SS詳細
絡み合うドラグヴァンディル
登場人物一覧
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陽の光が一筋さえも届かない地下牢の中、キシリと荒縄が軋む音。
縄は天井へ真っすぐに伸び、滑車を巡って下へ下へと降りていく。終着点は白い手首。
「
「……」
ばっしゃあ! と派手に水をかけられようが、吊るされた女――『首狩り奴隷令嬢』17(p3p008904)は意識を飛ばしたままだ。前のめりに身を項垂れさせたまま、微動だにしない。
「うーん? やっぱり優しいのは慣れてないのかなぁ」
水をかけた人物は、言うなりバケツを捨てた後、しゃがんで一本の紐を握る。語るもおぞましい拷問器具の並ぶ部屋でただ一つ、パッと目が冴えるような赤い紐。繋がれた先にあるのは――。
「"君の瞳と同じ色の首輪だよ"」
「ぁぐッ!? か、はッ……!!」
思い切り紐が引かれ、繋がれた首輪が17の首を絞めつける。声なき叫びを耳にすれば、彼女を拷問していた人物は満足げな笑顔で17の元へ歩み寄った。顎を掴み上を向かせ、固定したまま耳元へ囁く。
「やっと起きてくれたね。お寝坊さんな17」
「ぉ……じ、さま……? ――ッあ゛!!」
ギリリと紐が一層強く締め付けられる。壮絶な痛みと苦しみにチカチカと脳の奥で星が散った。ビクン、と仰け反り痙攣する身体。
「嫌だなぁ
(そう……でしたわ。あの時、私は確かに叔父を自らの手で――)
それはまだ、17が
投獄された檻は目が粗く、抜けようと思えばいつでも抜け出す事が出来る程度の物だった。それでも残り続けたのは、たとえ
父も母も、兄までもが叔父の謀叛の狂刃に倒れ、家を出た次兄は未だ行方を眩ませたまま。良き領主を失った領地は荒れに荒れ、共に民草の心も枯れ果てた。今や一握りの糧を得る為に互いを見張り、罪を着せあい、隙あらば叔父の元へ突き出す始末。
それに何より。
「やあ、待たせたね」
「っ……ご主人様!」
流れた月日は『叔父』と『姪』の立場を歪に変えた。今やご主人様と奴隷令嬢。捕らえられた直後はガキと蔑まれ続けたガーベラも、歳を重ねるうち身目麗しく育ち、暴力は歪んだ寵愛へ変わっていった。
「寂しかったか?」
「いいえ。ご主人様の事を想い続けるだけで幸せですもの」
目の前の男は絶望を突き付けた張本人であると同時に初恋の人でもある。だから思い返すのだ。優しかった頃の叔父を。気さくで優しいあの笑顔を。そうでもしないと――心が壊れてしまうから。
「それは良かった。私もずっとお前の事を想っていたよ」
虚ろなれど微笑むガーベラ。その赤い瞳に映すご主人様の笑みこそ、彼女が
「ただ、私はひとつ、お前の気に入らない部分があるんだ」
「お許しくださいませ。私に直せる事があるならば何なりと――」
「その目だ。お前が美しくなる程近づいていく。あの
「何をなさるおつもりですの? おやめください、それは……それだけは!」
「フハハハハ! 愚かな女だ。少し優しくしてやっただけで俺様の女気取りか?」
「ちが、ひっ……!」
「だとすりゃ残ぁん念!! お前はただの捌け口で! 玩具でッ!! ガラクタなんだよぉッツ!!」
――嗚呼、もう。思い出どころか、光さえ。
「分かるかいガーベラ。お前のために特別にこしらえたんだ。――君の瞳と同じ色の首輪だよ」
何も見えない。何も。世界も、未来も――貴方の命の灯火さえも。
「ッ!? 馬鹿な!貴様ッ……何故その剣を持っている!?」
それから後の事は覚えていない。
ご主人様が最後に喚いた言葉も、己自身の叫びも。何もかも全て喰らい尽くした。
――絶望によって鋳造された、邪なる刃の一振りが。
「ぁ、ぁあ……あああああ゛あ゛あ゛ーーーッツ!!」
過去の記憶を辿れば地獄、
「痛むのかい、17。心の傷が。身体の傷が。でもね、痛みは恐怖の引き金だ」
「はぁ……はぁっ……」
「それを恐れている限り、君の刃は不完全。だから痛みに慣れるんだよ。そしたらきっと君は至れる」
あらゆる光を握り潰し、星明かりすら届かない完璧な闇――おぞましくも美しき
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「いやぁ、今回も凄い活躍だったね!」
「オーッホッホッホ! 農作業絡みの依頼であれば、朝飯前通り越して夕飯前さえ飛び越え昼飯前の更に前ですわッ!」
「それはつまり朝飯前と同じじゃない?」
境界図書館のロビーに見事なまでの高笑いが響く。今日も今日とて鍬を片手に汗を流す『noblesse oblige』ガーベラ・キルロード(p3p006172)。最近はよほど調子がいいのか、ご自慢の縦ロールが美しい艶を帯びている。
そんな彼女の威を借りて『境界案内人』神郷 蒼矢は業績をぐんと上げていた。今やキルロード家領地に足を向けて寝れない程である。
「その調子だと、恋人とは上手くいってるみたいだねぇ。よかったよかっ……あいた!」
「嫌ですわ蒼矢様! 私がどんな状況でも奏多様は支えてくださいますもの。心配する必要なんて欠片もなくてよ!」
乙女とはいえ農作業慣れした腕でバシバシ叩かれ続ければ、もやしっ子の蒼矢の身体は容易にぐらつく。ガーベラが満足して手を緩めたところで、ケホケホ咳込みながらズレた帽子を直した。
「ガーベラが一歩踏み出して、幸せになれたなら……自分の事みたいに嬉しいよ。僕は青信号だからね」
「青信号……と、いうのは何ですの?」
「あぁ、そうか。君達の住む世界では一部の場所にしか無いんだっけ。乗り物と人が行き交う場所で、色のついた明かりを灯して交通整理をする機械の事だよ。僕は歩行者向けの青信号。意味は『先へ進め』さ!」
「そうでしたの。初めて聞きましたけど、前向きで素敵な意味ですわね」
「真っすぐ褒められると照れるなぁ。これからも僕は、ガーベラが歩む道を応援していくから――」
ガキィンッ!!!
――全ては刹那の出来事。
言葉をかき消す程の風と共に、振り落とされる禍々しい刃。
それを受け止めたのは大きく立派な鍬だった。
「――ッ!」
体重をかけられているとはいえ、あまりにも重い一撃。受け止めるガーベラの足が、ずり……と床を滑る。
腰を抜かして動けなくなった蒼矢を守ろうと踏ん張りながら、彼女は襲撃者を睨みつけた。
「境界案内人を狙うなんて! 貴方……何者ですの?」
「愚かですわね」
互いに攻撃を弾き合い、刃が離れた瞬間にガーベラの鍬が白き細剣に移り変わる。
真ドラグヴァンディルーーそれはキルロード家の家宝であり、数々の英雄が受け継いだ誇り高き一振り。
「なんて悪趣味な」
だからこそあり得ない。否、あってはならない――二振り目など。ましてやそれが、邪なる闇に染まるなど!
「貴女は選択を誤りましたわ。先程の一瞬、私には隙があった」
冷ややかに告げられた言葉は真実だ。襲撃者が蒼矢を狙った瞬間。その隙を突く事さえ出来れば致命傷を負わせる事も出来ただろう。
「だからと言って、弱き者に犠牲を強いて掴み取る勝利を、私は良しと致しませんわ。何故なら――」
「「ノブレス・オブリージュ」」
「――!」
「貴族たる者、身分に相応しい振る舞いをすべきである。高い地位には相応の義務と責任があり、それを全うする尊き精神を持つ者であれ」
一文字一句違える事なく淡々と襲撃者はガーベラの家訓を口にし、剣を持つ手に力を込める。
「くだらない……」
「何ですって?」
「生温い言葉を糧にのうのうと生きる貴方を見ると……腸煮えくり返るを通り越して虫唾が走りますわ!」
ダンッ! と大理石の床を踏み襲撃者は鮮やかに舞う。本棚の側面を蹴り空中に身を躍らせて、死角を狙い突きを繰り出す!
「私をッ……いいえ。キルロード家を侮辱しましたわね!」
負けじとガーベラも身を翻す。白き盾で剣を弾き、反撃すべく身構えた。
「あら、これは受け止めますの? けれどいつまでもつかしら。私は貴方、貴方は私。さぁ――絶望を始めましょう♪」
「ど、どうなってるんだこの状況……」
目の前で繰り広げられるガーベラと襲撃者の攻防に、蒼矢は呆然と座り込んでいた。これ以上お荷物にならないよう後ろにさがり、本棚の影へなんとか逃げ込む。
「あの襲撃者って特異運命座標だよね。一体誰がけしかけて来たんだろう?」
思い当たるのは同僚ロベリア・カーネイジだが、襲撃者は躊躇いなく蒼矢を殺そうとしていた。いくら彼女の性格が歪んでいるとて、仕事の負担が増えるだけの同僚殺しに気紛れだけで手を染めるだろうか?
「嗚呼、死に底なったんだ。残念だなぁ」
背後からかかった声にビクリと蒼矢の肩が跳ねる。振り向けばそこには己と同じ白いジャケットを纏い、白い帽子を目深に被った麗人が立っていた。彼女の口元には笑みが見えるが、帽子の影から見える金の双眸は底抜けに冷ややかだ。
「君は、誰?」
「境界案内人、神郷
名前だけ端的に告げると、女はすぐに踵を返す。向かう先は襲撃者の方だ。
「17、今日はここまでにしよう」
「いいえ、ここで仕留めますわ。このまま――、ッ!」
逸る17の隙を突き、ガーベラが素早く剣撃を浴びせた。一歩、二歩、それをいなして後ろへ下がれば、跳躍し黄娑羅の元へ舞い戻る。
「覚えておきなさいガーベラ。貴女の首は、いずれ私が貰い受けますわ」
「お待ちなさい! まだ決着はついていませんわ!」
「狩り取られるその日まで、せいぜい高貴な貴族ごっこに浸っていなさい」
黄娑羅が手元の本を開いた瞬間、強い風が巻き起こる。瞬きの間に二人の姿は消え、残されたガーベラはやり場のない思いのままに俯いた。
"私は貴方、貴方は私"
彼女の言葉が真実だとすれば――何と度し難い存在か。
「17……私の大切なものを、これ以上傷つけるというのなら……キルロード家の誇りをもって、迎え撃ちますわ!」