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ごめんなさいとありがとう
登場人物一覧
イレギュラーズ達の活躍により、平穏を取り戻した妖精郷アルヴィオン。
厳冬を越え常春を取り戻したこの地に、暖かな日差しが降り注ぐ。
黄金色の光にまぶたを焼かれながら、ふかふかのベッドの上で妖精族の少女が一人目を覚ました。
体がずっしりと重い。随分と寝過ごしたような、気怠い目覚めにフィーリは眉を潜めて目を擦る。
長い夢を見ていた。そんな気がする。
でもそれは夢ではない、そのことをフィーリは肌身を持って実感していた。
けれど、今は帰ってきた日常の中を歩き続けなければならない。
深緑の森は秋、一年のうちで最も恵み深く、冬の前に蓄えなければならない。
夜露を湛えた井戸から水を汲み顔を洗うと、軽く朝食を済ませて篭を手に取る。
虹の門アーカンシェルをくぐり抜ければ、迷宮森林へとひとっ飛びだ。
——花弁集めて、鍋で煮て。瓶に詰めて、お菓子を焼こう——
花摘み唄を謡いながら、手足に結わえた鈴を鳴らしてあちこち飛び回る。
りん、りん、りん。生い茂る木々をすり抜けて、蝶のような羽が羽ばたくたびに鈴が鳴る。
「フィーリ」
「なーに?」
名前を呼ばれて返事をして、その声が嗚咽混じりに震えていることがわかった。
振り返ってみると、見知った少女が流れる涙をそのままに立ち尽くしているのが見えた。
「フィーリ……おかえり。よかった……」
「ハルア」
ただ泣き続けるハルアを目の前に、フィーリはなんと声を掛ければ良いのか判らなかった。
「だ、大丈夫よ! ほら、今はこんなに元気にまた花摘みに出られるようになったのよ」
しどろもどろになりながら何か話しかけなければと必死に無事をアピールするが、かえってハルアが恐縮してしまう。
「また会えた、助けてもらえてよかった、生きててくれた」
「生きてるわ。何せ助けに来てくれた人が沢山居たんだもの!」
それでも再会を喜んで、涙してくれるハルアを見てどこかほっとしたのも確かだった。
「……やっぱり、皆に心配をかけたかしら」
しゅんとしたフィーリの声に、ハルアは慌てて首を横に振る。
「ううん、それよりも、こうやって戻ってきてくれたことが、本当に嬉しいんだ。けど……」
“あなたはその体に閉じ込められてアレクシアの魔物にされちゃったの”
その言葉がヒーローだと信じていたフィルシアをどれほど傷つけてしまったのか。
フィーリの姿を直視し続けることが出来なくて、逃げるようにうつむいてしまった。
どうしよう——怖い。
ハルアには推し量ることしか出来ないが、痛烈な叫びを聞いた時に、とんでもない間違いを犯してしまったのだと後悔した。
(あんなひどいこと、許してくれるかな)
もしかしたら前よりもっと嫌われるかもしれない、そう思うと怖くて手足が震えるのを抑えられない。
(でも、ここで言わなかったら、もっともっと後悔する)
顔を上げて改めて見つめると、心配そうにハルアの方を見るフィーリの姿があった。
「なあに、ハルア」
視線を受け止めた彼女は、困ったような少し歪んだ笑顔でハルアの言葉の続きを待っていた。
初めて会った時は、小さな妖精の少女だった。
だがアルベドとしての短い生を経て、フィルシアとして生き抜いて——変わった。
(君は、とても強くなったな)
それに比べて今震えて情けない姿を見せているハルアが、どうしようもなく弱く見えて仕方がなかった。
けれど、そのままでは居られないと言う思いが、ここまでハルアを突き動かしてきた。
同じように傷つけるのだとしても、今度はちゃんと伝えたい。
引っ張った袖で勢いよく涙を拭うと、真白の中に見えた淡い黄金色が、今は色濃く鮮やかに輝いているのがはっきりと見える。
フィルシアが、そしてフィーリのためにと駆けつけた仲間達が力を尽くして救い出した命が、ちゃんとここに居る。
彼らが言葉を尽くしフィルシアを救ったからこそ、繋いだ友達がここに帰ってきた。
(それにボクはまだ、伝えきれてない。全然言い足りない。足りなくて、でも代わりに涙ばっかりでてくる)
魔物の群れに飛び出すよりも、ずっと怖いことがあるなんて思いもしなかった。
もっと沢山伝えたいことがあるんだ。
だから思わずここまで駆けつけてきたんだ。手紙じゃなくて、フィーリと面と向かってボクの言葉で伝えたいことが。
意を決してぎこちない足を動かして揃えると、唇をかみしめて深々とお辞儀をした。
「夢とか魔物って言ってごめんなさい!
あなたがボクに怒ったとき、夢でも魔物でもフィーリでもアレクシアでもない『あなた』が確かにいるってわかった。
本当にごめんなさい」
嫌わないで欲しい、でも嫌いになっても構わない。
あの時の仕返しだって怒られてもいい、酷い奴だと罵られても、きっとそれは仕方がない。
糾弾も、罵詈雑言も、矢の雨でも何だって受ける。そんな思いでいっぱいだった。
ぎゅっと目を瞑り、フィーリの反応を待つ。
ほんの数秒だったのか、数分だろうか。ハルアにとってこの時間は数時間にも及ぶ長い時間が流れたようにも感じられた。
ただ、無言の間が流れる。
「それを、伝えに来てくれたの?」
「うん。それだけは、どうしてもボクが直接伝えたかったんだ」
「そっか、ハルアは優しいね」
「そんなことないよ! 目の前の友達の気持ちもわからなくて、傷つけちゃう全然だめな人だよ……」
下を向いて顔を上げられないままでいると、
「そうね。目の前に友達が居るのに、地面を向いたままこっちを見てくれないのはとても失礼しちゃうわ! まるで私がとっても悪いことをしている気持ちになっちゃうじゃない」
「ご、ごめんなさい……」
鳥が囀るような
「もう、それよ! このままだとハルアは私じゃなくて、地面の上の虫と友達になっちゃうわよ。
——それに、私が友達になったのは、ずっと前を向いて笑っていて、不安だった妖精の女の子にお菓子をくれたとっても優しい人よ。
だから、下ばっかり向いているのを見てられないのよ」
「ご、ごめ……」
「いい、ハルア。あなたは前を向いて、いつでも何事も吹き飛ばすように明るいのが取り柄だと思うわ。
押しつけはしないけれど、それが良いのよ。根拠はわからないけど自信満々で、ハヤブサやイノシシみたいに何事にもまっすぐ全力でぶつかっていくのよ!
とにかく、周りが見えなくていつか事故でも起こすんじゃないかって心配になるくらい、元気になれば良いのよ!
それが分かったら早く笑顔になりなさあーい! ハルアの馬鹿ぁ!」
キーンと耳鳴りがするほどの大声で叫ぶと、驚いた鳥が勢いよく飛び立つ羽音が遅れて聞こえてきた。
それが離れていくと、息を切らせる音と共にかすかな嗚咽が梢のざわめきに混じっていたことに気づく。
「ハルア、顔あげる!」
「お、おう。わかった……」
もしかしたらと考える前にフィーリの発した声に驚いて顔を上げてしまう。
「私の言いたいこと、伝わったかしら?」
「えっと……ボクって、イノシシみたいだったかな」
「……私はそう思っていたけど、咄嗟に良い例えが出てこなくて……その、嫌だったら、ごめんなさい」
どことなく気まずい空気が流れ、何を言えば良いのか迷ってしまう。
結局何が言いたかったんだろうと考えていると、突然フィーリは吹き出してしまう。
「全然違うわよ。はあ、言い方が遠回りになっていたわね。ごめんなさい」
そうあまり悪びれもせず謝ると、腕に下げた篭の中を漁り始めた。
何だろうと見守っていると、はい、と目の前に差し出されたのはカラフルな小さな包みだった。
油を引いた花模様の包み紙の両端を捻った形は、リボンのような独特の形をしている。
「手を出して」
言われるが儘に手のひらを出すと、その上にぽとりと落とした。
「私、あの時言われたことは気にしないわ。だって私もフィルシアもとっても我が儘で、沢山の人を振り回してきたわ。
好き勝手ばかりしていたら、きっと傷つけるばかりだってその時は分からなかったのよ」
「それでもボクは、謝らなきゃいけないことをしたって思ったんだ」
「それなら、もうおあいこにしましょう。これじゃあいつまでたっても謝ってばっかりだわ」
この話はここでおしまい! と両手をばたつかせて主張するフィーリがおかしくて、ハルアもつられて肩の力が抜ける。
「助けに来てくれてありがとう。それにさっきの私の励ましも褒めて感謝してくれたら、もうこれで十分よ」
「褒めてたんだ」
「そうよ! はい、そのクリスタベルの飴を食べたらこの話はお終い!」
早く、とせかすフィーリにあらがえずハルアは包みを広げると、琥珀色の飴玉がコロンと手の上で転がった。
「あとね、もう一つ言いたいことがあるんだ」
これを食べる前に、今度はフィーリが望んだ笑顔で言う。
「ありがとう」
不意の言葉に驚いたのか、面食らった表情でフィーリが目を数度瞬きする。
この表情を見るのは、今日で二度目だ。
「それはどうして?」
「——ボクには元いた世界の記憶がない」
「そう、なの」
この話をすると、困った顔をさせてしまうことが多い。だからそんな不安などいらないと言う気持ちを込めて、ハルアは笑って続きを語った。
「取り戻したらきっと、元のボクでも今のボクでもないボクになる。
でもどのボクもきっとそこにいるってあなたが教えてくれたよ。そんなことしちゃだめだよって気づかせてくれてありがとう」
フィーリとアルベドの心が、フィルシアという一人の少女として芽生えたように。きっと記憶を取り戻したハルアは、全く新しい、だがこの世界でたった一人の『ハルア』になる。
「ごめんなさいの心と未来に光までくれるって、それって、ボクのヒーローだなって思う」
ここには居ないフィルシアへと向けて。
彼女は消えてしまったけれど、フィーリの眼差しや言葉の隅ににじむ彼女の陰が、フィルシアはいまもフィーリと一緒にいるとハルアに思わせる。
「これって『都合のよい思い込み』なのかな。でも、そう片づけられないほどなの」
不思議だね、と言いながら確信を抱くハルアに、フィーリは穏やかな笑顔を向けた。
「それは、秘密かな。『でも、夢だと思わなければきっとそうなんだよ、ヒーロー』」
「——うん」
大切なことを気づかせてくれたヒーローの面影を重ねながら、ハルアは飴を口の中に入れた。
甘さの中に爽やかな花の風味がしてどこかほろ苦い、とても美味しい飴だった。