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戀ひの随に

登場人物一覧

十夜 蜻蛉(p3p002599)
暁月夜
十夜 蜻蛉の関係者
→ イラスト

 戀ひ患えば、何時しか毒のようにその身を蝕むものでせう――

 柏手一つ、男と女――二つの種の笑む声が響き渡る。藺草の馨など遠く、酒と香に塗れた宴に衣擦れの音立てて遊女は蝶々が如く舞い謳う。芸を嗜み、色を纏わせ、生抜く為の才に長けた女達。酒の杯を手に一つ、喉へと通すその仕草一つで男が笑う。烟る空間にちょこりと座った一人の若者を金の眸で追いかけた太夫に「気になるん?」と男が問いかける。
「あら、あのお人、緊張してなすって。気になってしもただけよ。珍しいでしょう?」
 ころころと、鈴鳴らすように笑みを浮かべて口元隠した袖の向こう側、慣れた作り笑いに気付かぬ男は「無理に連れてきたんや」と揶揄い青年を指す。
「それにしてもアイツも得なもんやな、太夫が興味を持つなんて。可愛がってやってよ」
 無理繰りならば良き想い出を抱いて帰って頂きたいのよ。そんな嘘八百並べ立て、袖の奥に本音をひとつ。蝶々程自由に舞い踊ることは出来ずとも懸河の弁で捲り返せば飛ぶ事位は容易くて。
「お兄さん、あまり飲んでへんみたいやけどお酒は弱いん?」
 そう、と白磁の指先添えて、男の顔を覗き込む。まだ年若い――優しい香染の眸。は、と驚いたように見開かれた後、気恥ずかしげにへにゃりと笑う。不慣れな酒の杯を無骨な指先で揺らし持っては舐めるようにちろりと喉へ落とすその仕草が蜻蛉にとって余りに珍しく、幼子のように可愛らしい。
「……その」
「ん?」
「……こういう席は、その、余り慣れてへんのや」
 辿々しく。低く心地よい声音は決して不快感を感じさせない。杯を持つ指先にそう、と手を添え蜻蛉はころりと笑う。無理に喉に落とす酒ほど不味い物はありゃしないと奪い取ってそ、とその腕を指先なぞる。
「あら、そしたら教え甲斐がありそうな」

 ―――――
 ―――

 青年の名は咲夜と云うらしい。年の頃は二十五と未だ恋のいろはも全て答えぬ純朴な心優しき男であった。夢幻うその戀に生きる女と対照的な、陽の許過ごす咲夜の香染の眸に宿る優しさに影を落とした寂しげな笑みを浮かべるその様子が酷くいじらしい。今までの廓で過ごした誰にも無かった感情のいろに戸惑い、興味がそそられる。気付かぬ内に、檻の中で彼と過ごす刻が楽しみになったのだ。色を売る女が、色を売らずに幼子のように言葉重ねて笑み零す。
 抱く、抱かれ、愛し、愛され、偽の夢など其処には存在していない。一夜限りの嘘騙こいさえ為さず触れる指先は衣服の上を滑り落ちる。
 今日の話を聞いておくれと家人に、友人に語らう様に一夜、一夜と言葉を重ね合わせてはその香染が見た世界を語る。
 ――今日は何処へ行ったのだ。ああ、其処の団子は旨かった。
 ――見世物小屋に行ったのだ。あの華やかさはなんたるや。
 ――川に溺れた犬を助けた。感謝にぺろりと舐めてくれたが慌てて噛みつかれて痛かった。
 言葉重ねても唇は重なることはなく。取り留めのないお天道様の下の日々。交わらぬ道に僅かに爪先をそうと付ければ向こうの水は生温い。優しさばかりに溺れることなく言葉重ねて笑い合う。酒には決して慣れることはなくとも互いの存在には只、慣れた。二人で過ごす日常に床を共にし男と女になるにはまだ遠い。
 重ねた夜も、もう幾度目か。
 今晩はと決まり手の挨拶重ねた咲夜の視線が僅かに泳ぐ。重苦しい衣を纏った蜻蛉は彼の僅かな変化に笑み零す。
「気も漫ろ。それやと、男が廃るだけよ」
 指摘するように唇で三日月形作る。紅引いた形の良いそれを尖らせて「どないしたの」と揶揄えば咲夜はぐ、と言葉を飲み込んだ。逡巡、惑いの中の迷いから言葉選ぶ彼の優しい横顔に息吹くように小さく笑う。
「今日は、やっとうちを抱いてくれる気になりはったん?」
 返事を確かめるように。此処は男と女が夢見る場所。嘘偽りの恋を楽しむ一夜の幻想ひみつ――それ故に、自身に会いに来る男が肌合わせる目的に転じようともおかしな事ではないと金の眸は男を見遣る。その骨張った指先が優しい眸と同じ色彩の髪を掻く。困ったように、戸惑うように――その指先が酷く愛おしい。
「……なぁ」
「ん?」
「なぁ、嬢ちゃん。今日の夜桜は飛び切り綺麗なんや。見に行かんか?」
 は、と息を飲んだ。余りに間抜けな反応をしてしまったかと唇押さえて瞬いた。ぱちり、ぱちりと睫が泳ぐ。眦に逃げた困惑に被せるように平静さを覆い被して。
「……え、ええ、綺麗やろうね。でも、うちは店の商売道具しごとちゅうや。外へは出られません」
「それは承知や。承知で言うてる。嬢ちゃんに態々会いに来た男が、仕事中とは知らんかったなんて阿呆やないか」
 それもそう、と揶揄い笑う。遊女と客ではないような友人同士の戯言重ねるように。咲夜はそう、と蜻蛉に囁いた。
「でもな、今は今しかあらへんのや」
 悪戯っ子のように声音が跳ねた。ぱちり、ぱちり。幾度も瞬き蜻蛉は「咲夜さん?」と彼の名を呼ぶ。
「何や?」
「そないな事言ったって無理はおよしよ。うちは、外に出ることはできへんのよ」
 首を振る。しゃらりしゃらりと飾りが音立てた。指先が蜻蛉の射干玉の髪を撫でる。『嘘ごっこ』の如く指先が奪い取った飾りが地に落ちた。ぱさり、ぱさりと音立てて余計に重ねた衣が奪われていく。
「……咲夜さん?」
「外、行くなら邪魔やろ」
「……え?」
「俺が連れったるさかい、ほら行くで……」
 手をと無骨な白い指先が差し伸べられる。その手を取って、男らしい掌だと妙な実感が沸き立った。抱き寄せられて彼の胸に額が小さくぶつかった。「あて」と小さく声出せば振る笑い声は少年のよう。
「掴まっときや」の言葉ひとつ、合図のように抱えられた体が窓から宙を躍る。とくん、とくんと音色を奏でた鼓動はきっと自分も同じかと妙な高揚感を感じれば、足先は畳の上ではなく柔らかな土を踏む。大げさなほどに掌を包み込み、縺れる足を無理矢理に駆け出す夜道は窓から見るより明るくて。ふ、と唇が緩み出す。
「嬢ちゃん、もうちょっとや」
 見つからないように。幼子のような『かくれんぼ』を大の大人が二人揃って。見つかれば連れ戻されてしまうと唇に音乗せれば内緒話をするように人差し指が唇に押し当てられる。
「無粋やろ?」
「……そうやね」
 手を握り走る世界を暉すのは天涯より見ゆ朧の月。淡い輪郭の月と同じく揺らぐ桜は美しい。舞う花弁が指先落ちれば掬う様に髪へと悪戯めいて落とされる。
「ほら、綺麗やろ?」
 驟雨の如き花弁が月光の片のように降り注ぐ。消え入りそうな幻に、眩い月を見上げた蜻蛉はそう、と咲夜の胸を押した。
「……どうして」
「ん?」
 今度、聞き返すのは彼の番。優しい瞳が寂しい色帯びる。どうして――寂しく笑うん? なんて、聞けない儘、『商品』ゆうじょは客の顔を見遣る。今ばかりは、只のおんなとおとこで居られたならば。銭も嘘も何もない。誠の恋と愛が其処にあったならば――屹度、簡単に問い掛けられる事が無数にあった。自身から触れることも叶わぬその指先を見下ろして、宙を泳いだ白魚は決意したように鈍い力で固められた。
「どうして、うちを此処へ連れて来はったん?」
「……さあ、どうしてやろうな」
 それ以上の言葉は無い。只、あの寂しげな笑みと共に僅かな距離が近づいた。それでも恋仲とは呼べぬ距離。横顔を見上げて蜻蛉は唇を噛みしめる。

 ――何で、そんな風に笑うの。

 そう問い掛けることが出来ない儘。「綺麗、やねぇ……」とだけ、小さく零した。

 咲夜は『蜻蛉には決して言えない大きな秘密きみがひとでないことをしっている』を持っていた。射干玉の髪に月色の瞳、悪戯めいた猫のような笑みを浮かべる美しいひと。その人間離れした美貌は女が妖であることを顕わすように細められる猫の瞳を見た時から忘れることが出来なかった。
 妖怪を許しておく訳にはいかぬと一線を越えぬ儘、良き友人として傍に居る。そして、おんなが恋情を孕み油断しきったところをその玉の緒を切れば良いと考えていたのに。今は、彼女が笑うだけで酷く愛おしい。ころころと鈴を転がすような微笑む笑みに、驚いた時に僅かに潜められる眉。小さく飾られた泣き黒子に形良い唇が拗ねた様にとがらされる刹那、その身を掻き抱いてしまいたいほどの劣情が胸へと沸き立った。おとこが只のおとこであれば、おんなが只のおんなであれば、惑うことなくその白魚の指先を掬い上げ口付けて情向くままにその身を掻き抱いて居ただろう。
 それでも、男はその想いを全て丸呑みにして笑うのだ。「嬢ちゃん」と彼女の名前を呼ばぬままに――想いに蓋をして、妖と『妖怪を狩るべき者』として彼女の傍にあり続ける。その命を刈り取るときのために。
「……咲夜さん?」
 どないしたの、と問い掛ける声に「綺麗で見惚れてたんや」と小さく笑えば、また、む、と唇が尖る。時折見せる彼女のこの表情が何を指し示すか分からない儘――それも、聞けない儘――咲夜は「綺麗やろ」と蜻蛉へと問い掛けた。
「綺麗やね」
「……嬢ちゃんに桜、見せたかったんや。それから――これ、嬢ちゃんに」
 そう、と差し出されたのは小さな桐の箱であった。風呂敷に包まれていたソレを手に取ってまじまじと見遣る。仕事柄、男性から贈物をされることは多かった蜻蛉は、品を見ただけである程度の値踏みをすることが出来た。
「開けてもええの?」
「折角やから、桜の下で見て欲しい」
 緩く頷いた。この場所では遊女と客としての立場を忘れているかのように。蜻蛉の指先が僅かな緊張を走らせながら箱を開く。そう、と開けば朱の布に埋まっていたのは美しい意匠の煙管であった。
「……煙管、これ高かったんやないの?」
「そういうんはな、聞くもんやない。お客に、そういうの何時も聞いてるんか?」
「ふふ、ちゃうよ。咲夜さんやから聞いたの。
 だって……うちを抱かんのに、うちに贈物をくれるんやもの。だから、可笑しくて」
 朱く艶めく煙管。特別珍しい物ではない筈なのに――どうしたことか輝夜姫さえ手に入れられなかった蓬莱の玉の枝の如く美しくそして素晴らしい物に思えてならない。そう、と手にすれば朱の色に薄桃色の月明りが淡く揺らいだ。
「これ」と唇が緩やかに動く。どうしてばかりを続けた唇が飽きた様に言葉を紡ぐ。戸惑いの逃げた眦に月光が眩く滲む。
「どうして、うちに?」
「――似合う、と思て」
 言葉が降る。似合う、と反芻した言葉に降り注いだ影に蜻蛉は「咲夜さん」と彼の名を呼んだ。つい、と顔を上げた蜻蛉の視界一杯に寂しげな香染の眸が見える。その優しい眸に揺らぐ寂しさを、云わぬが儘の悲しみの荷を少しでも片肩一つ背負わせて呉れまい物かと夜桜と共に彼を見上げた。
 名を呼ぶこともなく。唇が音を喪う。呼吸一つさえ許さぬように重なり合った恋情が未練がましく女の影を伸びさせた。月明りに照らされて夜桜が揺れている。葉擦れる音と共に衣擦れ吹いた春風がおとこの影を揺らがせた。
 重なり合った二つの影がいとしいとしと揺れている。
 ――そんな二人を朧月夜だけが見ていた。

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