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失伝回想・三劫剣のこと

登場人物一覧

観音打 至東(p3p008495)
観音打 至東の関係者
→ イラスト


 ある夏の朝のことであった。
「そこに座れ、至東」
 と仰せになったのは、拙者こと観音打至東の夫、観音打獅子郎どのである。
「はあ」
 おとなしく従う。正座だ。
 赤ら顔でない獅子郎どのを見かけるのも、随分と慣れてしまった。
 獅子郎どのが酒をお断ちになってから、果たして幾月経っただろうか――。
 膝を折り、背筋を正すと、獅子郎どのの眼差しが頭頂をかすめる。
 まっすぐと前を見ていた。ならばと拙者も、その胸元へ同じように返す。
「随分と……うぬも、いい目をするようになったな」
「ござるか?」
「そうさ。あの血走った目から濁った血を抜けたのであれば、それがしの人生にも意味のあったものと見える」
「なにを弱気な。次はニ千人斬りだと、息巻いておられたではないですか」
「フ。その楽しみは、今生にてはどだい叶わぬわ。なにせ先の千人、派手に斬りすぎた」
「はは、そうでありましたな――」
 思い出す。拙者がその千人目であったことを。いや、忘れようはずもない。
 あの冬の日……。
 拙者は刺客として、獅子郎どのの前に立った。
 あさのくすりで朦朧となった幼子に、邪道の剣を仕込む暗殺一派、暮六晩鐘(くれむつばんしょう)。
 そこが拙者の生まれ育った場所であったことを、忘れられようはずもない。
 あれらの傀儡として、その名も高き白獅子無双を殺しに向かった、あの運命の日を。
「――そして、獅子郎どのは拙者を『斬った』。あれほど深い一刀、忘れようはずもありませぬ」
「うむ。処女を切るのには慣れておったが、あそこまで手強い女はうぬの他についぞおらぬかった」
「お戯れを、このエロジジイどの」
 まあそういう次第であり申した。
「さて獅子郎どの、朝の拙者を呼び止めて、もしや本題から脱線しておるのではござらぬか?
 こう見えて拙者低血圧。加えて『ゆうべはお楽しみでしたね』状態であったゆえ、正直獅子郎どのの話などうっちゃって二度寝キメたいでござる」
「さすれば次は『おお至東、昼間からお楽しみとはなにごとだ』となるから観念して股を開くがよい」
「ははは病にて死ぬ前に赤玉出して逝かれませ獅子郎どの」
「お前の腹の上ならそれも本望だ」
 ははははは。
 はははは全然話が進まないでござるなはははは。

「――良いか」

 ぞわ……っ。
 急に、獅子郎どのが『差し込んで』きた。
 拙者の産毛は逆立ち総毛立ち、開いた瞳孔は猫の輝きを灯す。
 殺気に中てられての闘争逃走反応ではない。
 これこそが獅子郎どのより見て盗った識術、獅子吼内観。
「――何時でも」
 己の裡へ常に戦場を囲い置き、さらにその内に己自身を投げ入れることで、すなわち常在戦場を可能とする業。
 拙者にとっての戦場とは、紛れなくあの冬の日のこと……故に実際に寒く、頭脳冴え渡る。
 待機万全。そのうえでなお獅子郎どのは、拙者より疾く獲物を抜き打った。
 拙者の座る畳の下に隠した、仕掛けの火槍……!
 パァン!
 拙者が畳を蹴り跳ぶのと、槍の切っ先が脛を齧るのはほぼ同時。
 反応する。足裏を柔く切っ先に乗せると、趾で挟み込む。
 槍がこれ以上に伸びぬといった高度で、拙者はぐんと膝に力を溜める。
 素っ首撥ねられるが、我が夫の望みか。ならば――。
「至東! この世で最も鈍ら(なまくら)な剣を知っておるか!」
 ――獅子郎どのは瞬く間に拙者の前襟を取り、ぐいと捻じり撚る。
「んっ……!」
 擦れ、知らず、甘い痺れが胸先を走る。
「(不覚……ゆうべ執拗に責めてきたはこの為か!)」
「さあ、たずきは二つも出してやったぞ!」
 ――ドゥン!
「カ……ッ!」
 そのまま拙者を、獅子郎どのは力任せに床へ叩きつけた。
 骨が軋み、肺が歪む。脳は揺れず――ゆえに、思考はなんとか清浄。
 この一瞬で、拙者は思い考える。鈍らな剣。周到さ、執拗さ、力強さ……否!
「時ぞ! 時そのものにござる!」
「説破見事ぞ! さすがは至東、わが愛妾よ!」
 叫びながら拙者は、獅子郎どのの腕を三角締めに取らんとおとがいをそらす。
 しかし読んでおられたのだろう。獅子郎どのは身軽の技を用い、するりと締め付けから抜けた。
「フハハハだがしかし蟹挟むのが遅いわ至東! それは最初からやれとあれほど言いつけておろう!」
「くひひひ決め技ゆえ最初から見せては興ざめにござる! ――主に拙者が!」
 答えながら獅子郎どのはバシンと壁掛けの刀をひっつかんだ。愛刀、楠切村正。
 手入れもなしにギラギラと輝くその刀身の封を、獅子郎どのが解く。
「そんな可愛い至東に、それがしの、観音打の奥義を一つ授ける。心して聞け」
 正眼に構える獅子郎どの、すると確かにそうおっしゃられた。
「奥義――ですと!?」
 とくん。
 侍心、知らずときめいた。
 あの獅子郎どのの、白獅子無双の奥義である。
 はたして如何程の価値を持つものか、値踏みすらできぬ。
 それを、拙者に……!? ならば、つまり!
「舐めればようござるか?」
「後でやれい!」
 おととと先走ったでござる。いかんいかん。拙者ステイ拙者ステイ。
「良し。この後の楽しみがひとつ増えた所で――そこに座れ、至東」
「無限ループって恐ろしうござるよネ?」
「そう、恐ろしい。時という、それ自体では何も斬ること叶わぬ剣こそが……」


「……和合、重なりの果に斬れぬ者を斬る。断てぬ物を断つ。
 故に奥義。名付けて『三劫剣』よ」
 彼方。拙者の仇、暮六晩鐘の城を斬った獅子郎どのは、そう仰った。


「三劫剣――」
 領地【みねうち温泉郷】にて目覚めた拙者は、仰向けの姿勢のまま、天井に腕を伸ばす。
「(結局さっぱりわからんかったでござるな。観音打の剣、曖昧な口伝多すぎ申す)」
 そのまま振り、反動で跳ね起きた。
 低血圧は相変わらずだが、夜中勝手に弄ってくる獅子郎どのもおらぬ今、快適な寝覚めでござる。
「(まあ、それもよかろうござる。獅子郎どのは、思えば『残す』ことには拘らぬ方であった)」
 それが快くもあり、惜しくもある。寂しくもある。
「などと思うのも、拙者が女の身であるが故か……なんて、ネ」
 悔いは、ない。
 あの時ああすればよかったなど、思い返すこともできないほどに、必死ではあったからだ。
「思い返す……そう言えば、獅子郎どのは」

「拙者を妻と呼んだことは、のうござったな」

 伊月さま、にえさま、そして蜜香さま。獅子郎どのは、拙者の他にも三人、妻を娶っておられた。
 それぞれ人前では妻と読んで憚らぬはずであったのが、拙者だけ――。
「――まあま、それもよかろうござる。獅子郎どのにもなにかきっと、お考えのあったことであろうて」
 獅子郎どの。わが良人。
「拙者はこの混沌の地にて、そなたの技を取り戻しておりまする。
 その果に、いつかあの三劫剣も」
 あろうものと思い、拙者は朝稽古のため、枕元の楠切村正をひっつかむのだ。

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