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風は燻って
登場人物一覧
●おやすみ
今日はギルド・ローレットの依頼もない。
こんな日は休むのがいいだろうか。故郷とも呼べる深緑の奥深く、小川の畔にテントを張り、ジュルナットは心地よい休日を満喫していた。
深緑での大騒動も終わった。今はゆっくりその身体を休めるのが吉だろう、と、そう思って。
(それにしても……最近は色んなことがあったネ。想定外だったヨ)
妖精郷。とこしえの冬。
失われた白き命。
妖精たちの想い。
只。弓を手に取り、戦った。
戦った。
それが正義だと信じて。
屹度間違いではなかった。現に多くの妖精が、民が救われているのだから。
けれど、時に思う。
(――これでよかった、かなんて。問うのは野暮なんだろうけどネ)
ぽちゃんと水面に浮かんだウキ針が、風を受けて揺れる。
甘い香りの葉巻。切り口をシガー・カッターで切れば、甘ったるい香りが鮮明に尾行をくすぐり、忘れていたことを無理やりにでも引き出してしまう。
幾つもの弓を番えた。ギリリと音を鳴らす糸を弾き、爪弾き、そうして幾つもの肉を、骨を引き裂き砕いてきた。
敵を、殺してきた。そのこと自体に後悔はない。
元より戦いとは生きるか、死ぬか。勝者と敗者のみがある。
間はないのだから。
けれども。あの時こうしていたらと、反実仮想を抱くのは生きとし生ける知的生命体の宿命である。
あのとき。
あの場所で。
もしも。
この手が。
過去に戻る手段などない。境界図書館を探してみれば似たようなものはあるかもしれないけれど。練達にいってみればそんなマシンがあるかもしれないけれど。
少なくとも。今毎変えてしまうようなリスキー・ゲヱムに賭けるチップはない。
甘い香りが鼻孔を擽る。にくい現実を突きつけて。
(生きるためなら。ね……)
幾つもの戦いを乗り越えた。
幾つもの想いを見届け、時に手厚く葬り、時に手酷く捨て去って。そうして。
鉛の驟雨を。鋭針の雨を降らし。後悔などあろうものか。それを認めてしまっては。
きっと。
「あ」
釣り針が沈む。握った竿にかかる仄かな重み。くい、と手首の力だけで引き寄せる……も、少し遅い。餌だけ食われて魚は逃げてしまった。
もう一回。
(……もう一回。それができるのは、生きているからだよネ)
理解している。
理解している、つもりではいる。
いのちの尊さ。敵にも家族がいること。帰りを待ちわびる人がいること。それは敵が人型でなくとも。
武器を持つものとて、家族がいる。友がいる。
それでも、戦わなければならない理由がある。
だからこそ、帰らなければいけない。
そうして人々は武器を取るのだ。
生き残るために。
ごうごうと風が吹く。
『おかえりなさい』
『ただいま、おかあさん!』
「……」
風の贈り物。
酷くあたたかい家族の声。
帰る場所。
「おっ……と」
浮き針が沈む。
今度こそ。手首をひねらせ素早く釣り上げる。
「……やったネ」
ぴちぴちと陸で跳ねる魚。口にかかった針を外し、また生餌をつけて水に溺れさせる。
魚はそのまま串刺しにして、焚火にかけて。
塩をまぶし、焼く。
やがて魚の動きはなくなり。甘い香りが強く強く香るのを覚えて。
「……あ。やっちゃったネ」
火にかけて置いておいた葉巻はいつの間にか半分ほどまでその身を削っていた。
「……はぁ」
咥え、吸い、口に含んで。
吐く。
心のうちに溜め、抱え込んだ煙すらも吐き出してしまえればいいと願って。
そうして吐き出した煙の味を、反芻するように口を動かした。
(戦うことは、恐らくこれからも悩み続けるだろうネ。だけど、)
焚火の中へと葉巻を投げ、そうしてその日がどうかして燃え尽きてしまうのを横目で眺める。
やがてその視線は、ゆっくりとウキ針へ。
「……181年生きても出せない答えだからネ。悩み続けるのも悪くはないサ」
ふとこぼした本音。
屹度。これからも悩み続けるだろう。
人間種であるならば。その答えを知る前に死んでしまうだろう。
けれど。
ならば、この長い道の先に答えがあるのだろう。
これまで歩んできた道で得たものを糧に。進み続けるしかないのだ。
屹度これからも弓を番えるだろう。
時に苦悩するだろうし、悩まずに命を奪うかもしれない。
憎まれて路地裏で刺されて、汚くみじめに野垂れ死ぬかもしれない。
でも、今は。
この些細な幸せを。悩める時間を味わうのだ。
「あっ、魚焦がしちゃったカナ……?!!」
酷く焼けた魚の皮は苦みを含んでいて、お世辞にも上手だとは言い難いけれど。
そのくらいがちょうどいいのだ。
苦みもスパイスに。
それくらいが、ちょうどいい。