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怪物なんていやしない

登場人物一覧

ミザリー・B・ツェールング(p3p007239)
本当はこわいおとぎ話


『幽霊なんていない』とか『オバケなんてないさ』とか、口にするのはとても簡単なことだ。しかし、科学的な理屈なしに語れないものを完全に断ずることができるのかと言われれば、人はそういうふうにはできていない。
 怖い話を聞いたあと、夜中に一人で出かけるのは多かれ少なかれ抵抗を感じるものであるし、誰もが寝静まった家でひとり風呂に入るのはいつもより耳を峙たせてしまうものだ。
 それを、実際にある世界でとなれば、霊魂や怪物の類が、人に害を為すと認識されている世界でのことならば、内心の毛羽立ちも相当なことだろう。
 つまるところ、男はそういう状態であった。陽の光が薄れるほどに濃い森の中をひとり、おっかなびっくり歩いていたのだ。
「へへ、やっぱりおっさん方も大げさなのさ。ありゃあ、ばあさんも歳かね」
 口では戯けて強がって見せているが、視線が忙しなくあちこちに動き回っていることから、その警戒の度合が伺える。
 何も居ない。何も出てこない。そう言いながらも、自分の言葉をまるで信用できてはいないのだ。
 しかし戒めていようと、信心深かろうと、出会うときには出会うものだ。こんなふうに。
「おにいさん、何をしているのです?」
 声をかけられて、男は思わず飛び上がった。
 警戒をしていたはず、なのだ。だというのに、自分はその声の主にまるで気が付かなかったのだから。
 声の主を見下ろせば、まだ年端も行かぬ少女であった。金髪で、赤い瞳。その顔にはまだあどけなさが残っている。
「やあお嬢ちゃん、こんなところで何してるんだ?」
 こんな少女に怯えたという事実は受け入れがたく、平然を装って声を返した。上ずっていたことに、自分でも気づかぬふりをしながら。
「むう、先に聞いたのはミサなのですよ」
「おっとすまん、そうだったな。おにいさんは森の怪物を確かめに来たんだ」
 少女が頬を膨らませたので、慌てて頭を下げた。しかし、装いもそうだが、どこか良いところのお嬢様なのかもしれない。質問に質問で返したことは確かに非礼だったのだろうが、それを指摘するということを、果たして村のガキどもには出来るだろうか。
 見目も悪くない。如何にも純真そうで、ともすれば……。
「かいぶつ、なのですか?」
 いけない。悪い感情を、首を振って散らし、少女の疑問に答えることにする。怪物と聞いても物怖じしない、それが無知ゆえであれば、危険なことでもある。
「そう、怪物さ。『黒い森の怪物』。最近、村でその噂が流行ってんだ。みーんな信じ込んじまって、ろくに仕事もできなくてよ。それを俺様が、解明してやろうってわけ」
 言い出しは村に一人だけの、占い師のばあさまだ。このばあさまは、若い頃は王都でも有名だったとかで、村では生き字引のような扱いを受けている。大人たちが判断に迷った時は、このばあさまの占いに頼ることも珍しくはない。
 そのばあさまが、先日、『黒い森の怪物』の話をし始めた。そいつが村傍の森に現れる。とても恐ろしいものなのだという。
 その時はまだ、笑い飛ばしてしまいたい老女の妄言で済ませることもできたのだが、それを証明するかのように失踪事件が相次いだ。
 ログレジーの家の長男と次女が行方不明になった。村中総出で探したが、一晩を超えても見つかることはなかった。
 悲しみに暮れるログレジーのカミさんを目にすれば、今度は村長宅の次男が消失した。これもさんざっぱら皆で探しはしたのだが、今もまだ行方は知れぬままだ。
「まあ、怪物に食べられてしまったのです?」
「それが笑い話でさ、そんなわけじゃねえんだよ」
 実のところ、ログレジーの兄妹は駆け落ちしただけだ。若い衆の中でも一部の者は、あの兄妹の仲が一線を越えていることに気づいていた。知らないのは大人ばかり。それを誰も教えてやらないのは、あの兄妹が良いやつらだからだ。つまることろ、事情を知っている者は彼らを応援しているのである。例え摂理には反していてもだ。
 村長のところの次男坊が冒険者になって旅立ちたがっていたのは誰だって知っている。大方、村の金に手を付けて飛び出してしまったので、体裁を守るために村長が怪物のせいだと言い出したのだろう。確かに息子が泥棒で、それも逃げられたとあれば始末が悪い。
 こんな話を、嬉々として少女に語ってやった。子供にする話ではない。それでも口から出てしまったのは、この純真無垢な少女を汚してみたくなった、という暗い感情に拠るものだ。
 褒められたものではないが、こんなにも可愛らしいお嬢様が、農村の男に汚されるということに微かな興奮を覚えたのである。
「だから、怪物なんていやしねえのさ。ばあさんも耄碌したぜ。おっさん連中も連中さ。ンな与太話信じんじゃねえよな。だから、俺が森をぐるっと回ってさ、怪物なんてねえんだよって教えてやろうってワケ」
「かいぶつ、いないですか?」
「ああ、いないさ。だから安心していいんだぜ。次はお嬢ちゃんの番だ。こんなところで、何をしてたんだ? 子供が来れるようなとこ、ろ、じゃ……ない、よな?」
 そうだ。
 確かに、こんな森の深いところに、子供が一人で来れるものじゃない。
「ミサはローちゃんと遊んでいたのですよ」
「へえ、そうかい。お友達と……どこ、に、いるんだろうな?」
 ひとつ気づけば、次から次に疑問は湧いてくる。
 こんな森の中に、こんなお嬢様みたいな娘がいるわけがない。小さな村で、見たことのない子供がいるはずがない。こんな深いところで、土汚れのひとつもないなんてありえない。
 頬を嫌な汗が伝うのを理解できた。しかし先程とは別の意味で、怯えていることを悟られてはいけなかった。
 自分は気づいていないふりをしなければならない。この娘をただの少女だと今も思っていると、偽装し続けなければならない。怪物なんていないのだと、ただの世間話でこの場を収めねばならない。
 自分と怪物が、出会ったことなどないということにしなければならない。
「おにーさんは、正しいのです」
「ひっ…………え、あ、何? 正しい?」
「そう、正しいのです」
 にこーっと、可愛らしく笑う少女。それが今ではどうしてこんなにも恐ろしいのか。浅ましい感情を覚えていたことさえ、過去の自分を殴りつけてしまいたくなる。
「たしかに、まだ怪物は何もしていないのです。ログレジーさんのところのおにーちゃんもおねーちゃんも、村長さんのところの息子さんも、自分の意志で出ていっただけなのです」
 わからない。少女が何を言いたいのかわからない。とにかく今は、早く会話を終わらせて、この場を去ってしまいたい。
「でも、占い師のおばあさんが間違えていたわけではないのです」
 嗚呼だけどそれも叶わなさそうだ。少女の影がゆっくりと起き上がり、蟒蛇のような、巴蛇のような形を取っていく。
 そいつは大きな口を開け、大きな大きな口を開け、きっと男のことをひと飲みに出来るほどの、大きな口をゆっくりとゆっくりと、男の視界がそれで埋まってしまうまで、真っ暗で何も見えなくなってしまうまで近づいて、近づいて、息遣いが聞こえて、そうして。
「『黒い森の怪物ローちゃん』が現れるのは、これからなのです」

  • 怪物なんていやしない完了
  • GM名yakigote
  • 種別SS
  • 納品日2020年06月25日
  • ・ミザリー・B・ツェールング(p3p007239

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