からギフトと呼ばれる贈り物が与えられる。
 祝福、加護、裏を返せばひとさじの呪いとも言えるその能力は千差万別。
「痕跡一つ残さないだなんて。優秀なのやら困るやら……ん?」
 小鹿のギフトは恐らく外敵から身を隠す為のものだ。ふわふわのあしは植物を傷つけない。裏を返せば足取りが追えないと云う事。
 それが今、己や蝶にも存分に発揮され、魔女は思わず苦い顔。
 小鹿が己の身を守れるようにと誰かが願った祈りの形は限りなく彼女の存在を希薄にしている。森に棲む魔女エルマーですら、その存在が感知できないほどに。
 お菓子の家へと続く道しるべが無ければ、一体どうなっていたことか。
「ああ。しかしその前に」
 ギフトは本人が気がつかない危険の中で発動することが多い。肉ある幽幻、無垢なる魂。どうやら森の小鹿の愛らしさは狭間に棲まうモノにも通用するらしい。
 死が、境を越えようとしている。
「僕の庭に手を出した不埒ものに上下関係をきっちりと教えておかなくてはね」
 朧に光る薔薇の杖に黒い茨が巻きついた。



(だいじょうぶだよ、きっとまもってあげるからね)




「あらまあ、しらないばしょね」
 小道の両脇にはぐねぐね曲がった大きな木。どれも手を伸ばすように黒枝を垂らしている。霧に遮られ、昼の森とはいえ薄暗い。見えない奥へと続く灰砂色の道だけが、明瞭な輪郭を保っていた。 
「これは、だいぼうけんだわ」
 小鹿は完成した薬草のブーケをふりふり歩く。持ち切れなかった分の薬草はしっかりと三つ編みの隙間に挿しこんでおいた。
 歩く度、緑の葉が髪からポトポト落ちていく。

 ――おーい。

「?」
 誰かに呼ばれた気がして、小鹿は振りかえった。
『おへんじ、しちゃダメだよ』
 霧の中から囁くような声が聞こえた。
「あなたは、だあれ?」
 声は、答えない。
『お呼ばれしたときのお約束、おぼえてる?』

 森の中で呼びかけられたら気をつけなさい。
 もし三回以上、一声で呼びかけられたらそれは森の狭間に棲むもの。人ではないわ。
 応えちゃだめよ、遠い所へ連れていかれてしまうから。

「うん」
『そう、よかった』
『そろそろ、いくね。あえてよかった、ポシェティケト』
『フルートゥフル家の名に恥じないように、生きるのですよ』
 ひそひそ。ひそひそ。
 手を繋いだ二つの灰色の影が靄のなかに溶けて往く。
「まって」
 あなたたちのお声は知ってるわ。
 思い出せそうで、思い出せないの。

「子鹿ちゃん!!」
「エルマー?」
 ポシェティケトはハッとした。
「良かった、ここに居たんだね!!」
 魔女が小鹿を力強く抱きしめている。
「あらら? おかしいわねえ。いま、エルマーがとっても大きく見えたきがしたの」
「影じゃないかな」

 ――おーい。

「ねえねえ、だれか、ワタシのこと呼んでる。きこえる?」
「あれはね。森の悪い部分さ。一声しか言わない無礼者。けして返事をしてはいけないよ」
「さっきも、こえがしたの」
「知らない人について行ってはいけないよ。さあ、家に帰ろう」
 魔女は手を差しのべた。
「やくそう、いっぱいよ。おててで、もちきれなかったから、かみにさしたの」
「本当だ。これは取るのが大変そう……いやいや、よくがんばったね。ありがとう」
「うふふ」
 頭を撫でられて小鹿はご機嫌。繋いだ手をぶらんこみたいに大きく振った。
「そういえば、エルマー。どうしてここにいるの?」
「……シフォンケーキが焼きあがったから呼びに来たんだ」
「しかは、ふわふわのケーキ、すきよ。たのしみねえ」
 その時、魔女の台所が戦場と化した。
「それにバラの杖もいつもと違うわ。りんごと同じお色」
「……ケーキ好きの杖だからね。喜んでいるんだよ」

 霧の森。黒棘の茨が巻きついた石碑の下に黒い水溜りが広がっていた。土の中から五指を這わせた枯木は忌々し気に土の中へと沈んでいく。
 水気が薄れ森の空気が澄み渡る。
 小道の脇、捻じれ黒樹は墓標の代わり。土の下六フィート、眠る躯の数は……。

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