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太陽に背いて
登場人物一覧
●影
初夏の太陽が濃い影を作り、真新しい墓石を覆っている。
足下から伸びるそれはベッドの上に落ちた月影を思い出させるけれど、白日の下に想いを曝け出すのを拒んでいるかにも見えた。
『Maximilian Weber』
ジェック (p3p004755)は彼の名をこの時はじめて知った。
そしてWeberという姓の部分をそっと指先で撫でてみる。
「ネェ、マックスウェル。アナタはこんな名前だったンダネ。アタシ、ウェーバーになりそこねちゃッタ」
妻にしたいと願ってくれた男がいて、それもいいかなと思った少女がいる。
もう少し二人の時が続いたならば叶えられたかもしれない関係、重なり合えたかもしれない人生は、『夫婦のふり』のまま一発の銃弾によって突然終わりを迎えた。
任務に失敗し、護衛対象を守れなかったこと。
無自覚なまま、想いが行き場を無くしたこと。
後悔と慟哭は止まぬ雨となってガスマスクの内側、瞼の裏側までも今なお濡らしている。
「アタシね、後から思い出したコトがアルんダ。分かったコトもネ」
贈られた留め具と同じ黄薔薇を備えると、あの頃は気づかなかった彼の視線、言葉の意味に気づく。
背中に感じる太陽は、焦がれるほどに熱かった。
●梳かされる髪
「それじゃあ君は太陽を拝んだことがないのかい?」
顔を隠したい訳じゃない。
ガスマスクが外れないだけ。
そんな話から元いた世界の話になった時、彼は確かこんなことを言った。
「太陽見ルの、何だかコワイヨ。眩しイのカナ?」
「そうだね、最初は眩しいかもしれないね。だったら訓練がてらこれ着てみない?」
「ドウして太陽から服の話になるノサ?」
「だって外れるはずのマスクがこの世界では外れない。それって見知らぬ世界に来てコワイとか、本当のことを知るのがコワイって心の現れじゃない? 」
「ソウ……なノ?」
「君は繊細で臆病な女の子だ。新しいことを試したり、誰かと出会うのを楽しめるようになれば、きっと外せるようになる。服を着替えれば気分も変わるからこれは訓練さ。それとも眠れる姫君を起こす王子様のキスを試してみるかい?」
「…………ドウやってキスすンのサ? 口はマスクの中なンだケド?」
人の話を聞かない男だった。
噛み合うところなんて何もない。
お構いなしに話す男だった。
訳を決めつけ勝手に盛り上がる。
「変な男……」
「君にそう言われるとゾクゾクするね」
彼は噛み合わない会話さえ楽しんでいるように見えた。
調子が狂うと思いつつ相手は依頼人だからと我慢する。
「ここに座って。髪を梳かしてあげる。君の髪は長いから服に合わせて自在にアレンジ出来るね」
「マスクしたママだけど? それに髪の毛、ボサボサだヨ?」
「毎日愛情を込めてブラッシングすると艶が出るよ」
男が背に周り、燃え尽きた後の灰のような白い髪を掬う。
背後を取られることは怖かったけど、髪を梳く手は優しかった。
●触れたい背中
「ちょ、コレ……ほとんど下着ジャン」
「シュミーズドレスってやつだね。夜会ではこのくらいの背中見せ、当たり前なんたけど」
あれこれ着せられることにも慣れた、というより諦めた。
彼に髪を梳かされるのにも、綺麗だと言われることにも。
指で摘まんで持ち上げる黒いドレスは、細い肩紐に吊されて背中は大きく開いている。
「ヒモ、落ちてくるんだけど……」
「あー……僕の奥さんは痩せてるからね。首の後ろで紐を結ぶか、クリップで止めるのがいいかもね」
「クリップ?」
「紐を背中でバッテンになるようにクリップで固定すると紐が落ちにくいんだよ。背中の開いたドレス用にブローチやネックレス状になったのもあるんだ」
「……マックスウェルは何でそんなに詳しいノサ……」
「昔色々付き合わされてねぇ……」
奥さんと呼ばれるのにも慣れてきたつもりだったけど。
過去があることくらい分かっていたつもりだったけど。
何故だろう、昔、という言葉がチクリと胸を刺し。
何故だろう、付き合う、という言葉がザワリと肌を逆撫でる。
「奥さんはいつも僕に背中向けて寝るじゃない? 肩は細いし、背骨浮いてそうだし、護衛って言ってもやっぱり女の子なんだなって思うと──」
──君に触れたくなる。
──君を守りたくなる。
──僕が暖めてやりたくなる。
だけど続きを聞く前にイヤラシイと叫んで手当たり次第に物を投げつけた。
彼に向けた背中は拒絶の壁。
踏み越えるには覚悟がなくて。
彼の存在を意識したくなくて。
これ以上見るな触れるなと吐き散らして、芽生えた何かを見ないふりした。
●絡めたい腕
「愛には前と後と隣があるんだ」
彼の言葉はいつも哲学じみて、語りは浪漫に満ちている。
ブティックに向かう途中で語ったのは、愛の三つの形。
「向き合い、見つめ合う。それは愛の『現在』と呼べるもの。目の前の相手だけに情熱を向けるからね。隣り合い、同じ方を向く。それは『未来』へ向かう愛だ。同じ道を歩んで行くと決めた者同士だから」
「じゃ、後ろワ『過去』?」
続きを促せば一瞬の間。
微笑み、頷き、諭すように言葉が返る。
「姿を見ることも、触れることも出来ない。やがて時と共に色褪せて熱を失うけれど、愛は確かにそこにあるんだよ」
「マックスウェル?」
「君の胸を愛の花で飾るのは他の男の役目さ。でも僕はずっと君の背中を見ていたよ」
ドウシテソンナコトイウノ。
マスクの下で声もないまま口唇が動く。
ドウシテイマアタシニイウノ。
マスクの下で込み上げる感情が滲んだ。
まるで自分は過去になると預言するかのようで。
まるで未来はないのだと言い聞かせるようだった。
だから彼の腕に自分から手を絡める。
「奥サンなんデショ? こうすればソレっぽく見エル?」
まるで未来はあるのだと態度で示すように。
まるでここにいるのだと主張するみたいに。
彼の驚き瞬く瞳がマスクごしの視線を捉え。
腕に絡ませた手の甲に大きな彼の掌が重る。
だけど絡まり、交わり、重なり出した時を、銃弾は無情にも永遠に奪い去っていく。
今を求めたからイケナイノか。
未来を望んだからイケナイのか。
ずっと共にあることを願ったからか。
フリじゃなく本当を欲しがったからか。
「教えてヨ、マックスウェル……」
彼の口唇に指で触れてみるけれど、答えは返らぬまま時を止めた。
●太陽
「アノ時はアタシを遠ざけたいンだって悲しくなったケド……。アレはマックスウェルの癖なんダネ」
素顔を隠し背を向けることが彼女の無意識なら、理論で武装し言葉で飾ることが彼の意識なのだろう。
いつでも本音をちらつかせるくせに。
踏み越えぬよう言い聞かせて牽制する。
「ズルいヨ、マックスウェル……。キスしてマスクを外すんジャなかっタノ? 言い逃げだよ、ソレ」
そんなズルさと弱さを持った男。
マスクのままの自分を愛してくれた男。
無防備な背中を守ろうとしてくれた男。
背中に咲く一輪の黄色い薔薇を贈ってくれた男。
枯れることのない永遠の薔薇を刻んで死んだ男。
「アタシだって言いたいコト、伝えたいコトたくさんあるンダヨ? アノ時はコノ気持ちがナンなのか気づかなかったケド、今はちゃんと分かったカラ」
初夏の日差しは眩しすぎて怖いけど、太陽に背けば彼を感じる。
彼の息吹。
彼のぬくもり。
彼の存在。
月明かりのあの部屋はもうないけれど、愛はこの背にずっとあるのだと。