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騎士の逍遥
登場人物一覧
街に行こう。
次の予定まで二時間ほどある。今日はローレットでの活動は休みだ。というか、休めと切実に願われた。
初めに比べずいぶん表情豊かになった彼女が、眉間に浅いしわを刻んで休暇を勧めてきたことを思い出し、リゲルは頬を緩める。
彼女はと言うと、今朝から娘とともに魔物退治の依頼を受け、仲間たちと町外れで仕事をこなしている。
情報精度は高く危険度は低い依頼であるため、難なく終わらせて帰ってくるだろう。そも、何事にも真剣に立ち向かう母娘だ。油断はまずしないだろう。
「お茶請けでも探そうか」
――一日でいいから休め。
――さすがになにもしないのは……。
――では依頼をこなして早く帰ってくるから、私の訓練につきあってくれ。それまでおとなしくしているんだぞ。
前回の依頼で受けた傷が、癒えきっていない。リゲルに言わせれば戦闘に支障がない程度まで治っているが、彼女は断固として認めてくれなかった。
やりとりを思い出しながら、市場に足を向ける。
朝市が終わった時分だからか、通りは比較的、静かだった。
石畳の道を挟むようにずらりと屋台や露店が並んでおり、商人たちが商品を補充したり、隣の店の者と歓談したりしている。
「おいしいクッキーはいかがですか」
柔らかな声を放つのは、帆布がかかった屋台の女性だった。『アジェテ教会』という文字にひかれ、リゲルはそちらに進み寄る。
「おはようございます」
「おはようございます。クッキーはいかがですか?」
シスターらしい身なりの女性が微笑む。様々な形のクッキーが詰められた袋が、屋台に並べられていた。
「西にある教会の方、ですよね?」
アジェテ教会は幻想内にあり、ここからそう離れていない位置に建つ。リゲルも礼拝のために訪れたことがあった。
彼が言わんとしていることを察し、シスターはわずかに表情を曇らせる。
「先日、こちらに移動してまいりました」
「ああ……」
近ごろ、天義では『死者が黄泉還る』という、なんとも不吉な――かの国流にいえば『不正義』なことが起き始めている。
ローレットにも調査や解決の依頼が舞いこみ出していた。リゲルも明日、その件にまつわる依頼をひとつ片づけに行く。
(皆、無事であればいいが)
母国での凶事だ、目を閉じなくとも様々な顔が浮かぶ。魔種となったとの噂がある、行方不明の父の顔も。
「三つ頂けますか?」
「ありがとうございます。神のご加護がありますように」
代金は教会の運営資金になるのだろう。
市場の端まで歩き、平和を満喫していたリゲルの足がとまる。
明らかに怯えた女性の声と、面白がるような男性の声が路地裏から響く。リゲルに躊躇はなかった。
「なにをしている!」
「あ? なんだテメェ」
「ガキじゃねぇか。帰れ帰れ」
柄の悪い男が五人。壁際まで追いつめられた女性は、今にも泣き出しそうだ。
男たちを押しのけて、リゲルは彼らと彼女の間に立つ。
「これ、預かっていただけますか?」
「は、はい……」
目を白黒させている女性に、クッキーの詰め合わせが三つ入った紙袋を預ける。
「か弱い女性に大の男が揃いも揃って……。恥を知れ」
「はぁ?」
「おい、コイツからやっちまおうぜ」
男たちが一斉にナイフを抜いた。反省する気がなさそうな態度に、リゲルは深く息をつく。
「ハッ!」
「げぇっ!?」
一番近くにいた男の右手を左手で掴み、腹に掌底を叩きこむ。
続いて人質にするつもりか、女性の方に向かいかけた男の足を払い、転ぶ勢いを利用して背中から地に叩きつけた。
「げっ」
「骨は折っていない」
しばらく痛いだろうが、自業自得だ。
「ッのヤ……ッ!」
倒れた男を踏み台にリゲルが跳ね、空中で身をひねる。怒号とともに襲いかかってこようとした男のこめかみを綺麗に蹴り抜いた。
「野郎!」
「口を閉じていろ、舌を噛むぞ!」
四人目の男の近くに着地したリゲルの右足が跳ねる。気迫に圧され反射的に口を閉じた男の顎を真下からの衝撃が襲った。
いつの間にか表通りに集まっていた野次馬の方へと男が飛ぶ。短い悲鳴を放ちながら身を引いた人々の目に女性がさらされないよう、リゲルはさり気なく移動した。
「今後、このような悪事は二度と行わないこと」
「は、はい」
戦意を失っていた最後のひとりが何度も頷き、転がるように逃げて行く。
残った男たちをどうするか、と思ったが、野次馬の中に見知った情報屋がいることに気づいて安心した。後始末は任せていいだろう。
「あの、ありがとうございます……!」
「当然のことをしただけです。ご無事でよかった」
微笑みつつ、リゲルは女性から紙袋を受けとる。
約束の時間まで、あと十五分もなかった。
お礼を、という女性の申し出を丁寧に辞して、リゲルは自宅に急ぐ。
「あそこはもう少し早く動けたな」
先ほどの自分の動きを思い出して分析しながら。
磨き研ぎ澄ました技がひとつでも、尊敬する父に届くことを祈って。