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朧銀盟酒
登場人物一覧
いかなる宝であろうとも一杯の濁り酒には勝てぬ。
藍色釉の御猪口へなみなみと注がれた雪靄の酒は一口の内に消え果てた。
「神使たちの話を聞きはったかね。龍神様がお隠れになったと聞いた時はどんな恐ろしい輩かと思うたが、巫女姫様がたに協力的なんやとか」
「ぬふふふ。わしはこの前、両の眼で神使を直接見たぞ。村を襲い歩く獄人の骸兵を退治しに行くんやと。聞いて驚け、その数八人!」
――ほう?
酒が入れば人の口も軽くなる。それは国や時代、種族が異なれど変わらぬ自然の摂理。赤提灯の揺れる居酒屋で、顔を朱に染めた二人の鬼人種が焼いた鳥串と安酒の杯を重ねていた。
彼らは隣卓の男が手酌を止めた事にも気づかず話を続ける。立ち上がった事にも注意を払わない。男の濃い櫨色の着流しから覗いた飄々たる足取りは千鳥にも似て、されども迷ひ蛾の如く音も無しに店の中を揺蕩った。
「だからぁ、馬鹿言いなさんな。たった八人で髑髏の群れを止められるものかね」
「それが出来るから神使やろ。何せ海の向こうから来はったお人なんやし」
「おまえさんたち、面白そうな話をしているねぇ」
不意にかけられた声に二人は揃って顔を上げた。
卓の傍らに精悍な佇まいの男が一人、懐手で立っていた。長い黒髪を無造作に後ろで一つに束ね、顎に生えた無精髭を武骨な指で撫で擦っている。鋭く切れ上がった眦は酒精によって緩やかに曲がり、顔面に湛えた笑顔と合わせてどこか愛嬌のある風来坊然とした印象をもたらしていた。
「ここは一つ、おいらも其の話に混ぜちゃあくれないかい? 一杯奢るからさ」
横縞の、蛤碁石色の腰帯に差したるは反りの浅い脇差が一本。
白鮫の柄に飾り気の無い黒漆の
「おお、良いとも。気前がいいね、兄さん」
「おいっ!?」
一人は気分よく首肯し、一人は一瞬の内に蒼褪めた。
噂話にふらりと釣られ、肝の臓と頬の血色に酒を満たしたこの男、名を仙鉄と言う。
カムイグラに名高き異端の鍛冶師にして鋼を由来とする八百万……精霊種であり、一度武具を拵えればその金子で高天京に蔵が建つとも言われる名匠。
何より、この男が鍛えるモノは刀だけに非ず。「人」すらも別物のように鍛え上げる。その腕は言うに及ばず、カムイグラの中でも比類無き存在として知られていた。
「こいつ、あの仙鉄だぞ!?」
「おいらの事を知ってるのかい。そいつは照れる」
仙鉄がただの名匠であるのならば彼らがここまで顔色を無くす理由は無い。
『仙鉄』とは、良くも悪くも、カムイグラに広く知られた名であった。
仙鉄は「人を鍛える」。
それは優秀な指導者として文字通り「人」を鍛えるという意味であり、同時に「人を材料として」刀を鍛える外道の輩である意味も併せ持つ。
人を材料として打った仙鉄の刀は嘘か真か、遥か昔に海を割ったと云う。
人の理法に興味が無いのは八百万としての性分なのか。それとも極地へと至る為に研鑽し続ける鍛冶師としての性分か。はたまた、強さを求め続けた享楽者の狂気の果てか。
「そう警戒しなさんな。今の黄泉津で噂の神使を直接見たっていうんなら、是が非でも話を聞いてみたいと思うのは当然の事じゃあないか」
されど近年において仙鉄の名を聞く事は少ない。鍛冶炉の如く燃え盛っていた熱も、狂気も、年月を経るごとに形を潜めていった。今では昼夜を問わずのんべんだらりと酒を呑むばかり。へらへらと仙鉄が浮かべた昼行燈の如き笑みには毒も無く、警戒していた鬼人達も肩から力を抜く。
「それもそうだな。さて何から聞きたい」
「そうさなぁ。おまえさんの見た神使の中に強そうなのは居たかい?」
「そりゃあ全員さ! と、言いたい所だが、中でもとびきり強そうなのがいはったよ」
「おっ、その話。詳しく聞きたいねぇ」
嬉々とした表情で酔人は語った。酒の力に後押しされてか多少誇張はされていたものの、自分が見たという神使の様子や見た目を滔々と語った。
徴無、妖憑、天狗、海法師。
月人、黒鉄、石神。
そして、神人。
「いいねぇ、いいねぇ」
仙鉄は嬉し気に手を叩いた。とうに酒精は抜けている。
自分の打った刀は龍神様に一太刀の傷でも負わせることができるだろうか?
それは仙鉄が長年抱き続けた疑問である。
刃が求める物を食わせれば鬼魔は自ずと宿るもの。ならば神を傷つけ宿らせるにはどうすれば良いか?
人を超えた肉体を持つ者……言わば「超人」とも言うべき存在を仙鉄は知る。
人を材料とする神刀を鍛える際、「素材」は良ければ良いほど好ましい。
――彼らをどうしたものか。
――鍛えるか、鋳潰すか。
「こりゃあ、面白くなってきた!」
無彩の炉に再び火が熾る。
その双眸は狂喜を帯びて、