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In the Air Tonight
登場人物一覧
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「困りました……」
クラリーチェ・カヴァッツァ(p3p000236)はほろりと零す。
クラリーチェが運営している教会は年代物である。管理をし始めた頃もそうであったがアチラコチラにガタが来ている。
この前など水道管が破裂して教会に来ていた友人がびしょ濡れになっていた。
流石にまずいと一念発起して本格的な改修・補修工事を行うことにしたのだ。その工事の都合で1日の断水が行われるため、クラリーチェは付近の宿を手配していた。
しかし、手違いが起こり宿は満室だという。折しも大きな祭りのさなか。他に空いている宿などありはしない。
キャンセル待ちをしようにも、キャンセルなどそうそう都合よくおきるものでもない。
仕方なくクラリーチェは宿を出て、ぽつりぽつりと歩き出す。
今日のお宿は如何んせん。
夜更けを女性ひとりが歩くという危険性など、極限状態に置かれたクラリーチェの頭にはない。
「一晩くらいならローレットの隅にご厄介に――、なんなら公園で夜をあかしてしまえばいいでしょう」
だからこそ、そんな大胆な答えを出してしまった。
女は夜更けに一人公園に向かう。
さてはて。
今日はいい酒を飲んだものだと、 哀坂 信政 (p3p007290)は少々千鳥のあしでごきげんだ。
締めのうどんも美味しかった。
こんなときにきれーなおねえちゃんでもいたら最高なのにと思う。
そこでつい一瞬うかべたおねえちゃんの姿はよく知る聖職者の女。
焼きが回ったのか。生真面目なあのおねえちゃんが俺の酒の酌なんぞするわけがないと笑う。
酔っ払ったもんだと信政は家路をいそぐ。こんな気分のいい日はきもちいいまま布団に飛び込みたい。
「おいおい、嘘だろ?」
家路の途中の公園を通り過ぎようとすれば、白い髪の女の人影が見えた。
それはよく知る相手のように見える。
こんな時間にあの女がひとりこんなところにいるはずなどない。
まさか聖職者の衣をまとう女のことを考えすぎて幻覚を見てしまったというのか?
いや、それはなんだか恥ずかしいのでそうじゃないと思いたい。
女はキョロキョロと当たりを見回してから、ベンチに座る。
こんな時間に何しているんだと思っていれば、そのままぺたりとベンチに寝転んでしまう。まさかとは思うが――。
「おい!!」
「ひゃい!!」
そのまさか、であった。
女はクラリーチェ・カヴァッツァ。幻覚ではなかった。この状況を考えると幻覚であったほうがずっとマシだ。
「なんでこんなところで寝ようとしてんだ?」
「ふふ、哀坂さんこんばんは。ここなら涼しいですし、横になれると思いまして……」
能天気に微笑む女。
信政が髪をかきむしりながらこんな蛮行を行った理由を聞けば、クラリーチェは意外にも素直に事情を話す。
「泊まるところがないからって――こんな場所に」
信政は呆れるしかない。言いたいことは山程ある。襲われたらどうするんだ、危険だ、いいかげんにしろ。いくらでも湧いてくる。
「哀坂さんこそどうしてこんなところに……? ああ、このあたりはお店の近くでしたね」
「ああ、そうだ、だからな、お嬢ちゃん、俺のウチにこい。悪いようにはしないから」
「ふふ、お気持ちだけいただきますね。こんな夜更けに人様のお住まいに押しかけるわけには参りませぬゆえ」
どうにもこの女はなにかがズレている。
「ここがダメでしたらローレットにでも身を寄せて朝まで過ごせばいいだけですので」
ああ、もうこの女は。
こうみえてクラリーチェは強情なのだ。そうと決めたことを違えることはそうそうにない。
攫ってやろうか。
そんな物騒なことも思いついてしまうが、根本的な解決にはならないだろう。縦しんばできたとしても自分が寝たら其の隙にこの女はそっと出ていくだろう。
で、あれば――。
「あいたたった! やばい! 持病のシャクが、腰が、脚が!!!」
下手くそにも過ぎる演技をすることにした。そうすればまあ俺のウチにくるという大義名分は発生する。
「!? 大丈夫ですか?」
お嬢ちゃん、たすけておくれと信政が大げさに腰を撚ると――。
ぐきっ。
かなりいやな音がした。
「うおおお、いてえ!! 腰が、腰が!」
嘘から出た真、ひょうたんから駒。
本当に腰をいわしてしまった信政は痛みに悲鳴をあげる。
「あ、はい、先程お聞きしました。えっと」
結果オーライというには少々痛いが、口実はできた。
「すまん、ちょっと店まで、手を貸してほしい」
「は、はい、わかりました! 人助けですね」
クラリーチェは信政の腰に手を回し、店に向かう。
接近する女の香りが信政の鼻孔をくすぐった。ラッキーだと思う。だがしかし。
それをもってあまりある腰の痛みは如何ともし難いのだ。
「あたた、すまねえな。俺の部屋はそっち、反対側の部屋は空き部屋だ。礼と言ってはなんだが好きにつかってくれや」
「その……私はこれで……失礼しようかと――」
「いたたたた!」
逃がすものかと信政はことさら大げさに悲鳴をあげる。作戦はここまで成功したのだ。
完遂させねば意味がない。
「ふえ、大丈夫ですか?」
「あのよ、お嬢ちゃん、ここまで助けてもらって、その恩人を外におっぽりだすなんてできねえよ。お嬢ちゃんならできるのかい?」
「……」
「人助けのついでってことで、泊まっていってくれよ」
「――、ほんとに。哀坂さんは仕方ないですね。実際腰がいたいとあれこれ大変でしょうし。お宿のお礼にお世話させていただきますね」
「ああ、助かる。風呂とトイレはそこの階段上がったとこにあっから。まずは汗でも流しな」
「そこまでお世話になるわけには……」
「いいから! 汗臭いぞ、お嬢ちゃん」
「ええっ?!」
クラリーチェは自らの服の匂いを嗅ぐ。暑い中で歩き回っていたのだ。本当に臭っているのかもしれないと真っ赤になる。
「まあ、嘘だけど、いいからいってこい。客用の寝間着も風呂においてあるから使え」
なんとかかんとかでクラリーチェを風呂に送り込んだ信政は部屋の布団に寝転んで一息つく。
まったく――。
ため息も溢れる。
こうでもしないとダメってのは、ある意味凹むものがある。
かたり、と部屋のふすまがあけられた。
風呂上がりの女はどんな朴念仁の糞真面目でも色っぽくみえるものだ。
「ありがとうございました。実は、お風呂少したすかりました」
「そりゃよかった」
「あの、痛みはどうですか?」
「ああ、随分痛みはひいてきた」
「結果的に私がお世話になることになってしまって、その――」
「気にすんなって、こっちはむしろ役と……おっと、助かったのはこっちだからな」
痛む腰をなでさすりつつ、信政は苦笑する。
「もし何かありましたら、すぐにお呼びくださいね」
せめて何らかの役に立たねばと思うのだろう。クラリーチェは両拳を握りしめてそう言う。
「ああ、そんときは呼ばせてもらうよ」
「はい。では。おやすみなさいませ」
丁寧に深々とお辞儀をして、クラリーチェは信政の部屋を退去していった。
まったく、本当に。
困っているなら頼ればいいのに、と思う。
クラリーチェとはもうそろそろいい加減薄からぬ仲であると信政は思っている。
クラリーチェとて自分のことを悪からぬと思っているとも思う。
なのに頼られないっていうのはどうにも寂しい。
「そこまで頼りにならない男だとおもわれているのかねえ」
信政に限らず、この女は背負い込みすぎて誰にも頼ることは無いだろう。それはこれからも、きっと。
だから余計に寂しくなる。
本当に――。
「ばーか」
女の残り香に向かって、男はつぶやいた。
はて、私はお礼を言ったのでしょうか?
床についたクラリーチェは落ち着いたころそう思う。今からでもお礼を言いに行こうとは思うが、あれから信政が自分を呼ぶ声は聞こえない。
もしかすると寝てしまったのかもしれない。
そうであったら今伺っても迷惑にもすぎるだろう。ただでさえ部屋も、あまつさえお湯までかりた身だ。
こんな迷惑のかけどおしでは呆れられてしまうだろう。
助かったのは確かだ。しかしそれ以上に申し訳なく思ってしまうのは女の業なのだろう。
朝に、お礼を言えば、いいですよね。
クラリーチェだって疲れている。おふとんにもぐりこめば意識がうとうとしてくる。
あたたかいおふとんは気持ちがいい。
まぶたがくっつきそうだ。
ほんとうに今日は大変だった。
本当は公園で寢るなんて不安だった。
ローレットにいっても断られたらどうしようとも思っていた。
だけど。
だけどあの人が声をかけてくれたときすごく、すごくホッとしたのも事実だ。
なぜだかわからないけれど。
すごく、すごくホッとしたのだ。