SS詳細
雨の気配
登場人物一覧
●同行者
「ああ、それと。グレイル、……今回はこいつも連れて行ってくれ」
依頼人が招き寄せたのは痩せた少女だ。
「金だ」
「いや、護衛対象じゃあない。”二人”だ」
依頼人はこともなげに言葉をつづけた。
「今回の任務は二人でやってくれ」
「わかった」
グレイルはプロの傭兵だ。
金さえもらえれば、それは仕事のうちとなる。
よろしくネ、と、少女はガスマスクの奥で声を響かせる。
少女の発するくぐもった声が本来どういった響きを持つのかは、分厚いフィルターに飲まれてわからない。
かくして、契約は成立した。
手付金と事務的な手続き。
かわした言葉は二言か三言。
庇護し、庇護されるものとしてではなく、対等な仕事仲間としての出会いだった。
●寂れた世界を行く
姿勢よく起立していた少女は依頼人の気配がなくなると、天井に向かってぐっ、と伸びる。
少女は自らをジェックと名乗った。
痩せた少女だ。膝は骨ばっている。
身体つきは、戦闘に耐えうるのかと疑問になるほど華奢なものだ。場違いに背負った黒いライフルは支給品の粗末なもの。
どちらも、この世界ではそう珍しいことではない。少女のいでたちは、自らの足で立ち生きる意思があることを示していた。
依頼人からのオーダーは水源の調査。
大気汚染の進んだこの世界では、水は何よりも貴重なものだ。新たな水源を確保することは、富と権力を手に入れることと等しい。
グレイルは、請けた仕事はそれこそすべて完遂してきた。余計な荷物があったとしてもやることは同じだ。
二人一組が求められたのは、どちらかが脱落した場合の保険だ。要するに、目的を果たした場合、片方は生き延びて最低限でも情報は持ってこいということだ。
だからこそ身軽なジェックが選ばれた。
互いの顔を知らない。
ひどい大気汚染に覆われたこの世界は、ガスマスクは生命維持装置と同義である。
したがって互いの第一の識別記号は顔立ち以外のものとなる。
体格、動作、話し方。足音。
雰囲気。
とはいえ、完全に知らぬわけでもない。ガスマスクにはめられた円形のガラス越しに、互いの表情が僅かに見える。
覗く少女の瞳は、たまに面白そうにこちらの様子をうかがっている。
振り返ればいつもにやりと目を細めてみせるのである。警戒しているのか、面白がっているのか、半々といったところだろうか。
不意に、銃声が鳴り響いた。同業者からの襲撃だ。
「突出するな」
グレイルの呼びかけに、ジェックはぴたりと止まった。ライフルを固定して、獲物を照準にとらえる。
「引き付けろ……」
「ワカッタ」
引き金を引く。
外した。
だが、二発目は当てる。
敵は二人。打ち漏らした獲物がこちらに迫ってくる。
グレイルは冷静にナイフを振るい、相手の喉をかき切った。
「ゴメン」
「油断するな」
言葉とは裏腹に、グレイルは感心していた。
覚えが良い。
それがジェックへの印象だった。
非力で、動きはまだ未熟だ。だが、決して愚かではない。
二発目を動揺せずに当てた。
「痕跡は」
「残さナイ。オーケー」
少女は足跡を靴で削った。返事は軽い調子だが、失敗は繰り返されることはなかった。
同じ依頼を受けた者同士、立場は対等ではあったが、実力に差があることをジェックはよく理解しているようだった。
ジェックはグレイルの動きを注意深く観察している。
グレイルは口数が多いほうではない。だが、少女は驚くほど器用に察する。
全身で知識を、生き延びるすべを学んでいた。
行動を共にするわずかな時間で、少女はぐんと成長していた。
ジェックの態度は媚びとも違う。
強いものの顔色をうかがい、追従し、後ろに引っ込むようなものではない。かといって、いつか寝首を掻こうという類のものではない。最初の頃に感じた緊張は、まだ残ってはいたが、ほとんど鳴りを潜めてもはや表面に出てくることはなかった。
人生を生き延びるというよりは、目の前の困難を何とかやり過ごすような、しがみつくような、奇妙な執着。へらりへらりとしながらも、どこか強い意志を感じる。
「……」
グレイルはじっとジェックを見ていた。
「食べル?」
流動食のパックを開封したジェックは、首をかしげて、ひとつ差し出す。
「いや」
この感情をなんと呼び表すのか、グレイルは知らない。
「とっておけ」
「ラッキー」
稽古をつけてやるようになったのは、いつからだろうか。
食事のあとは、二人ナイフを振るいあうようになっていた。無論、本物ではなく、ガラクタをそれらしく削ったものだ。
「狙え」
ジェックの攻撃を、グレイルが次々と防いでいく。
「振り回すな、狙え」
「スナイパーが接近されたらオシマイじゃナイの?」
へらへらと降参の構えをしたジェックは、不意に身をひるがえし、グレイルにナイフを突き出した。
ここまでは予想通り。
だが、もう一撃、隠された一撃が横から降ってくる。
防いだ。
グレイルはジェックの腕をつかみ、ひねり上げる。
「グエエ、ダメだった」
「まあまあだな」
ジェックは地面にべたりと伸びた。
「ドウしたらそんな動きニなるワケ?」
「経験だ」
言いながら、グレイルはどこか奇妙な満足を覚えていた。最後の一撃。あれは良かった。反射的に防げはしたが、並のものであればそうはいかなかったろう。
雨が降りそうだ。
ふと、乾いた砂に水がしみこむように、という例えを思い出す。
この大地は乾ききっている。
ジェックは、なによりもカンが良かった。
グレイルの傭兵としての技術は、たくわえた経験と情を省いた冷徹ともいえる判断によるものだ。
だが、少女にはどこか野生のカンのようなものがある。
ジェックが「嫌な予感がする」と言えば、たしかにグレイルはそれに理由を見つけることができた。見つけた避難場所には、待ち伏せをする原生生物が巣食っていた。
距離はある。
スナイパーとしての優位だ。
もう言葉にして教える必要もない。ジェックは死角に身を伏せる。銃身を固定し、グレイルを見上げる。ここでいいか、と問うように。
合っていた。狙うならば、グレイルもこの場所から狙うだろう。この感覚のずれを修正する必要はいつしかほとんどなくなっていた。
ああ、上出来だ。
口にすることはなく、静かに頷くだけだ。
「よく狙え」
果たして、伝わっているのだろうか。
方向は合っている。
ならばあとは、技術だ。栄養を与えれば、すくすくと育ってゆく。
グレイルには確信があった。
ジェックの一撃は、寸分たがいなく原生生物の頭を撃ちぬく。ガスマスク越しに甲高い音が鳴った。笑い声だ。二撃。外さない。相手はスナイパーの位置を探ろうと身を乗り出した。
かっこうの獲物だ。
サイレンサーに殺された銃声。三体の生物を音もなく葬り去ったジェックは、どうだと言わんばかりにグレイルを見上げる。
「筋が良いな」
「ナンテ?」
「移動するぞ、雨だ」
聞き返したが、繰り返されることはなかった。
「ハーイ」
ここら一帯には、水を受け止め留めるだけの豊かな土壌はない。
ざあ、と、埋め合わせるように降り注ぐ雨水は、一瞬のうちに大雨となる。廃墟のガラクタとガラクタの隙間で雨を避け、体よく身を寄せた二人は、僅かな火を囲んでいた。
「雨は体温を奪う、あなどるな」
「雨が降るって、ドウしたらワカルの?」
「そうだな……生き物の動きを見ていればわかる。やつらは人間よりカンが良い」
グレイルは少し考えこんで、付け足した。
「匂い、だな。湿った匂いだ」
こればかりは言葉にしづらい。なんたってガスマスク越しの感覚なのだ。
だが、長く行動を共にしたジェックならこの感覚を理解できるのではないかと思った。きっといつか。ジェックは「アア」と小さく言って、空を見上げる代わりにたき火に古びた木片を放り込んだ。
雨が上がれば、空気中の砂塵は洗い流され多少はましになる。多少は。
それでも視界が僅かに良くなるばかりで、ガスマスクを外してはこの世界では呼吸すらできない。
グレイルは空を見上げたが、ジェックはそんなグレイルを不思議そうに見ている。
何故なのか考えて、グレイルははたと気が付いた。
ジェックにはこれ以前の世界というものはないのだ。
人類が失って久しい、空が青いという感覚。
言葉で言い表すに難しいこの感覚を、どうやって説明すればよいのだろうか。
「ア、ワカッタ」
ジェックは急に言うとけらけらと笑い出した。
「何がだ」
「雨、アメが降る匂イ」
グレイルは不意を突かれ、ジェックを見た。
「覚えタ」
「そうか、分かるのか」
グレイルはあてどなくつぶやいた。
「そうか……」
●水滴
ぽつり。
降ってきた雨が頬をかすめ、グレイルは鈍い感傷を感じた。
(雨か……)
頬を水が伝う感触。
それは、ガスマスクなしには生きられなかった元の世界ではとうてい感じられないものだ。
任務を完遂したジェックとグレイルは、それからともに仕事をするようになった。息が合い、互いを補い合うやりかたは効率が良かったし、そのほうが自然に思えたからだ。
土埃の舞い上がる戦場の中で、互いの呼吸すら理解した。
得難い相棒だと、おそらくは、互いに思い始めていたときだった。
グレイルは何の予兆もなくこの世界に飛ばされた。
別れの言葉を交わす間もなかった。
任務の成功を報告しに帰る、ほんの少し後のことだった。
生き延びてきた。
世界が違っても、やることは同じだ。
ありあまる戦闘能力をあてにして、グレイルは、気が付けば同じようなやり方で日々を生き延びていた。
今回の任務は、とある幻想の戦場の裏部隊。
受けた依頼は、生存者の回収である。もっとも、いれば、の話であるが……。
見事に撃ちぬかれた死体の一つに、グレイルはふと奇妙な懐かしさを覚えた。
額を一撃。
鮮やかなものだ。
弾痕を辿れば、男が、射撃によってこの袋小路に追い詰められていったことが分かる。誘導され、追い詰められ、それから、トドメを刺されている。
自分だったら……あそこから狙うだろう。
ジェックは顔をあげる。
ぞくりとした。
懐かしいやり口に、わずかに心がざわつく。
その技術は自分が教えたものではなかったか。
ここに、いたのか?
近くにいるのか。
タアン。
聞き覚えのある銃声がどこか遠くで響き渡った。
「敵ではないようですが、接触しますか?」
「いや」
追うことはしない。
それは、今は任務ではないから。
相手も、深追いはしてこないだろう。もしも自分なら、そう教えたはずだ。
珍しくあてずっぽうに近いような予感は、珍しく確信めいていた。
「行くか」
グレイルはガスマスクを手に取った。
ガスマスクをつけたグレイルを、誰かが呼ぶ。『奇妙な仮面の悪魔』と。
ああ。そうとも。グレイルは自嘲する。
こっちの方が慣れている。
互いに銃口を向け合うときが来るのだろうか。
先を思い、グレイルはちらりと空を仰いだ。
それが任務であれば、自分は迷わずに引き金を引くだろう。
運命の奇妙ないたずらは、どちらの側に転ぶのだろうか。
いずれにせよ、それは今ではない。
グレイルはガスマスク越しに空を見上げる。
にわか雨が通り過ぎた後の空は、他人事のようによく澄んでいる。
憎たらしいくらいに。