SS詳細
Re:lation
登場人物一覧
文化後援に尽力をしている貴婦人から、絵画を鑑定して欲しいという依頼が入ってきた。名はドロシア=カーロといい、教養の範疇として彼女自身も芸術を心得た人間だ。情報屋の龍之介は芸術に知識のある傭兵を思い浮かべて、別の要求も踏まえて適任だろうという人物を連れて行った。
「こちらはロウス。ランドウェラ=ロード=ロウス」
龍之介に紹介されて静かに作り笑いをするランドウェラ。金払いが良い貴族の仕事だといわれて大した説明もなく急かされたものだから当惑したが、屋敷の入り口で出迎えてくれた淑やかな女性がそのドロシアという貴族だと知って胡散臭い事に巻き込まれる心配も一旦消えた。
ドロシアは二人を絵画の保管室に案内するまで手短に興味深い事をいってくれた。第一に、祖父が芸術家の道で成功して末席ながら貴族の地位を得た家系である事。第二に、四十歳だというのに肌の血色もよく若々しく見えた。彼女が一般的な人間種ならば二十代後半といわれても特に疑う必要はなかっただろう。傍らにいる龍之介もそれを聞いて失恋したように青ざめていたのもその証左だ。
第三は、鑑定して欲しい絵画は彼女の祖父が描いた絵画の数点だという。ランドウェラはこの世界に召喚されて月日は長くない。芸術の歴史については専門家ほど詳しくはないが、それでも美術品自体の価値を見抜く眼は人並み以上だ。龍之介がランドウェラを呼び寄せた理由の一つはそれだ。龍之介がその事をドロシアに伝えると、微笑みを浮かべて保管室へ二人を招き入れた。龍之介はその優しい微笑みが期待からだろうと感じて、得意げな気持ちになる。
「ところで……情報屋くん」
「柳田龍之介です。なんでしょうか」
龍之介は振り返ってから自分の姓名を名乗り、ランドウェラが神妙な顔をしている事から同じような表情をして続きを促した。ランドウェラはそのにらめっこから降参したように笑顔を作って「仲良くなれそうな気がしないかい?」と言った。それは言葉にせずとも聡い者なら何が言いたいか伝わったのだろうが、十五にも満たない子供に機微を感じ取れというのは難しい。
龍之介は尚更得意げにランドウェラの手を引っ張る。この情報屋は己の度胸が許す限りは大変な仕事熱心であった。何か理由をつけたしても、駄々をこねるだろう。
観念したランドウェラはドロシアが抱えてきた数点の作品に「複数なら鑑定に時間が掛かる」と口にして、情報屋と二人きりになれるタイミングを待った。
鑑定の仕事を続ける仕草で数分経った頃合い、使用人から「客人が来たようです」と伝えられてドロシアが部屋を出ていく。ランドウェラはそれから即座に龍之介に対して言い放った。
「君は帰った方がいい」
龍之介は呆けた猫のように目を丸くしてから、段々と顔を真っ赤にさせて「報酬を独り占めするつもりか」と詰め寄った。ランドウェラは周囲に何者かの気配がしないか確認してから、溜息を吐き出すついでに質問で返した。
「なんで僕を選んだんだい。美術品に詳しいイレギュラーズなら他にいるだろう」
龍之介はきょとんとした表情から、「ドロシア婦人は芸術において男性に強い信頼をおかれているからです」と歯に衣を着せた言い方で答えた。男性至上主義はたまに見るタイプの固定概念だが、ドロシアという女性は自信と才気に満ち溢れた女性だ。自分達女性が男性より劣っていると存在だと信奉しているようにランドウェラは見えなかった。
彼女の祖父が描いたという目の前の絵画達も芸術として見られたものではない。カピカピに乾いた黒や茶色の不釣り合いの絵の具で描かれている。本人の色彩感覚が狂っていたか、保存状態が悪く異常に劣化したかのどちらかだ。これで貴族の地位を築けるなら、幻想は貴族で溢れかえっているだろう。
「芸術ってこういうのをいうんですかね?」
そう感想を述べるのは芸術について疎い龍之介である。ランドウェラはとりあえず誤魔化すように同調しながら、他の絵画作品も見た。
どれもこれも、趣味や遊びで描いたようなラクガキとしか思えない。「彼女の祖父の世代ではこれが売れたのか」と思っていたが、龍之介が依頼品ではない作品を持ち出してきた途端印象が変わった。
「あ、こちらはステキですね! こっちは私でも上手いって分かります!!」
それは肉付法・陰影法に縛られないその描き方。物の固有色にあらず、日光やその反射を受けて目に映るそのままを描写したありのままの印象をキャンバスに再現していた。
美しい。彼女の祖父について前評判を知らないランドウェラも素直にそう思えた。では鑑定する品はなにゆえ出来が悪いのか。ランドウェラはそこまで考えて、扉が開く音を耳にする。
「また祖父の絵を譲って欲しいという闖入者がいらっしゃったようです」
身内の絵はどんな言い値であってもおいそれと売り渡すわけにもいかぬ。立腹した表情がそう物語っていた。
「それで、祖父の絵はどのような価値がありそうでしたか?」
ドロシア婦人の柔らかい笑みに対してランドウェラも微笑みを作りながら、「もちろん」と頷いた。
「龍之介、ギルドから高度な拡大鏡を持ってきてくれないかい。さっきの鑑定で使ってたのより高いヤツ」
そんな備品私の管轄外だと龍之介が口にする寸前に「美人なお姉さんを紹介してあげるから」と付け加える。
意気揚々走り出した情報屋を見送って、ドロシアの方へ振り返るランドウェラ。見合った顔には既に微笑みなどなく、お互い冷たい無表情であった。
「これは、ブラッドアートという代物ですね。自分の血液を絵の具に混ぜて描くという手法です。気色悪いと思う人もいるでしょうが、寡聞ながらそういった絵画は世にいくらかあると聞いています」
言葉を選び、婦人の反応を探るような態度で説明を始めた。婦人は態度を表情に出さないが、感情の機微に聡いランドウェラには彼女の喜怒哀楽が手に取るように分かる。
「貴女の祖父は貴族に成り上がれるまで相応の技術と名声をお持ちのお方です。権威のある鑑定家に、これが本物だと認められればその物珍しさから値は上がるばかりでしょう。これが本当に貴女の祖父が描いた代物なら、ですが」
彫像のように無表情だったドロシアの眉がぴくりと動いた。
「何を仰りたいのです」
「劣化が激しいから古いものかと思いましたが、血液というのは生モノの塊です。混ぜ物の具合によっては最近のものでもすぐ劣化する。これは、貴女の描いたものですね?」
そこまでの口調は芸術品への説明を述べただけに過ぎなかったが、ランドウェラの口調に軽蔑が交じり始めた。
「この絵一枚描くには相当な血の量が必要だ。貴女は健康そのものだが、とても苦労なされたのでしょう」
ランドウェラは婦人を暗に批難した。正道な手段で血を集めたなら、頬を力一杯叩かれるだけで済んだだろう。婦人はそうせず、「バレてしまいましたか」と呟いて龍之介が戻ってきてから約束していた依頼料を投げ渡した。
サディストの趣味には付き合いきれない。龍之介の手を無理矢理引いて立ち去ろうとするランドウェラ。立ち去る寸前、婦人が一言問いかけた。
「そこの情報屋さんが褒めていた祖父の絵も同じ方法で描かれたものですが、貴方はどう思いましたか?」
ランドウェラは振り返らずに、こう言った。
「……どちらも気色悪いですよ。僕にとっては」