SS詳細
レーニャとコマの話~始まりは家族から~
登場人物一覧
見世物にされるのは、あんまり好きじゃないの。
そのおかげでごはんがもらえるのだとわかっていても。
あっちでぺこり、こっちでくるり、歩いて回って、またお辞儀。
お花畑は今日も白。何も考えないようにしてるから。
そしたら何にも感じなくなっちゃった。からっぽの心抱いて、今日もお辞儀して回るの。
そんな日々が唐突に終わり、レーニャは練達のセフィロトに居た。
どうしてそうなったかなんて、聞くだけ野暮というものだろう。
彼女は上を見て、横を見て、下を見て、声をもらした。
「なにここ」
そびえたつ銀色ピカピカ。固いけど砂利とも石とも違う感触の足元。びゅんびゅん通り過ぎていく箱形の、たぶん乗り物。そんな中にぽつんとひとりぼっち。同じ檻に入れられていたあの子たちはどうなったんだろうか。心配して、でもどこにも居なくて、どこを探せばいいかすらわからない。そもそもここはどこなの?
道を歩いていく人たちはみんな見たこともない衣装を着ている。露出が少なくて、かちっとした感じで、どれもこれも高級そうに見える。女の人はみんなヒールの高い靴を履いて(大丈夫かな、何かあった時に走れるのかな?)、男の人もそろって布でできた首輪みたいなのをして(どうしたんだろう、どこかから逃げてきたのかな?)、そんな中へひとりぽつん、レーニャは立っていた。灰色の肌に真っ白な髪。体へ咲いた花畑。うつむき加減の長い耳。刺青の入った体を誇るように、かろうじて肌を隠す煽情的な服。幼い少女がそんな姿で立っているのに、不思議なことに誰もレーニャを振り向かない。今までいたところだったなら、すぐに好奇の目で見られていたのに。少なくともこの街の人は、レーニャに関心を寄せたりはしなかった(旅人の国だからイレギュラーズなんて珍しくもないのだと、後に知った)。
初めての経験だった。まるで自分が透明人間になったみたいだった。誰にも注目されないのが、こんなに気軽で楽しいことだなんて、知らなかった。だっていつもレーニャは「おじさん」たちの見世物で、他の子と違って上手ににこにこできないから、ごはんを減らされたりしていた。
それがない。ぜんぶない。なんだかそのことだけで、胸がわくわくして踊りたくなってきた。自由、というのだと、レーニャは後で知った。
とりあえずこの街を見て回ろうとレーニャは思った。見たこともない不思議の国。いろんなところを歩き回っているうちに、喉が渇いてきた。おなかもきゅるんと鳴った。レーニャは公園の片隅の、車輪の付いたお店(移動販売車、という難しい名前だった)から、いい匂いがすることに気づいた。車体には大きくポップコーン(さすがにこれはわかる)や、サンドイッチ(これもわかる、おいしい)が軽妙なタッチで描かれている。きっとごはん屋さんだ。大きく開いたサイドの売り場では、太った「おじさん」が退屈そうに新聞を読んでいる。レーニャは考えた。「おじさん」ならお願いしたらごはんを分けてもらえるかもしれない。今までずっとそうしてきたように、レーニャはせいいっぱいにこにこして両手を差し出した。
「おめぐみを」
「はあ?」
おじさんは眼鏡をずらし、顔をクシャっとやって露骨にいやそうな顔をした。
「金はどうしたんだ」
「ないの」
「なんでえ、はぐれイレギュラーズか? それもこっちへ呼ばれたばかりで何にもわかっちゃいねえ手合いか?」
「どうして知ってるの?」
おじさんは深いため息をついて眼鏡のずれを直した。
「いいか、まず近くの役所に行って住民登録を……」
「???」
「それができないなら後見人制度を使ってだな」
「?????」
さっぱりわからない。レーニャはだんだん悲しくなってきた。おなかも本気で鳴りだしてきたし。
おじさんはそんなレーニャをしげしげ眺めて、急ににやりと笑った。
「よーしよし、わかった。難しいことはおじさんが全部やってあげよう。だから代わりにおじさんといっしょに住もうか」
「?」
「いやー、よかったよかった。探してたんだ。無料で働いてくれるような子を。よし、おまえは今日からうちの子だ。なーんにも不安に思うことはないぞ」
おじさんは車からゆっくり降りてきた。レーニャの頭の中でアラームが鳴った。知っている。これは、レーニャのよく知る『おじさん』の顏だ。何をされるか分かったものじゃない。檻に入れられるかも。ひどく叱られるかも。ごはんをくれないかも。レーニャは『おじさん』に背を向け、走り出そうとした。だがしかし、『おじさん』のほうが早かった。肩をつかまれ、レーニャは痛みに瞳をぎゅっとつむった。
「人の善意を無碍にするなんて悪い子だな」
「ん、ん、悪い子でいいよ。善意じゃないでしょ、下心」
「なっ! このアマ、喧嘩売ってんのか!」
「売ってないけど、そう聞こえたならそうかもね」
「生意気言うな! こっちにこい、立場ってもんをわからせてやる!」
レーニャは精一杯あらがった。だがいたいけな細い体にできることは知れていて、ずるずると車の扉へ引きずられていく。下卑た笑いが耳元で聞こえる。
「いやっ」
思い出すのは、顔、顔、顔。暗闇に浮かび上がる『おじさん』の顔。また見世物にされる。また檻に入れられる。また首輪を付けられる。やっと出てこれたのに! その時だった。
「そこのおっさん、なぁに其処のお嬢さんに絡んでんのさ、ほらその子もいやそうにしてるわけだし、一旦離れて、ね、落ち着きましょうや」
若い声だった。おじさんが「おじさん」ならこっちはおにいさん、だ。「おじさん」は少しひるんだようだった。
「この子は俺が先に見つけたんだ。俺に保護責任がある」
「またまたムツカシイ言葉使って。そんな子ども狩りみたいなことせんでもいいでしょう。そういうのはセンターの奴らに任せときゃいい、ね?」
「お、俺はこの子が心配なんだ」
「心配だったら腕掴んで肩握って車に連れ込もうとしていいっちゅーわけですかね? 言っときますけど、不審者にしか見えませんぜあんた」
「……ぐっ」
「なんならこの場で通報してもいいんですが。出るとこ出てその子の証言聞いて、お裁き受けましょうや。そしたら少なくとも営業停止、せっかくのフードカーは無用の長物になりさがり、あんたさんの収入源は途絶えて今度はあんたが後見人を探すはめに……」
コマは薄い板きれ(aPhoneと、呼ばれるらしい)を取り出した。それを見たおじさんは顔を青くした。
「だー! わかったわかった! 通報はやめろ、このガキはおまえが好きにしな!」
おじさんはレーニャをおにいさんへ向けて突き飛ばすと、ネズミのような速さで車に乗り込み、エンジンをかけた。公園の奥へ走っていく車から、サンドイッチがひとつべしゃりと地面へ落ちた。
「あ」
レーニャがそれに手を伸ばすと、横から伸びてきた節くれだった大きな手がそれを制した。
「どんだけおなかすいてんですか」
苦笑がそれに続いた。レーニャが顔を上げると、そこにはまるぶち眼鏡眼鏡をかけた若い男が居た。灰色のぼさぼさした髪が顔の半分まで覆っていて、目元がよく見えない。にもかかわらず、その笑みの柔和でやさしげなことはレーニャにも分かった。おにいさんはレーニャのよく知らない恰好(エセ和装だと、本人は語っていた)をしていて、いったいどこの出の人かわからない。だけど直感というものがレーニャへ囁きかけた、この人は信用してもいい、と。
「ありがとう」
「はあ、どうもどうも。いやあ、冷汗かきましたわ。別に私もおっさんとガチバトルなんてしたかねぇですから」
おにいさんはうんと背伸びをして、こきこきと首を鳴らした。どうやら本音であるらしい。
「とりあえずまあ、そこの茶店にでも入りますかね。腹ぁふくらましましょうや」
公園を出て喫茶店へ入ったレーニャはもりもり食べに食べた。
「あとこれ、あとこれ!」
「よく入るねえ、レーニャ。すいませーん、追加お願いしまーす」
さすがのレーニャもけぷりと満足を漏らした頃、おにいさんは自分を古本屋のマドグチだと名乗った。
「本名はコマだけど、誰も呼ばないんですわ。これはコマったなんて、あっはっは」
「……」
寒い。くしゃんとレーニャは咳をした。店の冷房が彼女にはきついようだった。
「そうさな……私の上着はおっとくかい? さすがに寒いでしょうし…いや外に出りゃその方が涼しい…のかねぇ……?」
コマは羽織をレーニャに貸してくれた。まだ人肌の温もりが残るそれは染み入るようにやさしかった。
「さて、帰るところはありますかね? 昨今この辺も危ないでしょうに、どうしましょうかねぇ?」
レーニャはコマを見上げた。もうお別れなのか。さみしい気持ちがひたひたと寄せてくる。
「コマさんは一人暮らし?」
「いんや、家族と一緒」
「……そっか」
家族、なじみのない言葉だ。だけどもし、自分にそれがあるとすれば。もしも、自分がその輪に入れたならば、そんなあらぬことを考えてしまう。
「さっきは勢いで言ったけれど、もしかして、本当に行くあてがない?」
コマのセリフに、レーニャは勢い良くうなずいた。しばらく考えたあと、コマは少し席を外した。実家と連絡を取ったのだと後で聞かせてもらった。戻ってきたコマはこう言った。
「そうさな…レーニャ、良ければうちに来るかい? その方がまだ安全だろうよ。……無論無理にとは言わんがね」
願ってもない言葉だった。うれしくってうれしくって、レーニャの胸に暖かなものがあふれた。それは瞳からぽろりとあふれた。
「な、何も泣かなくとも」
「ん、ん、行く。れー、コマさんの家族になる」
「家族かあ。うん、うちのじいちゃんもそう言ってたとも。よろしく、レーニャ」
「ん、ん。じゃあ、お世話になるよ」
レーニャの花畑がほんのりと色づいた。胸がどきどきして、未知の喜びが芽吹いていた。