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ビギニング・レッド
登場人物一覧
手枷と鎖に繋がれた女たち。
赤と青のネオン光が照らすホールの中で、女たちの首にさげられた札を引いてオークショニアが叫ぶ。
見るも無惨なこの世の底。泥水をすすって生きる鼠たちの住処。ここは幻想スラムの最底辺だ。
「もっと出せる方は? 結構! 82番、落札でございます!」
黒い背広姿の男が小さな木槌を叩き、女の鎖を引いていく。
「お願い。どうか」
「さあ新しいお家へ行くんだ。きっと満足するよ」
懇願する女。
皮肉げに笑う男。
もしかしたらどこにでもあるような、最低の風景が。
――「『レッド・マグナム』」
赤い魔術弾の貫通によって男のこめかみが右から左に開通し、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
脱力した手が鎖へすがるように遅れて落ち、女は驚きに目を見開いた。
値札のついた女たちが、入札札を手にした男たちが、一斉に同じ方向へと振り返る。
ネオン光に照らされて浮かぶ赤い影。
オークショニアが立っていたステージに上り、倒れた男をステージ下へと蹴り落とした。
金貨のように光る目が光、サメのようにギザついた歯を見せて笑う。
「紳士淑女の諸君(レディースエンジェントルメン)――ショーは終わりだ。お家へ帰りな」
悲鳴があがり、男たちが駆けだしていく。
金を持つ者は外へ。銃を持つ者は内へ。
四方八方からの射撃を、真っ赤な男は身を翻すことで回避した。
腰から伸びたエビの尻尾が弾丸を弾き、左腕のハサミが弾丸を打ち払う。
ステージへ飛び乗った背広のガードマンがナイフを喉めがけて繰り出すが、真っ赤な男は上半身をのけぞらせてナイフを回避。長くまとめた赤い髪が後を引くように揺れ、直後に左手のハサミがガードマンの腕を強烈な握力でつかみ、引き倒して放り投げる。
男はすぐさまステージから飛び、左腕を振り上げた。
燃えるように赤く輝く魔力光。
「『クラブハンマー』」
拳銃を構えた男を殴り倒し、右腕で作った指鉄砲で魔術弾を発砲。
すぐそばの男の腹に二発。頭に一発。
肘を引いて顔のそばで、肘を台にするようにして二本指の指鉄砲を水平に構える。踵を軸にしたピボットターンで正確に角度を切り替え、周囲の男の額だけを的確に一発ずつ打ち抜いた。
そして訪れる静寂。
「あの……」
手かせのついた女の一人が声をあげると、真っ赤な男は無言で指鉄砲を向けた。
発砲。砕け飛ぶ鎖。外れて落ちる手枷。
男は粗く息をして、ネオン光の明滅するホールを後にした。
「お帰りなさいませ、マグナ様」
真っ赤な男、もといマグナが訪れたのはフィッツバルディ領東部。スラム街にたつ石造りの塔。ヴァレンタインホテルであった。
スキンヘッドに丸めがねをかけたアジア系男性が慇懃に頭を下げ、オウム貝の彫刻されたコインと部屋の鍵を静かに差し出す。
「お部屋はこちらになります」
「ああ……」
マグナはその二つを素早く受け取り、カウンターを抜け階段を上っていく。
部屋に入ると、彼はベッドへと横たわった。
手にしたコインを翳す。
オウム貝はこの町における『裏の権力』の象徴であった。
裏の仕事をする人間はみなこのコインで報酬をやりとりする。
コインは町の権力者『Nautilus』によって金と交換でき、Nautilusの事業が儲かれば儲かるほど換金率があがる。つまりこの町に生きる裏社会の住人は、実質的に彼の株主のような立場を持つのだ。
こうして裏社会はルールとマナーが設定され、表社会とは別の形で統率がとられていた。
「……」
手の中でコインを回すマグナ。
彼の仕事はもっぱら『始末屋』だった。
仕事をミスした者ややりすぎた者の始末を代行する業務。
ただし、骨のある悪党か後腐れのない者に限る。
「こんな生活、いつまで続けたもんかな……」
コインを強く握りしめ、マグナは疲れたように目を瞑った。
次の日の夜。マグナはコインを手にナイトクラブへと出かけた。
テクノミュージックで踊る男女をかき分けるように進み、カウンター席へと座る。
無口なバーテンダーにルジェカシスを注文し、オウムガイのコインを置く。
「たまにはアルコールを注文したらどうだ」
隣に座っていた恰幅のいい背広の男が語りかけてくる。
マグナは苦笑してカウンターに肘を突いた。
「オレは未成年だ」
「その割には大人びて見える。それに――」
コインを取り、代わりに金が入った袋を滑らせる。
「仕事ができる奴は大人だ。私にとってはな」
「そいつはどうも」
運ばれてきたノンアルコールカクテルは、マグナに似合ってルビーのように赤かった。
グラスをとり、口へと運ぶ。
「次の予定はあるか」
「いや……?」
小さく首を振るマグナに、恰幅のいい男は手を翳して見せた。
黒い外骨格に覆われた右手。マグナと同じ甲殻類系ディープシーの特徴だった。
彼がマグナの肩を叩こうとして、マグナはそれをハサミの左手で制止した。
「バンナメイ、あんたには世話になってるけどな……」
「そう言うなマグナ。商売女を脅して滞納金を回収するだけだ。楽にコインが稼げる」
「それでもだ。オレはやらない。
ファイトのないやつとはやりたくない。あんたも分かってるはずだ」
恰幅の良い男バンナメイはため息をついてショットグラスを手に取った。
ドクロの形をした悪趣味なグラスだが、中で転がる氷の音は鈴のように美しい。
「前はいいやつだよマグナ。真面目で高潔で、そのうえ女に優しい。掃きだめみたいな町でおまえのような奴が育ったのは奇跡だ。
けどな、きれい事だけじゃあ生きては行けないぞ。いずれ汚い仕事をするハメになる。そしてやるなら、早い方がいい」
「なんと言われても変わらねえ」
チップと料金をテーブルに置き、立ち上がるマグナ。
「やりたいことはねえが、やりたくねえことはある。それだけのことさ」
バンナメイはそれ以上なにも言わなかった。
うなずきもせず、ただショットグラスを掴んでいる。
「じゃあな、また仕事があったら呼んでくれ」
ドアを出ると、町は灰色に煙っていた。
決して美しくはない町。
汚職と犯罪が横行し、貴族の統治すらも届かない灰色の町。
マグナはポケットに入る程度の金だけを握りしめ、夜に溶けるように歩いて行った。
このとき、まだマグナは知らない。
後に彼が世界の命運をかけたイレギュラーズとして空中庭園に召喚されることを。
いくつもの戦争に身を投じ、魔種たちとの戦いを生き抜く存在になることを。
そう、これは昔話。
ビギニング・レッド。