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『トラモント家に仕えるメイドの回想録』前編

登場人物一覧

フラーゴラ・トラモント(p3p008825)
星月を掬うひと
フラーゴラ・トラモントの関係者
→ イラスト

 グラーノ様は強い御仁でございました。
 軍人という意味ならば、あれこそが天稟てんぴんというに相応しいものでございましょう。
 周囲の騎士に比べれば家格や年功こそは劣りましたが、分厚い甲冑ごと断ち切るその剣技は『金色の牙』と呼ばれて味方にも敵にも一目置かれておりました。
 剣術の事は全く分からぬわたくしですが、それでさえ我があるじの周囲に並び立つ者などおらぬだろうと確信を持って誇りとしていたくらいです。
 もう一つの意味としては夫として強すぎた事でございます。

 当時、彼にはマルガレータ様という妻がおりました。彼女は軍人であるグラーノ様の身を案じ、「グラーノにも家に居て欲しい」と本人や私に漏らした事がありました。
 グラーノ様は、「軍人として活躍すれば国の為にもなるし、もっとマルガレータによい暮らしをさせる事が出来る」というような事を仰っており、これは軍人としても夫としても立派な事です。
 しかし一方で、マルガレータ様のお気持ちも当然の事でございます。遠征の度に何処かに怪我を負って帰ってくる夫を見て、心から喜べる妻が何処におりましょう。特に彼女においてはグラーノ様の事を愛しており、その証明としてお腹には彼の子を宿しておりました。
「私は不安で仕方がないわ。家から出て行く度に彼が死んでしまうのではないかと」
「お気持ちはわかります。しかしグラーノ様は民衆や奥方様の事を大事に思って、武功をたてようとしているのです」
 マルガレータ様がそう仰る度に、家中の者は口を揃えてそんな事をいっていました。その言葉の後ろ盾として、グラーノ様は当時の年齢を考慮すれば非常に立派な地位に任命されていたのです。
 心の中で「グラーノ様なら簡単に死なないだろう」という慢心めいたものが、マルガレータ様以外にあったのかもしれません。

 そういう日々が続いてから、マルガレータ様が強く抗議に出た事がありました。
「グラーノ、今度の戦地には絶対に行かないで!! 家に居て!!!」
「どうしたんだい? いつもの君らしくない」
 彼女は身重にも関わらず、扉を塞いで子供のように喚いておりました。グラーノ様は困惑した表情で、そんな彼女が少々ヒステリックに映ったのかもしれません。――いいえ、思い返してみれば彼女の行動は当然でしょう。あれは以前グラーノ様が任命されたような巨大な魔物退治やカルテルの摘発とはわけが違いました。
 近年、我が国で問題となっている北方の『ゼシュテル鉄帝国』からの侵攻、いわば戦争であり、軍人と軍人同士の殺し合い。歴戦の勇士でさえ死んでしまってもなんら不思議でない戦いです。
 軍人であらばそれに従軍するのは当然の事であり、幻想の住人にとっての誉れでもありました。当のグラーノ様も食事の席で「北部から鉄帝国が攻め込んできた。私は、それの一部隊を指揮する任が与えられた」と自慢するように初々しく仰ったほどです。
 しかし、出産を控えた彼女にとってはまずかったのでしょう。怪我を負って帰ってくるグラーノ様が心配のあまり、食事も喉を通らぬ状態になっていた所に……その言葉です。
 淑やかを絵に描いたようなマルガレータ様が、食事が盛られた皿を乱暴にひっくり返すような真似をしたのその時が唯一でした。
 私は胸の中に泥のような苦しさが溜まっていくのを感じました。それがマルガレータ様にとって何の慰めになりましょう。グラーノ様のお立場や当時の情勢を考えればその任の辞退を提案するなど、到底出来なかったのです。
 グラーノ様は扉を遮る彼女へ子供をあやすように長い時間抱き締めて、どうにか説き伏せました。
「……俺は仕事に行くよ。愛してるよ」
 戦地へ赴くグラーノ様の言葉に対して、マルガレータ様が「愛しているなら行かないで」と言い返せたのなら、グラーノ様もお考えになったかもしれません。
 しかし、マルガレータ様はそうなされませんでした。おそらくはその任が辞退が難しい事を彼女も理解しており、今以上にグラーノ様の重荷にはなりたくなかったのです。

 それからマルガレータ様の調子は芳しくありませんでした。
「戦いはどうなってるかしら」
「戦勝報告が続々と届いております。戦いは我が幻想の勝利でしょう」
 家中の者は皆がそういってマルガレータ様を慰めておりました。
 武力に名高い鉄帝人相手に、貴族社会で腐敗しきった当時の幻想が連戦連勝出来るほど戦いは甘くないと我々風情にもわかっております。軍人の妻であらせられるマルガレータ様は、我々の嘘を容易く見抜いていたでしょう。
 そうであっても、マルガレータ様は不平不満を何一つ仰る事はありませんでした。むしろ、我々の話に調子を合わせて「だったら私もこの子の為にも元気を取り戻さなくちゃ」と大きな唐柿からうりを無理に口へ入れていたほどです。
 グラーノ様が強い御仁であるのならば、妻である彼女もそれに相応しいほど気高く、お強い人だと感服したほどです。
 それほどの心を砕いたのは、この報せのほかありません。
「グラーノ・トラモントが指揮していた部隊は鉄帝人によって壊滅した」
 幻想の軍人が我らが屋敷に踏み入って、感情の起伏もない声でそんな事をマルガレータ様に伝え始めたのを今でもハッキリと覚えています。
「グラーノ・トラモント自身も重傷を負い、現在は後方地にある病院に運び込まれた。だがいつ死んでもおかしくないゆえ」
 傷痍軍人への恩賞だの、遺族への手当だの、形式ばって耳触りの悪い話を、私は、さしでがましくも、激情に駆られ、その男の頬に平手を張って黙らせようとしました。
 マルガレータ様が先に思いをぶつけていなければ、そうしていたに違いありません。いえ、しかしすべきでした。
「それだけなの」
「ずっと戦地へ赴いていた彼に対して、お礼の言葉一つもないの?」
 グラーノ様が仰った「国の為」という想いを肯定してもらいたかったのでしょう、彼女は言葉少なく目の前の軍人に訴えかけました。しかし事情を知らぬ軍人にとって、その態度は傲慢に映ってしまった。
「たくさんの部下を死なせておいて何を言うか。それに、軍人が死ぬのは当然の事であろう」
 ――それを聞いたマルガレータ様は、精神の糸がプツリと切れたように気を失って妊婦としてはもっとも避けるべき姿勢で倒れたのです。
 私を含めた家中の者達の悲鳴。彼女の股から滴る流血――足早に逃げ去る軍人クソ! 今思い出しても、我が人生で最悪の瞬間だったと言い切れます。
 マルガレータ様にとってその軍人の言葉はあまりに酷で、意識を取り戻した彼女は「自分は夫を死地に追いやる存在だという意味にほかならない、彼とは離婚すべきなんだ」と自分へ言い聞かせるように、繰り返し口にしていて――元々調子がよくなかった彼女は、「取り出さないと母体が危ない」と病院へ運び込まれ――いつの間にかグラーノ様への離縁状を書き置かれていて――そこを抜け出して私達の前から姿を消しました。あのお腹で遠くまで逃げ出せるわけがない――それでも何処を探しても見つからなかったのです! グラーノ様が意識を取り戻すまでに何とか見つけ出すべきだったのに――病院の関係者や我々は周囲に存在するいたる施設全て探し、それらの下水道さえもくまなく探しました! それでも、彼女は見つからなかったのです!!

 ……彼女が居なくなってからのグラーノ様は、贔屓目に見ても良い振る舞いであったとは言えません。
 犯罪者や魔物、戦地にあっても、分別をもって殺すべき者を殺し、救うべき者を救っていたグラーノ様でしたが、あれ以後はまるで人が変わったように冷酷かつ無慈悲な仕事振りだったようです。
 民衆にもその評判は伝わり、グラーノ様含めて我ら一同は白眼視されたものです。それらの事が相俟って、共に仕えていた者の何人かは仕事を辞めてしまいました。
 そんな日々を送って数年が経ち、グラーノ様に付き添って新しい家具を調達しに行った時の事です。
 商店の方から喧噪のような、子供を叱りつけるような怒号を耳にしました。
 街で何か事件が起きているなら事を収めるのがグラーノ様の仕事でもあります。当然、彼はそちらの方へ足を運びました。
 騒ぎが起きているのは野菜を売っているお店で、子供が盗みを働いたようでした。
 いえ、その子に盗みを働いた自覚はなかったのでしょう。襤褸ボロをまとった汚い身なりの子供が真っ赤な唐柿を美味しそうにかぶりついていたというのは……口回りに汁が血液のようにこびりついていたというのもあって、まるで獣のソレで、金銭の概念すら備わっているように思えませんでした。
 その子が折檻を受ける直前の場面に立ち会ったグラーノ様は、躊躇いなく言いました。
「俺の子なんだ。お代はいくらだ? 倍払う」
 店主は驚きを隠せません。彼の子が流産したというのは周知の事実です。子供は話を合わせるでもなく、夢中で唐柿を食べ続けていました。
「おい、いくら騎士たってそんな嘘ついて」
 グラーノ様を睨み付けた店主は、逆に「ひっ」と息を呑んで黙り込みました。グラーノ様が剣の柄に手をかけていたのです。

「あの子を引き渡していてくれていなければ、自分は店主を殺していたかもしれない」
「何故あのような事を!」
 窃盗の被害者が殺されては道理が通らぬ。そんな気持ちで、私は初めてあるじに声を荒らげました。しかし、続く言葉には何も言い返せなくなります。
「……すまない。マルガレータの子が生きていれば、この子くらいだろう。そう思ったら、手が勝手に剣を握っていたんだ」

 それから、私達はその子を屋敷に連れ帰りました。グラーノ様はその子を抱きかかえ、爪で引っ掻いて抵抗するものだから傷だらけでした。
 伸びきった爪は黄色くなって、間には垢が溜まって黒ずんで。肌や髪も似たようなものでした。その時、私が不衛生な物を見るような目をしていたせいか「この子をお風呂に入れてくる」とグラーノ様が子供を脱衣所へ連れて行きました。
 それから一層激しい抵抗の騒ぎがあり、何事が起きたのか確かめる為に私が踏み入りますと、子供は『女の子』であり、グラーノ様へキィキィ声で怒り狂っていたのです。
 私が代わりに洗うと抵抗をしなかった事から、その子にも恥というものは備わっていたのでしょう。仕草を使ったごく簡単な意思疎通が取れる事から、その子が言葉が喋れないのは何か不具があるのではなく、学習経験がない事からだと感じ取るのはそう時間が掛かりませんでした。

 数日経ち、その子に身よりがないであろう事を確認したグラーノ様は「養子に迎え入れようと思う」と正式に手続きを始められました。
「彼女には人並みの事を教えようと思う」
 仕事で屋敷を出払っている時以外、彼女を我が子のように甲斐甲斐しく世話をして、教師のように物を教えていました。
 彼女が初めて口にした言葉は「ぱぱ」で、これは意図せぬものでしたが、面と向かっていわれたグラーノ様は大変お喜びになっていたのが思い出として残っています。
 気をよくした彼は、続けて難しい事を教え込みました。
「いいぞ、そうだ。君の名前も覚えよう。フラーゴラ。フラーゴラ・トラモント! 意味は――」
 私は「十年以上掛かる教育だろう」と微笑ましく思っていましたが、おどろく事に普通の子供が十年前後費やす事を、彼女は何倍もの速度で覚えていたのです。


 数年経った現在、既にグラーノ様は以前のお人柄を取り戻していました。
「パパ……ワタシもパパみたいにそれ扱ってみたい」
「フラーゴラ。これは気安く扱ってはいけないものだ」
 そう、一旦断るものの、フラーゴラ様の目は本気でした。
「わかってる……パパみたいに人を守ったりしたいの」

 フラーゴラ様の言う通り、グラーノ様は軍人として戦う意味を取り戻しました。
 彼女にもそうあって欲しいのか、はたまた才能を見出したのか、本気で剣術を教え込むグラーノ様は傍から見て少々危なっかしく思えます。
 それでもフラーゴラ様は自身に見合った短剣を用い始めたり、今日はそれで剣を受け流す術を覚えたり、彼女は父親からの教育を身につけようと懸命に励んでいます。

 マルガレータ様の子が無事にお産まれたのならば、きっとこのような光景があったのでしょう。
 目の前の光景を記録しながら、私メイドリーはそんな事を思い浮かべています。
   

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