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天涙を拭う
登場人物一覧
●水溜に揺蕩う
雨。雫が葉を伝い、物悲しささえ覚えさせるような、梅雨。
センチメンタルで、己すら涙しそうで。そんな季節は空を眺めよう。
嗚呼、なんて暗いのだ――、
「ええ、おじちゃん!? 今日はいつものランチお休みなん?!」
明るい笑顔がトレードマークの真那の叫び声が響く。
感傷に浸ることすら叶わない。が、それもまた一興。彼女の周りえは自然と笑顔がこぼれだす。
梅雨が悲しみだというのなら、彼女に相応しいことばは『よろこび』だろう。
しかしその彼女、真那の表情には陰りが浮かぶ。
真那行きつけの食事処『喜々一発』の店主から告げられた『ランチ休止』の知らせは、食べることが大好きな真那にとっては会心の一撃に匹敵する
申し訳なさそうに髭を掻く店主は、事の発端を真那に告げた。
「すまんのう、なんでも森に怪物が出たそうでな……。
わしもこの歳じゃ、一発殴られればお陀仏じゃし」
「縁起でもないこと言わんといて!
そや、私に任せてよ。これでもローレットの
「おお、そうか。なら真那ちゃんが解決してくれた暁には、一か月ランチをタダにしてあげようかのぉ」
「ほんま!? やる気出てきたわ、それじゃあ早速――、」
「いや、待つのじゃ。
わしがいつも仕込みを始める時間。覚えているじゃろう?」
「えーっと、確か三時半……おやつの時間やなあって話した気がする」
「そうじゃ。じゃあ山菜や動物を狩りにいくのは?」
「夜更けくらいやなかったっけ。あってる?」
「まったく、食べることに関しての記憶力はピカイチじゃな。
あっておるわい。怪物はその時間帯に出たのじゃ、まだ行くには早かろうて」
「えー。じゃあ私はこの時間をどうすればいいんよ!」
「腹ごしらえをしていくといい。なぁに、ランチを食べに来たんじゃろう?
他のでよければ今日限り奢っちゃるわい」
「さっすがおじちゃんわかってるぅ!
それじゃあえっと、白身魚のフライとカニクリームコロッケ、それから――、」
「ちょっとは遠慮を知れ!」
和やかな空気が流れる。真那の傍らにある
月待真那――月を駆ける狼。彼女がローレットの
それは、彼女が時に汚れ仕事すら買って出る
そんなことを気にしていない素振りで振る舞ってくれるこの食事処の為に、真那は決意を固めた。
●月夜に踊る
闇夜。雨が滴る。
滑る地面。それでも、負けられない。
賭けるのは命か、願いか、はたまた存在理由か。
握った
(嗚呼、もう。悪い子やなぁ。私だって早く撃ちたいけど――、)
焦りは禁物だと
(なんでなんやろ、ここにいるっておじちゃんは言ってたよなぁ。
怪物はもう寝てしまったんやろうか、それとも塒を変えたとか――、)
「ミ
ぃ
つ
ケ
タ
!」
耳元で囁くように聞こえた声。瞬時に身を屈め、怪物と距離を取る。
(あかん、遠距離から狙い撃てるもんやと思ってたからこれじゃあ距離がなくて反動が……!)
泥に足が縺れる。しかし命には代えられない。
駆ける。駆ける。
追われる。追われる。
焦る。焦る。
(ああ、もう、ついてへんなあ……ッ)
身を掠める斬撃に苛立ちを募らせ、護身用にと持っていたハンドガンで怪物を撃つ。
が。
「イダイイタイイタイイタイイタイなにすルのひどいヨォォぉぉぉぉ」
その手から繰り出される攻撃をさらに加速させるばかり。
「あ゛ッ!?」
躓く。怪物に夢中で石に転んだのだ。
濡れる地面では滑って仕方ない、が。まさかこんなところで。
雨で頭が冷える。諦めと悔しさが滲む。
負けたく、ない。
「……ッ」
「ゴハんゴはんごハンゴハンおナがへっだァァァァァァァぁぁぁぁぁぁ」
(ハンドガンも弾切れ、マーナガルム・ロアーは近距離だと反動が強くなるように設計したから……)
しかし、天は真那を見放さなかった。天は真那に微笑んだ。
雨が、上がる。
頬を伝う雫。足元に月明かりが降り注ぐ。
ああ、閃いた。
瞬間、真那は駆けた。
「鬼ごっコ?
イいよ゛ォォォォォォォォォォォォぉぉぉぉぉぉ!」
「なあ」
木を跳躍。
駆け上がる。
遥か彼方、月が恋しいのだとでも言うように。
我が名は月駆ける狼。
ならば月は我が味方。
さぁ。狂乱の内に――――――踊れ!
「よくも、やってくれたなぁ――怪物さん?」
バァン。
木を踏み台に大きく跳躍し、月を背にして敵を射貫く。
なんとも彼女らしい大胆で、鮮やかな発想。
にやりと浮かんだ笑みがその弾筋を未来予知し、描く。
射貫く音が濡れた空気を冷やしていく。
眉間に美しく風穴を開けたことを確認した真那。
(嗚呼、良かった。これでおじちゃんのご飯が食べられる……)
ドスン。
疲労による鈍い着地音。
「いっ、たぁ~~~ッ!?」
けれど。その顔には安堵の笑みが浮かんでいた。
はじめての、一人での夜間戦闘。
対峙した怪物。倒した感動。
●安堵に咲く
「――――でなぁ、もう耳元で『みいつけた』なんて言われたらめっちゃ鳥肌たってんけど。
頑張って倒してきました! 私えらい!」
「その話はもう三度目じゃ。ほれ、お待ちどう。ランチ定食じゃ」
「わーい、さっすがおじちゃん! 有言実行の男! かっこいい!
あ、ご飯は大盛りでお願い!」
晴れた昼下がり。空には虹が浮かび、そしてランチ定食は再開へ。
それもこれも真那の活躍によるものだが、本人の誇らしげな顔と自慢話によりありがたみは半減。
けれどそんなところも真那らしさである。
ご飯大盛り、みそ汁はおかわり二回。
ランチ定食はこれを機に改名し、『狼定食』へ。
狼の毛皮を連想させる大盛りのキャベツと、ジューシーなとんかつの乗った『狼定食』は、相も変わらず真那のお気に入り。
「なあ、おじちゃん」
「なんじゃ?」
「また困ったことがあったら、いつでも教えてね」
「……わかっとるわい。普段のサービス分以上に働いてもらうからな」
「ええっ!?」
「半分冗談じゃ」
「なあそれってもう半分は本気ってことやんなあ!?
――っとあかん、もうすぐ依頼の時間や。おじちゃんごちそうさま、また明日!」
「まったく……気を付けて行くんじゃぞ」
慌ただしくご飯をかきこみ、ぷはー、と幸せそうな笑みを浮かべ。
ふう、と一息吐くころには仕事を引き受けたローレットの
本日は晴天なり。
青い空の下を、真那は駆ける。
雨上がりが空の涙というのなら、虹は真那の微笑みだろう。
虹は空の涙を拭い、青を広げていった。