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泥人形は考える。
登場人物一覧
☆
それはよく曇った、あまり陽気ではいられない昼。泥人形が飯を食うなんて奇妙なことであるが、食べれるのであるから食べないと人らしくないだろうと煮炊きをし、食事を終えた頃。
マッダラー=マッド=マッダラーは新たな実験へと着手しようとしていた。勿論、自分の体についてだ。
彼の体は人間とは言い難く、とはいえ完全に無機物であるとも言い難い、宙ぶらりんのような状態になっていた。
泥のようにこね上がる癖にどこか人間としての特徴を兼ね備え、無論喋ることもできるし歌うし、自ら物を考えることも出来る。感情はもしかしたら誰かの真似事かもしれないが、それでもそれらしきものは搭載されている。ならば、自分は『何処まで』人らしくないのか? と、考えるのは自然なことだろう。なにせ、マッダラーは泥人形なのだから。
さて。と息をつき、準備をすすめる。必要なのはヘラとコテ、そして自らの身体と、平たく作業しやすい環境。
今から彼がしようとしているのは、果たして泥人形から生まれた泥人形は意思を持つのだろうか……という、言うなれば錬金術のような行為であった。人であれば、人の部品をただ削ぎ落とし、組み合わせてもただそれはガラクタと等しき物に他ならず、ゴミのようなオブジェが一つできるのみである。ただし、マッダラーは泥で出来ている。腹をかっさばいたことは流石にないが胸の鼓動は存在しないし、本来存在するはずの命の温もりには欠けていた。それに、運命が彼を見放さない限りは死ぬこともないのだろう。あの時雷に撃たれた自分が、今も生きているように。冷静に自分を客観視するならばトンチキ不思議生物なわけで、何があっても不思議ではない。
腹から少し自分の体をちぎり取る。痛みはないし、傷口から血は覗かない。自分で自分の身を削るのは少しだけ抵抗があったが、痛くないのなら、死にはしないのなら問題はない。
むしろちょっとおもしろくなってきた気がする。気だけだが。
少しマッダラーの体積が減り、マッダラーだった泥が机の上に堆積する。粘土のような性質のそれは幸運なことに、特に心得があるわけではないマッダラーでも泥遊びに興じるのに過不足なさそうだ。
まずは適当に、ざっくりと手で整形をする。ちょうど埴輪のような、ヒトモドキが出来上がる。そこからコテを手に余分な部分を削り、更に人らしい形へと整えていった。
結論と言えば。……意外と楽しいな。ということだけだった。
時刻は夕刻。ついつい熱が入り、ひげを作り、服を作りと結構な大作になってしまっていた。
身長はだいたい10cm程度だろうか。ディフォルメが入っているからか、本体よりは随分と可愛らしく見える。……が。
「……なるほど。自分の身を離れれば、泥は唯の泥となる」
ミニ・マッダラーと言えるであろうそれは、ぴくりとも動かなかった。案外まだまだ自分は人に近いのかもしれない、と独りごちる。少なくとも、アテは一つ外れてしまったわけだ。
思案していればぽつり、ぽつりと雨が降る。泥人形は雨には弱い。ふやけてしまうし、溶けて流れてしまうからだ。大きいのも小さいのも例外はないだろう。万が一のことを考えて、沼地のほとりまでやってきていたのがいけなかった。夕立のようで雨脚は瞬く間に酷くなり、雨音が全てをかき消した。
慌てて森まで走る。木の陰に駆け込み、ホッと吐息をつくと同時に、ミニ・マッダラーを置いてきてしまったことに気がついた。この雨では流石に、もう溶けてなくなってしまうことだろう。
近くで雷鳴が轟く。何、空の向こうは少し明るい。もう暫くの辛抱だ。
不思議なことに、元の場所に戻ってみるとミニ・マッダラーは少し形こそ崩れていたもののそのまま残っていた。マッダラーの泥だからだろうか、少なくとも普通の人形ではなかったようだ。経過観察をしてみるべきか、とマッダラーは改めて形を整えて、雨にもう降られぬようにと藁で編んだ帽子をかぶせた。
日が沈む。この辺りは獣も出ると聞く。互いに無用な衝突を避けるため、野営の準備を整えるべきだろう。
☆
それは月が綺麗な夜の日。煮炊きの音も消え、森がひっそりと騒ぎを収め、また新しい住人たちが騒ぎ始めたような頃。
寝息を立てるマッダラーのその脇で。もぞもぞ、もぞと何かが動き出す。ぴょこん、と。起き上がる。
大きく伸びをして周囲を見渡せば、何かは切り株に登って、腰をかける。
そのまま大きく息をつく動作。空を見上げ、なんにも見えちゃいない瞳を月へと向けた。
それはうつろな瞳、土気色の肌。土で形作られたドレッドヘアーに、大きな山高帽子。
そして、10cmほどの体躯。
――紛れもなく、ミニチュアサイズのマッダラーの写し身だった。
雨が降ったばかりであるから、森の夜は少し肌寒く、切り株は濡れそぼっていた。自分の下半身ほどの葉っぱを座布団代わりにして。泥人形は思考する。小さい頭で思考する。
考えることはオリジナルと同じ。すなわち、自分とは何であったのか。そして、今は何であるのかを。
――成り立ちを考える。
あれはよく湿った曇り空だった気がする。まだ意識というモノが存在していたわけではないけれど。思い返せばなんだかんだと感慨が浮かぶのだから不思議なものだ。
捏ね上げた手の感触はひどく冷たくて、無機質だった。自分と同じ様に。もちろん自分がソレの分身なのだから当たり前なのだが。
実践実験。試しに自分で自分の頬をぺちぺちと叩いてみる。……予想通り冷たい。そしてこれは頬だ、とはっきり認識できる。ミニ・マッダラーは自分の姿を見たこともないのに、不思議なものだ。泥人形はそれを鑑みて、水たまりに自分の姿を映してみることにした。
うつろな瞳、土気色の肌。土で形作られたドレッドヘアーに、大きな山高帽子。問題なく、ミニチュアの泥人形。
触った頬は少しだけ形が歪んでいる。あまり丈夫なわけではないらしい。耐久実験などをしたのなら一瞬で、ぱん。
確かに寝ている男とそっくりだ。ただ、同一である確証はあるのだろうか? 何故自分はこの寝ている男のミニチュアだと認識しているのだろう? 生まれた時に意識付けられた? 『私』はただの泥人形なのに? そういえば何故、『自分』は自分のことを泥人形だと思っているのか……?
ぐるぐると、抑えていた問いが溢れてくるようだ。
ああ、いけない。考えがそれていく。思考、修正。
――今覚えている記憶のカケラを想起する。
泥人形は小さいなりに賢く、泥人形なりに愚かであった。そんな事分かるはずがない、という当然の帰結から大きく外れ、思考はとめどなく。生まれ出た理由、そして存在価値を探し求める。
今の所、恐らく自分はオリジナルの記憶を保持して生まれてきている。彼がスワンプマンになったあとから過ごした過去、この混沌の大地へとやってきて、積み上げられた今。ただし、不確かであるがマッダラーが作り出した泥人形が雷に打たれ、ミニ・マッダラーとして分化した時、記憶は個々人のモノとして差別化されているらしい。マッダラーが見ている夢の記憶は、泥人形が夢を見るかは定かではないが――ミニ・マッダラーには存在しないし、ミニ・マッダラーが考えていることがマッダラーに伝わるわけではないだろう。なにか起こることを期待していたようだし、黙ってはいるまい。
所謂本物のスワンプマンだ。当人は死んでいないのに、自分は此処に居る。ニセモノの命、仮初の電気信号。
記憶はあやふやに巡る。スワンプマンのスワンプマン。それは一体何なのか?
分からない。ひたすらにその感情が不安だった。
だから泥人形は考える。小さい頭で、頭を振って。自分とは何か――。これでは何者でもないではないか。掴めないことには、生きていていいのか不安になってくる。
その時だった。月が翳る。雲ではない。鳥だ。茶色くて、大きなフクロウは夜の空で悠々と飛んでいた。なんの気なしに注意を奪われ、暫く飛ぶ様を眺めていると大きく丸い瞳と目が合う。
フクロウは高度を下げる。此方へと鳥の羽のようにふわふわと、音もなく飛んでくるのを見ていれば、彼に問いかけられた気がした。
――自分探しの旅に出る気はないか、と。
ガッ。
応えるまもなく肩を掴まれる。そのまま大きく揺さぶられ、ミニ・マッダラーは瞬く間に大空へフライハイ。恐らく捕食対象と見なされている気がしたのだが、それでもミニ・マッダラーの濁った目はなんとなく輝いているような気がした。
こんな経験はオリジナルにはない、いや、しようとも出来ないのではないのだろうか。経験だけは本物である――。と、ミニ・マッダラーはそう結論付けたのであった。そのまま暫く空中遊泳を楽しみ、適当に巣についたら抜け出そう。そして、旅に出よう。幸い楽器の心得はある。そうして、オンリー・ワンとなろう。
こうして、彼のアテのない旅路は始まった。もしかしたら……。またマッダラーと巡り合う時もあるのだろう。多分。