SS詳細
渡り鳥に止まり木はいらない
登場人物一覧
これは大冒険の末に果たされるような英雄譚ではない。主要勢力のどれにも属さないようなちっぽけな国の話だ。
歴史に残るような偉業でもない。かの国の記録の中に残されても「そんなこともあったな」と過去の断片の中へ流れて行くだろう。
ただ一つ、敢えて言うならばこの話には主役がいる。
彼の名はラース=フィレンツ(p3p007285)。世界を渡っても尚、傭兵である者だ。
●
眼前に広がる景色はひどく長閑な光景だった。
ともすれば自身がここに訪れた目的を勘違いしてしまいそうなほどだ。
辺りを見渡しても畑と農作物に体を沈めながら黙々と働く人々、少し離れた所には柵の中で放し飼いされている家畜たちの姿しか見えない。
――この付近で怪物が現れたとの報告が根も葉もない出鱈目と思えてしまうほどに平和であった。
しかしラースには分かる。怪物の目撃報告は見間違いではない。一見すると如何なる不穏の影もなさそうな光景にも、僅かに視線を落とせば『招かれざる客』の気配が見える。雇われてからすぐに外縁部を周り、確かに人や家畜のものではない足跡を見つけた。ここ周辺に「怪物」と呼ばれるような何かがいるのは間違いない。
「フィレンツ様」
畏まった声で自身の名を呼ばれ、ラースは声のする方に振り向いた。簡素な鎧と剣で武装した男がいた。勿論、ラースはこの彼が雇い主である小国に仕える兵士で、見知った顔である事を知っている。
兵士の緊張を解すように気さくに返事をするも、彼の態度は崩れない。兵士は震えの混じった声で、
「――西側、『怪物』の姿は発見できず! 北側、南側も同様であります」
「……そうか。僕がいない方も全部見てくれたんだね。ありがとう」
「ははーっ!」
本当は「そんなに畏まらなくてもいいよ」と言っておきたい気もするが、一週間顔を合わせて変わらないのなら仕方がない。そう思っては態々指摘して改めさせる事もない。
長年付き合うわけでもない、その場限りの仕事上の付き合いであるなら少しの堅苦しさぐらい我慢できる――というのがラースの心情だ。
「まだ動けるかな?」
怪しい影がなかったとしても見張りというのは体力と精神力を使うものだ。それに対する兵士の返事は心強いもので、やる気が有り余っているほどである。
その様子に笑みを浮かべ、他の兵士も集めてもらえるように頼む。そして、こう告げる。
「じゃあ、行こうか。『怪物』退治に」
●
ラースが依頼を受けたのは遡る事一週間前、旅の途中で訪れたこの小国の主に呼び出された。どうやら彼の身のこなしからそれなりに腕の立つ冒険者か傭兵と思われたからのようである。
小国の主は王様と呼ぶほど高貴な雰囲気を漂わせてはいない。主の住処も少し豪勢な民家といった風だ。この小さな土地の指導者がそのまま主になったのかもしれない、とラースは思った。
主が言うには「最近この国の周辺で『怪物』の姿が目撃されている。今はまだ目立った被害は出てないが国民は不安がっている。兵士に見張らせてはいるが彼らに対処できない相手の可能性もある。報酬は払うから暫く見張りに協力してもらえないだろうか」という用件だった。ラースは一ヶ月の雇用期間で快くこの地での見張りを引き受けた。しかし傭兵として「もらった報酬分の働きはする」というのが彼の信条でもある。主の提示した報酬は見張りで済ませるには少々安い。
故に、ラースは先手を打って怪物の所在を調べ討つ事に決めたのだ。
外縁部を調べた時に足跡は西側が多かった。まずは西側に目星をつけて調査に赴いたが、国の西側は平原が広がるだけで隠れるような場所はない。ならば、と怪物の住処がありそうな場所として次に目星をつけたのは北側だった。北側には森がある。住処としても、隠れる場所としても適しているだろう。
先程の兵士以外にもラースに手を貸してくれる数人の兵士を率いて木々の中を歩いて行く。
怪物が何体いるかは分からない。逃走を防ぐためにも人手は欲しい。討伐隊と呼ぶには人数が少ないがそもそも雇われの身であるラースとしては、自分の都合で兵士を動かし過ぎるのは本意ではない。このぐらいが丁度いいのだ。
奥まって来た所に入った頃であろうか、空気がひりつく感じがした。ラースの予感は「当たり」だったようだ。
視線の先には小国を騒がしていた「怪物」がいた。シルエットは獣のようだが、大きさはモンスターのそれだ。女性のように長く伸ばした髪に反し長身のラースであるが、「怪物」は彼より巨躯を有している。
そして感覚も獣のように鋭敏なのだろう、討伐隊が怪物の存在を認識するや否や視線を彼らに向けた。
気づかれたからには早々に仕留める――打ち合わせていた通りに、ラースは兵士たちに散開するように指示を出した。槍や剣で武装した兵士たちが怪物の前方を取り囲むようにして武器を構える。但し怪物には近づかないように一定の距離を保つ。
怪物が逡巡する暇に剣と盾を構えたラースが目の前に立つ。まるで「この中で最も脅威は自分だ」と誇示するように。怪物の頭はいとも単純に動き、ラースに向けて爪の付いた剛腕を振りかざした。
それに対し、左手の盾で防ぐ。いや、正確に言えば受け流した。盾への損傷を最小限に、強打の勢いに体が飲み込まれぬように爪をいなしてそのまま流れるような勢いで剣を振り抜く。
絶叫。
怪物の雄たけびが、悲鳴が森に木霊した。本能に任せて乱暴に振り回される爪を同様にして弾き、切りつける。
「頭はあまり良くないよう……だね!」
振り下ろして力の抜けた手を、渾身の力を込めて切り飛ばす。痛みと怒りで絶叫を上げる怪物を余所にがら空きになった脇腹へと、武器を捨てて拳を叩きこむ。ぐらり、と巨躯が大地に崩れ落ちた。悪足掻きを警戒して距離を取り様子を見るが、それきり怪物が動く事はなかった。
●
その後、兵士たちと共に森を探索したが他にモンスターの影は見当たらず、雇い主に報告し残りの任期いっぱいまで警備としての役割を果たす事にした。
「怪物」を仕留めた傭兵の話は国民に伝わり、人々は英雄に感謝し彼を称えた。
その国はこれといって大きな特徴はない。ただ過ごしやすい空気と美味しい食事はある。
居心地はいい。とても「良い所」だ。
だが、彼の傭兵にはこの国に留まるなんて選択肢ははなから無かった。それが彼の生き方だからだ。
当然、任期を終えれば惜しまれながら国を出る事になった。
もっと滞在して欲しいと願うものに対して、
「まだ世界の全部を見れてないからね」
と語って断った。
渡り鳥は争いを好まない。
留まる事の柵も、災難も前の止まり木で見てきたから。
故に〈混沌〉の中では長きを共にする居場所を求めず、ただ次の羽休めまで広い世界を彷徨うばかりであった。
ラース=フィレンツの羽休めの一幕はこれにして終いとなる。