SS詳細
花紅柳緑、藤紫
登場人物一覧
●紫の街
それは、依頼である街に赴いた後のこと。
幻想にありながら異国情緒溢れるこの街は、馴染みのない景色や品物でいっぱいだった。
そのひとつが、住人達が身に纏っている装束だ。
締まった首元以外は、幅広の袖にズボンと、全体的にゆったりと余裕のあるデザインになっている。帯の結び方も随分特徴的だ。長い上着は質の良いガウンのようでもある。
ラサの辺りでも似た系統の民族衣装は見たことがあるが、それとも明らかに違った。
「興味があるなら試して行かれますか、お客さん?」
商店街の一角に軒を連ねていた衣服店の店主に声をかけられて気付く。
それほど熱心に見ていたつもりはないが、実際に着てみたい気持ちが無い……事も無い。
「……白いものはありますか?」
「白ですか。お客さんは肌が白いから、お似合いだと思いますよ。ささ、中でどうぞ」
店主に誘われるまま、興味の赴くまま。店内へと誘う腕に導かれ、衣服店の中へと足を運ぶ事にした。
「今は紫藤が綺麗な季節ですからね。白磁みたいな白もいいですが、私はお客さんにはこちらをお勧めしたいですね」
店主が出してきたのは、いくつかの白系統のコーディネート。一口に白と言っても真白のものから、青みがかったもの、赤みがかったものなど、微妙な色使いの違いがあるようだった。生地単体で見れば大きな違いは無いのだが、こうしてトータルコーディネートとして見てみると大分変わってくるのはどのような服でも変わらないのだとわかる。
店主が特に自分に勧めたいと言っていたのは、白が主体でありながら全体的に紫がかったコーディネートのもの。帯とインナーは緑――店主は若菜と言っていたような――で、腰に垂らす飾り紐だけが紅という組み合わせだった。
店主が勧めるなら間違いは無いのだろうが、ひとつ気になることがある。
「紫藤、とは?」
「道中ご覧になりませんでした? この街の名物ですよ!
紫の花が天井から枝垂れて、風に揺れれば一面に香る……ああもう、とにかく紫の綺麗な花なんですよ!」
口では表現しきれないと、花の美しさをもどかしそうに語る店主。
この街は見馴れない物ばかりだから、他のものに目移りしている間に見落としてしまったのかも知れない。店主がそこまで強く勧めるなら、この後見に行ってみるのもいいだろう。
聞けば、この街はそれなりに歴史がある古い街らしい。
どうやってこのような形に発展してきたのか尋ねてみると、1冊の本を薦められた。
これもまた不思議な書体で、文章は縦書き、それを上から下、右から左へ読んでいくようだ。どうにか読み進めてみると、この本はイラスト入りの観光ガイドのようなものらしい。なるほど、確かに外部の人間が読むにはおあつらえ向けな本だ。
本によれば、街の中央にある公園が紫藤の名所のひとつであるらしい。
噂の紫藤が気になりつつ、早速行ってみることにした。
●紫藤
石畳の路が示すまま、本にある公園へと辿り着く。
柳や蓮の葉が浮かぶ池には水鳥が泳いだり、脚の長い鳥が舞い降りたりと、静かで落ち着いた雰囲気を感じられた。市場のように賑やかなのも嫌いではないが、このような景色も悪くないと思う。
「あれが……紫藤、でしょうか?」
話に聞いていた形と、手元の本の説明が一致する花があった。紫の花房が格子状の天井から垂れている場所だ。
天井へ枝を張り花房を生い茂らせているのは、蔓が絡み合ったような大樹。ここまで育つのに、どれほどの時間がかかったのだろう。この街が歴史在る古い街だという話も、成程頷けるというものだ。
その根元へ歩み寄って見上げれば、花房はまるで降り注ぐ雨か、氷柱のようだ。しかし、花房は雨粒のように地へ落ちて濡らすことも、氷柱のように砕け散ることもなく、ただ風に揺れて甘い香りを運ぶのみ。
これが『紫藤』。春から初夏にかけて花を付けるそうだ。
「花の意味は『優しさ』『歓迎』、『恋に酔う』、『決して離れない』……ですか」
一度情報を確認するために読んでいた本のページを捲り、再び紫藤を見上げる。少し強く吹いた風に花房から花びらが飛ばされると、ページの上にひらひらと舞い落ちてきた。
落ちてきた花びらをひとつ取って、具に眺める。今の今まで房で咲いていた花は、まだ鮮やかな薄紫だ。
「『決して離れない』わりには、散る時に他の花と分かれてますが……。まあ、房ごと枯れ落ちたら、それはそれで驚きですよね」
見た目としても、花房の全ての花が枯れて同時に落ちるよりは、こうして少しずつ房が散っていく方が情緒があるというもの。この静かに整えられた公園にもよく似合う景色だろう。
「……おや。この公園の創設者の話ですか」
手元の本を読んでいくと、公園の歴史について綴られていた。特に紫藤を選んだ理由については詳しい。
曰く。
公園の創設者は、街の創設者でもあった。旅人であった創設者は、故郷の景色をこの地に再現しようとしたようだ。この公園で一番古い樹は、この旅人が故郷から持ち込んだ種から育てたのだとか。
紫藤をこの公園に植えたのは、届かないほど果てしなく高く伸びてしまう樹より、人に寄り添える高さに枝を張り花房を垂らす事ができるから――との事だ。
(届かないほど、果てしなく……この地に再現するほど愛していた、元の世界でしょうか)
思いを馳せても、答えはそこにはなく。
あるのはただ、異世界からやってきてすっかりこの地へ根付いた紫藤と。そこで憩う住人達だ。
ちなみにこの創設者は、ついに故郷へ戻ることなくこの地で没したらしい。
それが当人にとって、どのような想いをもたらしたのかは――やはり、当人でなければ分からないことだろう。
(感謝はしますよ。このような景色を残してくださったことに)
かつての創設者の想いは推し量るしか無いが、今日この公園に来て、己が抱いた感想だけは確かな事実だ。
時が流れても、人々が言葉に尽くせないほど美しいと誇る紫藤が咲き誇っていること。
それを自分も美しいと思ったこと。
己の手を離れても、受け継がれるものは確かにあるのだと――そう思った時、再び紫藤の花房が風に揺れた。
「……歌、作ってみましょうか。何かできそうな気がします」
甘く香る風を肌で感じながら、再び本へと視線を落とした。
もっと――この紫藤のことが知りたい。