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曖昧なメランコリック
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怪我をしたと聞いていたのに、とコロナはイルが訓練場の隅に場所を借りているのを聞き足を運んだ。
小さな擦り傷ができるのは騎士としての鍛錬の成果と考えればいいか――それとも。
華やぐような金の髪に鮮やかなまでの感情を映す桃色の瞳。
イル・フロッタという少女は『見た目は冴える美少女』だ。
「ごきげんよう、イル様。精が出ますね」
「わ!」
は、と顔を上げたイルの頬が赤く染まる。慌てた様な彼女は「コ、コロナか」と驚いた自分を恥じるように目を伏せた。
「稽古をしていると聞いたものですから」
「あ、ああ……その、怪我をしているからじっとしてろと父は言うんだが――こんな事態だ、じっともしていれないだろ?」
困った様に肩を竦めるイルは普段の華麗な桃色の騎士服ではない、少しばかり地味な稽古着に身を包み手にしていた剣を置いた。
細剣を机に置き、何か用事だったか? と首を傾げるイルへとコロナは「よければ休憩如何でしょうか」とベンチを進める。
冷たい茶を用意したというコロナの言葉に「ありがとう」と笑みを華やがせたイル。
しかし、その笑みに僅かな影を感じた事をコロナは確かに実感していた。
椅子に腰かけ、お茶を啜るイルの様子をちら、と見やるコロナ。
その視線は丁度イルのものとぶつかった。はっと目を見開いたイルにコロナはこてりと首を傾げる。
長い髪が頬を撫でたそれ。イルの髪も稽古でぐしゃりと崩れてしまっている。
「お髪が崩れていますよ」
ほら、と手直しするようにしたコロナにイルはありがとうと慌てた様に顔を上げる。
金の髪を梳き、簡単にまとめ直すコロナのそれに身を任せながらイルはあーだとかうーだとか小さな唸りを漏らした。
「あ、あの」
「……どうしましたか?」
いや、とイルは小さくもごもごと口の中で言った。それが自身へ何か話しかけたいという意思表示だという事をコロナはしかと理解する。
何か聞きたいことがあるのだろう。彼女の事だ。『噂はもう聞いている』筈だ。
「……リンツ様、いなくなられたそうですね」
その言葉に、桃色の瞳がコロナの端整な顔立ちを凝視した。
リンツァトルテ・コンフィズリー。
それはイル・フロッタにとっての憧れの先輩であり、少女らしい感情の『向く先』だ。
彼女の様な恋する乙女を応援する気概は全力であるコロナだが、現時点でのリンツァトルテ・コンフィズリーの行方は分からない。
「――彼がいなくなる最後の『黄泉帰り』事件に一緒にいたのは私です。
居なくなった事情は知ってます。……話すことは、できませんが」
「あ――そ、そう、だな。うん、話して、なんていわないんだ……」
コンフィズリーの不正義。
その名をこの国に生きる者ならば誰しもが聞いたことがある。
リンツァトルテ・コンフィズリーが家督を継いだコンフィズリー家。その当主が『国家に仇なし断罪された』センシティブな事件は『その全容を語られぬまま見せしめの様に』この国の常識となって居た。
その不正義の内容を期せずして知る所となった数名の特異運命座標達。
それは、コロナが言う様に彼と共同戦線を張った『黄泉還り』事件の一幕で開かされたものだ。
その真実がどのようなものであれど、他言は無用だ。
(いいえ、口にできたとしても彼女には……。
……もしも、コンフィズリーの不正義をイル様に教えたならば。
イル様の『性格』からしても、止まらなくなるでしょうし、そうなればあの人たちの様に天義の暗部に抹消されかねない)
もしも、それが『正義』と呼べぬものだったならば――
イルは天真爛漫で、猪突猛進。その迷いを口にする少女だ。
どうして、と、なんで。理解できない、と、納得できない。
その言葉を口にして楯突いたならばその存在は天義の闇に消えるだろう――それを、リンツァトルテ・コンフィズリーが是とすることはないとコロナは理解していた。
(彼にとってもイル様は『手がかかる後輩』……。
その彼女が自身の家の騒動に巻き込まれるなど、以ての外でしょうね……)
不安げにイルはコロナの表情をじいと見つめる。
それは、リンツァトルテの事を考えてなのだろう。彼女はどうしても憧れの先輩の無事を願って、そして、不安が胸を締め付けると言った雰囲気を隠しきれない。
「ただ、彼の行動は彼の中の正義が成すべきと思ったこと、今は帰りを待ちましょう」
「聞いても、いいか……」
ゆっくりと、イルはコロナに向き直った。惑う桃色の瞳が手にしたコップの中を泳いでいる。
「先輩の正義は、間違っていないと、思うか?」
「ええ。間違ってなんていないかと。間違っていると決める人間はおりませんから」
コロナの言葉にイルは首を傾げた。
ただ、正義と何かを盲目的に考えるイルにとってはリンツァトルテの行動は正しく、信じていいと『誰かに言われたい』のも良く分かる。
「……リンツ様の信じた事を否定することも肯定することもできません。
イル様が信じる事で、それは二人分の事になるかもしれませんが貴方が迷っていてはリンツ様も心配事ばかりですね」
「あっ」
はっとしたようにイルはコロナを見た。
自身が迷い、そして間違いを犯せばリンツァトルテは「イル」とその表情を曇らせ肩をがっくりと落とすことだろう。
間違いを叱り、時には指導も交える。
何かがあれば大丈夫かと微笑みかけてくれる先輩の優しさと、ただ、前を向くその強さがイルは好きだ。
人は彼を実直過ぎるだとか融通が利かないとも言った。
けれどそうした芯がしっかりしているところが――その感情を恋心と呼ぶのかは彼女は知らないし、彼が素敵な女性を選んだとしたらそれでもいい――そうしたら、自身だってもっと別の人にあこがれを抱くのかもしれないけれど――リンツァトルテの迷いを払しょく出来る程に自分は強くも賢くもないとイルは小さく呟いた。
「そうですか……」
コロナは小さく呟く。
「それはそうと、それまでの事件を、リンツ様なしで乗り越える力量は必要と感じます。
ここは一つ、手合わせしませんか?」
その言葉。稽古用の木剣を手にしたコロナにイルはぱちりと瞬いた。
稽古をする――というのは、今まで自分一人で『がむしゃらになって』やっていたことだった。
その相手をしてくれるというならば、イルはお願いしたいとゆっくりと立ち上がる。
「ええと……」
「ちょっとやそっとの傷なら自力で治しますから、遠慮なくどうぞ」
余裕の笑みを浮かべたコロナにイルは小さく頷いた。
ゆっくりと剣を手にして距離をじりりと詰める。頬に伝った汗を拭う様にしてイルは「いくぞ」と小さく呟いた。
「どうぞ」
――ヒュ、と風を切る。
コロナはその剣の流れを見極めるように追い掛けた。
剣は所有者の心を映す。コロナにはイルという少女が目指す騎士道の様な実直な振りが其処にはあると感じた。
しかし。
「頭で理解しても迷いは払拭しきれませんか?」
「ッ――」
その身を反転させる。イルはもう一打、と打ち込んだその一撃がコロナに当たる事無く宙を切った。
「分からないんだ」
「分からない――ですか」
剣から感じる迷い。
言葉以上に、その剣は迷っている。振り下ろす先を戸惑う様に。だから、当たらないのだとコロナは小さく息を吐いた。
「それでは荒療治ですが、迷う暇を与えないというのはどうでしょう」
ぐん、と距離を詰める。受け止められるギリギリの攻撃がイルの手にした剣へとぶつかった。
「わ、」
その身がぐらりと揺れた。
負けて鳴る者かと脚に力を込めて、攻撃に反撃しようとするイルの剣へと幾度も幾度もコロナの刃がぶつかった。
「ッ――!」
「降参ですか?」
「ま、まだだ……!」
反撃には出ることができないままにイルは吼えるように言う。
結わいだ金の髪が揺れ、ふわふわと揺れた。その髪先に掠める様に振り下ろした刃にイルが小さく「うう」と唸る。
「貴女は天義の未来です」
その言葉にイルは目を見開いた。
コロナから見たイルという少女は未だ、若く未熟。しかし、天義という国の未来を担う人理だと認識していた。
コンフィズリーの不正義というそれを知ったとしても彼女が惑う事なく受け止められるように。
「私は、そんな――!」
「いいえ、大いに迷い悩み、自らの正義を抱いてください」
「自らの正義」
その言葉にイルは惑う。
「自らの正義なんて、誰かの認められぬ気持ちなんて」
断罪せよと声高に言うそれを遂行するのが騎士の在り方だとイルは認識していた。
「そんなの、この国じゃ――!」
「いえ、持つべきなのです」
コロナは言う。
大いに悩み、大いに受け止め、大いにその心を芽生えさせるべきなのだと。
ぶつかり合った刃の重たい音がする。木でできているとはいえ打ち込む力の強さがその腕にしびれを走らせた。
「ッ――!」
イルは唇をぎゅ、と噛む。
正義。正義足らんとする。リンツァトルテ先輩。
「先輩の様な強さも何も私にはない。どうすればいいかなんてわからない!」
「ええ、悩み、そして、剣にぶつけてください」
「私は――!」
それで、成長があるなんて、思ってはいなかった。
ただ、イルの気持ちが少しでも軽くなれば。彼女という恋する乙女がリンツァトルテの支えになれるかもしれない。
きっと、イル・フロッタという少女はリンツァトルテ・コンフィズリーの物語の中で『イレギュラー』なのだ。
彼の真直ぐな人生に、正義に惑い、正義を悩み、人間らしい心を持つ少女はその存在も許されることはなかった。
どうした運命かイルはリンツァトルテの傍に居る事を選び、彼もそれを是とした。
彼女の悩みも苦しみも転じればリンツァトルテ・コンフィズリーの為になる事だとコロナはよくわかっていた。
「しかし、その悩みは戦いの場には持ち込まないように。
もしもそれが出来ない時に巻き込まれたなら、いっそ逃げましょう?」
逃げる、と、その言葉にイルの手が降ろされた。
まるで迷子の様な貌をしてコロナに「私は」と小さく呟きが漏らされた。
「逃げても、いいのだろうか」
「ええ。時にはそれだって重要でしょう」
「……こうして、正義に悩むだけで、未熟な私でいいのだろうか」
「心が固まらぬならそれも必要でしょう」
コロナはゆっくりと、何度も何度も繰り返した。
イルの声音は震える。幼い子供の様に惑うイルはコロナを見上げた。
「――迷ってるんだ」
「ええ」
「でも、私は……それでも、先輩の為に」
「ええ」
先輩が好きです、なんて言葉は出ない。
それが憧れなのか恋心かなんて、イルには分からないからだ。
『それは恋なのです!』と導く言葉を言えばきっと彼女はそうだと思う事だろう。
『正義はこうです!』と導く言葉を言えばもちろん彼女はそうだと納得する。
けれど、それではいけないのだ――コロナは『イルに助言を大きくは与えない』。それは彼女の答えになりはしないから。
コロナと呼ぶ声がする。不安と共にイルはその眼を彷徨わせて。
「……コロナは、私は強くなれると思うか?」
「それはイル様次第。けれど、そのお手伝いなら出来ますよ」
コロナは間合いを開け、ゆっくりとイルに向き直った。
「リンツ様が帰ってきた時、一人前と認められるように、訓練していきましょうね?」
頷きと共に再度、交わる切っ先。
まだまだ、迷いは吹っ切れないけれど――もうひとたび。
言葉を交えれば、心は少しだけでも軽くなるとイルはその剣に思いを乗せた。