SS詳細
壊れた簪
登場人物一覧
「瑠璃、待ってよ~」
「もっと早く歩いて」
「そ、そんな」
私は小菊。城下町でお団子屋の娘をやっている。
そして私の前を歩くのは瑠璃だ。
夜空のような綺麗な紺色の髪と緑色の目がとっても綺麗な女の子。
瑠璃は最近うちの近所にできた医院のお嬢さんだ。
たしかお兄さんと二人で暮らしているんだっけ。
お兄さんも綺麗な人で役者みたいなんてお姉ちゃんが燥いでいたのを覚えている。
年の近かった瑠璃と私が仲良くなるまでそんなに時間はかからなかった。
「はやくしないとお店閉まっちゃうよ」
「ご、ごめん」
「ふふ、嘘。意地悪してごめんね」
こつんとおでこを合わせて瑠璃は私に謝ってきた。そう、瑠璃とは只の友達ではない。
瑠璃のお兄ちゃんにも私のお姉ちゃんにも内緒の『秘密の関係』だ。
じっと見つめあうとなんだか擽ったくて、そっと手を繋ぐ。
今日は二人で簪を買いに行くところだった。
お店に着くと簪が所狭しと並んでいた。
トンボ玉が付いた物も綺麗だし、藤の花の細工はちょっと大人になった気分。
「あ、これとか似合いそう」
「え? どれどれ?」
瑠璃ならどれでも似合うんだろうなぁ、なんて考えていると瑠璃は私の髪にそっと手を差し込んできた。少し冷たい指先が耳を掠めて思わず肩が跳ねる。
「うん、よく似合ってる」
ほら見て、と出された鏡には小さな菊をあしらわれていて少し顔を動かすとしゃらしゃらとビラが揺れた。
「綺麗……」
思わず声が漏れた。簪の美しさはもちろん、瑠璃が自分の為に選んでくれたのだと思うと天にも昇る思いだった。おもわずぼうっとしてしまったけれど、私だって瑠璃に簪を選んであげたい。
あっちの銀細工もかわいいし、こっちのつまみ細工も素敵だ。少し悩んで私は透明な硝子に青い線が入った珠が付いたものを選んだ。お返しと言わんばかりに瑠璃の髪にそっと差すと瑠璃もちょっと擽ったそうだった。
「うん、よく似合ってる」
「ふふ、ありがとう」
さっきの瑠璃の真似をすれば花が綻んだような笑顔を見せてくれる。
私は瑠璃のこの笑顔が大好きだった。
もっと瑠璃と一緒にいたいな、ううん。ずっと一緒にいたい。
「ねぇ、瑠璃」
「なぁに?」
「私の事好き? 私は瑠璃の事大好き」
「もちろん、どうしたの?」
当たり前でしょ? と瑠璃は首をこてんと傾げた。
「ね、また来年。この日に簪を買いにこようよ。そしたら私と婚約して」
ぱちぱちと大きな目で瞬いた瑠璃はくすっと笑った。酷い、私は真剣なのに。
「婚約って、私たちまだ十だよ」
「だから約束するの。簪を買いに来て結婚できる年齢にお互いがなったら結婚するの」
しばらく肩を震わせていた瑠璃だったが、私の真剣な表情を見て本気だと分かってくれたらしい。耳の端が赤くなってふいと顔を逸らすのは瑠璃が本当に照れた時にしかやらない癖だ。
嗚呼、本当にかわいいなあ。
「……いいよ、約束だよ」
「本当!? 嬉しい……!」
差し出された小指に自分の小指を絡ませて指切りを交わす。
簪屋の主人が微笑ましそうにこちらを見ている事に気が付いて、私たちは代金を払いそそくさと店を後にした。
この時私は信じて疑わなかった、この約束が果たされるんだと――。
瑠璃とは相変わらず秘密の関係を続けていたけど、お兄さんのお仕事が忙しくなったのか前ほど頻繁に会えなくなった。毎日顔を合わせていたのが週に二、三度。週に一回。月に……とどんどん減っていった。会えない時間が長くなって、瑠璃が私の事を忘れてしまったんじゃないかと不安になる。瑠璃と会う時間は減っていくのに、時の流れは残酷なほど早く過ぎていった。
そして約束の日、私はあの簪屋の前にいた。
大丈夫、きっと瑠璃なら来てくれる。約束したんだもん、瑠璃は絶対に約束を破らない。
だから信じて待っていようと、ずっと待った。朝の陽ざしが昼になって空高く昇り、夕日の橙に変わっても月が顔を出しても待っていた。
もしかしたらお兄さんのお仕事を手伝っているのかもしれない。
瑠璃が来たときに私がいなかったらきっと悲しんでしまう。だから待った。
簪屋の主人が隣で一緒に待ってくれたけどとうとう瑠璃は来なかった。
次の日も、その次の日も、そのまた次の日も。瑠璃は来なかった。
「……どうして?」
涙が頬を伝って地面に染みを作る。
約束は、果たされなかった。
――月日が経ち私が息を引き取るその時になっても、瑠璃に会うことはもう無かった。
●
「あれ、なんだっけこの簪」
部屋の整理をしていた逢華は一本の簪を見つけた。
「こんなの買ったかな?」
うーんと首を捻るがやはり記憶にない。となると、こっちへ来る前に買った物だろうか。
「まぁ、思い出せないってことはどうでもいいってことだよね」
簪から興味を無くした逢華はぽいっと『いらないもの』と書かれた箱の中へ簪を放り投げた。
哀れにも砕けた硝子が振り返られることは終ぞ無かった。