PandoraPartyProject

SS詳細

仰げば辛し

登場人物一覧

加賀・栄龍(p3p007422)
鳳の英雄
加賀・栄龍の関係者
→ イラスト


「―――以上です。加賀・栄龍准尉、報告を終わります!」
 直立不動。所謂、『気をつけ』の姿勢のまま、資料のひとつも見ること無く栄龍は任務子細の説明を終えた。
 部屋に調度品と呼べるようなものはなく、机や棚といった家具にも高級さは感じられない。部屋の主の功績を考えれば、賞状や勲章といったものも数多く所持している筈なのだが、それらが飾られているところも、その男がそれらを身に着けているところも見たことがない。
 本当に、必要最低限のものしかない執務室。質実さ、清貧さを美徳とするようでありながら、花の一輪もない徹底ぶりは、何かをひた隠しにするようでもあった。
 普段ならば、その男の自律さに感心するところだが、今この瞬間には、部屋全体が栄龍のことを締め付けてくるようにさえ感じられた。
 自分は果たしてうまくやれただろうか。報告の間は上手く伝えねばと必死であったが、いざ終えれば安堵と共に不安がこみ上げてくる。
 ただし、視線は逸らさない。一端の兵士として、鳳圏軍人として、何より敬愛する榛名・慶一を前にして、そのように情けない真似が出来るはずもなかった。
 顔に出さないように懸命に、上司の言葉を待つ栄龍。緊張している様子がありありと見て取れるが、彼自身はその事に気づいていないだろう。
 一秒が一分に、一分が一時間にも感じられる程の体感。心臓の耳鳴りを押し返すように、その声が届いた。
「上手く出来たね」
 榛名の言葉はそれだけだ。しかし口元に柔らかな笑みを称えたその表情を見ると、何とも言えぬ誇らしい気持ちが湧き上がってくるのを感じる。
「はい! ありがとうございます!」
 より一層姿勢を正せば、鼻息荒く、口角が上がるのを止められない。
 だが、その余韻に浸るのはこの部屋を出てからだ。報告を終えた軍人が榛名の為に用意されたこの執務室に長く留まる理由はない。可能ならばこの尊敬する佐官の傍に控えていたいものだが、そうすることで彼を失望させたくなかった。
 姿勢を崩さぬまま「失礼します」と声をかけ、踵を返そうとしたところで、その扉はノックもなく、外側から開かれた。
 大佐職にあたる人物に対して、非情に非礼な行いであるが、榛名はそれに声を荒げる事はない。栄龍も同様であった。
 それをする者が誰かというのは自明であり、その彼は、二人よりも上位にあたるのだから。
「お邪魔させてもらうなぁ」
 その人はにこにこと緩い表情を浮かべながら、方言のままに室内へと入ってくる。規律を守り、風紀の乱れを嫌う軍人らしさはまるで感じられないが、やはり二人がそれを咎めることはない。
 当然だ。その人は久慈峰・弥彦。鳳圏憲兵隊陸軍中将であるのだから。


「なんや、おったんやね。返事がないから、おらへんのかと思ったわ」
 返事も何も、断り無く扉を開けたのは久慈峰である。まるで悪びれもしないその男が部屋に入ったことで、栄龍は部屋の気温が数度、下がったのではないかと錯覚に囚われた。
 その原因は久慈峰であり、榛名である。久慈峰の顔を見るだけで、榛名の機嫌が悪くなるのだ。表情だけは一見、笑みを絶やさないままであるようで、その底冷えするような何かは、栄龍にも感じ取れていた。
 久慈峰・弥彦。彼は武人だと呼ばれている。それは一方のものからは尊敬を込めて、しかし一方のものからは侮蔑を込めて口にされるものであった。
 久慈峰。久慈峰中将。彼は腕っぷしで伸し上がった人物だ。戦争の絶えないこの国で、戦い、戦い、それこそ大層な表現で、一騎当千と呼ばれ得る活躍をしている男。
 した男、ではない。している男、である。
 中将という下士官やそこらでは手の届かないところにいながら、今も前線で戦い、戦果を上げ続けているのだ。これが、先程の呼称に繋がるのである。敵と戦い、討ち倒していく様は誰しも憧れる雄々しさだと言える。その反面、中将でありながら、彼はデスクワークのひとつも満足にこなすことはなかった。
 将官でありながら、今も兵と肩を並べて攻城野戦に勤しむ男。それが久慈峰中将だ。
「これなんやけどね、榛名さん」
 半ば呆然としている栄龍の横をするりと抜けて、久慈峰はよれよれになった紙切れを榛名に渡そうとする。
 ちらりと横目でそれを追ってしまったが、どうやらそれは、考えたくもないことにそれは、報告書であるらしかった。
 部屋の気温がさらに下がったことを栄龍は確信する。榛名の機嫌が、さらに悪くなったらしい。
「連絡もなくいらっしゃるとは、久慈峰中将は随分とお忙しいようだ」
 物腰は丁寧なままだが、言い方に皮肉が隠れていない。栄龍はとっととこの部屋を抜け出してしまいたかったが、この冷え切った部屋にいて、動くことは己を危機に晒すだけではないかと、本能が脳内で懸命に訴えていた。
「いややな、仕事しとるやんか。ほら、報告書やで。ちゃんとやっとるやろ」
 如何にも心外、といった風に言葉を返す久慈峰だが、表情はへらへらとしたままだ。真っ当にうけいれるつもりがないのが、栄龍からも見て取れてしまった。
 お願いだ。報告書の端をつまんでひらひらするのをやめて欲しい。一往復ごとに部屋に霜が降りてきている気がするんだ。
「報告書の提出など、中将の仕事では無いでしょう。それこそ、准士官の彼にだって十二分に出来ている」
 ちゃんと仕事が出来ているって榛名に言われた。それはすっごい嬉しいが、今はこの部屋を出たくてたまらない。
「ほぉん、准尉くんは賢いんやね。ええなあ榛名さん、有能な部下がおって」
 ぱちぱちと軽い拍手をしてみせる久慈峰。やったあ、あの武人に褒められたぞ。とか喜ぶ気持ちには今は到底なれない。お願いだから会話に巻き込まないで欲しい。
「久慈峰中将も有能な部下をお持ちのようで。何せ、ご自分の仕事を放って、このような紙切れを持ち込む余裕がおあいですから」
 お願いだー。喧嘩しないでくれー。天井を仰いで顔を覆ってしまいたいが、この部屋を出るまでは背筋を張っていなければならない。
「あぁ、ボクは戦ないと、暇やから」
 おかしい。冬は、冬はもう少し先のはずだろう。こんなに早く来たら誰も備えができていないじゃないか。
 胃がキリキリする。どうしてだろう。昼間に食ったものがよくなかったのだろうか。原因はわかっているんだが、現実から逃げてもこの瞬間は罰が当たらないと思うのだ。
「そろそろ戻らんとはづみに怒られるわぁ。ほなまたね」
 それ以上何か言おうとする榛名より、先にそれを返して部屋から出ていく久慈峰。せめて、扉を締めていって欲しかった。


 ぱたんと、栄龍が久慈峰の代わりに扉を閉める。
 そのまま出ていってしまいたかったが、勝手に出るわけにはいかない。せめて一言は告げねばならず、意を決して口を開こうとしたところで。
「……あのような者が中将だなんてね。きみはあの男のようになってはいけないよ」
 冷え切った部屋の空気はもとのそれを取り戻しつつあり、敬愛する上司も、笑みの中に温和さが含まれている。
 しかしその言葉に嫌とは言わせぬ圧力を感じ、栄龍は目の奥が熱く、眉尻が下がっていくのを感じながらも。
「…………はい」
 と答えるしかなかった。

PAGETOPPAGEBOTTOM