SS詳細
いろんな意味でヒトを駄目にする炬燵
登場人物一覧
●その名は炬燵
うららかな春から始まり、ぎらつく太陽の夏が過ぎると食欲や読書の秋に至り、そして雪降り積もる凍える冬が到来する。
冬という季節は、まず寒さとの戦いである。
陽の光が遮られると、体温調整の効かぬ種から動きが止まって活動を停止していく。
かつて、どこのかの世界の恐竜という種は地上の王者であったという。しかし、変温動物であったと伝えられる彼らは、氷河期の到来によって絶滅した。
代わりに生き延びたのは、恒温動物であった哺乳類である。
恐竜の足元をちょろちょろと駆け回るような卑小な生物であった彼らは、幾度かの氷河期を乗り切って進化を繰り返し、やがて万物の霊長と自称するまでに至る。
ともかく、である――。
生物は、寒さを乗り切るためにありとあらゆる戦いを繰り広げ、そこに興亡があったのだ。
他の類人猿にも劣るひ弱な森の落ちこぼれだったホモ・サピエンスは道具を使い、火を使うことによって文明を築き、生態系の頂点に立ったのである。
この歴史の中で数々の暖房器具が生まれたが、極東の島国で人類史に残る発明がなされた。
炬燵である――。
頭寒足熱の理に叶い、血行が行き届かず、冷えやすい末端の足元から温めてくれる。
発祥は、室町時代というから五〇〇年近く冬に凍える日本人の足元を温めてきた歴史がある。
俳句でも、炬燵は冬の季語だというから、日本文化に密接に関わっていることがわかるだろう。
さて、前置きが長くなった。
そこに、炬燵がある。
外は芯まで冷える寒さの冬であった。
畳敷きの十畳間に、大きめの布団がかけられた炬燵。
高さは八〇センチはあるだろうか。
家族向けで、正方形の面にそれぞれ2人ずつ、8人は入れるほどの大きさだ。
敷いた布団の上には、木目調の天板が置かれている。
正面にはテレビがあり、リモコンもある。
おあつらえ向きなことに、菓子器に数個のみかんも入っている。
これぞ、完璧なフォーメーションである。
炬燵にテレビにみかん、この組み合わせは蟻地獄のような堕落に誘うのだ。
英語圏では、みかんを“Satsuma”と呼ぶらしい。
これは温州みかんが海外に紹介された名残だが、“TV orange”という相性もある。テレビを見ながらみかんの皮を剥いて食べるというスタイルは、海外にも波及している面白い例であると言えよう。
●リウィルディアの帰宅
「はあ……、今日も寒かった」
この十畳間に、一人やってきた。
美しい、年の頃は二〇か少し過ぎたばかりか。
一見すると女性にも見えるが、その顔立ちが整っているからと言って女性とは言い切れない。
こんなにきれいな子が女の子のわけないだろう? なんて言う人もいるが、かといって男性と言い切ってよいかというと、やはりそれもためらわれる。
両性の美を持つ、中性的な美形、ということにしよう。
この“彼”とも“彼女”ともつかぬ人物の名は、リウィルディア=エスカ=ノルンという。
由緒ある伯爵家の出身だという。
そんなリウィルディアの目の前には、スイッチが入ってすでに温まっている炬燵がある。
リウィルディアには、家庭的なところがある。買い物や炊事に洗濯といった家事をこなしていると結構が悪くなりがちで、手足の末端が冷えてしまう。主婦がかかりやすい冷え性の原因である。
「そっか、もう炬燵出す季節だものね」
炬燵は、旧暦十月亥の日に出したという。この日を亥の子と言って、亥の子餅を作って食べることで無病息災、子孫繁栄を願った。
その亥の子を過ぎて冬真っ盛りの中を歩いてきたのだから、リウィルディアもすぐに冷え切った手足を突っ込み、ぬくもりを感じたいところだが、おっとまだまだ。
「せっかくだし、お茶も淹れないと」
そう、炬燵にみかん、さらに暖かいお茶が合わされば最強に見える。これで勝つる。
厚手の湯呑に注がれたお茶の暖かさを手に感じ、みかんの甘酸っぱさを感じたのちに、熱いお茶を炬燵に入りながらいただく。その至福のときを過ごすためにも、湯を沸かして来なければならない。
そのちょっとの間、足を足を入れるのは我慢である。
とたとたとリウィルディアが台所に向かうと、炬燵がガタンと震えたように見えた。
まるで「惜しい、もうちょっと!」と言わんばかりだ。
「ふふ、やっぱり冬はこれだね」
ぴーっ! と薬缶が沸騰を告げる笛を鳴らし、リウィルディアがお茶を持ってくる。煎茶なので、90度くらいで出すとおいしい。
準備が整うと、リウィルディアは炬燵の布団をめくりあげる。電熱ヒーター式で、オレンジ色の発色とともに温められた空気が流れてくる。その中に、足を突っ込んで座った。
「あぁ……」
じんわり暖かい。
低い気温の中で冷やされた足先から温められていく。
雪道を歩いてきたから、靴のつま先はずっと雪を踏んで冷えていたのだ。
炬燵の暖かさは、氷のようになったリウィルディアの足先を優しく包んでくれた。
「うん、あたたか~い」
思わず、頬が緩んでしまう。もうこの温もりから離れたくない。
そして、菓子器の中のみかんに手を伸ばす。
このみかんの皮を、真ん中から四つに割って、それから剥いていく。俗に言う“愛媛剥き”である。こうすると例の白い筋も皮側に残りやすい。
●だんだん駄目になる
「ひゃっ……!?」
みかんとお茶を堪能していたリウィルディアであったが、いきなり素っ頓狂な声を上げる。
思わず、炬燵をめくって中を確かめる。
足先に、もぞりとうごめく何かを感じてしまったのだ。
「……なんだ、猫ちゃんか。ふふ、びっくりしたぞ」
リウィルディアの頬じゃ、思わず緩むんでしまった。
そう、炬燵には先客がいた。
冬と言ったら、猫は炬燵で丸くなるものである。
先客を軽く蹴っ飛ばした形なので、ちょっと申し訳ないと思いつつ、炬燵の中で靴下も脱ぐ。
本当なら、洗濯機に放り込むべきなのだが、そこまで歩くのも今は億劫だ。何より、洗濯機までは板間なのである。冬場の冷えた板間を歩くのは考えたくない。
素足の開放感を炬燵布団の中で味わいつつ、丸めた靴下は、何かのついでのときに片付けよう、そう思うリウィルディアであった。
「この時間、面白い番組ないな―」
みかんをもぐもぐしながら、テレビのチャンネルを替えていく。この退屈な時感を紛らわそうと、本棚の漫画に目を移す。
「……よっ! も、もう少し、届く、はず!」
すでに、リウィルディアは炬燵から出て立ち上がることを放棄していた。ごろっと転がれば、本棚の下から手が届きそうである。足りない分は、近くに置いてあった孫の手を使ってリーチを伸ばす。どさどさと、漫画本が落ちてくる。これをさらに掻き出すようにして取り寄せる。
「……よし、届いた!」
由緒ある伯爵家に生まれたにもかかわらず、貴族にあるまじき物草さである。
炬燵のぬくもりが、だんだん駄目にしていることに、リウィルディアは気づいていない。
しかし、この60巻もある歴史戦記漫画なら、炬燵の中でくり返し読んでも面白いのだ。最高の暇つぶしになると思ったそのとき――。
「ひゃんっ……!?」
いきなり、ヘンな声が出た。
指と指の間に、ニュルンとした感触が走ったのだ
「こ、こらっ、猫ちゃん! 駄目だろ、そんなとこペロペロしちゃ……」
しかし、布団をめくると当の猫ちゃんは丸まって寝ている。
「あれ? なんなんだ、さっきの?」
そして読書に戻る。今、三兄弟が虎牢関というところで戦う序盤の見せ場なのだ。
「んっ……! ……ふっ、くす、だ、だからぁ……」
ふに、ふにふに――。
足先に、何ががまとわりついている。声が漏れるほどくすぐったい。
足の裏を、何か生き物が這いずり回るような刺激が走り、本を読みながら思わず見を震わす。
「だ、だめ、だよ、猫ちゃ……いたずらしちゃ! そ、そこはぁっ……!?」
ヘンな声を押し殺しなら、リウィルディアは耐える。
くすぐったくても、もう足を炬燵から出すことはできない。
すでに炬燵の魔力に囚われ、身悶えしても出ることがかなわない。
それに、なんだか気持ちいい。
指と指の間とか、敏感なところを包み込む感触、足裏のツボの部分を刺激されてほぐれていく感覚に痺れつつも、心地よさを感じているのだ。
「くふっ、んっ……! なに、これ? あはっ……!?」
びくっ、びくっと身体が反応する。
そのまま天板に突っ伏し、緩んだ表情を噛み殺すようにして耐える。
こそばゆい、くすぐったい。しかし、絶妙に気持ちいい――。
布団の中で発生している異変に気づきつつも、足を出すことができない。
頭寒足熱とは相反して、リウィルディアの頭はだんだん熱く火照っていった――。
●お歌を歌ってみよう
「はぁ、はぁ……な、なんだ、これ!? 猫ちゃんがこんなことするわけ……」
さすがに、異常な事態に気づいた。
いろいろ駄目になっていたが、びくんびくんしながらも、なんとか判断力を取り戻した。
布団をはねのけようとしたリウィルディアであるが――。
「おっと、そのままのほうがいいぞー」
「だ、誰……!?」
どこからともなく聞こえる声に、リヴィルヴィアは警戒した。
しかし、炬燵からは出られない。
このまま足を入れていれば、くすぐったくも気持ちよくほぐれていく感覚を味わえる。そのような駄目な思考に陥っていた。
「自分は、炬燵だ」
「こ、こた……!? バカを言わないで! ん? んんんんっ!?」
ひときわ大きく、リウィルディアは身体を震わした。
足先から、味わったことのない感覚が駆け巡った。
親指の付け根のあたりを強く刺激する足つぼマッサージである。よく温泉の足湯で石の上を歩くような、激痛とともに悶えるあの感触だ。
息が切れて、また炬燵に突っ伏してしまう。
「どうかな? 気持ちいいだろう。私は、ほんの少しだけ、ほんの少しだけ養分をいただければそれでいい。触手の先っちょだけだ。その見返りに、自分の触手マッサージで気持ちよくさせてあげよう」
「気持ちよく、だって……?」
ここで逡巡してしまうほど、リウィルディアは精神的に駄目になってしまっていた。
――気持ちよくなれるんなら、いいんじゃないか?
すでに炬燵に快楽落ちする寸前である。
さすがに
「だ、誰がそんな取引に乗るものか!」
「なんと、困った……。だが、自分はどうしても養分がほしいのだ。そうだ、こうしよう。君がこの触手マッサージを受けながら、一曲歌い切れたなら自分もも負けを認め、養分は諦めよう。その代わり、歌い切れなかったから君の負け、存分に養分をいただくということで」
「なんなのその勝負……? 僕がそんな条件で引き受けるとでも――」
「すでにスマホでリモートカラオケキャスにつないである。ちゃんと歌わないと、君がヘンに思れれるだけだぞー?」
「こ、この馬鹿っ……!」
大変なことになってしまった。
最近は、不特定多数を相手にスマホでカラオケキャスが開かれることも珍しくない。
どういうどういうをしたのか知らないが、炬燵はそのリモーカラオケの会場につないだのである。
『ええと、次の歌い手は幻想在住のリウィルディアさんでーす! bioによると伯爵家の出身だそうで。すごいですね―!』
『おおおっー!』
囃し立てる拍手が、スマホから響いてくる。
「くっ……! なんてこと!」
リウィルディアは、舌打ちした。もう選択肢はない。
すでにリモートカラオケにエントリーしており、顔と名前まで晒されてしまっている。これはもう、下手なことはできない。炬燵との勝負に、強制参加させられた形だ。
『じゃあ、リウィルディアさんは何を歌ってくれるのかな?』
「ゆ、雪やこんこんを歌います……」
とっさの選曲である。何という流れであろうか。
こんな形でお歌を歌わされるとは――。
『雪やこんこんね! 大丈夫、音源あるから。じゃあ、歌ってもらいましょー!』
さっそく、イントロが流れてくる。
炬燵にあたりながら、最後まで歌い切らねばならない。
「ゆ、ゆきや、こんこ……んっ!? あっ、あっ、れや、こんこ……」
出だしの部分から、炬燵による触手マッサージが行われる。
ヘンな声が上がりそうになるのを、リウィルディアは必死で噛み殺した。
リモートカラオケを聞いている人数は結構な数になっている。ここで、ヘンな声を上げてしまっては、リモートカラオケでヘンなことをしている炬燵で駄目になったヒトになってしまう。
顔と名前が晒された以上、絶対にヘンな声を上げるわけにはいかない。
しかし、炬燵の触手は歌っているさなかでもお構いなしに攻め立てる。養分を得るためとはいえ、執拗なものであった。指と指の間をにゅるん、足裏から膝裏まで撫で回し、時に足ツボを刺激して痛みも与える。
「あっ……! あっ、られやっ、こ、んこ……んっ! ふってもぉ、ふってもぉ、まだふりやまぁず……!」
リウィルディアは耐える。耐えながら、必死で歌う。
炬燵の中であんなことやこんなことが行なわれているのを、知られるわけにはいかない。
こみ上げる気持ちよさと羞恥に震えながら、雪やこんこんを歌い終わらねばならない。
ネット上のカラオケでヘンな声を上げてしまったら、社会的にも駄目になってしまう。
なのに、炬燵の触手マッサージは馬鹿みたいにうまい。
まさにヒトを駄目にする炬燵であった。
「かぁれき、のこら……ぁずっ! はぁなが……あっ! さくぅぅぅぅっ……!」
そんな中、なんとか最後まで歌い切った。
『にーばん! ほら、にーばん!』
「ちょっ……!?」
無慈悲な二番コールである。絶望的な気分になるリウィルディアであった。
二番の歌詞が知られている動揺をチョイスしたことを後悔したが、もうやるしかない。
身体をびくびくさせ、悶えながらの熱唱であった。
「……ねぇこは、こたつでぇ、まる……っん! くなるぅぅぅぅっ!」
『はーい、ありがとうございましたー! なんだかすごく熱のこもった雪やこんこんでしたね。リウィルディアさんに拍手―!』
結局、盛り上がってリモートカラオケキャスは切れた。
「はぁ、はぁ……んふぅっ……」
体を小刻みに震わせると、張り詰めたものが切れたのか、リウィルディアは突っ伏してしまう。
だが、その表情はマッサージの余韻に浸って惚けたようになっている。しかも、満ち足りたようでもあった。
「ううむ。自分のマッサージに耐えきるとは。仕方ない、養分は諦めよう」
リウィルディアは、なんとか耐えきった。
ヒトを駄目にする炬燵の攻撃をしのぎ、尊厳を守ったのだ。すんでのところで駄目にならなかった。
それを知ってか知らずか、丸くなっていた猫が目を覚まし、大きくあくびをしたのであった――。