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黒き祝福(のろい)
登場人物一覧
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灼那欺(ヤナギ)という青年の価値観を語ろう。
灼那欺にとって生きることと死ぬことは同一である。
そも死とはすべてのものに訪れる終末を意味する。生から死。その時間の多寡は誤差でしかない。
他者であっても、自分であっても、同一である。
とある日。
少年はいつものように狩りのため深い森に入っていく。しかしその日はいつもとは違っていた。
いつもならすぐに見つかる動物たちが見つからない。
動物どころか虫の鳴き声さえもない。
静寂が支配する其の森は不気味で、少年は森から抜けようとおもう。
手ぶらで家に帰れば叱責されるかもしれないが、ここに居てはだめだと本能が警鐘をならしていた。
「おや、こどもがいるよ」
少年は漆黒の魔女に出会う。真っ黒で、真っ黑で、闇より真っ玄な女の姿をした魔がそこに存在していた。
恐怖という概念を擬人化したのならばこの姿になるのかもしれない。
魔女は自分の名前を「死」だと名乗った。
魔女はがたがたと震える少年に問をなげた。
「いのちとはなに?」
少年は今までそんなことは考えたことはなかった。
ご飯をたべて、生きることだと、小さな頭で必死で考えて答えた。そうしなければ魔女に食い殺されてしまうと思ったからだ。
黒い魔女は次に、
「しぬとはなに?」
と尋ねた。一生懸命考えていのちの逆だとこたえると魔女はおかしそうに嗤った。
嗤って。これが死だよと自分の真っ黒な腕と灼那欺の腕を交換した。
嗤って、嗤って、嗤って。
魔女は嗤って、消えた。
少年に「死」という名の漆黒の自分のものとは長さの違う不格好な腕を残して。
少年はその日からチェンジリングと呼ばれて、両親からも。村びとからも疎まれるようになる。
当然だ。自分の意思で動かすこともできないその不気味な黒い腕は異様で自分ですら禍々しく思える。
いつしか少年は村から追い出された。
それから、青年になるまでの間のことはあまり覚えていない。
啜った泥の味だけは一生忘れることはないだろう。
少年が成長し青年となり、不格好だった腕の長さの違いが見えなくなった頃、彼はとある領主を己の主とし主の命のままに動く手駒として働いていた。
主の命令であればどんな理不尽なことも、どんな残酷なこともこなしてきた。
殺すことは好きではない。奪うことに愉しみを覚えたこともない。けれど命令だから。仕方ないのだ。
「灼那欺」
名を呼ばれ振り向けば、黒い髪の美しい少女。主の娘だ。
灼那欺は跪き、頭を垂れる。
その少女は満足そうに頷くと灼那欺の頭を抱きしめる。
「――様?」
「お父様の命令で人を殺してきたのでしょう? すごいわ。さすが灼那欺ね。貴方に殺せないものは居ないわ」
ころころと少女は愛らしく笑う。
「あなたは死を運ぶものね」
言われて灼那欺はドキリとする。死とはこの動かぬ黒い手の持ち主である魔女の名前でもある。その魔女から分け与えられた「死」がこの黒い腕だ。
「――」
「貴方は無口ね? 私を喜ばせるためにおしゃべりに付き合いなさい」
「はい」
「ねえ、人を殺すってどういうきもち?」
「特になんとも思いません」
「本当に?」
「はい」
「貴方にとっていのちとはなに?」
奇しくも黒い魔女と同じ質問を目の前の少女がなげかけた。
言葉に詰まる。
成長した今「死」という言葉の概念程度は説明はできる。しかし目の前の少女は其れをもとめているようには思えない。
「じゃあ、しぬとはなに?」
あのときの再現に灼那欺は無意識に黒い手を撫でる。あれから一度たりとてこの腕が動いてくれたことはない。
「私にとってのいのちとは愛すること。しぬというのは愛を失うこと」
悪戯気な表情で少女が笑いながら自らの答えを明かす。
その笑いはやけに耳につく。
あの魔女とそっくりの嗤い。
「ふふ、灼那欺。私はね。お前を愛しているわ。
だからわたしの「いのち」はお前のこと。
大好きよ、愛している。お前は?
お前にとってのいのちはなぁに?」
理論的とはいえないその少女の言葉。
しかしそれが灼那欺には少女の真理に思えた。
「表」での仕事を終え、灼那欺は「裏」の主人のもとに帰り、挨拶を済ませて「少女」のもとに向かう。
特に約束をしたわけではないが、「裏」に戻ってきたときには会いに行かないと機嫌を損ねてしまうからだ。だからいつもどおりに少女に会いに行く。
前回会ったのは2年ほど前だっただろうか?
「灼那欺」
少女は嬉しそうに灼那欺のもとに駆けてくる。
いつもの光景。だが其の日は違った。
少女の後ろには自らとそっくりな青年の姿。
「――!」
目を見開く灼那欺に少女は悪戯げにわらってびっくりした? と問いかけた。
「このこはヤナギ。貴方の髪の毛をもとに私がつくったの。貴方にそっくりでしょう? ふふ」
なぜ、こんなものをと尋ねれば、貴方が私のそばにずっといないから代用品なの。元に、今だって年単位で会えないのだもの。お前が私にあいにこないからつくったの、悪いのはお前だわ、と少女は悪気なく答えた。
ヤナギの存在に嫌悪感を覚えた灼那欺は踵を返す。
少女の悪ふざけはいつものことだが今日はさすがにひどすぎる。
「まちなさい」
少女が灼那欺を鋭い声で止める。
「命令ですか?」
怒りのせいか声が固くなるが少女は気にもしない。
「ええ」
「――」
灼那欺は目を細めて命令をきき、足を止めた。
「かわいいでしょう? このこ。ヤナギっていうの。ねえ、ヤナギ。ごあいさつなさい?」
ヤナギとよばれたそのヒトガタはぎこちなく頭を下げる。
自分と同じ姿に同じ名前をつける醜悪さと悪趣味さに灼那欺は吐き気を覚える。産み落とされたそれは最初から代用品。個などない存在。
自分のデッドコピー。
「名前」
「ん?」
少女はこの後なんと言われるかなどわかっているがあえていたぶるように聞き返してきた。
「せめて名前は自分とは違うものをつけてあげてください」
つまんないの。と少女は唇を尖らせる。しかし不機嫌な灼那欺の顔をみて喜んでいるのは明らかだ。悪趣味な其れには正直反吐がでる。
じゃあ、貴方がつけなさいと少女から命令される。
灼那欺は鏡写しの「自分」の代用品を見つめる。キョトンとして見返すその瞳に「個」というものはないように思えた。それがやけに気持ち悪い。
灼那欺は「ヤナギ」に向かって手をのばし――赤い瞳に指を這わせると、その朱を奪う。
ちょっと! と少女が怒りの声をあげるが構わない。どうせ数秒後には少女はその目の色が変わったことにすら興味を失うことだろう。
「個」のない「彼」に捧ぐ自己満足にしかならないギフト。
「ヤナギ」の片方の瞳の色がましろに染まる。彼を「ヤナギ」という名前のデッドコピーではなくすためのせめてもの意趣返し。
せっかくのそっくりだったのに台無しじゃないと頬をふくらませる少女を灼那欺が抱き寄せれば、とたんに少女は上機嫌になる。
「名前は。――ランドウェラ。古い言葉で真実の大地を表します」
「ランドウェラ、ランドウェラ……へんなひびき。でもいいわ貴方がくれたものだもの、気に入ったわ。
今日からお前はランドウェラ。いいわね? ランドウェラ」
上機嫌になった少女は歌うように代用品の名を呼ぶ。
ランドウェラ、ランドウェラ、ランドウェラ。
何度も何度も名前を呼ぶ。
最初は哀れだったから。
自らの代用品であるランドウェラに気まぐれで金平糖をあげたことがある。
菓子を受け取り嬉しそうに笑う
デッドコピーの彼のような笑いを灼那欺はしたことはない。少々――どころかそうとう面映いというか、自分と同じ顔の青年が子供のように笑うのをみるのは気味が悪い。
しかしこれが彼と自分の違いであると彼の「個」を感じ灼那欺は安堵する。
少女にとってその違いは決して良いことではないだろうが――。
とはいえ灼那欺はランドウェラとあまり会うことはなかった。
しかし、顔を合わせたときには菓子をやったり、手合わせのようなことをしてみたりとまるで父親のように世話をやいた。
むこうにとってはそう思わなかったかもしれないが灼那欺はそう思っていた。
あるとき、ランドウェラがこの世界から消えた。
忽然と、最初からいなかったかのように。
少女は狂乱する。
返してと泣き叫ぶ。彼は意外にも「個」として少女に認められていたのだろう。
少女は自らのことをランドウェラに母と呼ばせかわいがっていたのだ。
灼那欺が慰めに抱きしめても少女の機嫌がよくなることはなくなった。
探してこいと泣き叫ぶだけだ。
多分彼はどこかに行ってしまったのだと思う。
ここではないどこかに。
自由になれたのなら問題はない。
それでいいのだろう。
いつかまたあの少女はもうひとりの「彼」をつくるかもしれない。
それでも――。
彼――ランドウェラが何処かに彼が生きるべき真実の大地を見つけることができたのなら、それは幸いだと思う。
探してきて。と少女が灼那欺に命令する。
灼那欺はいわれたとおりに世界の裏も表も探す。
しかしランドウェラが見つかることはなかった。彼はどこにもいない。
灼那欺の探索能力は低くはないはずだ。気配もけせないランドウェラを見落とすことはありえないといってもいいだろう。
やはりこの世界から彼は消失してしまったのだ。
それとも逃げ出したのかもしれない。
それならなおさらいいことだと思う。
彼の自我がそうさせたのなら、喜ばしくすら思える。
ランドウェラがこの世界にはもういないという報告をしに灼那欺は少女のもとに向かう。
彼女のもとに向かう回廊を歩いているとふと世界が入れ替わったような気がした。
最初はいつもの少女の悪戯だと思った。
こういった悪ふざけをされたことは一度や二度ではない。
辛抱強く回廊を歩いていく。
気づけばみたこともない屋上庭園。
そこには世界に悔やむ女がいた。
どことなく少女に似ていた彼女が自分に降り掛かった状況を説明してくれた。
なんとなく。本当になんとなくだが、ランドウェラも、自分もまたこの世界に召喚ばれたのだと直感した。
かえらなくては。
最初にそう思った。しかし本当にそうなのだろうか?
突如舞い降りた自由は甘美なもので――。
もう一度もとの世界に戻りたいのか自問自答する。
答えは意外と簡単に導くことができた。
灼那欺は一歩踏み出す。
もう一歩。
新しいこの世界の大地を。
――ここで新しいものを見つけるのも悪くないかもしれません。
灼那欺は歩をすすめる。
其の先は誰も、自分でさえもわからないが。不安などは皆無で妙に清々しく思えた。