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はじまりのおと
登場人物一覧
そのギルドの片隅に、金髪のエルフ少女――タイムはいた。
……いたというか、正確には途方に暮れていた。
それは
ごった返す人々。
賑やかな話声。
提示される多くの依頼。
それらの熱気に当てられ、多少気後れを感じてしまうのも無理はあるまい。
「ううん、困ったわ……」
しかしながら、専らタイムの頭を悩ませるのは一点。
シンプルに「どの依頼を選ぶべきか?」ということだった。
『ギルド条約』によりかなりの独立権が守られるローレットには各国から依頼が集まり、その内容も多岐に渡る。
その中からセレクトする行為は、イレギュラーズとして日の浅いタイムにとっては難問であると言えた。
「こうなったらあれね、適当に指さして決めるしかないよね!」
「いやなんでだよ」
せぇの! と勢いよく依頼書を指さそうとするタイム。途端に上から降ってきた、声。
思わず振り向けば、立っていたのは冒険者風の装いの男。呆れたような顔で赤い瞳をタイムに向けている。
知らない顔だ。タイムに用事だろうか? それとも依頼を見に来たのか。
「ごめんなさい。ずっと立ってたままじゃ邪魔よね!」
「そうじゃねぇよ! ったく……」
仏頂面のまま、男の赤い瞳が依頼書の上を滑る。
すぐに依頼書を何枚か取るとタイムの目の前に無造作に突き出して。
「あ、あの……?」
つまり? 青い瞳が瞬く。このなんとも謎な状況に戸惑いの声を漏らさずにはいられない。
「説明してやるってんだよ。どの依頼受けるか迷ってんだろ。新入りには親切にするもんだ」
苛立ったように男――ジルの吐いた息がひとつのため息となって零れた。
ずい、と近づく顔。赤い瞳が無遠慮にタイムの青い瞳を見て、次いでエルフの特徴である長い耳を映す。
「幻想種かよ? なら
「い、いえ! わたし
タイムの耳は無辜なる混沌において幻想種と呼ばれる種族――ファルカウの加護深き
けれどタイムは紛うことなき
「なんだよ、ウォーカーか。そんじゃ、ローレットが位置するこの幻想の依頼でもいいしな。最近じゃあ
そんな感じで説明は大丈夫かよ? とタイムに依頼書を放る。いろんな意味で雑な男だ。
「ありがとう! さっそく行ってみるわ!」
「おう。つっても、結局どの依頼を受けるかは嬢ちゃん自身が決めるこった」
その道行きも。どのように生きるのかも。
ウォーカーとなった瞬間から、運命に許された支度物はその身のみ。
元の世界で結んだ関係性という糸はもう無い。代わりに手に入れたものがあるとすれば、失くした糸に縛られぬという事実。
ならば自由に生きずしてなんとする?
ジルの言葉に、タイムの口元が綻ぶ。
「ありがとう。おじさん優しいのね!」
「おにーさんと呼べ。母さんに言われなかったか? 年上は敬えってよ」
「んー、わたし召喚以前のこと、なにも覚えてないもの」
ジルは面食らったような変な顔をして。軽く頬を掻くと、再び口を開いた。
「……不安じゃねぇのかよ? 記憶もなしに突然イレギュラーズとかなっちまってよ」
タイムの青い瞳が揺れる。
正直なところぴんと来ないし、戸惑いもないわけではない。
けれど、不安も戸惑いもぜんぶぜんぶ飲み込んで――「冒険心」が勝っているといえばどうだろう?
それが嘘偽りないタイムのこころであったのだ。
笑んだ少女の唇は、きっと紛れもない”答え”を紡いだ。
「わたしね。この世界で趣味を見つけて、友達を作って、美味しいものを食べて。わたしらしく生きたいわ!」
記憶がない。知り合いもいない。持ち物はその身一つのみ。
それはつまり。
未知を知り、かけがえのない仲間を得て、その身に多くの「大切」を抱える。
そんなわくわくするような余白をたくさん残しているだけのこと。
「だから不安に思っている暇はないのよ。わたしらしく頑張るのにいそがしいもの!」
まっさらなページに、タイムだけの時を刻んでいこう。
楽しいだけではきっとないだろう。苦しむこともあるかもしれない。
それでもそのすべてがいつか、タイムだけの物語になるはずだから。
少女のふところで、小さなベルの音がした。
それは旅の始まりを告げる合図。風さえ気づかぬほど小さく、けれど確かに澄んだ音で響く。
まるで彼女の小さな背中を押すように。