SS詳細
二人だけの夏がくる
登場人物一覧
●花咲く日曜日
小鳥のとぶ王都の大通り。
ガス灯の柱のもとに、麦編みのスラウチ・ハットを被った少女がひとり。
白く清らかなワンピースにサンダルをはいた姿に道行く人々がときたま振り返るが、少女はそのなかに通りかかるであろうただ一人だけを探していた。
ジンにルジェクレームを注ぎ落としたような、しっとりと薄紅色をした瞳が帽子の下から往来を映し右へ左へと動く。
そうして、ぴたりと、瞳が赤い色をうつして止まった。
スリットの深い血色のカクテルドレスを纏った、褐色肌の女性である。
「おかえり、なさい」
顔を上げ、衣のように白い頬に朱色をさす。彼女の名はシュテルン。
そして相手の名は。
「……カレン」
「うむ、待たせたかのぅ?」
ヒールの高い靴を鳴らして歩み寄り、シュテルンの帽子の下に手を滑らせる。
目を合わせればとろけてしまいそうな、妖艶な瞳。瞳の中でグリーンとレッドが層を作って混じり合っている。
素肌に施されたざわざわとしたツタのような模様が呼吸でもするように淡く光を帯びた。
纏っている衣服の形状を更新するために魔力が走った様子である。
それまで着ていたドレスが赤いカシュクールシャツとローライズパンツへ変形し、腰に巻き付く布に濃い青色の模様が走った。
一連の様子を見て、小さく頷くシュテルン。
「もう、お仕事、終わった?」
「ああ。手早く切り上げてきたところじゃ。『大切』な用事があるからのぅ」
シュテルンの耳にかかる髪を、親指で絡めるようにして指を通していく。
一方のシュテルンは目をそらし、『うん』と言ってカレンの手に自分の手を重ねた。
「今日は、カレンと、デート、だよねっ」
人生が砂糖菓子のようだと、誰かが言った。
町の詩人だったか、それとも練達映画の女優であったか、はたまた恋愛小説に登場する誰かであったかは記憶にあやしいが、少なくとも今現在自分自身が述べてもおかしくないと、シュテルンは思った。
恋というものが、愛というものが、今シュテルンという存在の過去と現在と未来を黄昏る夕日ように暖かい色で照らしていた。
決して明るい色じゃなかったシュテルンの世界が、いまやオレンジ色のフィルムがかかったように暖かい。
ふとカレンのほうを見れば、胸に血色の花が美しく咲き乱れていた。
シュテルンへの愛情と、隠すことのない素直な欲望と、それゆえに分かる深い安堵に包まれている。
「妾の花が、見えておるのか?」
低く優しい、そして色っぽい声で述べるカレン。シュテルンは黙って彼女の腕をとり、自らの胸に抱いた。
「気分がよさそうじゃのぅ。妾にも綺麗にさく花が見えるようじゃ」
「だって」
カレンの腕を強く抱いて、シュテルンは噛みしめるように目を閉じた。
「カレンと、デート、だよ? とーっても、嬉しー、だもんっ!」
今日はなんの予定だったかのぅ。
と、カレンが言った。
勿論、シュテルンとの予定を忘れたわけじゃあない。会話の弾みであり、今日は楽しみだねという意味のフリである。
シュテルンもそれが分かっているのか、『水着、買う、しよ』とうきうきした表情で応えた。
タピオカミルクティーのワゴンから二人分のドリンクを買い、片方を差し出すカレン。
「どんな水着が欲しいか、決めてるのかのぅ?」
「ううん。見てから、決める、する」
両手でしっかりとボトルを持ってストローを加えるシュテルン。何個かタピオカボールを吸い込んでもきゅもきゅしつつ、『カレンは買わないの?』という目でカレンの横顔を見やった。
片手の三本指だけでボトルを支え、ちゅるちゅるとタピオカを楽しむカレン。
シュテルンの視線に気づいてうーむと唸った。
「そうじゃのぅ……妾の服は『自前』じゃからのぅ……参考にはするが……」
「買う、しない?」
「その分、シュテルンの水着選びを楽しむことにしようかのぅ」
きっと楽しいぞ。そんなふうに言いたげに、カレンは小首を傾げてみせた。
「それなら……」
シュテルンはポケットから四つ折りにしたチラシを取り出した。
「気になる、した、お店……行く、したい」
チラシを開くと、沢山の女性用水着の写真が並んでいた。
一目でシュテルンが気に入りそうな水着もいくつか写っている。
なるほどと唸って、カレンはストローから口を離した。
「ふむ。では、早速言ってみるかのぅ」
●おふたりさまのファッションショー
「ここに……入るのか……?」
「うん」
「どうしてもかのぅ」
「……うん」
腕に抱きついたまま肩に頬をつけるシュテルン。カレンはいまいちど前方へと目をやった。
聳え立つ塔のごとき建物に、でかでかと『ノーストラ・スイムマーケット』と今にも光りださんばかりの激しい書体でペイントされている。
全五階層。うち四階層が水着売り場というなかなかイカれたお店であった。
「まあ、良いか。元々水着を買いに来たのじゃしのぅ」
カレンはシュテルンに笑いかけると、建物の扉を開けた。
いらっしゃいませと言って出迎える水着の女性店員たち。なかなかイカれた環境だが、フロア案内を見てちょっとだけ納得した。
『夏を彩る女性たちのため、古今東西あらゆる水着を取りそろえております』というポスターと共に、一階シーレジャーフロア、二階男性水着フロア、三階から五階まで全部女性用水着フロアという案内が書かれていた。
五階に書かれている『hot』という単語がやたら気になるカレンだが、シュテルンはルンルン気分で三階への直通エレベーターへと乗り込んでいった。
二人だけをのせて閉じる練達エレベーターの扉。
「さて、シュテルンに似合う水着があれば良いんだがのぅ」
「沢山、見る。楽しー、だよっ?」
腕からぶら下がるかのように顔を覗き込むシュテルンに、カレンはそわそわした気持ちになった。具体的には右手が動いてシュテルンを抱きかかえそうになったが、監視カメラの存在に気づいてぴたりと手を止めた。
「随分と設備の整った店じゃのぅ……」
「それだけ、水着、沢山、ある」
「じゃ、のう」
今は我慢してもいいか。といった様子で片眉を上げ、カレンは右手をぱたぱたと振った。
開く扉。白い清楚な水着を纏った店員が笑顔で出迎え『三階清楚フロアです☆』となかなかイカれたことを述べた。
「わぁ……!」
ぱっと花が咲いたように目を見開くシュテルン。
清楚フロアの名に恥じぬ、サロペットやワンピース、クロシェタイプのタンキニ水着やフリルのついたホルターネックビキニ。色鮮やかなパレオやフラワーモチーフのビキニなどがジャンルごとに取りそろえられていた。
花畑をまき散らしたような風景に、シュテルンがスキップでもしそうな調子で棚へと駆けていく。
ハンガーから何着から水着をとって、自分の身体に重ねるようにして振り返る。
「シュテの、試着、見る、する?」
「勿論」
カレンは腕組みをしてこっくりと頷くと、フロアにあふれる様々な水着を見回した。
「好きな水着を選ぶと良い」
「うんっ」
シュテルンは華やぐ乙女そのものになって、目に付く水着を片っ端から手に取った。
さあ、ファッションショーを始めよう。
勢いよく開いたカーテン。
金のクロスラインが入った黒いワンピースタイプ。スカート部分の後部が長く伸び、白い脚のラインがくっきりと浮かぶように栄えた。
「ほう……修道服みたいだのぅ」
「でも、背中……」
くるりと身体をひねるシュテルン。肩から背中にかけて大胆に露出していた。流石に水着である。
勿論シュテルンの綺麗な肩が露わになるのは歓迎すべきことなのだが……。
「他の水着も見てみたいのぅ」
「うん、じゃあ、あっちのを、着る、するね」
シュテルンは再びカーテンを閉めて素早く元の服に着替えると、飛び出すようにしてカレンの腕を引いた。
「そんなに急がなくても水着は逃げないぞ」
「分かってる、だもんっ」
次にやってきたエリアで水着を何着か掴み、試着室のカーテンへと飛び込んだ。
閉じるカーテン。
開くカーテン。
先刻とは一転して真っ白なビキニに半透明な羽織りをかけたスタイルだった。
共通点といえば金の装飾が各所に添えられたことで高級感が出ていることだが、シュテルンそのものの白さも相まってまぶしいほどにきらめいていた。
「ほう……なるほどのぅ」
柱に寄りかかり、シュテルンの姿をつま先から頭までじっくりと眺めるカレン。
あんまりじっと見つめるものだから、シュテルンは胸元を押さえて腰をひねった。
「カレン、見る、すぎ」
「おっと、すまんのぅ」
カレンは苦笑し、軽くおどけたように両手を翳して見せた。
「シュテルンがまぶしすぎてつい、のぅ」
「もう……次は、カレンが、選ぶ、して」
「わかったわかった。少し待っておれ」
手をぱらぱらと振りカレンは水着コーナーを物色するように歩いてみた。
清楚フロアと言われるだけあってあちこちに清らかな乙女の水着ばかりが並んでいる。
白い百合の花めいた装飾が施されたビキニや、和服をイメージしたどこか艶やかな水着や、あえて子供っぽくすることで可憐さを出す水着が並んでいる。
それらを着たシュテルンを想像しながら順に水着を見ていく……と。
「おっと?」
カレンの足がぴたりと止まった。
「カレン? 決める、した?」
外から自分を呼ぶ声がして、シュテルンは試着室の中で振り返った。
大きな鏡が自分の身体を映し出し、その先のカーテンがめくられる。
「決めたぞ。ほれ」
カレンはカーテンをめくって身を乗り出すと、そのまま試着室の中へするりと入ってきてしまった。
「カレン……」
「大丈夫じゃ」
ちらりと周囲を見てみる。エレベーターと違って監視カメラはないらしい。
カレンは僅かに片眉を上げると、手に持っていた水着のハンガーを掲げて見せた。
「これなんか、どうかのぅ?」
カレンが見せた水着は黒い布がごくわずかにあるばかりの小悪魔ビキニであった。
清楚フロアはどこへ行った。シュテルンは自分では選ばなそうな大胆な水着に顔を赤くして、カレンの顔をもう一度見た。
「シュテルンが言ったんじゃぞ? 選んでくれと、のぅ」
「むぅ……」
シュテルンは暫く恥じらった後、それまで着ていた水着のひもを指でひいてほどいていく。
カレンに背を向け、ハンガーから取り外した大胆な水着を装着した。
首の後ろと背中でひもを結ぶタイプの黒いマイクロビキニだが、フラワーモチーフの布があしらわれたことでなんだかとてもふりふりしている。
「ふむふむ、なるほど……」
なんとか水着を着終えたシュテルンの首や腰に手をすべらせるカレン。
そのままセクハラの限りを尽くそうかという動きをみせたことで、シュテルンは背後のカレンに人差し指を立てた。
立てた指がカレンの唇を押さえるようにそえられる。
「むぅ、それ、だぁめっ」
「すまんのぅ……けど、とっても似合っておるのぅ、シュテルン」
「それは……えへへ~」
カレンの唇に指をそえたまま、シュテルンは頬に自分の手を当てた。
「カレンに、言われる、嬉しー!」
「シュテルンが可愛いからのぅ。悪戯したくなるのぅ?」
人差し指をよけるように後ろから抱きつき、首元に顔を埋めるカレン。
シュテルンから春先にひらいた花のように美しい香りがして、カレンは呼吸を深くした。
「可愛い、嬉しー、だけど……悪戯、めっ、だもん」
「いやならやめておくがのぅ?」
首元から顔を上げ、耳に小声で囁くカレン。
いじわる。と呟くと、シュテルンは鏡を見た。
「やじゃないけど……ここじゃ、や」
自分の肩越しに手を回し、カレンの頭を掴んで彼女の耳元へと唇を寄せた。
「帰ったら……」
「くっくっく……もちろん。けど今は少しだけ――」
一方その頃。
フロアの店員は試着室のほうをじっと見ていた。
とても仲睦まじい女性のカップルが二人して中に入ったまま出てこない気がするからである。
「お客様ー?」
声をかけ、ゆっくりと近づく。
中で何が行なわれているのか。
もし購入前の水着がなにかしら大変なことになっては困る。そんな気持ちでカーテンに手をかけ、思い切って勢いよく開いた。
が、しかし。
試着室の中には誰もいなかった。
からっぽの空間があるのみ、である。
●夏は向こうからやってくる
水着を入れた紙袋を胸に抱き、スキップでもしそうな調子で通りを歩いて行くシュテルン。
その後ろを、カレンはのんびりと歩いていた。
「良い水着が買えてよかったのぅ」
「うん。嬉しー!」
後ろ歩きになって、ありがとうと言って僅かに微笑むシュテルン。
随分長いことショッピングを楽しんでいたのだろう。
あれだけ高いところにあった太陽ももう夕暮れの色をしていた。
後ろ向きに歩くシュテルンの顔を茜色に照らし、夜へ向けてガス灯をつけはじめる通りに長い影を作った。
「早く、着る、したいな」
「そうじゃろうのぅ。妾も楽しみだのぅ」
カレンはズボンのポケットに手を入れ、少しばかり歩みを早めた。
一方のシュテルンはくるりと前に向き直り、足下に伸びる影を見る。
「試着室で、もう、見る、したでしょ?」
「見たとも。それで……」
カレンの影が、シュテルンの影にぴったりと重なった。
やや前屈みになってたカレンが、シュテルンの耳元で囁く。
「約束、したからのぅ」
「……っ」
シュテルンはぽっと頬を朱色にすると、カレンから逃れるようにてんてんと歩を進めた。
「むぅ……こんな、ところで、言う、めっ」
「何をじゃ? 何を言ったらだめなのかのぅ?」
からかうように笑い、シュテルンを追いかけるカレン。
「たーめっ」
シュテルンは笑いながら、茜色の通りを駆けていく。
それを追いかけ、カレンもまた駆けだした。
二人の笑い声が重なって、日の沈み行く町を鈴のように転がっていった。