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想いは手紙と共に
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愛用の鞄を肩から下げて、僕は手紙を届けに行く。
森に続く小道を抜けて、降り注ぐ木漏れ日のシャワーを浴びる。
眩しさに目を細めながら足を進めていくと、綺麗なバイオリンの音色が聞こえてきた。
ああ、また彼女が弾いているのかなと少し聞き入って。
その後すぐに何かどたばたと騒がしい音がして。
「こらぁ!! お前ら暴れんじゃねーよ!」
いつもの怒声が聞こえてきた。
初めて来たときこそ驚いたものの、今ではすっかり慣れたものだ。
そしてその後に響く拳骨の音も。いてぇー! という叫び声も。
変わらない日常を微笑ましく思いながら、僕は修道院の扉の前に立った。
こほんと咳払いを一つと、襟と髪型を正して深呼吸をする。
「今日こそ、今日こそ渡すんだ……!」
二、三秒目を閉じて、胸元をちらりと確認し僕は扉を開けた。
「おはようございます」
「あ! 配達のお兄ちゃんだー!」
「遊んで遊んで!」
声をかけると、こちらに気づいて笑顔で駆け寄ってきてくれる子供たちに癒される。ふわふわの髪を撫でてあげると、気持ちよさそうに目を細めた。
そして奥に目をやれば、頭を押さえて蹲っている彼女が居た。
しばらく、あんのくそババァ……と恨み言を呟いていた様子だったが、僕の姿を認めると慌てて姿勢を正して礼儀正しくお辞儀をしてくれた。
「す、すいません……! お見苦しいところをお見せしました」
照れくさそうに目線を斜め上に向けながら、改めて彼女は僕に向き直る。
「おはようございます。シエルさん」
「はい、おはようございます。リアさん」
リア・クォーツさん。
この修道院のシスターさんで、僕が片思いをしている女性だ。
彼女に名前を呼ばれただけで、『シエル』という文字がなんだかとても崇高なものに思えてしまって、胸の奥がじんわりと温かくなるのだ。我ながら単純だと思う。
「いつも配達ご苦労様です。こら、あなた達。シエルお兄さん忙しいんだからあっちで遊んでなさい」
「ええー!?」
「ええ、じゃないの。ほら早く」
抗議する子供たちを宥めるリアさんの目は優しさに満ちていた。
綺麗な青い色と合わさってさらに素敵に見える。
「ごめんなさい、あの子たちシエルさんのことが大好きで」
「いえ、いつも元気をもらっています。そういえばリアさんにお手紙を預かっていますよ」
「え? 私にですか?」
きょとんと目を丸くした顔もかわいらしいなと思う。
手渡す際に、ふわっと石鹸のいい匂いがして、どきどきと心臓が騒ぎ出す。そして上等な便箋に、上品な字でリア・クォーツ様へと書いてある手紙をリアさんへと渡した。不思議そうに手紙を受け取った彼女はまず、差出人の名前を確認して。
その青い目を輝かせた。
光を受けたサファイアの様にプリズムを反射させ、緊張で震えた手がそっと手紙の封を切る。封筒の中から慎重に手紙を取り出して、文字の列に目を走らせる。
視線が手紙の端と端を往復する度に、うっすらと頬が赤く染まる。
聡くない僕でもわかった。
恋をしている女性の顔だと。とっても大切で、大好きな人からの手紙なのだろうと。
胸の奥がずきずきと痛み出す。さっきまで暖かくぽかぽかとしていた場所に冷や水を浴びせられたような痛みだった。
けれど、同時に気づいてしまった。
僕には、きっと彼女にこんな顔をさせられないだろうと。
僕は彼女の王子様にはなれない、なるべきではないのだと。
唇を噛んで、言葉を飲み込んだ。
「では、僕は配達が残っているので」
「あ……」
僕の顔を見て、何故か少し悲しそうな驚いたような顔をしたリアさんに背を向ける。そんなに酷い顔をしていただろうか。修道院の扉が閉まる音がやけに重く聞こえて、溜息をつく。
かさり、と懐から手紙を取り出した。あの便箋ほどではないけれど、少し奮発して上質な物を選んだつもりだ。宛先にはリアさんの名前が、差出人には僕の名前『シエル』の文字が。内容はごくありふれたラブレター。いつか渡そういつか渡そうと言い訳し続け、結局出番を失ってしまった。
「情けないな、僕」
それでもきっとこれでよかったんだと自分に言い聞かせる。
とても優しい彼女のことだから、この手紙を渡していたらきっと困らせてしまっていただろう。僕なんかのことで彼女を曇らせたくなかった。
一生懸命書いた手紙に手をかけ、びりびりと少しずつ破いていく。
その度に涙が滲んで、視界が歪んだけれど。
残しておくといつか想いが溢れて零れてしまいそうだったから。
手紙ごと破り捨てることにした。
リア・クォーツさんへ。
とっても大好きでした。
その瞳も、髪も、声も、優しさも。
一人の女性として、人として大好きで尊敬していました。
けれど、僕はあなたの悲しむ顔が見たくないから。
僕は、この想いに別れを告げます。
どうか、どうか貴女が想いを寄せる誰かと、幸せな未来が歩めます様に。
心から祈っています。