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銀に染る夏
登場人物一覧
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──季節は夏。
ジリジリと茹だるような暑さに、思考が熔け落ちそうになる程に煮え立って。比較的バランスの取れた気候であろうここ
行き交いすれ違う人々の頬には汗が滴り落ち、その傍らでこちら……目元までかかった前髪が印象的なお人、『闇之雲』武器商人(p3p001107)の方を見てはギョッとしていた訳は……武器商人が比較的肌露出の少ないものを着ていたからかもしれない。
「…………商人さん、暑くないのか?」
「……ん?」
それを見かねて声をかけたのは、今日も武器商人に手を引かれ共に散歩を楽しんでいた年若く見える青年、雁(p3p008167)だった。
「……今日は酷い暑さだ、この幻想にいると言うのにまるで
「……そうだねェ……少し、暑いかもしれなぃ」
「…………少し、なのか?」
雁は武器商人の答えに首を傾げる。
街の人々が汗を滴らせるぐらいだ、相当暑いはずだが……武器商人の顔はいつもと何ら変わりはない。痩せ我慢なのか、それとも本当に平気なのか……前髪で隠れた表情からはその顔色はなんとも読み取りにくい。
「……そう、少し。……でもまぁ、そうだねェ……銀の森が恋しくなる季節ではあるねェ」
「……銀の森?」
「ああ、羽白のコは知らなかったねェ……
色で例えるなら純白に染る森……そんな神秘的な光景を言葉で伝えようと思ったけれど。弱視弱光で色が分かりづらい雁にとってはその説明の仕方はあまり意味を成さないと知っているから、敢えて軽めに説明する。
──その場所は鉄帝。
無辜なる混沌の『大陸』北部に位置する広大な領土を誇る軍事国家。
古代文明が領土の中には埋もれており、軍事力は強大だが、厳しい気候に晒されている為に経済力としては非常に脆弱だと言われる国。
主に、振り続ける雪に絶対零度の気候は実りを遠ざけ、国内では困窮が常に解決すべき問題として挙げられている為だろう。
そんな国ではあるが、武器商人も呼ぶスポット『銀の森』と呼ばれる場所がある。
そこは溶けない万年雪に覆われた雪化粧の美しい森。その姿とは掛け離れ砂漠地帯から流れ込んだ温暖な空気が優しく、観光地としてもよくガイドブックにも掲載される場所。
森は中心部に『雪泪』と呼ばれる深い湖が存在し、その湖には鉄帝特有の『失われた古代兵器』の残骸が沈み。
最早起動する事のなくなった兵器は深い眠りについたまま一種のオブジェとして親しまれていると言う。
嘗て激しい戦いがあった場所でもあるが、
「へぇ……少し気になるな」
武器商人の短い説明から、雁は少しだけ興味を抱く。こんなに暑い季節だと言うのに、そんなにも寒い場所があるなんて……少し信じ難いのもあるかもしれない。
「……じゃあ今度はそこで散歩してみるかい?」
「いいのか?」
「いいよぉー。じゃあ、予定を入れておこうねェ」
武器商人は何やら楽しげにメモを取る。さて、今度はどうやってそのボアのフリースジャケットを抱きしめた時のような色の眼を楽しませてあげようか……武器商人はそう静かに微笑んだ。
●
──数日後。
「さ、寒いな……もう銀の森なのか?」
「いんや、まだ幻想と鉄帝の国境前だよぉ」
「そ、そうなのか?」
幻想北部アーベントロート領サリューの街を過ぎた道を一台の馬車がゆったりと走る。数日の最早旅と呼ぶべき時間を費やすが、空中庭園を経由してすぐ辿り着くのは少し勿体ないような気もして。
少し長めの散歩になるが、これもマイペースのうちだと武器商人は軽やかに笑う。
「そう言えば幻想と鉄帝は嘗て激しく争っていたようだし、今も敵対しているみたいだが……国境を跨げるのか?」
「ん?」
雁が言っているのはかの『北部戦線』の事を言っているのだろう。
『北部戦線』……長年敵対関係にある幻想と鉄帝の最前線。アーベントロート領の北部国境線は『北部戦線』と称され、幾多の戦いの舞台になっていたのも……最早少し昔の話。
今も敵対関係は続いている話は事の端々で聞くものの、
だがそれは単純な話で。
最近の、海洋でその力を奮っていた嫉妬の冠位魔種と強大な竜種の話題で両国とも持ち切りだからなのかもしれない。酷く激しかったあの海戦の話は、この両国にも大きな衝撃が走ったに違いないのだから。
「幻想の一般人だったら、きっと入れなかっただろうねェ」
「やはり……」
暗い顔をする雁に武器商人はヒヒヒと妖しく笑う。
「けどねェ、
「! 特異運命座標、か。……ふむ」
特異運命座標……嘗て召喚されたあの頃はもうどうしていいものか悩んでいたものだったが、そう途方に暮れていた雁をギルド・ローレットで拾ったのがこの武器商人その人で。これまでも様々な場所へ彼を連れ回してきていた。
雁は弱視弱光……生まれつき視力が弱く、加えて光にも弱い眼をしている為、サングラスが欠かせずにいた。
故に自らの眼で物を見た事が、今まで殆どない。その暗いレンズ越しから覗く色褪せたモノクロの景色しか、彼は知りえないのだ。
匂いや音で物を見分ける術を得、人のそれぞれを見分けられるようになるまで、彼はきっと度重なる努力を積んだのだろうと伺える。
それでも武器商人は彼の事が気がかりで、放っておく事など出来なくて……こうして彼のしたい事、見たい事に興味を持ち手を引いてくれる。
雁はそれに心から感謝を抱く。自分一人ではこんなに沢山の経験を得ただろうかと、この人の気まぐれに手を引かれながらしみじみ思うのだ。
春の陽気の色を知った。
夜の色も知った。
なれば、今度知れるのは……雁はそう巡らせて武器商人の言葉を思い返した。
「寒い森の色とは……どんなものだろうな」
「ふふ、気になるかい?」
「ああ、そうだな」
温暖な気候と隣にある寒い森である『銀の森』の色とは……今から想像するだけで胸の鼓動が高鳴るようで。雁は大人気なくもはしゃいでるように見える自分に苦笑を浮かべた。
武器商人に連れ出されてから、色を知る欲求が自分の中にこんなにもあったものだろうかと、静かに思いふける。
レンズ越しでも色褪せて見えるこのモノクロの向こうを知りたいと……強く思うようになってしまった。
きっと正しい事で、我慢するような事でもなくて、けれど少し不安が過ぎるような……複雑な思いが雁の中を巡っている。柄にもなく、柄にもなくだ、こんな事は。
「おかしいと思うか?」
「いんや?」
思わず零れた言葉に武器商人はすぐさま掬い取る。きっとこの人なら掬い取ってくれるとは思っていたけれど……けれど、そんな他愛ない事で雁は改めて心の底から安堵を覚えた。
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「ふむ、確かに特異運命座標のようだな……通ってよし」
「ヒヒヒ、ありがとぉ」
武器商人が国境警備隊へにこやかにヒラヒラと手を振る。さて、ここから馬車は鉄帝の領地をゆったり走る事になるだろう。
「本当に特異運命座標と言うだけで国に入れた……」
「それだけ皆、
「……なるほど。それだけの功績を、商人さん達が残してきた、と言う証だな……」
「大袈裟だなァ〜」
雁の言葉に武器商人はおかしそうにケラケラと笑う。それにしても鉄帝、武器商人にとっては特段馴染み深いと言うと少し外れているかもしれないが、『銀の森』と一つの場所を差せば少しばかり物憂げに馬車の窓の外を眺める。
『銀の森』には嘗て魔種がその凶悪な力を奮っていた。その魔種は全てを嫌い拒み近づく者を拒絶し『雪泪迷宮』を生み出した。
迷宮により黒き獣たちもその姿を現し、魔種は氷の精霊の女王エリス・マスカレイドの力をも暴走させ、マスカレイド・チャイルドたちも酷く怯えていたあの事件。それも他ならぬ特異運命座標によって、ラサに氷の気配が運ばれていればバランスが崩れる懸念も避け、解決に導かれていた。
その事件に武器商人も少しだけ関わりを持っていただけに、この酷暑の中でふと思い浮かぶ程には気になっていたのかもしれない。
「しかし、あの幻想での暑さを思い毛布は必要ないんじゃないかと思っていたが、用意していて正解だったな……凄い寒さだ」
「北国だからねェ……用意は万全にしておかないと」
雁はあまりの寒さに二の腕を強めに擦る中、武器商人は顔色一つ変えずに余裕そうにしている。雁は国を超えるだけでこんなに気候が違うものか、と疑いたくなるがこれが現実である。
「まぁ『銀の森』の周辺は雪こそ積もっているだろうけど、ここよりは少しだけ温暖かなァ」
「雪、か……」
春ぐらいに召喚されて来たであろう雁にとって、無辜なる混沌の『雪』はまだ見た事は無いだろう。サングラス越しに少し見える世界はいつも暗く、そして心做しか寂しく映る。
「なぁ、商人さん。春の陽気の色は湯気と例えていたが……雪は、冬はどんな色に例えるだろうか?」
「冬の色かぃ? ……そうだなァ」
ゆったりとした馬車旅で、雁は武器商人へそう投げかけてみる。以前の答えがわりと気に入っていたのか、はたまた、この寒さへはどう向き合えばいいだろうか? と考えていたのかもしれない。
そんな雁を思い思考を巡らせる。武器商人にとってそれは楽しい時間で、彼の為にどんな言葉をあげようかと考える。
「冬は……湯気を炊く薪の色……かなァ」
「薪の色?」
雁は武器商人の答えに少し目を開いて驚いた。
「意外かぃ?」
「少し……」
「ヒヒヒ、そうだろうねェ。けど
「俺に答えるなら? それは──」
「おーい兄ちゃん達! 銀の森付近に着いたぞ!」
そこへ唐突に男性の声が聞こえた。どうやら目的地周辺に着いたらしい、いつの間にかカタカタと心地良かった揺れが止まっていた。
「おや、思っていたよりも早かったねェ」
「うむ。しかし……さ、寒いな……上着は閉めて出た方がいいか」
「手伝ってあげるよォ」
「……ありがとう商人さん」
そう言いながら雁は着てきていたトレンチコートの前を閉めようとし、武器商人はそれを手伝う。完全に見えないわけではない為、そこまで手伝わなくても良さそうには見えるが、武器商人は何故だか雁を見ていると手を出したくなる様子だった。
「さて……脚元取られやすいから気をつけてねェ」
「ああ、気をつけよう」
差し出された武器商人の手を、雁はいつもの様に取り少しずつ前へ進む。外に広がる光景と匂いを求めて、馬車の出入口からそっと降りた。
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『銀の森』は今日と言う夏の日でもその美しさは変わらない永縁の森。これまでの道中の寒さよりも、砂漠地帯から吹く温かい風のおかげか否か、不思議とあまり寒くないような気もした。
「この足元の感覚はなんだろうか……足を取られるような……」
雁が歩みを進める度にごすっ、ごすっと言う音を立てて、地面に足が沈む感触を覚える。
「これが『雪』だよォ」
「ふむ、この感覚が……『雪』、なのか……」
武器商人の言葉に雁はその場の雪を踏みしめる。不思議な感覚だ、と彼はまるで物珍しいものを見つけたように夢中になっている。
「……さっきから頬にかかる何かはなんだ……?」
「……もしかして雪の事かぃ?」
「? 雪は地面のこれでは無いのか?」
「雪は最初、空から降ってくるんだよォ〜それが地面に降り積もるのさ」
「空から……?」
この不思議な感覚が空から? 雁は武器商人の言ってる事がよくわからないながら、片手を空へかざしてみる。……なるほど、確かに何か……手のひらに落ちては水分に変わるものがある事は感じる。その存在が白すぎて雁のサングラス越しには認識しづらいが、何かが降ってる事は確かなようだった。
「さて……ここが『銀の森』だ」
「ここが……」
モノクロの世界でもわかる。そこは間違いなく美しい世界が広がっている事が。
「羽白のコはそのサングラスを外してはいけないよォ、……白が強いから光を強く感じてしまうかもしれない」
「……なるほど、それはまるで光の森のようだな」
雁は穏やかに景色を見る。これをモノクロ越しではなく生身の眼で見れたならもっと感動していたのだろうかと少し切なげに微笑えんだ。
「ね? 夏にピッタリのスポットだろう?」
「確かに、あの酷暑を忘れられる程の寒さだな」
夏に来たくなるスポットの一つだ。そう笑う二人を柔らかな冷気は優しく包んで迎え入れてくれた。
どこまでも続いてるように見える永縁の森『銀の森』。それは永久的に降り続ける雪の白……銀で支配された精霊縁の地。
……そして雁にとっては『光の森』と言う新たな側面が垣間見えた。
「また、来たいものだ」
「気が向けばいつでも来れるよ」
「それもそうだ」
サングラス越しに焼き付いた光の景色は雁のその眼に焼き付いて、胸に深く刻まれたであろう。
『銀の森』を後にし、二人を乗せた馬車は幻想へと帰路を走る。また長い旅のようだが、これも一つの
「そう言えば商人さんは冬の色を『湯気を炊く薪の色』と言っていたがあれは何故か聞いても……?」
「おや、気になるかぃ?」
「少し」
『銀の森』を見、それから落ち着きを取り戻し始めて……雁はふと思い浮かんだ。すると武器商人はふむ、とにこやかに言葉を重ねる。
「……幻想の冬は暖炉に薪を焚べるだろうからねぇ、羽白のコならその匂いを街中で感じるかと思ったんだよ」
「……なるほど」
貴族色の強い幻想と言う国ならば寒い冬は暖炉が主流だろう。煙突から上がる煙の匂いが街中を多く漂い始めたなら、それはきっと冬の始まりとして認識もいいのではないだろうか。雁は武器商人の言葉に深く頷いた。
「……商人さんの感性にはいつも驚かされる」
「ヒヒヒ、大袈裟だなァ」
雁の言葉に武器商人はおかしそうにそう笑った。
もうすぐ幻想の国境。その線を越えればまたあの酷暑が襲いかかるだろうが、『銀の森』で見た涼やかな
雁はこの胸に刻まれた光を思いながら、窓越しに流れる鉄帝の空を眺めた。