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罪と柘榴
登場人物一覧
あ、は。
ほんとうに、覚えてないなんて。
ねえ。何かの冗談だと、言ってよ。
●柘榴
揺らめく陽炎。
朽ち果てた教会。
妹と名乗る魔種──レユに誘われる儘に。厭、半ば無理やりではあるのだけれど。
レユは『遊ぼう、おにいちゃん』と。きゃらきゃら笑って、声を挙げた。
つい
恋情混じりの兄を慕う気持ちは、泥濘に沈んて、狂った淀の中からヴィクトールを呼ぶ。
それはまるで悪魔のように。
しかして乙女の気持ちもわからぬお年頃。ヴィクトールを呼ぶレユ自身も其れが指す意味を理解してはいない。
無意識のうちの
「今日はね、わたしのこと、思い出してもらおうとおもって」
「……はい」
本来ならば。ローレットの
けれど。この
だから、恐らく。
他者へ害を与えることはない。
だから、丁寧に封蝋を溶かし、教えてもいないのに家に届けられた
指定の日時は明後日午前十時、幻想のバルツァーレク領内、廃れた教会にて、貴方を待つ。
なんて踊るように書かれていた言葉の淵から滲む狂気に、少しは頭を悩ませたけれど。
記憶はなくとも、小さな義妹の可愛らしい頼みなのだから叶えてやるのも悪くはないだろうか。
柔らかな白のシャツに幸運の青のループ・タイを合わせ。黒のパンツとワインレッドのニット、上からはミルクティのジャケットを。
秋口ともなると身体の冷える季節だからと、薄手にはならぬように。コンパクトかつ綺麗なデザインに。
対する乙女は真白い七分袖のワンピースに赤のケープと赤い靴を纏い、汚れていた身体もどこかで洗ったようで、一見すれば
「そのお洋服は、××──嗚呼、おにいちゃんが選んだのかしら」
廃れた教会。祈りを捧げるべきところに土足で上がり、くるくるとレースの裾を遊ばせながら、なんてことないフリをして問いかけるレユの炎色の眼。
「嗚呼、いえ。此れはお隣さんが選んでくれたんです。似合うでしょうか?」
「……ふうん、お隣さん、ね。
わたしね。最近ずぅっと、××を見ていたのよ」
「レユ?」
「そうしたら、ねえ、お隣さんだなんて! わたし、わたし、わたし!」
「かなしくて、うっかり燃やしてしまいそうだわ」
にっこりと、愛嬌のある笑みを浮かべたレユ。
空気が凍った。
「レユ。それは云ってはいけないことです。
もしも其れを実現しようとするのならば、ボクはこの手で貴女を眠りへ導きます」
レユ。
そう呼べと言われたから。
そう呼ばなければ燃やすとまで言われたから。
だから、呼び捨てなのだけれど。
「……おにいちゃん、つまんなくなったね。
いいよ、じゃあ見逃してあげる。うん。あは。そうだ、今日はお出かけだったねえ、いこう、××?」
かっ、とととん。
軽快なリズムで飛び降りて、ヴィクトールの手を握ると、そのまま教会の中央へ。
「……レユ?」
「病めるときも、健やかなるときも──って。けっこんしき、するんだって」
二度目だなんて、口が裂けても云えなかった。
『ふむ』とだけ零した声は震えてはいなかっただろうか。レユは楽しそうに廃れた天井を眺めていた。
「……おにいちゃんの結婚式には呼んでね? わたし、花弁をなげるおんなのこ、やってみたいの!」
「は、は……ボクはする相手など居ませんけれど、レユがいい子にしていたならば、呼んであげますよ。
だから、おとなしくいい子にできますか、レユ。ボクは貴方を眠らせたくはないのですけれど」
「……うん、いいよ。
「とっても。いい子ですね、レユは」
「えへへ、そうでしょう? だからね。おにいちゃんには柘榴をあげるの」
「……柘榴?」
「わからないなら、いいわ。おうちに帰ってから調べて頂戴。
それよりも! 時間は有限なのよ、いきましょう、おにいちゃん!」
手を取って駆け出したレユ。ヴィクトールはその大きな身長が故に、小さなレユに合わせて身を屈め。
廃れた教会はひかりを残して、二人を見送った。
●死者の実
「わぁ……此処が外、なのねえ」
「ボクの家に手紙を届けた時も、出たのではありませんか?」
「あの時は何も考えていなかったから、周りなんて気にしていなかったの。
けれどね、嗚呼……お外って素敵。こんなにもヒトがいるのね、××!」
「……ええ。嗚呼そうだ、この近くでは昼のマルシェがあるようなのです。今日は其方を案内しますよ」
「マルシェって、なぁに?」
小さな少女と大きな男。
一見するとちぐはぐが故に、人の視線を集めるのだけれど、レユはそんなことを気にするような乙女ではなかった。『だって
此の左手を握る娘が魔種だと知られたならば。
屹度、誰も笑みを浮かべることも、レユに手を振り、『小さな妹さんへどうぞ』と風船を渡すこともなくなるだろう。
嗚呼、気が抜けない。猫背気味なヴィクトールの背が、更に曲がった。
「此処がマルシェ、です。此処で昼ごはんにしましょう」
「お外のご飯って初めてだわ。何か、お勧めはある?」
「そう、ですねぇ……でしたら、ホットドッグにしましょうか。此処で少し待っていてくださいね」
「ねえ、一寸、××、」
レユが手を伸ばす。その手は虚空に浮かんで、沈んで。
少し先の屋台を目指して小走りになるヴィクトールへと伸ばされていた。
けれど。
レユの身体を影が覆った。
「……レユ」
目の前にいるのは、望んだヴィクトールではないか!
「××……?」
涙で潤んだ瞳を隠すようにごしごしと目元を拭う。『どうしたの』と上擦った声で問いかければ、申し訳なさそうに目線まで揃えようと屈められるその大きな身体。
「すみません、ボクとしたことが。外は初めてならば置いていくべきではありませんでした」
「そ、そんな……わたし、いい子で待つくらいできるわ?」
ぶんぶんと首を横に振るけれど、其れが強がりなのは隠せなくて。
可愛い義妹の精一杯の強がりに頷くと、ヴィクトールは微笑んだ。
「それならば、一緒に屋台まで行って、注文をしましょう。ボクが不安なのです。……此れでは、駄目ですか?」
「××……ありがとう。わたしって、しあわせものね」
「レユがいい子にしていたら、もっと良いことがおきますよ」
「嗚呼、其れって屹度、しあわせなものがたりね!」
ホットドックを買うために並んで歩き出した二人は、屹度、誰の目から見ても兄妹の其れで。
だから、知る由もなかったのだ。
レユが心に抱えた黒き太陽を。