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正直者は甘いクリームの夢を見る
登場人物一覧
「それでは、行ってくる」
「行ってらっしゃーい!」
今日は仕事があるのだと一人で過ごす事になったルアナ。彼女はと言えば、今日は『大いなる目的』を胸に秘めていた。事前に仕事の予定を告げていた『おじさま』の為にこっそりと準備をしたのだ。
「無理はせぬ様に」
「えっ、だ、大丈夫だよ。サンドウィッチはおじさまと一緒に作ったんだから!」
エプロンを着用した彼女は――勿論エプロンの腰紐を結んだのは『おじさま』なのだ!――昼食の準備をするのだと嘘を吐いた。無論、嘘ではなく本当に昼食のサンドウィッチを作るつもりではあったのだが、10歳程度の『お子様』たる勇者は三角巾の中にしっかりと髪をしまい込んで『大いなる目的』の為に動き出したのだ。渋々、それも心配そうに出かけていく背中を笑顔で見送った時に「嘘をついてごめんなさい」なんて心の中でぺろりと舌を出して。
さて――今日の目的はと言えば『おじさま』の為にケーキを作る事なのだ。
上手に作れたならば、きっと彼は喜んで頭を撫でてくれるだろう。「無理はせぬように」なんて言っていたが、それ程見縊らないで欲しい。勇者はずっと彼が料理をしているのを見てきたのだ。ああ、確かに彼の作ったチーズケーキはちょっぴり大人の味がして絶品だった……けれど、それはさて置いて、今日はクリーム沢山のショートケーキを作るのだ!
先ずは、と準備したのはボウルや泡だて器などの準備だ。事前にどこにあるのか聞いておいたファインプレーで此処での失敗はない。
「えっと……バターが……」
その時、ルアナは大切な事に気付いた。秤が高い高いキッチンの収納棚の上に乗ったままだったのだ。流石にサンドウィッチを作るのに計測は必要ないだろうと秤に関してはノータッチだった――実の所、それ以外の道具は全部気を利かせて届く位置に置いてくれていたのだ。
どうしよう、とルアナはキッチンの収納棚の前にダイニングで使用する椅子を置いた。足場はやや不安定だが――生ける。これが勇者の底力!
跳ねながら秤をゲット。バランスを崩すことなく着地完了と思いきや、どうやら『勢い』でバターをすっ飛ばしてしまっていた。
「ああ」と悲しげな声が漏れたが気にしない。慌て、新しく切り分けたバターを秤に乗せて軽量する。一寸多いかな、と思って削りに削れば何だか少なくなったが気にしない。勢いが大事なのだ。
粉も計量しないと! ――と意気込んだままに袋をひっくり返し中身がぶわりと広がっていく。思わず咳込んだが粉に負けてはいられないと一念発起し、粉だらけのキッチンでの計測作業を続ける。勢いよく卵を割り――実はこれは得意なのだ。卵焼きを作るときに教えて貰ったのだから――グラニュー糖と混ぜ合わせる。やや混ざりが微妙かもしれない、けれど、勢いで何とかなるはずと粉を振るった。振るってみたは良いが傍からばっさばっさと落ちていく。仕方ない。勇者だからこういう時は勢いで任せるしかないのだ。
「う、うーん……?」
ゴムへらで取り合えずと混ぜ合わせ先ほど計量した『小さくなったバター』と共にバニラエッセンスを加えた。レシピ本とにらめっこしながらなんとか型へと流し込んだルアナは首を傾げ乍らオーブンへIN。
その間に生クリームとイチゴを用意しようと準備を始め、見るも無残にクリームを周囲へと飛び散らせた。クリームの地獄だ。もしもおじ様がみたなら頭を抱える程にクリームだらけだが、悪いのはルアナではなく泡だて器だ。ルアナではない(重要)。
エプロンに粉やクリームが付いているが、大丈夫。美味しければ良いとオーブンの呼ぶ声に誘われたルアナは首を傾いだ。
「あれ……?」
上手に膨らんでいない。どこか不格好なスポンジケーキがそこに鎮座している。
「ご機嫌悪いのかな?」と首を傾げて、取り合えずと型から抜いてみても『べちゃり』と音を立て不格好な形で潰れる。
「………」
――味が良ければいいのだ!
生クリームをべたべたと塗りたくりたくさんのイチゴを乗せた。
「完成! おじさま喜んでくれるかな?」
美味しくできたかな?
味見しようかな? いやいや、おじさまと一緒に食べないと更に不格好に、と悩むルアナの耳に、がちゃり、と鍵の音が届く。
玄関から物音がした事に気付きルアナはぱあ、と表情を明るくした。
強盗にでも入られたような有様のキッチンよりも何よりも自分が作ったケーキを見せるがためにルアナはクリーム塗れの顔で「おかえりなさい!」と走り寄ったのだ。
……勿論、荒れ果てたキッチンの掃除を行ったおじさまは「頑張った」とケーキのお味がどのようなものであれど褒めてくれたのだ。