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偽りの振りして傍で笑っていてよ
登場人物一覧
試着室のカーテンを音立て開いて、金の髪を揺らして微笑んだ美女――そう呼ぶのが相応しいだろう――は兎の耳を頭にぴょこりと乗せた何ともセクシーなバニーガール姿であった。
「おじさま! どう? これ似合う?」
試着室の前に設置された椅子に腰かけていたグレイシアは美女――常に保護している少女、ルアナが『大人になった姿』を前に眉一つ動かさずに「ふむ」と小さく呟いた。
「似合うかどうかはさて置いて。ルアナはそれを着て何処へ行くつもりだ。
今日は成長した姿で着用できる衣服を探しに来た……と記憶しているが」
溜息を混じらせたグレイシアの言葉に試着室のカーテンをぎゅっと掴んだルアナは『成長している姿である』と言うのに、その中身は幼い子供そのものだ。目に涙を貯めて「えー」と非難がましくグレイシアを見遣った。
「おじさまつめたい!
かわいいね、とか、似合ってるよ、とか、言ってくれてもいいのに」
わざとらしい嘘泣きに動じないグレイシアは「さっさと元の服に着替えなさい」とため息を吐いた。
――今日はどういう状況なのか、と言えば世界はルアナにとって『とても素敵な贈り物』をしてくれた。異世界の勇者たるルアナは混沌世界に召喚された際に幼い少女として招かれた。だが、彼女はきちんと成熟した大人の女性である。勿論、『勇者ルアナに殺される魔王』であるグレイシアはそれを承知している。
魔王を殺すために旅をする勇者であるルアナには『自分が勇者であること』『魔王を倒して世界を平和にすること』という使命を胸にしているが、肝心の魔王が誰かと言うのを『幼児退行』と共に時の彼方に記憶のかけらとして置いてきてしまっている。
そんな彼女が『世界から貰った素敵な贈り物』と言うのが、彼女を
「おじさまー?」
どうやら彼女は考える暇を与えてはくれない。椅子より立ち上がり、異色な洋服棚へとまたも足を進めようとするルアナにグレイシアは「ルアナ」と呼びかける。
「ちゃんと服を選びなさい、……ふむ、その辺りの服はどうだ?」
「ええ……わたしいつだって本気なのにー……やっぱり、ぼん、とかきゅ、とか……そういう……」
ぶつぶつと呟くルアナの言葉を完全に無視をしてグレイシアはルアナの年の頃に似合いそうな落ち着いたワンピースやそれに合わせた小物を選んで行く。
「おじさま、選ぶのに慣れてる?」
「いや、慣れているわけではないが普段のルアナの格好と照らし合わせているだけだ」
幾つかの候補を抱えて頬を膨らませて試着室へと戻っていくルアナにグレイシアは溜息を混じらせた。
幼い姿の彼女は愛らしい少女――寧ろ、周りからは孫の面倒を見ていると思われがちだ――として認識で居るが、大人の姿ではどうにもグレイシアも歪なものを見る感覚だ。
「ねえ、ねえ」
試着室の中でごそごそと動く気配がする。幾つかの候補の中でルアナが決定したのはグレイシアが最初に彼女に進めたシンプルなワンピースであった。
「これ、どうかな?」
試着室から出てきて、備え付けのヒールサンダルを履いて見せたルアナの姿はそうしていれば普通の大人びた女性だ。グレイシアはその様子をまじまじと見つめて「ほう」と小さく息を吐いた。
「……これは思った以上に良いものだな。うむ、よく似合っている」
「……! 『そう? じゃあこれを頂くことにするにゃ――』」
ぱあ、と表情を明るくさせたかと思えば大人びた口調と仕草、表情を作るルアナ。『頂くことにするわ』とクールな美女を気取ろうとしたその言葉は残念ながら言葉を噛んでしまった事で途中で途切れる。
「うう……大人っぽい喋り方、無理……」
「一先ず、脱いで来なさい。待って居るから」
「はあーい―――アッ」
がっくりと肩を落としたルアナに着用した儘の商品を脱ぐように促したグレイシア。幼い子供の様にきちんと返事をした彼女は履いていた慣れないヒールに驚いたように足を滑らせ――転んだ。
黙ってさえいれば、美しいというのに。悉く残念なのだというようにグレイシアは痛む頭を押さえた。
ショッピングを終えたルアナは大人の姿の儘、暫くは買った商品を姿見で合わせてみたり、似合うかなとグレイシアに瞳を輝かせて聞いてきたものだが、暫くすれば幼い子供の様にソファでうとうとと船をこぎ始める。
「ルアナ?」
キッチンで珈琲とルアナの為の甘いカフェオレ――本人に言わせれば「ブラックを飲みたい!」らしいが、グレイシアはこっそりと甘口にしてある――を淹れていたグレイシアははしゃいでいたルアナの声が止んだことに首を捻りながらマグを二つ手にしながら戻ってきて、彼女夢の世界へ旅立ちかけている事に気付く。
「ふむ、疲れて寝てしまったか。布団にでも運ぶべきか……」
マグをテーブルへと置き、ソファに沈むルアナの様子を伺ったグレイシアの前で、ルアナの赤い瞳がゆっくりと開かれる。
「ルアナ、起き――」
「その必要はないわ」
その硬質の声音にグレイシアは出しかけた手をそっと止めて、彼女の様子を見つめた。
先ほどまでの明るく丸い赤い瞳ではなく、鋭い光を宿したその柘榴の色はグレイシアの事をじろりと睨め付ける。
「……警戒しないで。『今日は』面倒なことは言わないわ。
素敵な服をありがとう。『あの子』一人では選べなかったでしょうから。世話をかけたわね」
その声音にグレイシアは一瞬で『幼い少女を庇護する優爺』から『勇者と相対する魔王』の表情へと様変わりする。見て取れるほどの警戒にルアナは可笑しそうにころころと笑った。
「演技――では無さそうだな。まさか、『勇者』に礼を言われるとは思わなかった」
「ええ。そうでしょうね。私だって『魔王』にお礼を言う事になるなんて、思っていなかったわ」
くすくすと可笑しそうに笑ったルアナにグレイシアは小さく息を飲む。幼い彼女であれば手に取るようにその考えが分かるのだが、大人のルアナの事はグレイシアにはわからない。
「そう、警戒しないで。お礼を言いたかったのよ。服は大事だもの……。すぐに消えるわ」
その赤い瞳を『幼い少女の様に』細めたルアナにグレイシアは「そうか」と硬い声音で返す。
張り詰めるグレイシアの空気を受けてルアナは可笑しそうに彼を見上げ「ああ、でもその前に良いかしら?」と首を傾いだ。
「……何だ?」
「珈琲を頂いても良いかしら。『あの子』がいつも美味しそうに飲んでいるから『私』にも。
――嘘つきのブラックで構わないわ。あの子が飲んでいるものを私も飲んでみたいのよ」
嘘つきのブラックと称されたそれはテーブルの上ですっかり冷めてしまっている。眠る前には温かいミルクを、と彼女の寝かしつけに始めた習慣だが、今は「おじさまと一緒の珈琲がいい」とついつい甘やかしてしまっている証左である。
「勿論、淹れたてがいいわ」
「……奇遇だな。『ルアナ』がいつも美味しく飲んでいるものがいいのだろう」
テーブルを挟んだ位置に立っているグレイシアはマグをそっと持ち上げ、ルアナの様子を伺った。ソファから動く気配のないルアナに未だ警戒した儘のグレイシアは「直ぐに淹れ直そう」と素っ気なく言った。
「暫くそこで待って居ると良い」
「ええ。お待ちしているわ」
張り詰めた空気が僅かに緩む。キッチンへ向けて歩を進めていくグレイシアの背を眺めながら『ルアナ』は小さくため息を吐いた。
――どうして、私は生かされているのかしら。
幼い記憶をなくしたルアナ・テルフォードならまだしも、彼女の中に『勇者のルアナ・テルフォード』が目覚めていることは確かだ。普段はルアナの中に眠っている『勇者のルアナ・テルフォード』と比べれば、幼い彼女を御するのは簡単であるはずだ。何より、ルアナはグレイシアの事を『魔王』でも『知らない人』でもなく、唯一無二の信頼のできる人として認識しているのだから。
(……貴方が殺そうと思えば『私』の事は何時だって殺せるじゃない。
まるで、家族の様に接して、私を生かしている理由は何……?)
勇者は熟考する。漂ってくる珈琲の香を鼻先に感じながらソファに埋もれる様にずるりともたれかかった。
(ずっと、この子の中から見ていても分からないわ……。
いざとなれば私が彼を殺せばいいだけ。分かっているけれど――けれど)
勇者は直ぐに魔王と殺し合うものだと認識していた。
しかし、ルアナは『そう』はしなかった。
もう暫くは『この子』の中で様子を見ようと目を伏せる。
遠くからマグを手に歩いてくるグレイシアの気配を感じながら、彼女は「嘘つきのブラックをご準備頂けたのかしらね」と揶揄うように告げただけだった。