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一度傾く平行線
登場人物一覧
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それはよくある日常の昼下がりだった。ローレットには数々の情報屋から齎された依頼書が所狭しと貼りだされている壁がある。以前は掲示板だったのだろうが、イレギュラーズの増加、そして依頼してくる地域の増加に伴い壁まで溢れかえっているのだ。
腰を折り、見えづらいところにある依頼書まで丁寧に目を通していたサンティールは、同じ姿勢をし続けたことによって鈍い痛みを訴える体を伸ばすために体を起こしてうんと伸びをする。自然と視線は上向きになり、ひょっこりと頭ひとつ抜けているそれを見つけるのは容易かった。
見たことのある顔にサンティールの表情はみるみるうちに小難しい顔から明るく変わっていく。
「や! ブラッド、ごきげんよう!」
声をかけた先にいたのは、呼んだ名の通りブラッドその人だ。彼もまた依頼書の更新を見に来たのであろう。人混みをすいすいと無駄なく通り抜けてサンティールの隣へ来れば、でこぼこコンビの視線は互いに交わった。
「こんにちは、サンティール」
それは雑音にあってもきちんと届く最低限の声量。それから依頼についてだとか、未処理事項についてだとか、イレギュラーズという立場において共有しておくべき事柄について口にすると、立ち話もなんだしと空腹を主張した腹の虫の誘いもあってお昼を共にする。
場所は変わってローレットの外、サンティールが気になっていた喫茶店だ。いくつものランタンが天井からぶら下がり、少し落とした全体照明がそのランタンたちを主役に引き立てる。モダンな雰囲気が話題となり、ローレット内でも噂話はたっていた。
「このあいだのお礼みたいなものさ。なんでも頼んでね!」
「お礼だなんて。それではこれを」
開いたメニューには数々の料理が並んでいた。軽食からがっつりとした食事まで様々だ。その中でサンティールが選んだのは、のっぽでふかふかの黄金色のお山にクリームがこれでもかと雲がかかるように乗せられたパンケーキセット。焼きたての熱がクリームを溶かして、ぽたりぽたりと更に雲の雨だれが出来ていた。
対してブラッドはランチセットだ。色々ある選択肢の中でパスタを選び、セットメニューのスープとサラダ、デザートも淡々と選んでいく。それぞれを栄養管理アプリに入れてみたら、恐らく高得点を叩き出すであろうラインナップだ。
ほとんど同時に届いたそれを、静かに口に運ぶのはブラッド。目を輝かせて甘いおやまを堪能するサンティール。まったく別々の二人がひとつのテーブルに座っていた。
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もうほとんど残っていないブラッドのランチセットに対して、ひとつひとつゆっくり味わって食べるサンティールのパンケーキはまだまだその姿を残していた。ブラッドの視線はそのおやまに向けられ、これだけ重ねる理由があるのだろうかと内心首をひねる。
そんなブラッドの心境を他所に、サンティールは視線の向きにだけ気が付いてごくりと一切れ呑み込んだ。
「ブラッドはすきなものとかある? パンケーキ食べる?」
「いえ、十分に栄養は摂りました。ありがとうございます。好き……は、特に思いつきませんね」
律儀にひとつひとつ応えるブラッドは好き嫌いの概念を考えてみるも、いまいちしっくりくる回答は出てこない。どちらかといえば、便利かそうでないかが大きな問題としてあげられる。
ブラッドがそう素直に言葉にすれば、サンティールはもふもふと口にパンケーキを頬張りながら頷いた。食べながらしゃべることはしないようで、会話のテンポは妙な波で送られる。
出した評価はなんとも『むだがない』ということだった。
「僕はねえ、たくさんあるよ!」
そうして指折り数えていく。母さんの作るレモンパイにシチュー。ぴかぴかのケトル。猫のヒゲ。おろしたての靴に洋服。それからそれから、と両手いっぱいに数えるサンティールを前に、ブラッドの思考は中途半端に止まっていた。
なんだか不思議そうな顔をしているブラッドに気が付き、サンティールは数える手を止める。どうしたのと尋ねてみれば、素直にブラッドは口にした。
「舌に合う、ものが綺麗、新しい物。それは良い事ですが……猫のヒゲは何をするのでしょうか?」
確かにそうだ。猫ではなくヒゲが好きとは一体どういうことなのだろう。
そんな疑問を前にサンティールは意味深に、ただただ意味深に笑ってにんまりと口の端を吊り上げた。
「ねこのきもちを表すみたいに動くでしょう? あれがかわいいんだ」
ぱちくり、という擬音が相応しい目の動きをした。ブラッドは想像してみるが、やはりいまいちわからない。
「俺は好きと言えるものが思いつきません。君はどういった瞬間に好きと感じるのでしょうか?」
「わからなくたっておかしなことじゃないよ。きみと僕はちがうヒトガタだもの」
もぐもぐごくん。サンティールのパンケーキは少しずつその形を崩していく。すっかり空になったランチセットのお皿が下げられていき、二人の間には冷えた水とパンケーキだけが残った。
「僕はね、『あべこべだからおもしろい』、『ともだちの知らない一面を識る』ことがうれしいのさ」
「そうですか……」
他者と違うことで齎される不協和があるのに対して、他者と違うことを楽しめる調和が存在する。おおよそ不協和は平和を乱すが、調和はそれを平定する。理解しようと思考を回すが、ブラッドがそれをかみ砕いて自分の思考に溶かすことが出来るかはまた別問題だ。
「肉体が、魂が違うだけで他者を理解しがたいです」
思考は言葉へと変わる。善人が時として悪行へと手を染めることもあり、悪人が時として善行を積むこともある。そこへ至る考えをブラッドには理解することが出来ない。
話を聞いたサンティールも、依頼書を眺めていた時の小難しい顔へと逆戻りした。うーんと唸り声をあげ、最後の一口を放り込めば味わって飲み込む。最後の一切れは格別だ。
サンティールはゆっくりと咀嚼しながら、終始表情ひとつ動かさないブラッドを見てぽんと手のひらを叩いた。
「そうかあ、ブラッドは『事実と現実』を捉えることが得意なんだね!」
おおよそ混迷して存在するそれらは、実際問題別物だ。しかし混同して行動を起こしがちでもある。サンティールが言うには、ブラッドはその分断が上手なのだとか。
こころひとつで悪たりえる。こころひとつで善たりえる。迷い、悩み、苦しみながら、それでも選択をしていくのがひとだ。
一度耳にすればなかなかなくすことはない、『主よ、憐れみ給え』という言葉は、そんな人たちへと捧ぐいのりのかたちなのかもしれない。
サンティールの論じた説に耳を傾けながら、ブラッドはひとつの疑問を覚える。
「……君は知らない一面を識るのが嬉しいと言いましたね。全て理解できていたら良かったと、思う事はないのですか?」
「あるとも、たくさん!」
答えは明朗快活としていた。
「戦いに赴くとき、ともだちと喧嘩しちゃったとき。他人のすべてを理解することは叶わない。……だから、」
二人の間にはもう何も残ってはいなかった。ただそこにはブラッドがいて、サンティールがいるだけだ。
「せめて寄り添いたいって思うんだ」
その言葉は、何かに邪魔されることなくブラッドへと届いただろう。