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ブラックフーリエ 悪魔のありかたと、悪

登場人物一覧

フーリエ=ゼノバルディア(p3p008339)
超☆宇宙魔王
フーリエ=ゼノバルディアの関係者
→ イラスト

 暗闇にさす光は、大きな両開きの木戸のもの。
 しろく埃が光って、山高帽子を被った男のシルエットをその先にかたどった。
 革靴のかつん、かつんという音がタイルの床を鳴らし、ややあって軋む音と共に扉が閉じた。
 再び部屋は、そして男は暗闇に閉ざされたかに見えたが……すぐにぼうっと音を立て、燭台に灯が灯っていく。
 まるで男を導くかのように点々と、順番に奥へと灯っていく燭台の火。
 最後に照らし出されたのは、オークの木でできた立派な懺悔室だった。
 扉の前で立ち止まり、呼吸を整える。
 胸ポケットに手を当ててから、扉前に貼り付けられた『NO SMOKING』のステッカーに吐く息を深くした。
 肩をおとしかけたが、小さく首を振って男は懺悔室の中へと入った。
 両肩を指先でトントンとたたき、額から胸、腹へと一本線をひくように祈りの動作をとる。
 まるでそれを合図にしたかのように、正面のフィルターごしに戸が開いた。
「こんにちは、ミスター。神はあなたの言葉を聞きます」
 透き通る朝のように清らかな、朝焼けにかかった雲のように優しい声が、戸の向こうから聞こえてくる。
 目線からしたしか見えないが、修道服をきたシスターであることはその声と体格から明らかだった。
 だが、それだけだ。それだけでしかない。
 男は咳払いをして、目を伏せたまま話し始めた。
「私は、悪魔なのだそうです」
「悪魔、とは?」
「わかりません。私の収める土地は小さく、農民たちは貧しく学校にも行っていません。よい暮らしをさせたいのは山々ですが、私のはたらきでは農作物を外へ売って領民の生活を維持するのが精一杯なのです。
 そんな折、海洋王国の動きにあわせて周辺貴族が野菜の値を下げ、肉や魚や油やといった品の値を大きく上げました。その殆どは生活必需品です。これらを買い付けるには税をあげなければなりませんでした。
 そんな私を、領民達は悪魔だと……」
 一息に吐き出すかのように述べた男は、そこまで話して再び胸ポケットに手を当てた。
 ドアの前にあったステッカーを思い出し、また首を振る。
 なにか声をかけて欲しい。
 そんな雰囲気こそ出してはいたが、男は直接そうとは言わずに問いかけた。
「私は。悪魔なのでしょうか」
「あなたは、どう思うのですか?」
「……」
 小さな咳払い。『あなたは悪魔ではありません』と、きっと言われたかったのだろうが……。
 男は弱ったように帽子を脱いだ。
「彼らはいつも貧しく暮らし、明日食べるだけでも精一杯です。そんな彼らを今以上に苦しめる私は……」
 呼吸をやや荒くし、頬をつたう汗を拭ってから、男は嗚咽のように。
「悪魔……なのかも、しれません」
「そうか。それはよかったな」
 フィルター越しの清らかな声が、急速に低く圧のつよい声へと変わった。
 同じ人間の声であることは間違いない。目の前にいるシスターが、そう述べたというのだろうか。
 わずかに見えるシスターは、聖書の隣に置いてある紙巻き煙草を口にくわえると、金のジッポライターで火をつけた。
 その様子を見上げ、口をぽっかりとあけたままの男へ、たっぷりと吸い込んだ煙を吐く。
 フィルター越しとは言え、わずかにもれたチョコレートのような甘い煙の香りが男の鼻をくすぐった。
 しばらくなにも言えなかったが、シスターがもう一度煙草をくわえたところで、男は『あ、あの』と声をあげるだけはできた。
「どうした」
「こ、ここは……禁煙、では」
「そうらしいな」
 言いながら、シスターはフィルターに顔を近づけた。
 フウ、と直接吹き付けた煙が先ほどよりもつよく流れ込み、男は思わずむせながら反り返った。
 くつくつと、シスターは少女のように笑う。
「善悪について、神とやらが何かいったのやら言わせたのやらとここにある本には書いてある――」
 シスターは煙草の火を聖書の表紙におしあてることで消すと、台に顎肘をついてみせた。
 懺悔室にはいってからすぐの、あの聖女のごとき振る舞いをした人物とはとても思えない。堂々とした態度である。
「私に言わせれば人間の行いは須く悪になる。悪とは、観測する角度をさす言葉でしかない」
「そ、それは……『正しい行いをしたけれど相手にとっては悪く見えた』という、意味でしょうか」
 懺悔室での光景としてはあまりにあべこべだが、男はシスターのことばを聖書にいかにも載っていそうな内容に置き換えて解釈しはじめた。
 対してシスターはぴくりと肩を動かし、深く顔を伏せたかとおもうと、今度はのけぞって大笑いを始めた。
 懺悔室の外にまで響かんばかりの声をあげ、腹を抱えて笑う。
「おい、おい、うぬ。うぬの名前は」
「な、なまえ?」
 懺悔室の中で相手の名を問うなど言語道断だが、彼女にはもはや意味の無いことのように思えた。
 それになぜだろう。男はその罪深さを理解しながらも、しかしなめらかに舌が動いていた。
「ヘンリーです。ヘンリー・エムスコット三世」
「うむヘンリー。貴様、民を絞り上げて置いて今更正当化などするな」
「しかし――」
 反論……をする隙など無かった。戸にかけられていたフィルターを突き破り、女の手が伸びてくる。がしりと男のネクタイを掴むと、強引に引き寄せた。
 彼女は。
 彼女は。
 黄金の目をして、男へ蠱惑的に微笑んだ。
「悪魔なら悪魔らしく、悪を成せ。私は悪は人間の角度だと言ったが、悪魔は別じゃ。なあ、わかるかヘンリー。ヘンリー」
 小さな窓越しに顔が触れんばかりに近づけ、そして甘い吐息で彼女は言った。
「悪魔の行いは全てが悪だ。悪で人を殺し悪で人を救い悪で人を愛し悪で人と語る。それが魔じゃ。わかるか?」
 男の、ヘンリーの肩から力が抜ける。
 女は世にも美しく笑うと、ついさきほど消したばかりの煙草を彼の口にくわえさせた。
「ヘンリー、貴様はもっと悪くなっていい。貴様は悪魔だ。悪魔になっていい。悪魔であることを恐れるな。恐れずに、そして考えろ」
 突き放し、オープンになった懺悔室で女は背もたれに寄りかかり、足と腕を組んでみせた。
「うぬはどうしたい?」

 聖ジョセフ教会の扉が開き、晴れ渡る空のしたにヘンリーは歩み出た。
 開いた扉から振り返り、帽子を脱いで頭を垂れる。
 扉が閉じてより数秒、懺悔室の奥から一人の神父が木戸をあけて顔を出した。
 手には目玉焼きの乗ったフライパン。瓶底のような眼鏡のせいで表情は分からないが、痩せ細った50台のロシア人男性のような顔と体格をしていた。
 よく見れば目玉焼きはフライパン中央。まるで定規ではかったかのように完璧な中央に美しい円を作り、そのまた完璧な中央に卵黄が固まっていた。
「『フーリエ、懺悔室の戸を壊すな』。この呼びかけは今回で七十八回目だ」
「違うな。最初の一回目は言う前に貴様の喉を潰したから無効だ」
「無効であってたまるか」
 神父は短く述べてから、フーリエに『昼食の時間だ』とだけ述べた。

 テーブルについて、パンにマーマレードジャムとマーガリンとケチャップを層がわかるほど大胆に塗りつけ、素手で掴んでかじりつく。
「パンはこれに限る」
「限っててまるか」
 中指で小さく触るだけで眼鏡の位置を直した神父が、パンを丁寧にかつ2センチ角へ正確にちぎりながら口へ運んでいく。
「フーリエ。君がこの教会へやってきた日のことを思い出したよ」
「衝撃的な出会いであったな?」
「物理的な衝撃が伴った出会いをそう定義していいなら、そうだ」
 神父ジョセフは、自分と同じ聖人の名がついたこの教会を任されてから長い間、ひとりきりで街の面倒を見続けていた。
 教会というのは、一定の信仰心をもってくらすコミュニティにとっては教育機関であり精神医療機関でありトラブルの仲裁役であり冠婚葬祭のまとめ役であり裁判所でもある。
 政治的にきわめて重要だが、その割に利益にならない仕事だ。
 ジョセフはこの仕事を誇る様子もなければ手を抜く様子もなく、まるでそういうふうに設計された機械のように、教会のするべきしごとをキッチリとこなし続ける男だった。
 それゆえ問題らしい問題もおきなかったが、街にフーリエ……いや、本人曰く『ブラックフーリエ』がやってきたその日から全てが変わってしまった。
 彼女は教会へ立ち入るなり無断でキッチンへと入り、積んであったパンをむしゃむしゃとかじり始めた。
 忍び込むでも押し入るでもなく、まるで普通の、通勤中の会社員が改札口をぬけるかのよな自然さで行為に及んだ彼女にジョセフは思考を乱された。
 なにをしているのかと、後から思えば当たり前すぎる質問をしたところ当時彼女はこう答えた。
『パンを食べている。代償を言え。必ず踏み倒す』
 いつも無口で誰にも文句らしい文句をいったことのないジョセフがそのときばかりは。
『踏み倒されてたまるか』
 と、つい口をついて出てしまった。
 だが一応金銭を要求してみると、フーリエは驚くべきことに……いや、宣言通りに、ジョセフの喉を掴んで振り回し、懺悔室の壁に叩きつけた。
 壁を崩壊させ、小部屋へと突入し、窓に頭を突っ込まれたところで、ジョセフは確か『戸を壊すな』と言った……ように彼は記憶している。
 その日から、フーリエはこの教会に居座るようになった。
 初日からそうだったが、フーリエは建前や言い訳を述べなかった。
 そうしたいからするのであって、その手段は常に強引で暴力的だったが、必ず彼女は達成した。
 それは例えば、ある農夫の娘が隣町に住む代々仲の悪い家の息子と結婚すると言い出したとき。フーリエは両方の家に火を放って山羊という山羊を解体し野菜という野菜をひっこぬきその全てを通常の五倍以上の価格でどこかへうっぱらい、ぴったり二分割した金をそれぞれの家族に押しつけた。
 『これで貴様等は家族だ。不満ならもう一度同じことをする』
 たしかそんな風に言った気がする。
 彼女は不思議なことに、身近でトラブルがおきると必ずそれを解決しようとした。
 余計なことをするべきではないという倫理観や、他人の事情に首を突っ込むべきではないという常識は、どうやら持ち合わせていないようだ。
 必ず強引に、そして必ず解決し、そしてなによりも不思議なこととして、彼女の関わった人間達はみなリラックスしたように肩をおとして笑うのだった。

「フーリエ。君がここへ来る前に何をしていたのか、そういえば聞いていなかったな」
「当然だ。言っていなかった」
 蜂蜜と紅茶を1体1というありえない配分で混ぜたものを飲み干すと、フーリエは唇をぬぐった。
「知りたいのか」
「知りたくないといえば嘘になるな」
「実は、だが」
 フーリエは行儀悪くもテーブルに肘をつき、ぼんやりと斜め上の窓を見た。
「余も知らぬ。この世界に送り込まれた時、すぐに『別たれた』ことだけは理解したが、それだけじゃ」
 それから、フーリエは自分の覚えている限りのことを話し始めた。
 彼女は、気づけば見知らぬ迷宮の中にいたという。
 進むたびに形の変わる迷宮は、この混沌世界のルールによって弱体化したフーリエにとって過酷極まるものだったが、なんとか生き延びようと戦い続けるうちに彼女もまた力をつけていった。
 やがて迷宮はその末へと至り、フーリエはそれこそ見知らぬ森の真ん中へと出たという。
「『別たれた』と言ったが」
「ああ、そうとも。私がずっと昔から悪行しか成さない人格破綻者だと思っておったのか?」
「……思っていたと言ったら?」
「腹いせにそのパンは奪う」
 奪うと言った時点でもう既に奪っていた。
 手元からパンをひったくられたジョセフは眼鏡の位置をなおし、息をつく。
「今のありさまでなかったなら、どうだったと」
「どうだったのだろうな。実は私も、わからないのだが。おそらくもっと……『いいわけ』ができたと思う」
 パンをかじり、もぐもぐと咀嚼する。
「ジョセフよ。余は魔王だ。悪魔だ。悪でしかものを成せぬ。しかし、なぜだろうな……昔は、もっと『なんでもあり』だったような気がするのじゃ」
 どこか遠くを見るフーリエの顔。
 彼女のやってきた、今までのこと。
 ジョセフは数秒だけ黙ってから、フーリエからパンを奪い取った。
「既に君は『なんでもあり』だ」
「返せ、それは余のパンだ。この家のパンは全てそうだ」
「全てそうでたまるか」
 ジョセフはパンをかじりながら、口の端で笑った。





「――ックシュン!」
 カムイグラのどっか。
 団子屋さんのベンチの上で、フーリエ……ここでいう『ブラックじゃないほうのフーリエ』はくしゃみをした。
「どうしました。風邪でも?」
「いや、うーむ……きっと『くろいの』が余のことでも話しておったのじゃろうて」
 お団子おかわりー! フーリエはそう言ってから、財布の中身が空だったことに気づいた。
 その日はお皿洗いで一日を終えたという。

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