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夢想夜
登場人物一覧
飴色の石畳が広がっている。僅かな陽光の降り注ぐその場所を一人の少女が走っていた。その手にはバスケット。中にはたくさんのパンが詰められている。もうすぐ雨が降り出すから、その前にと少女は急ぎ足で駆けていくのだ。
大きな街の片隅。決して裕福ではないだろうが、慎ましやかで心地よい
種族も違えば生まれも違うわがまま放題の末の弟。それでも家族だと思えば可愛くて、愛らしくて堪らないのだ。
孤児院の敷地へと辿り着き、何時ものように扉を開く。「ただいま」と一呼吸おいて口にしたときに響いたのは耳を劈く様な泣き声であった。
「どうしたの……?」
バスケットを取り落とし、少女は走る。慌て、リビングルームに飛び込めば、数人の男が『先生』をぐるりと取り囲んでいた。少女の姿を見て、縋るように飛びついてくる子供たち。それを庇う様に立ちながら少女は「何」と確かめるように呟いた。
「……何が、あったの?」
「お前も知ってるだろ? セリア。最近街を荒らしまわってる盗賊をよ。
それが、コイツだったんだ。信じられるかよ。孤児院の先生だってガキに笑い掛けながら街から金品を奪ってるなんて!」
糾弾するような声音と共に、男らは『先生』を殴りつける。呻き声と共に地面に伏せた先生は其の儘、外へと引きずられていく。少女は――セリアは『兄弟』を守る為にその場から動けなかった。
彼が、先生が『実の父』だと知ったのはつい最近の事だった。他の子どもと何も変わりなく『孤児の一人』として育てられる自分にも本当の父が居たのだと嬉しく思った事だ。
「お父さんは悪くない、誤解だ」と叫んだところで皆、聞く耳など持たない。
幼い兄弟を抱きしめて、雨が過ぎるのを待つように部屋で皆で身を寄せ合った。今は一人になるのが恐ろしいとでも言うように――
――『父』が死んだという。盗賊であると決めつけられた彼を、街の者は悪人であると罵った。
勿論、彼が一人で切り盛りしていた孤児院は解体された。それでも、セリアは孤児院跡で只の一人で暮らしていた。
――それでも、いつかきっといいことがあるから――
街の者達は気が狂っているとセリアを罵った。あの『父』にしてこの『子』ありかと謗り続けた。
部屋に生卵が投げ込まれ、悪意に塗れた嫌がらせを受ける事だってあった。それでも、信じていた――信じたかった。信じなければ、優しい『
じくり、じくりと広がる心の傷が、広がった。傷口が広がるように、『報われない』彼女は世界からの不幸の贈り物に耐えきれなかった。
気づいた時には一人郊外まで逃げ出していた。悍ましき呪縛に包まれながらセリアは溢れる涙を止めることが出来ない儘、毛布に包まっていた。眠るのも怖く、心はささくれだった儘、外を拒んだ。
滲み出る地下水だけで命を繋ぎ、冷たい空間で膝を抱えた。寒い、だなんていう贅沢な感覚は既に麻痺しきり、今は傷ついた心に蓋をするように虚空を眺めるだけ。
「ねぇ、そこの女の子」
声が降ってきた。暗澹としたその中に光のように少年の声が降ってくる。セリアは『口を開かなかった』
その永劫の呪いを背負ったいのちは、喉は声を発することを拒んでいたからだ。掠れた嗄れ声が遺跡の中に響くだけ。
何度も、何度も、声が降る。「ねえ」とそれに応える為に声帯は声を作り出した。
顔も見る事の出来ない惣闇の中、セリアはゆっくりと彼へと答える。
「なに」と。只のその言葉だけに、少年は笑った気がした。お互い顔を見る事も出来ない。彼が、この遺跡の中に居る事は確かだとセリアは彼の問いかけにゆっくりと返す。
「嫌なことは嫌と言っていい。それで聞かない相手には肘鉄くらいぶちこんでいい」
その言葉にどれ程安堵した事か。そこから、一つ夜が明けただろう。もう幾つの月を、陽を感じたのかも分からない。どれ程の時間が経ったのかも分からない。何年もの間途切れることなく話していたのかもしれないと、セリアは茫と感じていた。
「そういえば、キミの名前、なんていうの?」
――問いかけた。それは何となくだった。
ただ、それを問いかけた時に何かがカツリと地面にぶつかる音がした。そろそろと手を動かせれば『先生』が愛用していた服のボタンが落ちている。
「ねえ……?」
顔を上げる。意外にもこの地下が明るい事に気付いた時、初めて周囲には誰も居なかったのだと気づいた。
「……あれ?」
寝てた、とセリアは顔を上げる。どうやらもう夜も深い。
「今日も一日よく働いたわ。しっかり疲れを取って明日に備えないとね」
食堂に歩を向けて、ふと、懐かしい夢を見た気がするとセリアは思い返そうとした。
けれどもう――なにも思い出すことは出来なかった。