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軋轢紛れに夜も更けて、早々
登場人物一覧
●秋淵、染まるはくれなゐの紅葉
軽快な足音。慣らして、鳴らして。歩むモノがひとつ。
球体関節人形。人と呼ぶには不完全で、玩具と呼ぶにはあまりにもヒトに近い。
がしゃ。がしゃ。重量感のある音を躰から小さく響かせて、二は歩いていた。
絶望の青の、その向こう。二のみならず、だれもが越えたいと願い、そして越えた先にあった。そんなこの街は。この国。
名を、神威神楽。
其の地を踏み、街を眺め、空気を吸い、文化に触れた旅人の一人の眼を今でも覚えている。
『嗚呼。此処は、おれの故郷のようだ。和の世界――嗚呼、嗚呼! なんと懐かしい。うれしいなあ』
潤んだ瞳は微かに涙を含み、然しその声は柔らかに、あたたかに。最も、
けれども今日、二が此の地を踏んだのは。子供のままにも、子供のようでもありながら、然し乍ら冷静な部分も併せ持つ――そんな己の心に従って、だ。
己も『識りたい』のだ、と。理解した其の時、二の足は、手は。活動を開始していた。
世界のことはわからないし、自分がなんのためにあるのかもしらないけどーー手足は動くから。
だから。この不可思議な世界で、生きてみよう。
そう、思ったあの日の如く。
●只、眠れぬと云うのならば
最初は不可解で不可思議で、理解し難かった人々の喧騒にも慣れた、そんな二。
神威神楽でも人々の賑やかさは勿論のこと、
がしゃ。がしゃ。
歩む。進む。
己を隠すように。
己を見られるように。
屹度。己は見られぬ方が、良いから。
がしゃ。がしゃ。
そうして進んでいくと、一層人々が騒ぐ喧騒の中心へと辿り着く。
きゃあきゃあと聞こえた言葉は、『きれい』だとか、『素晴らしい』だとか『獄人でなければ』だとか、そういった、感嘆と同情交じりの誉め言葉。
「不明。あの中。何、起こる、してる?」
「おお、こりゃあ石神の神使さまかい。此処からじゃあ、ちと遠いねえ。ついておいで」
近くに佇んでいた男に手を引かれる儘に其の背を追った。どうせ二が静止の声を挙げようとも進んでいただろうけど。
「あの獄人が美しい舞を見せるのさ。いやぁ、本当に。獄人でなければ――厭、欲を云うならば八百万であればねえ。更に高みを目指せただろうに。天晴とは云えんが、堪能するくらいならば……許されるだろうね。
大したものじゃあないが、神使さまも楽しんでいっておくれよ」
屈託なく笑う男の言葉の隅々から溢れる奢りや嘲笑の念に、思わず二は首を傾げた。この
巫女姫の影響を大きく受けているのであろう、人々の『此れが善である』とでも云いたげな其の振る舞い。覚えた疑問、ちくりと痛む胸は故障でもしたのだろうかと、幾重にも首を傾けた。
「にい。みる。不可能。にい。あきらめる。かえる」
「嗚呼、一寸お待ちよ。その大きな手を足にすればよいではないか」
「……たしか、に。『手』なら。にい、わかる、しなかった。やる、する」
片の掌の上に乗ればあら不思議。人間で例えるならば人形遊びのように、ひょいと持ち上がってしまった。
「流石、神使さまだねえ……よおく見えるかい?」
「……」
見える。
そう告げる心算だった。
けれど。
そこから見えた景色は。その舞は。
目を逸らすには、あまりにも惜しかった。
「~♪」
流麗に。絢爛に。繊細に。
儚げな男が舞っていた。
其の手に握るは七つの扇。赤、橙、黄、緑、青、紫、桃に、其々染められている。
手に握り、くるくる回り。或いは宙へと放り投げ、地を蹴り躰を捻り受け止めて。
武と美を兼ね備えた、そんな舞だった。観客は皆、彼の虜だった。
きらきらと輝く光が舞う。彼を中心にして世界が煌めいているようにすら思われた。そして。
刹那。
「!」
「……?」
柔く朗らかで、繊細な笑みを携えた男の、半ばぼんやりとした表情が、二と視線を交えたことで、とまる。
ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、と鳴りやまぬ手拍子を振り切りキリよく――と云えば聞こえは良いだろうが、殆ど無理やりに終えたようなものだった。其れに気が付くものは、二以外には誰一人として居なかった。
「おや、終わりか。それじゃあまた何時か、神使さま」
「……」
(にいが。みる、したから? 理解、不可能。にい、こわがる、させた? 理解、不可能)
ずき、ずき。
酷く、痛む。
胸の奥が、苦しい。
其の理由は、解らないけれど。
只。美しいものを識りたいと思っただけだったのに。
不快にさせてしまったのだろう。己は、異質で不気味な。人には快く思われないナニか、だから。
けれど。其れは、違った。
「守神サマッ!!!」
大声で叫び、此方へとかけてくるのは先ほどの舞手ではないか。
「……? にいは、にい。にばんめの、にい。
“もりがみ”、ちがう。にいは、神使」
首を横に振り。そして歩き去ろうとした二の其の『手』を、男は掴んだ。
「……でも、見た目とか似てるんだよな。俺の一族に伝わる、守り神に。
嗚呼。俺の名前は曇華と云う。ところで、なぁ、お前さん。本当に守り神じゃ――、」
「おい坊主」
「あっ」
人相の悪い獄人――ゼノポルタの、恐らくはヤクザの男達が、曇華と名乗った男と二を取り囲む。
「曇華ァ……お前、未だショバ代返ってきてねえぞ? 水無月に貸して、今はもう長月だ……金、耳そろえてきっちり返してもらおうか」
「おいおい、そりゃあないんじゃないかい? 俺はきっちり返したはずだ。それも先々月、文月に!」
「ったく、これだから頭の緩い奴は困るんだ。利子が残ってるだろうが。トイチっつっただろ?」
男達が言い争っている。此れ幸いと少しずつ喧騒へ、その姿をくらませようとした二の『手』を、再び、曇華は掴む。
「おいおい、お前さんはどこに行くつもりだよッ……逃げるぞ!!」
「? にい、ちがう。たんか、しらない。なに、する」
「石神の神使サンも巻き込んでのか……とっ捕まえてバラして売っちまうかな。追え、お前ら!」
「「ウッス!!」」
「にい、しる、しない。ちがう。はなす、しろ」
「ニイってえのか……? 命が惜しかったら俺についてこい! じゃないと分解されちまうぞ!!」
「……理解。ひと、いる、不可。たたかう。即実行。たんか、たたかう、できる?」
「此れでも少々武術の心得は有ってな……こっちへ右だ、ニイ!」
手招き。駆ける。駆ける。
追手が逃がしてくれるはずもなく、誘い呼ばれる儘に人気の無い森へと抜けた。
其れは追手も同じ。暗い暗い森の中。奥まで入れば、聴衆への助けの声も届かない。
ヤクザである以上は戦闘も幾分かは嗜んでいる様子。懐に携えていた刀が其の刀身を煌めかせた。
二は『手』を慣らし、曇華は二振りの短刀を逆手に持ち、構えた。
ぴりりと迸る緊張感。
――地を、蹴る。
真っ先に狙われたのは曇華だった。薄氷の髪が風に揺れ――否。動いたのは彼も同じ。
己が首を狙うならば、同じように返すのが礼儀。そう云わんばかりに身を屈め、『嗚呼、月が綺麗だな』と遠くを眺めるように舞うが如く、短剣を首へと宛がった。
「ぐッ……」
「へぇ……なら、そっちはどうかな?」
恐らくは一番の実力者である男が二を狙う。豪快に握られた拳が地へと打ち付けられる。
二は飛んだ。後方へ。然し其れを逃さんと男も二の元へと飛ぶ。距離が、縮まる。
「……本当。残念。にいの『手』、つよい。なめる。まちがい」
得意なことは、少しだけ呪うこと。
ぱぁん。デコピンにしては恐ろしい破裂音。
額を弾かれた男は勢いよく後方へと其の立派な躰を飛ばす。
「が、ハッ……」
「あ、兄貴ィ……お、覚えてろよ曇華!! 次は殺して内臓を売り捌いてやる!!」
捨て台詞にも聞こえるそんな台詞を残して、連中は走り去っていった。
静寂。
「……そういえば名前。聞いてなかった。にい、であってるかい?」
「名答。にい。にばんめの、にい。できること。なぐる。ける。あと。ちょっと、のろう」
「はは、さっきも見せてもらったな。助かった。……で。俺の一族の守神サマじゃあ、ないのかい?」
「屹度。にい、ねむる、してた。記憶、残る、していない。証拠、なし。だから、にい、ちがう、すると、おもう」
「そうか……巻き込んで悪かったな、ニイ。……さてと、此処から出るかねえ。そしたら、お別れだ」
ふぅ、と刀を収め。一歩先を歩き出した曇華の腕を。
「?!」
「まつ、して」
二が、掴む。
「ど、どうしたニイ……俺も日銭を稼がねえと生きていけねえ身だ。小遣い稼ぎは得意だが奢るのは苦手だぜ?」
「ちがう。たんか、めんどう。だから、ろぉれっと、つれてく」
「ろぉれっと……?」
すたすたと歩み始めたのは二の方。
其れを追うのは曇華。
二人の出会いは運命と呼ぶにはあまりにも些細な出来事で――けれど、これからの日々を一層楽しいものにしてくれるのだろう。
眠れない夜は散歩をして、月を眺めよう。
苦しいときは声をあげて。
嗚呼、ほら。こんなにも。
近しいところに、縁は、あるのだから。