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呪いの黒を滲ませて
登場人物一覧
●黒の兆し
それはいつもの夢とは異なった。
夢の中で、荒野の真ん中で立ち竦む自分を見た。
右腕は黒く染まっていて、肩で息を吐き出して。とても立ってはいられないと思うほどにボロボロだった。
立ち竦む自分の足下にはいくつもの骸が転がっていてーー
そこで夢が覚めて。
まだ朝陽が顔を覗かせたばかりの時間だと、窓の外の明るくも仄暗い空を眺めて確認する。
そうして、イグナート・エゴロヴィチ・レスキンは起き上がる。
そして噴き出すように流れていた汗に気付いて、額を拭う。
ついでに右の機械腕を見る。
「特にモンダイはなさそうなんだけどな……」
最近右腕が少し黒みを帯びてきているが、問題となるようなことはなく、気にしていなかった。
軽く手のひらを握ってみても。
「やっぱり何ともないな」
違和感は全くなく、いつもの腕だった。
「と、ぼーっとしてないで朝の筋トレ行くか」
ベッドから出て、タオルで汗を拭い。目覚ましを兼ねた毎朝の日課に。
服をいつものトレーニングウェアに着替えて、ランニング、腕立て腹筋などのメニューを一通りこなして。
少しだけ実戦的な訓練を取り入れて、勘が鈍ってないかを確認する。
腕を振るえば、空気を切る音が耳元で聞こえて。
「……よし、こんなモン、かな」
日課を済ませて空を見上げれば、太陽はそこそこの高さまで昇っている。一応、まだ朝の時間帯ではあったが。
イグナートはその後家に戻ってシャワーで汗を流し、普段着に着替えて。
今日は何か予定があったかと思ってカレンダーを見れば。
「ふむ、休みみたいだな。……どこかぶらつくか」
久しぶりの休暇だし、と。
何か街で楽しいものや美味しいものが見つかると良いなと笑って。
イグナートは街へと繰り出した。
●違和は黒と共に
着替えて外に出ると昼も近かったから、昼食も摂れたらと。とりあえず市場の方へとやってきたイグナート。
この時間になると人通りも多く、賑やかになっていた。人混みを掻き分けて通りを進んで、小腹でも満たそうかとちょうど良い店を探して。
「お、イグナートじゃないか。昼飯か?」
声をかけてきたのは、馴染みの店の店主。イグナートよりもだいぶ年上の彼が、人懐っこい笑顔でイグナートを手招きしている。
彼の店は野菜や果物を扱っていて、買い物客が品物を見ているのを店員が対応していた。
「そうだね、ヒルメシにでもと思って来てみたんだけど……」
手招きする方に近付いて。
「アサメシもまだだったから、何かカルく口に入れようかとね」
腹を押さえて空腹のアピールをしようとして、本当にくぅと腹の虫が鳴いて苦笑する。
「腹減ってるならリンゴ食うか? 形が悪くて売りもんにならねぇやつだけどよ」
それなら金もいらないと笑って。
「お、じゃあ貰おうかな?」
渡されたリンゴは赤く綺麗で。しかし茎の近くに小さなコブがあって。これでは確かに売れない。不良品として処分するか、店主が持ち帰って家族で食べるか。
味はまったく変わらないのにな、と思いながら右手に取ったリンゴを口に運ぼうとして。
パァン! と突然リンゴが破裂した。
果汁と破片が顔にかかって、周囲もそれにびっくりして。
「大丈夫か、イグナート!?」
店主の彼も凄く驚いて怪我がないか聞いてくる。
「ダイジョウブだよ、ナンともない」
慌ててタオルを渡してくる店主にお礼を言って、顔を拭きながら。イグナートも内心びっくりしていた。破片が勢いよく誰かに当たって怪我をしなくて良かったとも思って、一息つく。
「これは駄目だな。もう一個あるからこっち食えよ」
「あぁ、アリガト」
言って渡されるリンゴを、今度は左手でもらって。
一口噛れば、想像よりも果汁が溢れて。美味しいと呟けば店主も嬉しそうに笑って、そうだろそうだろと頷く。
「しかしどうしていきなりリンゴを握り潰したんだ?」
意図していないことだとは店主もわかっているようで。不思議そうに右の機械腕を見ている。
「なんかさ、最近右腕のチョウシが良いというかワルイというか……」
自分でもよくわかっていない。
首を傾げながら右腕を動かしてみるが、異常のようなものはない。
気になることと言えば、少しずつ右腕の黒が広がっているような気がするくらいである。
「たまに自分の腕じゃないみたいなカンカクがあるんだよね……」
ただ機械の調子が悪いだけと言えばそれまでだが。
今度時間があったら調整してもらいに行こうかなどと考えながら、店主にお礼を言ってそこから離れた。
その日、それから家に帰るまでは、右腕は異常を出さなかった。
昼を摂って、散歩して、友人と話して。代わり映えのない一日を送って。
家について一息入れようとしたところで右腕が振り上げられ、椅子を破壊した。
「!?」
気付いたら右腕はほとんど黒くなっていた。
それはまるで呪いのように、少しずつイグナートの日常を蝕んでいくような気がした。