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言の葉を待つ
登場人物一覧
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桜の香りがひらりと舞う。
揺らめき擽るその香りは切なさを孕んで落ちていく。
どうしたら、この気持ちを伝えることが出来るだろうか。
春。木漏れ日のぬくもりが暖かい麗らかな陽気。
ライセルは二年になった新クラスで、隣に立つラクリマに微笑みを浮かべた。
「また一緒のクラスだね」
「そうですね。よかったです」
小さく笑った唇に言葉が乗る。
友達同士の何でも無いやり取り。其処に切なさを覚えるのはライセルの方。
一年前の春の日。
ラクリマとライセルは出会った。
今日と同じように桜の吹雪く並木の下で凜と立つラクリマ。
ライセルはその美しい金髪と青い瞳に魅せられる。
「天使、だ」
「……え?」
思わず話しかけたら警戒されて、逃げられた。
けれど、結局は同じクラスで。ラクリマの嫌そうな顔が忘れられない。
そこから少しずつ距離を縮めてお互い冗談を言えるようになったのは夏頃だろうか。
唯一無二の親友。そんな風にお互いを思えるようになった。
「色々ありましたよね」
「そうだね。夏祭りの時とか。ラクリマが迷子になって……」
「いや、迷子になったのはライセルさんの方」
花火を良い位置で見ようと、走り出したラクリマが人混みの中に消えてしまった時は焦ったなと、思い出してライセルはくすくすと笑う。
普段はクールで大人しい印象を受けるラクリマは、結構おっちょこちょいなのだ。
そこが愛らしいのだと、人混みの中でようやく見つけたラクリマを見て思った。
頭を撫でたその感触に。指先に絡むラクリマの髪に。酷く心が乱れる。
「どうしました?」
そう言って見上げてくる瞳に、花火の五色が咲いた。
何でも無いと首を振って、湧き上がった感情を押し殺すライセル。
だって、こんな感情。友達に抱くなんて嘘だろうと思った。
――好き。だなんて。
●
暗闇の中。
後ろに居た筈のライセルが居ない事に気付いたラクリマはどうしようと戸惑っていた。
「ライセルさん迷子?」
もうすぐ花火が始まってしまうというのに、ライセルは人混みに足を取られてしまった様だ。
少し抜けた所のあるライセルらしい。
「仕方ないですね」
自分が動き回るよりも、きっと隅の方でじっとしていた方が良いだろう。
多分、ライセルは犬の様に動き回って、ここを嗅ぎつけるに違いない。
「痛……」
慣れない下駄の鼻緒に、靴擦れを起こした皮膚から血が滲んでいた。
――ドドン。
川の対岸から花火が上がる。
身体の奥に響く強烈な音。空に上がる花火は綺麗なのに。
少しだけその音と足の痛みに少し心細くなるラクリマ。
その時。
「ラクリマ!」
声と共に慌てて駆け寄ってきたライセルに。ラクリマの瞳に涙が浮かんだ。
「ライセルさん……もう、どこ行ってたんですか!」
「えぇ!? それはこっちの台詞……ちょ、痛い」
ぽかぽかと浮かんだ涙が零れないように。見られないように。
大げさにラクリマはライセルを殴りつけた。
頭を撫でるライセルの指を感じて「どうしました?」と視線を上げる。
案外近くにあった彼の顔に何だか恥ずかしさを覚え、ラクリマはくるりと踵を返した。
「ほら、早く行きましょ」
ラクリマはまたもや急ぎ足で人混みの中に紛れようとする。
その手をライセルは慌てて掴んだ。
「待って、ラクリマ。また迷子になるよ。それに……」
言いながら、ラクリマを抱えて隅の石段に座らせるライセル。
皮膚の切れた足を持ち上げられ、睨まれる。
「痛いだろ?」
「う……、でも。花火が」
「花火は此処からでも見えるよ。ほら、此処に座ってごらん」
上を見上げていると首が疲れるから。疲れない場所をラクリマは探していた。
けれど、肩を掴まれライセルの胸に頭を預ける形で見上げる夜空。
「こうしたら疲れないだろ?」
上を見上げれば目の前に広がる大輪の夜花。光は散りばめられた宝石みたいにキラキラと輝く。
綺麗だった。
そして、それよりも。
後頭部に感じるライセルの温もりがやけに熱くて。
どくんとラクリマの心臓が跳ねた。
それは、次第に大きくなって。
もしかしたら、この心臓の音はライセルに届くんじゃないだろうかと焦る。
お願いだから。気付かないで。
こんな感情は覚えが無い。だって。そんな。
――好き。だなんて。
そこから何も無いまま時間だけが過ぎた。
夏を過ごし、秋を経て、冬を越す。
そして、また春が来た。
遠くに野球部の声が聞こえる。
グラウンドで練習をしているのだろう。
風が強く吹いて。
桜の花びらがオレンジ色に染まる教室の中に入り込んできた。
この時間は何もかもが黄昏れの色に染まる。
ラクリマはこの時間の教室が好きだった。
温かな日差しは眠気を誘う。
「ラクリマ? 眠いのかい?」
「少し、寝てもいいですか?」
ふわふわと夢見心地でライセルに問いかける。
くすくすと笑い声が頭の上から降ってきた。
こういう時は絶対にライセルは断らない。何がそんなに楽しいのだろう。
けれど、こんな風に甘えるのがラクリマは結構好きだった。
他の誰にも許さない。二人だけの時間。
邪魔されたくないなと思いながら、温かな机の上に伏せてラクリマは意識を落とした。
●
すうすうと無防備に寝息を立てるラクリマを見つめながら。
ライセルは彼の金の髪に触れた。
手触りの良い髪は美しく何時までも触っていたいと思える。
起こさないようにゆっくりと撫でた。髪の内側に感じる温もりが心地良い。
風が教室のカーテンを揺らした。
ひらりと桜の花びらがラクリマの肩に乗る。
視線は小さく寝息を立てる唇へ。
少しだけ開いた隙間から赤い下が見えた。
それが、何だか艶めかしく。唇に指を這わせたいと思わせた。
長い睫毛から落ちる影も。白い頬も。
もし告白でもしたら驚きに色づくのだろうか。
「……、」
ラクリマの名を呼びかけて止まる。
今更何を言えば良いのだろう。ラクリマは自分の事を親友だと思っているし。
その心地よさを。関係を。傍に居られる特権を。崩したくは無い。
一時の劣情に惑わされて壊していいなんて思っていない。
「は、」
ライセルの口から小さく溜息が漏れた。
切なさが表情に滲む。
叶う事の無い恋心を抱えて。
どうすればこの気持ちを伝えることが出来るだろうと一人憂う。
出来るはずも無いのに。
ならば、今このときだけは。
頭を撫でる事だけでも、許されるだろうか。
――――
――
頭を撫でる指が心地良い。
何度、こうして放課後の教室で過ごしただろう。
夏の暑い日も。秋の涼しさも。冬の寒さも。
ずっと一緒に過ごしてきた。
だから。ライセルの瞳を見れば、彼の気持ちなんて直ぐに分かる。
それぐらい一緒に居たのだから。
ラクリマは心地よさに身を委ね、同時に焦れったさも覚えた。
何時になったら気持ちを伝えてくれるのだろう。
自分から伝えるなんて恥ずかしさで死んでしまうから。
でも、そろそろラクリマだって限界なのだ。
帰るまでにその言葉を聞けなかったら。
こちらから仕掛けてみるのも悪くない。
だって、返事は決まっている。
だから早く。
早く。
その言葉を聞かせて。
貴方の気持ちなんて知っているのだから。
ラクリマは期待を込めて、伏せていた瞼をそっと開けた。