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永久の想いを声に乗せ
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――歩く音が響いていた。
貴族の邸宅。その一室にいるは、リア・クォーツである。
見知らぬ場所だ初めて来た。縁もゆかりも一切ない――その場にて。
「全く困りますな。今からパーティーに行く予定だったのですよ」
「ふん。ならそれで行けばいいじゃないの、随分とお似合いな様子だったけど」
リアと邸宅の主の雰囲気は剣呑であった。傍目に見ても決して友好的ではない。
それもそうだろう――元より、なぜリアがこんな所にいるのかと言えば数時間前に遡る。
夕方。修道院での夕食も終わった後、子供達と一緒に外へと向かったのだ。それはただ単純に散歩の様なモノだった……夏へと季節が近付けば時刻の割に夜でも明るく、体力有り余る子供達と共に街の方へと。
林を超えてやがて人々の喧騒の中へ。あまり遅くなる前に帰ろうと思案を巡らせ――
その時。うっかりと、レミーが貴族にぶつかってしまったのだ。
それだけに非ず、運悪く水たまりを跳ねてしまってその衣類の一部を汚してしまう。すぐに謝った……のだが事態はそこで収束しなかった。貴族――目の前の男だが――は、どこに伏せていたのか周囲を私兵で囲んで。
「で? 私だけ連れてきて何の用よ」
リアを強引に自らの邸宅の中へと連れ込んだのだ。
抵抗する事は出来た。しかし、周囲にはレミーだけでなくファラやラシードもいた。
その状況で万一向こうが剣を取れば――皆を必ず無傷で何とか出来たとは言い難い。
自分が傷つくだけならいい、しかし修道院の子達だけは必ず護る。
その為に自ら要求に従って邸宅への馬車へと乗り込んだ。心配する子らに、大丈夫だと笑顔を送って。
「何の用――ふふふ。分かっているのでは?
子供を責めるのは気の毒だ。故に、年長者である貴女に『償い』をしてらもらいたいのですよ」
されば貴族の男は下卑た表情を見せる。ああ、やっぱりそんな事かと思考すれば。
「……本気で言ってる?」
先程までとは状況が違う。
兵はいるだろう。だが、だから何だというのだ?
子供達の身を案じる必要が無ければ突破は充分に出来ると踏んでいる。少なくとも、先程周囲を取り囲んだ兵達の雰囲気を見て練度はなんとなく察しているのだ。奴らは精鋭ではない。
もののついでにお前を殴り飛ばしてから脱出してやろうか?
そんな思惑と共に一歩進め――ば。
「無論本気ですよ――リア・クォーツ殿? 私は前から貴女を狙っていたのですから」
止まる。聞こえた名は、確かに自分、の。
「イレギュラーズ……ああ大層なご身分だ。そして連れ込まれてもなお激しい感情を秘めているとは……ああ、ああ。やはり貴女は美しい。そうだからこそ前から欲しかったのです……」
舌なめずり。嫌悪の感情が背中を撫ぜる。
なんだ――何か、まずい。
連れていかれてもなんとでもなると思っていた。修羅場など幾つも超えて、度胸もあり。
しかし『その度胸』こそが貴族が求めた彼女の価値だったのだ。
「リア・クォーツ――クォーツ修道院の年長者。
ああ随分調べましたとも、あの日から。壇上での勇ましい貴女を見てから……!」
「ッ、あんたまさか……!!」
かつてリアは一つの依頼を請け負っていた。とある領主の蛮行を止める依頼を。
仔細は省くが――その時は奴隷の振りをして現場にいたのだ。そして勇ましさをこれ程かと言う程に披露した。そういう需要を見込み、奴隷の振りを高める為に。しかし、まさか――
「初めから狙いは私だったって訳……!?」
「ふふふ――ああ。クォーツ修道院には多くの子供達がいるようですね……?
これはこれは可愛らしい者達ばかりだ。ドーレにミファー……」
ソラ、ラシード、ファラ。レミー、ソード、ノノ……
一つ名を告げられる事に胸の奥に生まれるモノがあった。
心の臓の嫌な高鳴りが――己が内に鳴り響き。
「――やめろッ!」
思わず飛び出た声の力は何よりも強かった。
そして同時に、何よりも弱かった。
声を張るだけで何も出来ない。何かをすれば全てが終わる。
――今、クォーツ修道院の子供達の名前を奴が出した事の『意味』。分からぬリアではない。
修道院の事は調べ上げられている。もしかしたら、今この瞬間も……
気付いた時にはもう一歩も動けなかった。
「なに。私もね、あまり無関係な者達を巻き込む気はありませんよ……ええ。
ただね。そう――貴女が私に『尽くして』くれれば、ええそれだけで」
「なッ……あ、んた、ねッ……!」
「お返事は如何に?」
喉が渇く様だ。思考を高速にするが――突破できる策が一切思いつかない。
ここで貴族を殴れば修道院はどうなる?
そもそも――もしかしたらレミー達は今、捕まっているのではないか?
「ぁ……くっ……!」
瞼を閉じれば子供達の顔が映る様だ。
心配しないで良いと、笑顔で別れたのに。
今はあの子達が――とても遠くに感じる。
言葉を間違えれば、もっと遠くに行ってしまうかもしれない。
帰る場所がなくなるかもしれない。
「わた、し……は」
私が。
私が我慢さえすれば――ぜんぶかいけつする?
閉じた瞼は強く、口端は震える様に。
尽くしますと。
口から零す事が出来れば、なんと簡単な事だったか。
浮かぶ。かつての日々が、光景が。それは未練――口に出してしまえばきっともうあの温かい日々には戻れないからの走馬灯。シスターとの――みんなとの思い出の日々――そして――
「……? ん、なんだ?」
その時、貴族の男はリアの背後より何か騒がしい音を聴いた気がした。
お待ちください――しばしお待ちを――そんな、焦る様な声が幾つもしていて。
――歩く音が響いていた。
貴族の邸宅。その一室へと向かうはある人物。ある存在。
人の耳には足音が。
しかし、リアの耳には『旋律』が。
「……えっ?」
幾度と抱いたその音色。幾度と胸に刻んだその音色――
まさか、そんな筈はない。だってこんな所に来る筈が。
思わず振り返った。だってすぐそこ、扉の前まで来ているその存在は。
「失礼」
緑の髪を靡かせた御方。
幻想における屈指の有力者、三大貴族が一角。
ガブリエル・ロウ・バルツァーレク伯爵――
「バ、バルツァーレク伯……!? こ、こんな所に何を……」
「何を、というのはこちらの台詞ですね。彼女を連れ込んで、一体何を?」
傲慢の如く椅子に座っていた貴族の男も途端に立ち上がる。
幻想三大貴族の一角が此処に来るなどと誰が予想していようか。しかも口ぶりからするに、此処に来た要件はリアの事だろう。そんな馬鹿なと、驚愕する様子を歯牙にもかけず。
「私、クォーツ修道院とは懇意にさせて頂いておりまして……ええ。なんでもこちらの方にいらっしゃると聞いた次第。この後予定がありますので彼女を頂いていきたいのですが」
「あ、いや、しかし、それは……」
「宜しいですね?」
有無を言わさぬ。表面上は問う口調なれど、声色は断定一色。
直後に伯爵はリアの手を引く。力強く、離さぬ様に。
「は、伯爵……!? ど、どうして……!!」
困惑するリア――伯爵は何も述べず廊下を歩く。
幾人もの兵士達が見えるが、誰も無理に止めようとはせぬ。
それはそうだろう……遊楽伯爵と言えば幻想有数の権力者である。黄金双竜や暗殺令嬢には派閥の勢力も含め劣るものの、それは比べる対象が悪い。彼らは事実上の頂点者であり、無数に存在する一貴族程度から見れば伯爵も十分以上に『上』の御方。とても逆らえる筈がない。
ましてこの件は派閥がどうだのではなく、ただの私欲による下らぬ行為。
只の貴族が反論出来ようものか。
ましてや、伯爵にとっての常なる『お優しい』様子ではなく。
「――」
強き意思を秘めた瞳であれば。
邸宅の表。停めていた馬車にリアと乗り込みすぐさま出させれば。
「何をしているんですか貴方は?」
やっと、伯爵が口を開いた。
だがその口から発せられたのは――お怒りのご様子。
珍しく怒気が込められている。張り詰める様な勢いはないが、芯のある声で。
「いや、その。
こ、子供達が危ないと思って……そ、それに! 私ならいざとなればなんとでも――」
「自分が危険になるとは想像もしていませんでしたか? それは些か驕りというものです。イレギュラーズとはいえ全知全能ではなく――そして正に今『いざ』と言う時でしたが、何を言おうとしていましたか?」
「あ、えと。あ……は、はい……」
「貴女はイレギュラーズ以前にうら若き乙女でもあるのです。もう少し自らを大事にせねばなりません。分かりますね?」
意気消沈。紡がれる言葉は一つ一つに、どこか肌がちくちくと痛む。
実際遊楽伯の言う通りだ。もし、ガブリエルが来ていなければどうなっていたか。
……いや『どうなっていたか』ではない。きっと『そう』なっていた。
ほぼ確信がある。修道院の者達……いや彼女はきっと『家族』の為ならば。
「全てを投げ出し、身を裂く事も厭わないでしょう。それを利用されましたね」
我が身を顧みない。だって、失う事の方が怖いから。
「うっ……その……も、申し訳ありませんでし、た」
自分は何をされても耐えられる。
だが大事な人達に手を出される事を考えると――途端に何も出来なくなる。
怖い。昨日仲良く笑っていたのに、明日はその内の誰かがいないなんて考えられない。想像するだけで心を蝕み、焦燥が脳髄の総てを覆う。それぐらいなら――自分がどこまでも耐えた方がマシだ――
馬車は往く。もはや貴族の邸宅からは離れ、影も形も見えなくなれば。
「……ともあれあの貴族にはまた釘を刺しておきます。どうやらあまり大きな後ろ盾はないようですし、睨めばもう何もしないでしょう。ただ自らついていくなんてこんな危険な事、二度としてはいけませんよ」
「――あの、伯爵。どうしてそこまで――」
してくれるのですか、と。
遊楽伯は彼の気質故もあるが――それ以上に立場上あまり派手には動く事はないと言っていい。先述した様に幻想有数の権力者ではあるが隙を見せれば他の二つの派閥に食い散らかされない為、慎重に動く必要があるからだ。
手を伸ばして助けられる者は助けるとは聞いていたが……
しかしそれにしても今回はあまりにも早い。
究極的な話、リアに被害が出た『後』に動くというのも十分にあり得る話だ。いつ、どのようにして危機を知ったのかは知らないが――ともかく。
何度も言うが、立場上簡単には動かないし動けない筈なのに。
「…………理由、ですか」
口に手を当てる。其れは悩む様子……
いや。何か言い淀んでいる様子というのが正確か。
一拍、二拍。馬車が進む音だけが鮮明に聞こえる――中で。
「貴方は、美しい」
述べた言葉が、耳の奥を揺らした。
「あのような輩にはとても渡せません。そんな事は決して許し難い」
「ぇ――ぁ――」
「私は些か、強欲なのですよ」
困ったように、はにかむ一寸。
リアの思考は停止していた。だって、だって。そんな事。
「……伯爵!」
もはやこの先は考えた上での事ではない。
ただ綴らねばならなかった。自らの想いを、自らの誓いを。
「私は……私は、貴方に尽くします。貴方の為に戦います。ローレットの特異運命座標である以上、今は貴方の配下になる訳にはいきませんが……それでも、私はいつでも貴方の元に駆け付けて力になります! 例えこれから先、なにがあろうと……!」
先程は口から零す事も躊躇われた数々が確かに紡がれる。
籠った熱は暖かく。目尻に溜まった水滴はほだす様に。
止まらぬ言葉は確かな真実。未来永劫に渡って決意した一言。
「私の持てる力の全てを――貴方に捧げます!」
それは忠誠? いやもっと違うモノ。
世界中の誰にでもなく、貴方にだけに物語る私の全て。私の魂。
――月が見えていた。
馬車の窓から見える刹那の狭間。美しい月の光が、二人を照らして。
「……ですから、その……!」
思考が戻って来る。ああ、だめだ。だめ。もう少し熱のままでいさせてほしい。
勢いでもなんでもいいのだ。あと少し、ほんの少しだけ世界よ――
時間を、止めて。
「偶にでいいので、私を……貴方のお傍に置いて頂けないでしょうか……」
喉の奥から絞り出すように、願いを告げた。
普段ならば決して言えない。
恐らく言い切る前に正気――いや理性――そういうのが止めに来る。
でも、言えた。
月明かりの中で己の想いを。偽りでも戯言でも無き己の真。
「――」
青き双眸がリアを見据える。息遣いすら聞こえてきそうな静寂の中で。
「偶にだけでいいのですか?」
「――えっ?」
「私は、貴女を拒んだことなど一度もないと記憶していますが」
彼は紡ぐ。
他の誰かではない。
貴女だからこそ、来て欲しい。
「いつでもお待ちしております。美しき音色を聞かせてくれたお嬢さん」
それは。
きっと遊楽伯の心の在り様。
貴女と共に在りたいと願う、彼の真実の言の葉。
貴女が特異運命座標である故にと言ったように、私もバルツァーレク伯爵という立場があるが。
誰も見ぬ一時に心交えてなんの咎があろうか。
知らぬ、知らぬ。誰も知らぬ。
抱き寄せる温もりに確かなモノを感じて。
「――もう無茶をしてはいけませんよ」
頭の上に至った彼の唇から。
落ちてきた言葉が心に沁み込こんだ。
「……はい」
ゆっくりと。紡がれた一筋の誓い。
思わず頬を涙が伝い。
それでも暖かき一時に心が安らぐ。決して消えぬ熱病に身を任せて。
きっと。今この瞬間こそが世界で一番幸せな時だと感じるから……
……ところで。
何故、遊楽伯はこんなにも早く動く事が出来たのだろうか。
助けると決意して動いたが為に早い――という以前に危機を知るのが早すぎる。まさかあの貴族とは違い、リアを監視しているという訳ではないだろう。ならば修道院に戻った子供達がラジエルにでも知らせて、そこから話が渡ったのだろうか……
「ああ。それはですね」
様々な思考を巡らせている最中。
伯爵は照れくさいように笑みをみせながら。
「えっ――」
彼が馬車の隅より取り出したのは花束。幾つもの美しい色とりどり。
これを届けに行くはずだったのだ修道院へ、そしてその時に知ったのだリアの危機を。
何故花束かって? だって今日は。
「……お誕生日おめでとうございます、リアさん」
貴女の生誕日だと、知っていたから。
今日と言う日を祝おう。誰しもに訪れ、しかしだからこそ忘れてはならぬ今日という日を。
ああ――
愛しき貴女に、祝福を。