SS詳細
その海色が映す景色へ
登場人物一覧
●
空の青に、影が射す。
水平線の向こう、曖昧な境界線の揺らぎへ沈む、夕陽の影響だ。
青は、暗い蒼になる。赤みの強い灯りは静かに弱まって、やがてここは漆黒になるだろう。
そんな、狭間の時間に。
波打ちのざあざあとした音色を聴きながら、シズクは砂浜に一人、立っていた。
●
「……はぁ」
深い溜め息を吐き出す。
いつもなら、こういった公共の場で、あからさまな態度を曝す事などまずしないのだが、
「……まあ、誰もいないし」
夕暮れの浜辺に人はいない。
今くらいは、どんな姿でいてもいいだろう。
そう思う程度には――いや、ついそう考えてしまう程度には、疲れに起因する怠惰があった。
「……夏ももう、終わりね」
深く吐き出して、すっからかんになった肺へと空気を取り込むと、口から鼻へと磯の香りが通り抜けていく。
シズクは、あまり海は得意ではない。
泳げないという訳でもなく、特段、トラウマとなるような過去があるわけでもなく。ただ、潮は後の手入れが大変だからとか、そんな小さな理由からだ。
「今は別に必須というわけでもないのに、ここら辺、昔からの習性は抜けないのね」
背に備えた刀は馴染んだ得物。傭兵となる前からの相棒で、ギルド所属となってからは抜くことすら稀になった代物だ。
だが、長年持っていた重みが無くなると落ち着かないのも事実で、故にまだ、手放せずにいる。
「……どうしてここなのかしらね」
頭を振って思考を切り替えたシズクは、小さく呟く。
見渡す景色はやっぱり独りで、もしかして世界に自分しか残っていないのではないかと、そんな荒唐無稽を夢想出来そうだと思う。
もちろんそんな訳無く、そもそもこの場所を訪れたのだって自発的ではない。
「あのメガネさん、何を考えているのかしら」
新田 寛治。
あちらこちらの女性に声を掛けては怪しげな行いをしている、とか。
そんな噂を聞く人物だ。
特に、アーベントロートのご令嬢にちょっかいを掛けたとか、そんな話まで聞く有り様で、それが本当なら気が狂っているのではないかと思う。
ファンド、というのだそうだ。
意味はよくわからないが、何かの事業みたいなものなのだろう。
得があるからやるのだ。
ただ、もし仮に、なんの得も無しにやっているのだとしたら。
「……もしかしてそういうプレイ……」
無いことではない。傭兵時分には、変わった趣味の戦士は少なからずいた。
恥ずかしそうに頬を掻きながら「ちょっかいかけた相手がキレて殴ってくれる瞬間が好きなんだ」と語った彼は元気だろうか。
回顧は置いておいて、ともかく、シズクがここにいる理由は、件の寛治に呼ばれたからだ。
これもファンドの一種、らしい。
仕事疲れのうたた寝中に、何かを聞かれて頷いた記憶しかないので、その辺りの情報は随分と曖昧だ。
とにかくこの場でなにかしらする、という事で。約束をしてしまったのならそれは絶対だ。
だが、待っていても彼は来ない。
「――いや、前提が違うのか?」
来ないのではなく、もしかすると。
「もう、この場にいるのか」
聞いた事がある。
曰く、そいつはそこにいながらにしてその場から消えられる、と。
風景に溶け込み自身の存在を人の視界から失せてしまう能力があるようだぞと、そういう話だ。
何が狙いなのか、やはりシズクには理解出来ない。
だが浮かんでしまった可能性は、確かめずにはいられない。
可能性として割りと高めなのが嫌らしい所だ。
「……ふぅん」
波打ち際に立って振り返る。
砂色の浜辺は広く、一見、やはり何もない。
「見えなくても、居ることに変わりはないのでしょうね」
仮定を前提として、海水へと歩を進める。
足先に伝わる海水の冷たさに小さく震えながら、脛、膝と、浸かる深さはどんどん下がっていく。
と、不意に、前進は止まった。
「……ふ、っ」
それから、彼女は振り返りの動きを、片足を軸にして回る様に行い、
「と!」
自由にした足の振り払いで、海水のシャワーを浜辺にぶちこんだ。
玉の様な滴の散らばりが、砂色に黒の着色を行って、しかし変わらない色がそこにある。
「ほら、みつけた」
その結果を見たシズクは、微かに笑って、飛沫に濡れた髪を掻き上げていた。