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空色の誓い
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- グドルフ・ボイデルの関係者
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雑然とした空気が白亜の街を包み込んでいた。
清廉潔白の汚れなき街フォン・ルーベルグにおいて、普段であれば考えられないような歪さ。
その天義という国で行われた戦い。
死闘と呼ぶに相応しい冠位魔種『強欲』ベアトリーチェ・ラ・レーテとの決戦。
語る言葉を惜しむほどに壮絶な傷を刻み、人間という存在の意義を問うた声。
犠牲を払い。心を割いて。イレギュラーズは勝利したのだ。
白い法衣が吹いた風に翻る。『司祭』リゴール・モルトンは変わらぬ蒼穹の空を見上げ目を細めた。
この白亜の街はあの日、突然押し寄せた暴力に為すすべもなく崩れたというのに。
アジュール・ブルーの空は何も変わらぬ色で空に広がっている。
リゴールは砂混じりの石畳の上を歩く。視線を上げれば石造りの建物は大きく傾き、半分ほどが崩れ落ちていた。騒乱の最中、このあたりにも被害が及んだのだろう。
以前は整然とした町並みだったこの通りも、今は殆どの建物が損壊している。
人気のない廃墟が立ち並ぶ中で、何もなくなった更地の前で足を止めるリゴール。
思い出の中、小さな子どもであった自分がアランとカティを連れて走っていく夢に囚われる。
幼い声がはしゃぎながら浮かんでは消えていくのだ。
懐かしさというには感傷が過ぎる思い出かもしれない。
けれど、更地になったこの場所こそが。リゴールにとっての原風景。
今は跡地になってしまって久しいけれど。それでも大切にしたい思い出の場所。
アランと再会した場所。
「何、呆けてんだよ」
「アラン……」
記憶の海から浮上したリゴールを『アラン』が見つめていた。
あの頃とは比べ物にならない程に、変わり果ててしまった男にリゴールは向き直る。
「まずはお疲れさん。復興の方はどうだ?」
向けられた手のひらには硬いマメが出来ていた。
きっとこの分厚い掌は重たい武器を振るうのだろう。
逞しい体に刻まれた傷跡は幾度も仲間を救ったのだろう。
山賊と称するに相応しい身なりだ。
「……『天の杖』、噂には聞いて居たが、とてつもない代物だった。私の同僚である司祭たちも、起き上がれないほど消耗した者が何人も居てね。見ての通りてんてこ舞いだ。猫の手……いや、山賊一人の手も借りたいくらいね」
「嫌味か?」
アランの声にくつくつとリゴールは笑う。
離れていた時間など関係ない言葉の応酬。間と反応の返し方。
どれだけ、この他愛のない会話を待ち望んでいただろう。安堵感と高揚感にリゴールは包まれる。
「何だよ」
怪訝そうな表情でリゴールを見遣るアラン。
「いや、何でもない」
反応を返してくれる。それだけで嬉しい等と言える訳がないだろう。
今更にそんな羞恥晒すには年を取りすぎた。
けれど、有耶無耶になっていた『親友』としての時間。
止まっていた思い出を、始めてみても良いのではないか。
だからこそ、リゴールは問わなければならない。
「何故あの時、嘘を吐いた?」
この孤児院の跡地で再会した時に、アランは言ったのだ。『人違いで、ただの傭兵だ』と。
親友に嘘をついた。
己の為す正義のため、山賊に身を窶し、神と信仰、国すらも捨てた。
どれだけ誹謗中傷を受けようとも、己が信念を突き通す覚悟はあったのだ。
自分の身代わりに死んでいった彼(グドルフ)を思えば、他人の目など気にすることもなかった。
けれど、リゴールだけは違う。
アラン・スミシーとしてこの場所で共に育ったリゴールだけには別の感情が動いたのだ。
信仰と共にあり、山賊を毛嫌いしているであろうリゴールの前に立った時、その瞳に映り込む自分の姿を恥じてしまった。
信念だとか矜持だとか。そういった崇高な志なんかじゃない。
純粋に一人の人間としての、抜身の刃の前に、アランは目を逸らす。
山賊である自分の姿に幻滅されるのが怖かったのだ。
「あのままお前の中で、美しい死者で居た方が良かったかも知れないと……」
「美しい死者か、お前は昔からそうだったな」
誰よりも人を愛し、清らかなる思いを尊いものだと、神への信仰を魂に刻んでいた。
降りかかる絶望の最中、一縷の望みを願い続けたのは他でもないアランだったのだろう。
それが手にとるように分かるからこそ、リゴールは彼の遍歴に眉を寄せる。
壮絶であったのだと想像に難くない。
グドルフ・ボイデルという偽名も、アラン・スミシーを捨ててまで名乗る程の何かがあったのだ。
言葉にせずとも慮ることはできる。
「しかし、何故俺だと気付いた。昔の俺とはあれだけ違うのに」
白髪交じりのボサボサの髪。皺の刻まれた額。欠けた歯。酒焼けした声。
どこをとってもリゴールの記憶の中にあるアランとは結びつかないものだろう。
例えば、キドーやオクトに若い頃の写真を見せた所で、嘘つけと笑われるに違いない。
そういう所が彼らの良いところではあるのだが。
リゴールは違うだろう。何故気づくことができたのか。
アランの伺うような瞳がリゴールを見つめる。
「そんなことか。毎日、見飽きる程見て来た友の顔だぞ」
口元を緩めて肩を竦めたリゴールは青く広がる空に視線を上げた。
「どれだけ外ヅラが変わろうが、見間違える筈など無いよ」
何十年経とうとも、変わらぬものがある。
言葉の言い回し。会話の間合い。間に挟まれる癖や仕草。目や鼻、耳の形。
声だってそうだ。酒やけしてるからといって、元から持っているものを変えるなんてこと容易じゃない。
面影とはよく言ったもので。構成される顔のパーツは簡単に組み替えることなんて出来はしない。
「あの時、おまえが今の俺を一目で『リゴール』だと分かったようにね」
「……はは、違いねえな」
こうして、あの頃途切れた思い出の続きを紡ぐことが出来た。
リゴールの願いは叶ったのだ。
なればこそ。真意を問う。
向かい合わなければ、きっとリゴールもアランも前に進むことが出来ないから。
あの短い他人行儀な会話ではない。きちんと目を見て、ぶつかり合わなければならないのだ。
「戻って来い、アラン」
再び共に歩いて行こうではないか。
この天義の地で。神の信仰の元で。支え合い生きていこうではないか。
リゴールから向けられた視線は、昔と同じように信頼に満ちあふれていた。
アランがどれだけ悪行を働いてきたのかをきっとこの男は悟っている。
けれど、それを赦すのだと。受け入れ、共に歩むと言ってくれているのだ。
アランの鼻先がじわりと熱くなった。
差し出された手を取れば、やり直せるのだろう。
人を殺すことも、闇に生きることも、泥をすすることもなく、平穏が訪れるのだろう。
宛ら地獄に差し込んだ奇跡の光だ。
縋れば、きっと望むべきものが手に入るのだ。
けれど――アランはそれを否定する。
「信仰を捨てた俺を、周りも今更許容なんか出来ねえだろう」
アラン自身への嘲笑や好奇の目ならば耐えることもできよう。
けれど、そこに付随するのはリゴールへの非難だ。
山賊に堕ちた者を容易に引き戻すなど、この国ではあってはならない事。
たとえ、リゴールが司祭の地位にあろうとも、歓迎されることではない。
自分が自分であることで、リゴールの迷惑になってしまうのならば、一緒に居ないほうがいいのだ。
「それに──俺も、まだ神を信じる気にはなれねえのさ」
切なる願いは聞き届けられなかった。いくら神に祈ろうとも手を差し伸べてくれはしなかった。
絶対的な信仰心は裏返り、復讐に転じた。
救ってくれなかった神に捧げる祈りなど無いのだと。
過酷な状況で神への復讐という大義名分を『生きていく糧』としたのだ。
実際にそれは大きな原動力となった。
山賊を滅ぼすという使命のために、這いつくばって生きて行かなければならない。
それは、神への復讐であると共に己の中の『正義』なのだと言い聞かせる事ができた。
誰にも悟らせず積み上げてきた己が矜持。
天義の人間として生まれた者が持つ正義の光。
けれど、大勢の正しさからは外れているかもしれないから。
そんな自分が今更、神に赦しを請うなんてできるはずもなく。
「それに、まだやり残した事もあるんでね」
「……探しに行くのか」
「ああ」
生ぬるい初夏の風が二人の間を駆け抜けた。
アランにはやらねばならぬ事がある。
カティを見つけ出す。月光人形みたいな偽物なんかじゃない。本物を。相応に齢を重ねた妹を。
彼女自身が見つかれば、それに越したことはないだろう。
しかし、希望は薄く。海の中の光を掴むようなものだ。
カティが居なくなってから、もう数十年が経っている。
それでも。痕跡だけでも構わない。見つけてやりたいのだ。
そうでなければ浮かばれない。惨たらしい末路で終わったなどと思いたくない。
せめて、あのロザリオだけでも――
アランのリゴールのポケットに仕舞われたロザリオと同じ。
思い出というには傷跡染みる代物。されど、何があっても見つけ出したいものだ。
リゴールにもその思いが伝わったのだろう。
僅かに伏せられた瞳がアランに向けられる。
「――見つけたら、きっとまたこの国へ帰って来る」
「ああ、しっかり見つけてこい」
ロザリオだけではない。
グドルフ・ボイデルの名を轟かせ、山賊を滅ぼし。
その先に広がる、アラン自身の物語を。
「そして、必ず、必ず帰ってこい」
「ああ、この空に誓って」
共に語らおう。
これまでのこと。
これからのこと。
一筋縄では行かないであろう試練の道程を。
全て余すことなく耳を傾けるから。
だから今は、その鈍色の背中を見送ろう。
親友が世界に駆けていけるように。
アジュール・ブルーの空に白い鳥が羽ばたいた。
- 空色の誓い完了
- GM名もみじ
- 種別SS
- 納品日2020年07月15日
- ・グドルフ・ボイデル(p3p000694)
・グドルフ・ボイデルの関係者